アヌシュカ
魔族の姿を間近に見たとき、おれが最初に考えたのは会話が成立するかどうかだった。だからおれはまず声をかけた。魔族は人語を解するようで、反応があった。おれと一定の距離を保ったまま、ゆっくりと口を開く。
「出せ……、返せ」
魔族は絞り出すように言った。声がかすれ、それが彼本来の声なのか、疲労でまともに声を出せなくなっているのか、判断がつかなかった。
「返せ? なんのことだ」
「仲間、妹、もう一人の魔族、だ……。お前たちがダンジョンに乗り込んでから、姿を消してしまった」
おれはレダと顔を見合わせた。そして慎重に言葉を選びつつ、
「……おれはかなり広範囲に渡って索敵魔法を使える。だから実はお前の姿は何度か見かけていた。魔物を食らっていたり、アドルノの家に飛び込んだりしていたな。おれたちの目の前にやってくることもあった。しかし、魔族の女を見かけたことは一度もないな」
「どこへやった……! 分かっている。お前たちギルドの人間が俺たちに懸賞金をかけて殺して回っているのは」
「ああ、そういう話もあったな。おれとここのレダはギルドの人間ではないから、お前たちを殺すメリットはあまりないわけだが」
魔族は涎を垂らしながら、呻き声を上げた。そしておれたちから一歩、また一歩と後退していく。
「おい、大丈夫か?」
「うるさい……。妹がいなくなるなんて……。あんな馬鹿なことをしなければよかったんだ。バカなことを……」
「アドルノとは知り合いなのか? 詳しい事情は知らんが、アドルノに頼ったらどうだ」
「アドルノだと? あんな偽善者の助けなど……!」
魔族の男は雄たけびを上げながら迷宮の奥深くへと逃げ込んでいった。
おれはそれを見送ることしかできなかった。後を追うことも考えたが、追いついたところで何をすればいいというのか。
おれは魔族を助ける義理はなかったし、もちろん殺すこともない。このまま放っておくしかなかった。
レダは突然のことで、臨戦態勢に入ったまま固まっていた。おれが彼女の顔の前でぶんぶんと手を振ると、ようやく正気に返った。
「あ……。スズシロ。今の魔族は……」
「よく分からん。分からんが、戦闘にならなくて良かった。さっさと地上に出るとしよう」
レダの体力の限界が近いはずだ。のんびりはしていられない。
おれとレダは迷宮の中を淡々と進んでいく。ダンジョンの天井付近に展開したプローブ群は、バッテリーが切れるまで監視を続けている。おれはそれらのプローブがさっきの魔族を察知できなかったことが気になった。
前にも同じようなことがあった。機械による監視が度々失敗してしまう。原因は魔法にあるのは確かだったが、では具体的にどう対策できるのか不明だったので、どうしようもなかった。結局、どれだけ監視網を敷いても、完全な安全は手に入らない。
おれは緊張感を持って第四層を突っ切った。やがて第三層出口付近の、モル派の陣地に到着した。おれとレダとヒミコが一時的に拘束された場所だ。モル派の統率者ベルギウスは既に姿がなく、話を聞くとダンジョンから退却したという。モル派の勝利を確信したのだろう。
実際、封印の門の破壊が数日以内に終わらなければ、グリゼルディスたちは撤退し、モル派が主導権を握るだろう。あの封印がどのような過程で破壊されるのか分からないが、なかなかの難事だということは理解した。グリゼルディスにとっては厳しい戦いが続くだろう。
モル派の陣地で休憩させてもらった。ベルギウスの予言の件もあり、モル派の構成員はおれの行動に興味があるようで、ちらちらと見られた。おれは落ち着かなかったので、すぐにレダを連れて出口を目指すことにした。
「ちょっと待って」
おれたちがちょうどモル派の陣地から歩き始めたとき、声をかけてきた少女がいた。振り向くと、燃えるような赤毛に巨大なリボンを付けた少女が、おれを見つめていた。
探査船前で、アドルノと一緒にいた少女……、アドルノの弟子だった。おれは少々驚いた。
「お前はアドルノの弟子だったな。師匠とは一緒じゃないのか?」
「……第四層を突っ切って、戻ってきたのよね。何か……、変なのと会わなかった?」
アドルノの弟子は歯切れの悪い質問を繰り出してきた。おれは心当たりがあったがわざとはぐらかした。
「変なの? ゾンビの魔物とか」
「魔物はどうでもいい」
「あとは、モル派の連中と……、それから魔族くらいしか会ってないな」
「魔族! どこで会った? 詳しく聞かせて」
「魔族を追っているのか?」
おれは少女の落ち着きのない様子を観察しながら言った。少女は逡巡するように辺りをいったりきたりしている。
「……私はアヌシュカ。アドルノ様の22番目の弟子。ゆえあって、魔族を追っているの」
「おれはスズシロ。冒険家みたいなものだ。こっちは村娘のレダ。魔族を追って、どうするんだ?」
「追ってどうするって……。決まっているでしょう?」
おれはアヌシュカが説明をぼやかしていると直感した。ずいと一歩近寄る。
「悪いがおれは世の中のことに疎くてな。できれば優しく丁寧に教えてもらいたい」
アヌシュカは、うんざりした様子でおれを見た。それからふっと笑った。少女らしい屈託のない笑みだった。
「アドルノ様が言っていた通り。面白い人だね、あなた」
「おれが、面白い?」
「ベルギウスも、予言がどうとか言っていたけれど。きっとあなたは今後このダンジョンの中心人物になる。そんな予感がするよ」
「そりゃどうも。そろそろ手を引こうかなと思っていたところだが……」
「ギルドには告げ口しないって約束してくれるなら事情を話してあげる。きっとアドルノ様も許してくださる。こんな事態だし」
「ああ。おれが約束するのは簡単だが」
おれはレダを見た。レダは頷いた。
「私も口は堅いほうよ。でも、悪いけれど、私魔力にやられてしまって。協力したくてもできない状況なのよ」
「瞑想すれば? ここなら安全でしょ」
「は、恥ずかしながら、瞑想して魔力を体外に排出するのはまだうまくできなくて」
「ああ、そんなこと」
アヌシュカがつかつかと歩み寄ってくる。そして手を出した。
「屈んで」
「え?」
「手が届かないから」
レダが中腰になると、アヌシュカが腕を伸ばして、レダの額に触れた。すると黄金色の光が彼女の手の平から溢れ出て、レダの全身を包み込んだ。
「わっ!?」
「大丈夫。逃げないで」
しばらくすると光の奔流は消えていった。アヌシュカは満足げに頷く。レダは自分の体を見下ろして、しばらく呆然としていた。
「今、何を……。何だか体が軽くなってる」
「魔力を抜いてあげたのよ。気休め程度だけれど。本当はきちんと瞑想したほうが、健康にも良いし、戦闘力も落ちない。さっさと習得したほうがいいよ」
自分よりも年下の、小柄な少女にそんなことを言われて、レダは面食らったようだった。
「さすが、アドルノ様の弟子ね……。よく分からないけれど、他人の魔力を吸いだして処置するなんて、高度な技術でしょうに」
「大したことないよ。よほどのノロマじゃない限り、誰でもできる。それより、さっさと教えて。どこで魔族を見つけたの?」
おれはヒミコが詳細にデータを取った第四層の地図を取り出した。地図を見たアヌシュカは、その詳細な記述に顔が強張った。
「え。これ、ダンジョンの地図……。この短期間でこんな詳細な地図を……? いったいどうやったの」
「おれが魔族と発見、もしくは接触したのはこの地点とこの地点とこの地点と……。そしてアドルノの拠点がここだ。ここに魔族が入っていくのを見た」
はっとしたアヌシュカはおれをしばらく見つめた。おれは地図を丸めながら少女を見下ろす。
「事情を教えてくれるんだったよな。前から気になっていたんだ。良かったら教えてくれるか、アヌシュカ」
「……ええ。もちろん」
アヌシュカは第四層へ歩き始めた。おれとレダは再び第四層へと進む。おれはヒミコに連絡を入れた。ダンジョン各所に配置した中継器のおかげで、滞りなく会話することができた。
ヒミコはプローブの動きを制御して、例の魔族の姿を探し始めた。するとあっさり見つかった。おれはアヌシュカの腕をつんつんとつついた。
「こっちに魔族の男がいるらしいが、来るかい?」
アヌシュカはおれの言葉に驚きつつも、決然と頷いてみせた。そしておれたち三人はモル派が築いた安全なルートを外れて、第四層の深遠な迷宮の奥へと分け入っていった。




