包囲網
おれはモル派の部隊の陣容が整う前にしかけることにする。カスパルの容姿を模倣したおれはモル派の一部隊にあえて近づき、その索敵に引っ掛かる範囲を調べた。彼らの索敵魔法は、常時周囲30メートル程度有効だが、索敵にのみ集中すればその射程は倍以上に広がった。平隊員でこれなので、手練れはこれ以上の範囲をカバーしてくる可能性がある。
おれの存在に気づいた彼らはその情報を全体に共有した。恐らくは指揮官が魔法を使って全部隊の動きを細かく指示している。通信機がなくとも彼らは遠隔での意思疎通が容易であるようだった。魔力に困らないダンジョンならではのことかもしれない。
おれを中心に、モル派の部隊が徐々に追い込み漁の要領で近づいてくる。おれはその索敵網のぎりぎりの位置をキープしつつ、アヌシュカたちが無事に逃げられるよう、彼女らとは反対の方向へと部隊を誘導していった。
プローブのカメラで確認できる限り、モル派の戦士は今、50人ほど出動している。かなり大量の人員をこのダンジョンに投入しているようだ。そのいずれもが魔法を習得し、ギルド加入の基準を満たしているのなら、レダ以上の実力ということになる。まともにぶつかればあっという間にやられてしまうかもしれない。
おれは彼らの目視範囲にけして入らなかった。あくまで魔法での索敵にのみ引っ掛かるように動く。彼らは本気でおれを殺しに来ている。彼らの射程距離に入るのはできるだけ避けたかった。
しかし、おれが三十分ほど迷路の中を走り回ってモル派の連中をさんざん引き連れた後、迷路の壁をよじ登ったモル派の男が、一瞬、おれの姿を目視した。
「いたぞ!」
モル派の部隊の包囲網が急激に狭まってくる。おれの位置を正確に把握したことで自信を持って部隊を突っ込ませてくる。周辺の逃げ道を塞ぐ部隊と、おれに向かって直線的に移動してくる部隊の二種類がある。
まずは翻弄する。そしておれに向かってまっすぐやってくる部隊を増やさざるを得なくする。それがおれの狙いだった。
「こっちだ!」
火球が幾つか飛んでくる。術者の姿は見えず、最初はあてずっぽうの攻撃かと思ったが、それも索敵の一種のようだった。火球が途中で爆裂し、おれは火花を少し浴びた。体の表面のシリコンが少し焦げる匂いがした。
モル派の部隊の動きがますます的確になる。火球が次から次へとおれに向かって飛んできて、おれの近くで爆裂する。おれはたまらず跳躍して迷路の壁の上に登った。もちろんそんなことをすれば多くの人間に見つかることになる。
「あれだ! 間違いない、仲間を襲った魔族だ!」
おれは壁から下りた。リアルタイムで敵部隊の位置を確認する。大丈夫、余裕で逃げられる。逃げ道は無数にあるのでもっと時間を稼げるはずだ。しかし上空を飛ぶプローブの一機が、突如音信不通になった。
おれは天井を見た。帯電する魔法の弾が、プローブを狙い撃ちにしている。誰かがプローブの存在に気づき、次々と撃ち落としているようだ。
「ヒミコ! お前のレーダーで索敵できないか」
《やれますが、逃げ道を指示できるほどのデータは取得できません》
「それでいい! 大勢固まっている場所を避けれればいい!」
おれは走った。モル派の部隊が前方の道を塞ぎにかかった。初めて正面から互いの顔を確認する。まだ若いギルド員が三名、怯えた表情で魔法の準備をしていた。おれは渾身の力で跳躍した。人間離れした跳躍力で、三人の戦士を飛び越えたおれは、振り返ることなく全速力で駆ける。
三人の戦士は一瞬呆けた後、慌てて追いかけて来た。もちろん包囲網を突破したわけではない。部隊は二重三重におれを囲んでいた。
「ここ! ここ!」
戦士たちの怒鳴り声。プローブがどんどん落とされていき、とうとう上空からのカメラを全て失った。おれは迷路を走り回ったが、どこへ行っても戦士が先回りしていた。おれは壁を体当たりで強引に破壊し、ぎりぎりのところで逃げていた。
しかし火球が飛んできておれの頭のすぐ横で破裂した。おれは強力な光と熱で視界を一時失い、足を止めた。そうしている内に、二人の戦士が接近してくる。
二人の戦士はおれが完全に盲目になったと油断していた。実際、おれの顔面は焼けただれ、異臭を放っていた。だがおれはすぐに視界を再取得する――内蔵している立体プリンターがおれの代替部品を生産し眼球を入れ替えた。おれは視界を再び得る。
間近でおれの眼が復活するさまを見ていた戦士たちはぎょっとしたようだった。傍から見たら不気味な様子だったに違いない。戦士たちは魔法の力を帯びた剣や斧で武装しており、おれに斬りかかってきたが、避けるのは造作もなかった。深く腰を落とし、上半身を回すようにして相手の狙いを誘導し、相手の斬撃の軌道を見切る。
そして相手の腕に手を当て、武器を取り落とさせた。二人の戦士はすぐさま武器を見限って魔法を撃ってきたが、至近距離ということもあって、威力のある魔法は避けたようだ。おれの体に当たった魔法の弾は、特におれを苦しめることはなかった。
「バカな……! びくともしないなんて」
おれの体の表面は人並みに脆くなっているが、骨格を形成しているフレームは軽量で頑強な合金を使っている。人類の科学の進歩は材料科学の革新なくして果たせない。熱にも腐食にも酸化にも強いこのフレームは、魔法の衝撃にも有効なようだった。
おれは彼らに話しかける余裕さえあった。
「普通なら、これを食らってどうなるんだい?」
戦士は後ずさりを始めた。手が震えている。
「内臓を破壊し……、血反吐を吐く。手足が千切れる。魔族だろうが魔物だろうが、直撃して効かなかったことなんて」
「ほう。世界は広いということかな」
おれは突進した。戦士二人を薙ぎ倒し突破した。もうモル派の部隊がどのように展開しているか分からなかった。もう時間稼ぎをすることはできない。おれはもう逃げ回ることに専念することにした。
しばらく走り回っていると、戦士たちが五人以上の部隊を組んで、おれの行く先々に待ち構えることが多くなった。彼らの動きは鈍重だったので簡単に撒けたが、自分がどこを移動しているのか、分からなくなっていた。
しかしヒミコから得られたデータを確認して気づく。おれはどこか一地点に誘導されているようだった。部隊が積極的におれを捕えようとしなくなっている。
おれはその誘導に乗らざるを得なかった。もし強引に道を変えようとしたら、何人か傷つけなければならなかったかもしれない。
《マスター……。その先の道を右に曲がった先に、待ち伏せしている人間がいるようです》
「待ち伏せ?」
《ずっと前から、その場所を動こうとしません。彼らが誘導しようとしているのは、その人物の前のようです》
「そうか……、分かった。ありがとう」
おれは走るのをやめた。そしてゆっくりとダンジョンの迷路を歩き出す。
曲がり角の先の人物も動き始めた。おれが足を止めると、曲がり角の向こうから姿を現す。
そこに立っていたのはベルギウスだった。モル派の武闘派が、全身包帯まみれの姿で、一人現れる。
「……ダンジョンから帰ったって聞いたが?」
おれの言葉にベルギウスは反応しなかった。ゆっくりと手をかざす。
するとおれの周囲に風が巻き起こった。凄まじい風圧と風の刃がおれの全身を切り刻んだが、あまり効きはしなかった。体の表面のシリコンやゴムがぐちゃぐちゃになったが、すぐに整える。不自然なほど綺麗に顔が修復されたので、ベルギウスがくっくっくと笑った。
「魔族の中でも珍しい奴と部下から聞いてたが……。くくく……、馬鹿らしい」
「何が馬鹿らしいんだ?」
「我の目を誤魔化せるとでも思ったか。スズシロ。お前だろう?」
おれは一瞬、思考が止まった。しかしすぐに平静を取り戻す。
「どうしてそう思う?」
「そんな奇妙な気配のする男、そうそう何人もいてたまるか。なぜ魔族のフリをしている?」
「魔族のフリというか、魔族そのものなんだが」
「あくまでしらばっくれるか。まあどうでもいい。我は我の眼を信じる。拷問して、仲間の魔族の場所を吐かせる」
「悪いが、拷問は効かないよ。時間の無駄だ」
「そう豪語する輩は過去に何人もいた。どいつも数十分後には失禁しながらもうやめてくれと泣き叫ぶことになったがな。人は痛みには抗えないものだ」
「ほうほう……、そいつは恐ろしいな」
おれは走り出す。それを見たベルギウスが腕を前に突き出した。
おれは首に衝撃を覚えた。不可視の腕が、おれの首根っこを掴んでいる感覚がする。ベルギウスが腕を前に突き出したまま、手の平を回転させた。するとおれの体が一回転し、地面に転がった。
成す術がなかった。地面に押さえつけられたおれは、立ち上がることさえできなかった。ベルギウスがゆっくりと近づいてくる。おれはにやりと笑った。
「やるな。さすが部下があんたを恐れているだけのことはある」
「ふん。予言の件が気になるが、容赦する必要は感じないな。覚悟しろよ」
ベルギウスはおれの頭を踏みつけた。硬いダンジョンの地面に顔面が叩きつけられる。もちろんおれは平気だったが、ベルギウスはこれが効果的だと言わんばかりに何度も何度もそれを繰り返していた。