ユリア
アドルノの拠点に向かう間、おれは絶えずヒミコと連絡を取っていた。ヒミコはグリゼルディスとイングベルトの封印破壊作業に付き添っていたが、進捗はないと報告してきていた。
おれはヒミコに、魔族の男を捜索し続けるように指示していた。一度は姿を捕捉したものの、絶え間なく動き回るので見失っていた。プローブを増産し、ダンジョン第四層の天井付近に這わせるように飛ばし、探知を続けていた。
おれとレダとアヌシュカがアドルノの拠点に到着したとき、ヒミコから連絡が入った。魔族らしい男を再発見したとのことだった。
おれはすぐさまそれをアヌシュカに伝えた。おれは地図を出力し――おれも今はアンドロイドの体であり、簡単な道具やモノなら内蔵のプリンターですぐさま生産できた――その位置を報せた。
アヌシュカは地図を見るなり、方向転換した。すぐさま向かうらしい。
「連れ帰ってくる。アドルノ様の家で待ってて!」
アヌシュカは飛ぶように走り去った。おれとレダは、あと数分の位置ということもあって、アドルノの拠点に向かった。
アドルノが構築した拠点は、普通の家のようだった。デザイン面にも配慮があって、瀟洒な雰囲気がある。近くで見ると屋根や窓の格子や扉の把手や、細かいところに装飾があり、もし人力で全て建築したのなら相当な手間がかかっているなと思った。実際は魔法で建てたのだろうが……。
おれとレダが扉の前に立つと、ひとりでにそれが開いた。中から現れたのは黒いローブを見に纏った長身の女だった。すっぽりと頭から頭巾をかぶっているが、そこから桃色の髪が溢れている。
家の中からは異臭がした気がしたがすぐにそれも感じなくなった。女は何も言わずに家の奥に消えた。
おれとレダは一瞬躊躇したのち、家の中に入った。
アドルノの拠点の内部は、普通の住環境に思えた。かまどがあり、食堂があり、寝床や洗濯場、ちょっとした運動スペースもある。ダンジョン内にある、という点に目をつぶれば、理想的な家にも思えた。
女はかまどの前で安楽椅子に腰かけて、おれたちに背を向けていた。壁に架けられたタペストリーをぼんやり眺めているようだ。
おれはそんな彼女に近づいて声をかけた。
「おれはスズシロ。冒険家だ。あんたもアドルノの弟子なのか。つまり……、魔族?」
女は振り返ることなく、
「話しかけるな」
とだけ言った。おれとレダは顔を見合わせた。レダが一歩近づく。おれはレダに話を任せることにした。
「でも、家に招いてくれた」
レダの言葉に女はピクリと反応した。そして鋭く振り返る。
「アヌシュカからの指示だ。カスパルを連れ戻すまで、アドルノ様の建てたこの拠点で待ってろって」
「カスパル? というのは、魔族の男の人のこと?」
いらんことを言った、という苦々しい表情になり、女は渋々頷いた。
「……そうだ」
「あなたの名前は?」
「言う必要があるか?」
「必要はないかもしれないけれど、名前を教え合ったほうがコミュニケーションが円滑になるでしょ?」
レダの笑み。女はそれを批判的に見つめた。
「お前もまだ名乗っていないじゃないか」
「私が名乗ったらあなたも名乗ってくれる?」
「だから、必要ないと言ってる」
「私はレダ。あなたの名前は?」
女は大袈裟にため息をついた。苛々と眉を震わせている。
「……だから……」
「怯えなくていいの。私とここにいるスズシロは、魔族と仲良くやっていこうと思っているから」
女は舌打ちした。そして立ち上がってその場を去ろうとした。
「待って」
女は追おうとするレダを制するように腕を突き出し、キッ、と振り返った。
「怯えているだと? 怯えるべきなのは人間のほうだ。私たちは、人間なんかよりずっと強靭な肉体を持ち、魔法だって自由自在。劣っている点なんて一つもない」
「英雄の子孫なんだってね。凄いことだよ」
「そんなのは関係ない。昔話に興味なんてない。私はお前たち人間に期待なんてしない」
「でも、アドルノ様は人間だよ? 人間とだって、分かり合えると思わない?」
「あの人は……。魔族を憐れんでいるだけだ」
女は暗い表情になった。
「あの人は強過ぎる。強者は弱者を守るもの。強ければ強いほど、守れる範囲は広くなる。そしてアドルノ様は、あまりに強過ぎて、人間だけでなく魔族も守れてしまう。ただ、それだけの話なんだ」
「尊敬しているの?」
「尊敬? いや……。ただ、命の恩人だ」
「私にとってもそうだよ。アドルノ様は、命の恩人。だけど、私の村が魔物に襲われたのも、アドルノ様に原因があるらしいの」
女はレダを訝しげに見つめた。
「……だからなんだ? 文句を言いたくなったか?」
「ううん。私が強くなれるきっかけをくれた。あの人がいなかったら、私はずっと村に引きこもっていただろうから」
女はそんなレダを嘲笑した。しかしレダが真剣な表情を続けるものだから、少し不機嫌そうに、
「好意的に解釈するなら、そうだろうな。しかし、身近な人を亡くしたんじゃないのか?」
「よく分かるね?」
「恨みはあるだろう。憎しみがあるだろう。怒りもあるだろう。むしろ、そういう感情がなければ、強くなろうとは思わないんじゃないか?」
レダは優しく頷いた。
「そうかもしれない。でも、人間ってそういう感情とは無縁ではいられないでしょう。魔族のあなたも、一緒のはず。自分の感情に流されるまま行動するか、それともその情動を利用して前を向くか。ここの違いは大きいと思う」
「ふん……、単純そうな頭がうらやましいよ。私は……、もう疲れた。人間と関わるのは嫌だ」
「私と関わるのも、嫌?」
当たり前だ、と言わんばかりに女はレダを睨んだが、レダが数歩にじり寄ってきたのを見て、怯えるように後退した。
「ああ。だが、仲間を失うのも、もう嫌だ。カスパルの思想は過激派だ。放っておくと人間を殺しに行くだろう。しかしあんな考えなしでも、幼い頃から一緒に逃げのびてきた、兄弟みたいなものだ。死なれると、たぶん悲しい」
「……今、ダンジョンはあなたたちにとって危険な状態だよ。さっさとダンジョンから脱出したほうがいい。ギルドの人たちはあなたたちを進んで殺そうとするでしょう」
女は、一考にも値しない、と一蹴した。
「ここから脱出? してどうするんだ? 食べ物に飢えて、劣悪な呪物を口にして、痛みと苦しみでのたうち回りながら、魔族狩りに追われる。そんな生活に戻れと?」
「それは……」
「……私たちのことは放っておいてくれ。どうせお前にできることなんてない」
「そうかもしれないけど……。でも放ってはおけない。私も考えるから。これからどうすべきか。協力する」
女は困ったようにレダを見て、それからおれを見つめた。この少女をどこかへ連れて行ってくれ。そんな意図を感じたおれは、レダの隣に立った。
「レダ。このクールなお嬢さんが困っているようだ。この辺にして、アヌシュカとカスパルが戻ってくるのを待とう」
「す、スズシロ。でも、放ってはおけないよ。彼女、追い詰められているの」
「そうだな。おいあんた、名前くらいは言ってあげてくれないか。そうじゃないとレダが納得してくれないようだ」
女はしばらく口元を歪めて呆れた様子だったが、やがて諦めたように嘆息した。
「ユリア。それが私の名前」
「良い名前だ。これからもっと名乗っていったほうがいいぞ」
「バカなことを言わないで。大人しくしてて。私はあなたたちのこと信用していないから」
そういってユリアは家の奥に引っ込んだ。おれとレダは顔を見合わせて、それから所在なく家の中を歩き回った。
一時間ほどでアヌシュカが帰って来た。彼女はずだ袋を引きずっていた。その中には全身を拘束された魔族の男、カスパルが詰められていた。カスパルはおれとレダの姿を見つけて、声にならない叫び声を上げた。その眼は血走っており、とても仲良くやれそうになかった。
「まずいことになったわ。カスパルがギルドの人を傷つけちゃった」
アヌシュカは言う。そしておれとレダに視線を送る。
「スズシロさんとレダさんは、ここから去ったほうがいい。封印破壊と並行して、魔族狩りが始まったら、それに巻き込まれる可能性がある」
「そいつは厄介だな。……アドルノはどうしている?」
アヌシュカは疲れた様子で、
「アドルノ様は……。今後を見据えて、ここのダンジョンの探索権をもぎ取るつもりみたい」
「探索権?」
「いったい誰がこのダンジョンを優先的に攻略するのか。ギルド内でもその争いがあるわけだけれど、ダンジョン発見者の権利を譲る代わりに、探索権を取る。そうすれば、私たち魔族はこれからもダンジョンの奥底で暮らせる。魔物が尽きるまでは食料に困ることはない」
おれはアドルノの考えを理解した。アドルノはこのダンジョンを魔族の住処以外にする気はないようだ。
「なるほど……。しかし、その探索権を譲ってもらうためには、グリ派やモル派に、恩を売らなければならないな?」
「そう。だから、今、封印破壊の手伝いをしているみたい。私たちは自力で逃げ延びないと」
「アヌシュカは、アドルノの弟子として、地上でも行動していたが、他の魔族は無理なのか?」
「私は、アドルノ様が精製した呪物を食べてお腹を満たしていただけだよ。アドルノ様ほどの方でも、一日に作れる呪物の数は限られている」
「そうか……」
おれは悩んでいた。ギルドが魔族討伐に動いた場合、おれはどうするべきなのか。魔族だって普通の人間と変わらない。おれにとっては救うべき対象でもある。しかしそれでギルドのメンバーを返り討ちにして殺してしまうのは、もちろん間違っている。
逃げるしかないのか? うなりながら威嚇し続けるカスパルの芋虫みたいな動きを見ながら、おれは考えていた。