レダの人生
間近で見る封印の門は神秘的で、かつ堅牢に思えた。
巨大な門と、淡く透明なビニールのような材質の壁。その壁を破壊しなければ先に進むことはできない。おれは試しに銃を撃ってみたがびくともしなかった。驚くべきは銃弾が跳ね返るのではなく、衝撃が完全に相殺されて、ぽろぽろと地面に落ちたことだ。けして破れることのない分厚いカーテンに弾を撃ったような感覚で、どんな素材ならこんなことになるのかと興味が尽きなかった。
一応、手元にはこれまでに破壊した門の残骸がある。しかしその素材は、薄さのわりには頑丈だったものの、銃弾を撃ち込めばあっさり砕け散るだろう。何らかの魔法がこの素材を補強していることは間違いなかった。
グリゼルディスとイングベルトが、門の前に陣取って、封印破壊に挑んでいる。その様子を、遅れて参上したモル派の戦士たち数十人が見守っている。特に邪魔をしたりすることはないようだ。恐らくギルド内で先着順に封印を破壊する権利があるとか、そういう決まりがあるのだろう。
しかし、ならばどうしてモル派の連中は諦めて退散しないのか。もうグリ派の勝利は決まったようなものではないか。おれはモル派の人間が少し離れた場所に陣を張るのを確認した。簡易な小屋を建て、寝床を並べ、食事を作る。長期戦の構えだった。
おれはそれらを見ていて、あまり意識していなかったのだが、この封印破壊の作業がどれだけ続くのか考えたとき、このモル派の落ち着きに合点がいった。まだ勝負は決まっていなかったということか。
おれは不眠不休で封印の門に手を翳し、イングベルトと相談しながら作業を続けるグリゼルディスに近づいた。彼女はもう丸一日眠っていなかったし、休憩らしい休憩は食事のときとモル派が即席で造った手水場に向かうときだけだった。
「グリゼルディス、食料の備蓄はあるのか」
おれが訊ねるとグリゼルディスは首を振った。
「ないわ。心配してくれているの? うふ、ありがとう」
「封印の破壊が何日経っても終わらない場合はどうするんだ? さすがに飲まず食わずだと体がもたないだろう。モル派に恵んでもらうのか?」
おれがモル派のほうを見ると、彼らは困ったように肩をすくめた。
「まさか。もし一分でも封印の門の破壊作業が中断した場合、モル派の部隊がその作業を引き継ぐことになるわね~」
「だからモル派はこの場にとどまり、グリゼルディスたちの作業を見守っているのか」
「どうせ作業が長期間に及ぶなら、食料はあっても体力がもたないし、瞑想して魔力を体外に排出することもできない。だから食事は元々用意してなかったのよ。部下をたくさん引き連れていたら話は別だけれど……。元々、封印を数日で突破できなければ私たちに勝利はないと分かっていたけれど、ここの封印はなかなか骨が折れそう。運がなかったわね」
そう言うグリゼルディスは、しかしどこか楽しそうだった。なかなかタフな女性のようだった。
「良ければ、おれとヒミコで食料品や必要なものを、地上から運んでこようか?」
「そんな。悪いわよ。それに、そう簡単なことじゃないわ」
「いいんだ。どうせここに留まっていても暇だし、ダンジョン探索ついでに行って帰ってくるだけだ。それに、レダもいつまでもダンジョン内に留まるわけにはいかないだろう」
「そうね……。レダちゃんは瞑想慣れしていないみたいだから、長期間のダンジョン探索は無謀かもしれないわね」
レダは勢い良く首を振った。
「い、いえ、私は大丈夫です!」
「最初からうまくやれる人なんて滅多にいないわ~。だから気にしないでね?」
グリゼルディスの言葉に、隣で汗をかきながら何かメモを取っているイングベルトが白い眼を向けた。
「そうは言ってもグリゼルディス様、あなたは最初から何もかも人より上手くやれたクチでしょう」
「あら。ばれた? うふふ、でもね、人の上に立つようになって、色々と分別がつくようになったつもりなのよ? 若い頃は私よりも魔法の腕が劣る人を見ては、『どうしてこの人はわざわざ不向きな魔法で仕事をしようとしているのだろう』と本気で疑問に思ってたわ」
才能のある人間の中でも、よほど傑出していないと出てこない感想だった。イングベルトが苦笑する。
「ふふふ、そいつは酷い。グリゼルディス様と比較されては、ほとんどの魔法使いが、苦手分野で勝負しようとする無謀者ということになる」
「私が若い頃、たまたま周りには出来の良い人ばかりいたから、余計にそう思ったのかもしれないわね。学生時代、アドちゃんにはほとんど勝てなかったし、モルちゃんは私とは違った強みに溢れていた。後輩のベルちゃんとインベルちゃんは優秀だったし、教師時代に出会ったツィスカさんは、その才能に嫉妬したほどだった」
グリゼルディスはしみじみと言う。これはこれで面白そうな話ではあったが、おれは別のことが気になっていた。
「……で、食事はいいとして、おれたちにできることは?」
「あら~、ごめんなさい。話が脱線しちゃったみたいね。スズちゃんたちは自由に動いてくれていいのよ? これは私たちの問題だからね」
「そうか。おれとしても封印が破壊される瞬間を見届けたいものだが、ここでだらだらと過ごしているのもな。一旦おれとレダは地上に帰還する」
レダは不満そうにおれを見たが、ヒミコが肩に触れて諭すように何か呟くと、がっくりと頷いた。
「……分かった。私もいったん帰る」
「よし。ヒミコはここでグリゼルディスたちと一緒にいてくれ」
「了解しました。あとはお任せください」
おれたちのやり取りを聞いていたモル派の戦士が、ふらふらと近づいてきて、
「あんたたち、新参みたいだから一応伝えとくが、帰り道は俺たちモル派が確保してる。魔物と比較的遭遇しないルートを確立しているから、利用していいぜ」
「いいのか?」
「亡くなった同胞たちの仇を取ってくれたみたいだしな。これくらいはさせてくれ」
「了解した。ありがとう」
おれとレダは早速出発することにした。帰り道はおれたちが通ってきた道よりやや遠回りだったが、モル派の戦士がところどころ配置されていて、周囲を監視していた。それに加え、モル派の戦士が動員されて周辺の魔物を狩っているようだった。どうやらおれたちがダンジョンに潜っている間にも、新たな人員がどんどん投入されているようだった。
帰り道、おれとレダはほぼ無言だった。レダの体力は限界に近づきつつあるようで、ずっとうつむいていた。魔力と戦い続ける彼女の負担は、おれには理解できないものだったが、下手に手を貸して背負ったりしようものなら、彼女のプライドを傷つけてしまうと考え、ぎりぎりまで何も言わなかった。
「……ねえスズシロ」
「なんだ?」
レダはおれの肩に手をかけ、体を預けてきた。おれはレダの細い肩を支えた。
「私って、つくづくバカよね……。ギルドの人たちがたくさんダンジョンに入って、魔物を倒してくれるのに、私自ら魔物を倒したいと言って、ダンジョンに入って……。それで魔物をたくさん倒せてたら良かったけれど、でも、そんなことはなくて……、役立たずで、足手纏いで……」
つらつらとネガティブな言葉が出てくる。レダの全身から力が抜けていくのが分かる。おれは彼女が倒れないように気を付けなければならなかった。
「何を言ってる。ゾンビの魔物を倒せたのはお前が氷の魔法を使ったからだろう」
「でも、結局ヒミコさんが全部やってた。私はね、皇都で魔法を学んでいた二年間、毎日毎日、魔物を倒すことばかり考えてた。それが魔法を学ぶ目的だった。結構、学校では変人扱いされたわ。それでも私は構わなかった。自分は魔物を殺す才能がある、そういう根拠のない自信があった」
「実際、あるほうじゃないか? 結構、危ない場面でお前活躍してたぞ」
レダは暗い眼差しと共に、陰のある笑みを浮かべた。
「そう、ありがとう、でも、私の目的は達成されたようなもの。私の村はこれでしばらく魔物の被害に遭わずに済むだろうし、私がわざわざダンジョンに入る必要もないかなって」
「うむ……、それはそうだが、それは最初から分かってたことだろう?」
「でも」
おれは言葉を選びながら、ゆっくりと、
「おれはお前の保護者じゃない。そういう無責任な立場から言わせてもらうがな、お前は単身皇都へ向かい、学校で魔法を学び、強い目的意識のもと、行動してきた。村を救いたいという気持ちが原動力だったとしても、その過程で得たものはけして無駄にはならないはずだ。既に魔物を殺すワザはお前の中で血肉となって息衝いている。お前が生きたいように生きればいい。けして短くない時間、魔物やダンジョンと向き合っていたお前が、今どうしたいか、正直になってみろ」
レダはしばらく硬直した。そしておれを睨みつけた。
「正直に……。正直って……。私は、全く通用しなくて……」
「ああ」
「瞑想もできないから、ダンジョン内で長く活動もできなくて」
「そうなんだな」
「グリゼルディス様とか、イングベルトとか、アドルノ様とか、ベルギウスとか、凄い人がたくさんいて……。私は一生をかけても、あの人たちみたいにはなれなくて……」
「かもな」
「それが、悔しい」
レダはおれの肩を掴む手に力を入れた。表情が険しく、しかし生気に満ち始める。
「正直に言うわよ。私は、怖かった。皇都で過ごした二年間が無駄になることが。自分の知らないところで何もかもが解決してしまうのが、嫌だった。私は、もっと、もっと、活躍して……。私を馬鹿にした人を見返したかった」
「自然な感情だと思うが、お前はそんな自分が嫌なのか?」
レダはその場で激しく足を踏み鳴らした。
「嫌よ。嫌に決まってるでしょ。矮小な自分に反吐が出る。でもね、そんな感情があったからこそ頑張れたのも事実なのよ。ねえ、スズシロ。私はこれからどうすればいい?」
「ダンジョンでまだ頑張りたいならギルドに入ればいい」
「でも、私、ギルドの受験資格さえ……」
彼女の震える体を抑え込むように、おれは彼女の肩を支える手に力を入れる。
「グリゼルディスという伝手ができたじゃないか。コネを活用すればいい。受験くらいさせてくれるだろう。もしかするとそのままギルドに入れてくれるかも」
「でも、そんなの、ずるいっていうか……」
「自分のどの感情を優先するか。結局はそこに帰着しそうだな。何が何でも自分のやりたいことをやるなら、コネでも何でも使う。そんなずるい自分が許せないなら、何か別の生き方を模索することになるか」
「別の……、生き方」
レダはしばらく黙った。そんな彼女を見て、おれは思わず笑みがこぼれた。
「……ふふ、だがな、人生の先輩であるおれに言わせれば、自分のやりたいことを優先すべきだ。きれいごとだけで世の中が回っているわけではない。潔癖でいられるのは一部の超人か、はたまた箱庭の中のお嬢さんだけ。レダはお嬢さんって柄ではないな?」
「は? いやでも、それはそうね」
レダはそう言ってからくすりと笑った。そしておれにもたれかかるのをやめて背筋を伸ばして立つ。
「ありがとう、スズシロ。なんだか元気が戻ってきた感じがする」
「そうか。それは良かった」
おれは大股で歩き始めたレダの後ろを歩く。色々と吹っ切れたようだ。もしかするとおれは彼女を全力でダンジョンから遠ざけるべきだったのかもしれない。近い将来、彼女はダンジョンで非業の死を遂げるかもしれない。
しかし彼女には魔法で戦う準備ができていた。おれがこの星に来るずっと前から、彼女は魔物と戦う自分を夢想して、日々の糧としていた。
幸い、おれには彼女の戦いをサポートする力がある。おれの傍にいれば彼女の生存確率は、そうでない場合と比べて格段に高まるだろう。
もうおれはレダとは無縁ではいられない。それくらいの情は既に移ってしまった。彼女が立派な魔法使いに成長するまで、おれは彼女を見守ることにしよう。
第四層は静かだった。周囲に魔物の気配はない。第四層の迷路の中でモル派の戦士と度々すれ違い、ここは安全地帯だと改めて確認する。
ふと、天井高く空を飛ぶ何かの影に気づく。プローブかと思ったがそうではなかった。
それは鳥だった。レダの村を襲った、イビルホークと名付けた鳥。それが二羽三羽と、ダンジョンの天井近くを旋回していた。
おれは足を止めた。イビルホークそのものに気を取られたというより、奴らが旋回している位置に心当たりがあった。
アドルノが迷宮内に建てた拠点。その真上をイビルホークが旋回している。
レダが忌々しげに天井を睨んだ。
「あいつら、この階層に生息してたんだ。でも、さっきまで見なかったよね」
「……ああ」
何かがある。アドルノの拠点には。おれはそれをレダに言うべきか悩んだ。
レダが幼い頃、村が魔物に襲われた。
そこをアドルノが救い、壁で覆ってくれた。
再び村は魔物に襲われた。それを煽動したのはイビルホーク。
そのイビルホークがアドルノの拠点近くを飛び回っている。
そもそもアドルノはどうして迷宮内に必要以上に立派な拠点を作っているのか。
攻略上、重要な位置というわけでもなさそうだ。
おれは嫌な予感がしていた。アドルノが魔物を村にけしかけた、ということはない。しかし何か関係がありそうな気がしてならない。
レダと、イビルホークと、アドルノの拠点に気が取られていた。だからおれは目の前に見知らぬ男が現れたとき、全くの不意打ちを食らった。
先ほど遭遇した、魔物を食らっていた男。魔族。薄汚れた格好をし、人間に擬態した魔族が、おれとレダの前に忽然と現れ、血走った眼をおれたちに向けていた。




