囮
「全員、殺す……。死んじまえばいいんだ」
カスパルはおれを睨みながら言った。アヌシュカは彼の拘束を解こうとしない。アドルノの拠点の中で、おれはヒミコがばらまいたプローブがもたらす映像を確認していた。ギルドのモル派の戦士が、カスパルの存在を認知し、探索の準備を進めている。モル派は徐々に第四層の制圧を進めており、ここが見つかるのも時間の問題だった。
「さて……、これからどうしましょうか。戦うか、逃げ惑うか」
一同は談話室に集っていた。こう切り出したアヌシュカの言葉におれは緊張した。カスパルの答えは明らかだったし、ユリアも人間に対して敵対的だ。ユリアは何も言おうとしなかった。
「その前に……、一ついいか」
おれは拘束されて床に転がされているカスパルに近づいた。カスパルは歯を剥いて威嚇を続けた。
「近づくな、人間! 噛み殺されたいか」
「お前、さっきおれと会ったとき、妹がどうとか言っていたな。それってユリアのことか? それともアヌシュカ?」
カスパルの表情が曇った。おれがアヌシュカとユリアを見ると、二人は小さく首を振った。
カスパルが意味の分からない単語を連発して吠えたので、アヌシュカが代わりに答える。
「カスパルに妹はいた。いたけれど……。モル派がダンジョンに入る前、火炎放射でダンジョンの一層を焼き払ったのを覚えている?」
「ああ」
おれは嫌な予感がしつつも頷いた。
「カスパルの妹……、シーナという名前だったけれど、彼女は人間にも優しい子だったわ。これは私もアドルノ様やグリゼルディスさんに後から聞いて知ったことだけれど、エルンストがダンジョンに取り残されて、モル派に焼き殺されそうになっているとき、シーナが彼を案じて、一層へと向かったそうなの」
「それは……、つまり」
「結局、エルンストはグリゼルディスさんに救出されたけれど、シーナは退避が間に合わず、火に巻かれた。亡くなった可能性が高いわ。実際に遺体を見たわけじゃないけれど」
カスパルがじたばたともがく。拘束を解こうと力を入れて暴れるので、全身の皮膚が浅い傷だらけになった。
「妹は死んでいない! 適当言うな!」
「そうかもしれない。アドルノ様も明言はしなかった」
アヌシュカはそう言ってうつむく。ユリアは嘆息した。
「私のせい。護衛の為に先行してダンジョンに潜伏していたのに、カスパルとシーナを守れなかった。嫌になるわ」
空気が重苦しく、おれは何度か咳払いした。
「……第一層で行方不明になったんだろう? 第四層で捜索しても見つからないと思うが」
「でも、第三層から地上まで、ギルドがほぼ掌握してる。魔物が潜んでいたら厄介だから、徹底的に探索されているはずだわ。生きているとしたら第四層くらいしか……。隠し部屋でもあれば話は別だけど」
「隠し部屋ね」
おれはヒミコと連絡を取った。ダンジョンに入る前、大雑把にダンジョン構造を知るためにレーダーを使ったが、そのデータとギルドの探索状況を照合して隠し部屋がある可能性を探ろうとした。生身のおれを護衛するために地上に留まっているヒミコのガンマが、地上からレーダー探索を再度試みることになった。おれはその結果を待つことにする。
「……それで、これからどうするかって話だけど」
アヌシュカの言葉に、喚いていたカスパルのトーンが落ちた。ユリアは手を上げる。
「第四層は迷宮構造になってる。逃げるだけならうまく隠れられるかもしれない」
「でも、ギルドの魔法索敵の技術はバカにできない。かなり広範囲を探知してくる」
「そうね。きっと、部隊を広く展開して、隙間がないように徐々に追い詰めてくる。それを掻い潜るためには、逃げるだけじゃ駄目。囮が必要」
カスパルが自分がやると吠えたが、もちろん却下だった。アヌシュカはユリアを指差す。
「あんたじゃ無理。ユリア、頼める?」
ユリアは頷いた。
「アドルノ様から、そういう働きを期待されてここまで来たわけだしね。もちろん」
「ユリアがギルド連中を釣れば、包囲網にも穴ができる。そこを突破して……。アドルノ様が第五層への道を切り開くのを待つ。これしかないね」
おれは悲壮な表情をしているユリアを見て、なかなか分の悪そうな試みだと思った。
「……人間に変装して相手の目を惑わすというのはどうだ。アヌシュカ、お前がアドルノの弟子として通用したのなら、カスパルとユリアもアドルノの弟子ってことにすればいいじゃないか」
「過去にもアドルノ様はその手で魔族を救ったことはある。けれど、今回は難しい。というのも、カスパルが人間への完璧な擬態を拒否するから」
カスパルは鼻息荒くおれを睨んでいる。確かに憎んでいる相手の姿を真似るというのは屈辱か。
「うん……、説得するだけ無駄なようだな」
「そういうこと。早速準備をしましょう」
「ちょっと待て」
「まだ何か?」
アヌシュカは苛々としているようだった。おれを迷惑そうに見る。
「……囮ならおれがやる。適任だ」
「は? あなたが囮に? 人間であるあなたが騒いだところで、包囲網がほころぶとは思えないわ」
「これならどうだ」
おれは顔面の造形を変えた――もちろん生身のおれはそんなことはできないが、アンドロイドなら各部パーツを自在に取り換えることができる。特に顔面は、異星での生活に適応するため、自在に変形できるよう、アンドロイド制作の時点でそのように設計していた。
「う、お、お……、カスパルそっくりの顔になった」
ユリアが唖然として言った。カスパルも目を丸くしている。アヌシュカが間近に寄ってきて、おれの顔を凝視する。
「どうなってるの……。魔法で姿形を変えることは私にもできるけど、こんな一瞬で、しかもこんなにも精巧だなんて。もしかして魔法の達人だったりするの?」
「異国の技術ってやつだ」
おれは説明になっていない説明をして、髪型や服装もカスパルに寄せていった。カスパルは気分が悪くなったのか、顔を背けてしまった。
「囮にはおれがなる。捕まりそうになったら元に戻ればいいしな。できるだけ多くのギルドメンバーを引き付けるから、その隙に逃げろ」
実際には殺されても問題ないと考えていた。機械の体を見られると厄介なことになりそうなので、その時は自爆することになるだろう。
「でも……。そこまでしてもらうのは」
「説明は省くが、おれは捕まってもどうにかする秘策がある。心配するな。それとレダ、お前はやはり地上に戻れ。こいつらと一緒にいたところでできることはない。まさか、人間相手に魔法をぶっ放すわけにもいかないだろう?」
それまで話を聞くことに徹していたレダが、慌てて頷く。
「わ、分かった。私に助けられても、不満がありそうだしね……。でも、協力できることがあるならやるよ」
「とりあえずレダは第三層まで行け。それとアヌシュカ、これを渡しておく。いつでもおれと話せるようになる魔法道具だ。魔力を消費しなくて済む代物だ」
おれは小型の通信機をアヌシュカに渡した。彼女は四角い金属の塊を受け取ると、それを色んな角度から眺めて不思議がった。そこからおれの声が聞こえたときは感心したように頷いた。
おれは異論が出る前にさっさと拠点を出た。そしてプローブがもたらす情報をもとに、ギルドメンバーが魔族探索の為に人員を展開している様子を把握した。
「随分と多いな……。かなり派手にやらないと逃げ道を確保できなさそうだ。ヒミコ、何かアドバイスはあるか?」
《楽しそうですね、マスター》
「生身じゃないからな。無茶できる。で、助言は?」
《モル派が探索済みでないエリアで逃げまわったほうが効率的でしょう。地形が分からないため、完全な包囲門を敷くために余計に人員を割く必要があり、アヌシュカたちが逃げやすくなります》
「了解だ。モル派が踏破済みのエリアは分かっているのか?」
《もちろんです》
「よし、じゃあ行ってくる」
おれは走り出した。迷路状になっている第四層の構造は、大立ち回りにはもってこいだった。モル派の戦士が続々と第四層に入場し、魔族討伐への思いをたぎらせているのを、プローブのカメラを通して知る。悪いがあんたたちの刃は空振りだ。おれはアンドロイドの肉体の調子を確かめながら、ぐんぐん走る速度を高めていった。