モル派頭領
ダンジョンの第五層への道が開かれた。同時に、待ち構えていた魔物の攻勢で、一旦ギルドメンバーは退却した。ここまではない話でもないらしい。
しかし、その魔物の軍勢の中に魔王がいた。魔王というのは、アヌシュカの話によれば、太古より存在し、魔を生み出す元凶。古の英雄たちがダンジョンの中に封印し、長い年月の中で多くは死んでいったが、現代まで生き延びた個体も存在する。過去に一体だけ確認されたことがある。
その二体目が、このダンジョンに出没した。それも第五層という比較的浅い階層にいる。ギルドの混乱は激しいものだった。皇都のギルド本部と盛んに連絡を取り合い、今後の活動の方針について指示を仰いでいるようだった。
おれは部外者だったから、ギルドメンバーの会話には参加できなかったが、こっそり盗聴することにした。ヒミコが盗聴用の虫型機械を作り、地上を這わせたり、地中を進ませたりした。複数人の会話を同時に聞くこともでき、おれとヒミコは少し離れた位置から情報を収集した。
まず、ダンジョン内の状況。モル派の生存者はほぼ撤退完了。これは事前に帰還魔法の準備を進め、緊急時に行使することを部隊内で意識共有していたことが大きい。ちょっとした負傷者に安易に帰還魔法を使うことなく、温存していたことが功を奏した。帰還できなかったモル派の戦士はたったの三名と報告されていた。
グリゼルディス、イングベルトの両名は帰還魔法が成立せず。ダンジョン内にまだ留まっていると思われる。アドルノとその弟子アヌシュカも帰還していない。ギルドメンバーとその協力者の未帰還者はこの四名だった。ただし、いずれもギルド屈指の実力者であり、生存確率は高いと目された。
第五層に溜まっていた魔物の軍勢、それから第四層で駆除していなかった魔物が合流し、大軍勢を構成。瞬く間に魔物が展開し、その動きは組織立っていた。魔王が魔物の動きを指揮していると思われる。
魔王……。その姿を目撃したギルドメンバーは少なかった。封印が破壊されたとき、最前線にいたモル派の戦士五名は魔物に襲撃され負傷、撤退を試みたが魔王の姿を直視し呪殺された。封印を破壊した張本人のグリゼルディスとイングベルトも魔王を直視したはずだが、あらかじめ魔物から攻撃を受けることを想定していて魔法障壁が呪殺攻撃を緩和し死は免れた。
魔王を目撃して生還したモル派は二名。頭部は獅子、首から下は成人男性、瘴気をまとい、炎の錫杖と氷の剣をそれぞれ両手に持っていたという。
古い伝承に詳しいギルドメンバーによれば、建国伝に記される魔王リーゴスと特徴が酷似し、それが同一個体かどうかはさておき、その名が冠されることとなった。それと同時に、このダンジョンの名前もリーゴスのダンジョンと正式に命名された。
今後のギルドの方針はなかなか定まらなかった。
モル派は戦力を充実させ、魔王討伐に向かうべきと主張した。既に派閥内の実力者を続々と招集し、戦う気満々だった。
グリ派は戦力を充実させることはモル派と同じだが、ダンジョン入り口付近の守りを固め、魔物の被害をなくすべきだと主張した。仮に魔王討伐に向かうならギルドの総力を挙げることはもちろん、皇国の騎士や、他国の実力者を積極的に登用すべきだとした。この意見はグリ派ナンバーツーのヤスミンが特に強弁した。
アドルノ派はいたずらに交戦すべきではないと判断した。近隣の住民を避難させ、敵の規模や脅威を計り、慎重を期する。不確定要素の多い戦いにギルドメンバーを投入し、わざわざ死なせることはない、と。
ギルドの主導的立場にあるアドルノ、グリゼルディス両名が不在なのが混乱に拍車をかけた。グリ派の人間全てがグリ派の意見に盲従するわけではなかった。グリゼルディス個人を慕っているものの、グリ派の他の幹部にはさして大きな感情を抱いていない、そんな者も多かったのだ。アドルノ派においても、それは同じだった。
ギルドの三派閥の長の内、二名が不在となれば、モル派の長の意見が尊重されるのは当然の成り行きだった。モル派の頭領モルが現地に到着したのは、魔王登場から僅か二時間後のことだった。
モルは恰幅の良い男性だった。赤い軍服を着、耳や手首や首元にじゃらじゃらと宝石の装飾品をぶら下げ、側近八名は全員若い女性だった。巨大な輓馬が四頭、これまた巨大な馬車を曳きながら、大木を薙ぎ倒し、土埃を撒き上げ登場した。
「モル様!」
「モル様!」
「モル様ぁー!」
モル派の人間が口々に賞賛の言葉を叫ぶ。おれは離れた位置でその様子をうかがっていた。ベルギウスだけは、その騒ぎに参加せず、ただ立ち尽くしていた。
モルは馬車の荷台にある台座の上に立ち、しばらく部下の雄たけびを聞いてうんうんと頷いていたが、やがて手を上げた。
「我が可愛い息子らよ。楽にしなさい。此度はなかなかの災難であったな。魔王がダンジョンの中から現れるなど、そう滅多にあることではない。二〇年前、私はディガム王国の要請に応じて、魔王討伐作戦に参加し部隊の一翼を担ったが、敢えて言おう、魔王など恐れる必要はない」
モルの力強い言葉に、一同はおお、とざわめいた。
「確かに、魔王はいかなる魔物よりも厄介で、卓越した魔法技術を持っている。しかし我々人類はそれを十分討伐し得る能力を持っている。伝承で誇大に描かれることの多い魔王も、倒し方は魔物と変わらない。我々が普段積んでいる研鑽の成果を発揮することができれば、これ以上死人を出すことなく、成敗可能であろう」
モルは拳を天に突き上げた。一同は拍手喝采だった。モルはそれからベルギウスに目を向けた。
「ベルギウス! 我が誇り高き黒の懐刀よ。精鋭部隊を編成し魔王討伐に向かえ。いいな?」
ベルギウスは一礼して、前の進み出て来た。包帯を剥がし、その顔をあらわにする。中から現れたのは赤黒い肌と、無数の切り傷のある痛ましい姿だった。ところどころ老齢の樹木の木肌のように、細胞が壊死しているのか黒ずんでいる。
「我が主、モル様! お言葉ですが、魔王討伐に向かうのであれば、派閥を超えた最精鋭部隊を編成するべきかと。また、戦いの場はダンジョンではなく、地上であるべきではないでしょうか」
「ほう」
モルは台座から下りて、ベルギウスと同じ目線に立った。小柄なベルギウスより、モルは頭二つ分背が高かったので、少し屈んで彼の顔を覗き込んだ。
「相変わらず、呪いに蝕まれているな……。調子が悪いのか?」
「いえ。絶好調といえます」
「ならば行け。魔王を討伐し英雄となれ」
ベルギウスは逡巡した様子で、
「……勝算はありましょう。しかし、多大な犠牲を払うことになります」
「死ぬのが怖いか? ベルギウス、お前ほどの男が、魔王を前に臆したか?」
「いいえ。恐怖心などとうに捨て去りました。しかし、モル派全員がそうではありません。このベルギウス、この見てくれですから、妻子を設けることはかないません。ただ、部下の中には家庭を持っている者、家族を養っている者、未来ある若者が大勢います。彼らの未来を思うと、ここは犠牲を最小限にするべく、派閥を超え、決戦の地を慎重に選定し、十分な準備をもって――」
「あまり失望させるなよベルギウス。聞けば、このモル派圧倒の地において、グリ派にダンジョン発見者権利を奪われたそうじゃないか?」
モルの声は暗く冷たく、氷のようだった。ベルギウスは頭を垂れた。
「申し訳ございません」
「いったいどれだけの人員を預けていると思っている。全権は貴様にあったのだろう。取り返してみせよ。我が信頼を」
「……ですが……」
モルは呆れたように一同を見回した。そして嘆息する。
「ほう……。まだ納得がいかないか。ならばいい。我が白き薔薇、ロートラウト!」
「ここに」
白い衣装に白い仮面をかぶった長身の女性が、モルの前に現れて傅いた。ベルギウスはそんな彼女を呆然と見つめた。
「ロートラウト。貴様にモル派全ての戦力を預ける。魔王討伐の任を受けてくれるか?」
ロートラウトはベルギウスをちらりと見た。
「ベルギウス様抜きで、ございますか?」
「そうだ。臆病者など戦力になるまい」
「かしこまりました。このロートラウト、魔王リーゴスの首をモル様の御前まで運んで参ります。部隊の編成に半日ほどいただきたく」
「いいだろう。では、後は頼んだ」
モルは馬車の荷台に乗り、馬車が動き出す。その後姿をモル派の戦士たちは手を上げて見送った。ヒミコはその馬車にもこっそり盗聴虫を忍ばせた。
「モル様!」
「モル様!」
「モル様ぁー!」
ロートラウトは立ち上がると、ベルギウスに一礼し、モル派の戦士に指示を飛ばし始めた。凛とした女性の声は遠くまで響き渡り、それに合わせてモル派の動きが機敏になったような気がする。
ベルギウスは包帯を巻きなおすと、ゆっくりと集まりから離れていった。たまたまおれたちのほうに近づいてきたので、おれが手を上げて挨拶すると、ベルギウスは肩を竦めた。
「……見ていたのか」
「モル派のトップというのは、なんというか、グリゼルディスともアドルノとも違うな。権力者って感じだ」
ベルギウスは威嚇するようにおれに向かって手を払った。
「尊敬に値する方だ。我の命の恩人でもある。最近は政治に力を注いでいらっしゃるが、ディガム王国に出現した魔王討伐に参戦し、戦果を挙げたほどの実力者でもある」
「そうか」
「しかし……、部下の命を軽んじている。魔王がいなくとも、今のダンジョンは混沌を極めている。治まるのを待つべきなのだが、命令とあればロートラウトは作戦を強行するだろうな」
おれは白い仮面の女性を見た。振る舞いが流麗で、気品がある。彼女の部下たちも、彼女の指示に従うのは快感と言わんばかりに動き回っている。指揮官としての才はあるようだ。
「ふむ。ベルギウス、あんたはどうするべきだと考えているんだ」
「魔王討伐するのなら、グリ派、アドルノ派と協力すべきだ。その点はグリ派と意見は一緒だな。我は作戦から外されたから、もうどうすることもできないが」
「それなら、グリ派と協力できるんじゃないか? グリ派も魔王討伐にやぶさかではないのなら、今後ここに戦力を持ってくるだろう。モル派の中には、あんたを慕っている連中もいるだろうし、そこは協力できるはずだ」
ベルギウスは激しく拒絶した。
「何をバカな。我にモル様を裏切れと言っているも同義だ」
「だが、部下を救えるかもしれない。あんたはこう思っているんだろう? ロートラウトが率いる部隊は、仮に魔王討伐できたとしても、多大な犠牲を払うことになる」
しばしの沈黙。ベルギウスは憎らしげに、
「……可能性は高い」
「なら、あんたはあんたで動くべきだ。そうは思わないか。良かったら協力するよ。おれも今、できることを探している最中でね」
「結構だ。ふん、ギルド外の人間に何ができるか知らんがな」
ベルギウスは足を引きずりながら歩み去った。おれはモル派のせわしない動きと、ベルギウスの気怠そうな後姿を見比べた。彼らの作戦が成功するビジョンが浮かばなかった。
ヒミコは盗聴に熱心で、ギルド員同士の会話に耳を傾けていた。やがて言った。
「グリ派の援軍が間もなく到着するそうです。率いるのは皇国軍人のリヒャルト、魔法学校の教師ツィスカ」
二十名ほどのグリ派の戦士が、ダンジョン前に到着した。その中に、おれが最初に出会ったギルド員であるヴァレンティーネの巨体があるのを見て、なぜか少し嬉しくなった。
ヴァレンティーネはおれを発見すると、少し驚き、小さく頭を下げた。ダンジョン前はモル派とグリ派でごった返し、盗聴するヒミコがいよいよパンクしそうになっていた。
そんなとき、ダンジョンの入り口から出てくる人物がいた。騒がしかったギルド員たちは一瞬で静まり返り、それが誰なのか、魔物なのか、見極めようとした。
現れたのはイングベルトだった。封印破壊の専門家。彼はダンジョンから出た直後、前のめりに倒れた。消耗しきった彼は全身傷だらけで、そんな彼を真っ先に介抱しに行ったのは、ここに到着したばかりのヴァレンティーネだった。