ゾンビ
おれはダンジョン内で、数十種類の魔物と遭遇し、そのデータを取った。グリゼルディスの魔法でいずれも一撃だったが、おれが持っている科学力で分析できる限りにおいては、ヒミコやおれのアンドロイドが問題なく退治できるレベルの敵だった。おれやヒミコには魔力による消耗がないので、この第四層の魔物のレベルがこの先も続くなら、おれたちだけでダンジョン探索が可能ということになる。
グリゼルディスに尋ねたところ、このダンジョンは他のダンジョンと比べて、魔物の強さはやや高いほうだという。なかなか良いデータが取れているようで安心した。
「マスター。そろそろ第五層への封印の門に到着しますが……。その前に一つ」
ヒミコが肩が触れるほど近づいてきて言う。おれは声の音量を落とした。
「どうした。魔族に動きでもあったか?」
「いえ、そちらも気になるのですが……。魔法全般についでです」
ヒミコは封印の門の残骸を取り出す。見た目はただのビニールの切れ端にしか見えない。
「ほう、何か分かったか?」
「何も分かりません。分かりませんが、魔力がこの世界に現実として存在している以上、仮想的な物質として物理法則に組み入れ計算できないか、探査船のアルファと共に模索していました」
「ふむ?」
魔力は見えない。しかしそこにあるらしい。魔力を組み込んだ物質と思われる封印の門を分析した結果、通常ではありえない組成式の物質であることが分かった。それを無理やり成立させるために必要な物質、つまり魔力を仮想物質として導入した場合、それはどんな振る舞いをするのか、予想をすることはできる。
「結果が出たのか?」
「一応は……。何も定まらない、という結果が出ました」
おれはしばらく考えた。そしてお手上げになる。
「どういうことだ?」
「魔力とは可変の量子です。我々がよく知っている原子の核種も究極的には可変ですが、安定的なものと、不安定なものとがあり、安定的な原子を変容させるのには莫大なエネルギーが必要です。しかしこの魔力は容易に切り替わる。というより常に別の化学物質に切り替わり続け、魔法使いがそのうつろいゆく物質を一時的に安定させ、この世界に下ろしている。こんなところでしょうか」
おれはその説明における魔力という物質をイメージしようとしたができなかった。
「それは仮説だよな? 実際に観測したわけではない」
「はい。どういうわけか魔力そのものを観測することができませんから。いえ、観測するという行為自体、魔力の性質に相反するものなのかもしれません。光子を当て、反射した光子をキャッチして、それを分析し、観測という行為は行われます。既存の量子論でもさんざん言われたことですが、観測という行為ですらその物質の状態を変えてしまう可能性があるということです。魔力という量子は観測という行為を許さない」
ヒミコは顕微鏡でモノを観測するジェスチャーをしてみせた。おれは腕を組んで唸った。
「うん。なかなか面白い話だが……。そういえばレダが“魔力は流れ”だとか言っていたことがあったな。これはそういう意味だったのか?」
「かもしれません」
おれとヒミコはレダのほうを見た。近くを歩いていた彼女は何を勘違いしたか笑みを返してきた。
「……その仮説が正しかったとして、魔力を利用することはできそうか?」
「魔力を含んだ物質があれば、そこから逆算して特定の性質を持った魔力を抽出できるでしょう」
「ふむ。ヒミコ、お前のことだ。今ここでそんなことを話すということは、その企みは半ば成功したんだな?」
「はい。魔力については何も分かっていませんが、とりあえずここまではできるようになりました」
ヒミコは封印の門の残骸である、薄っぺらなビニールの膜のようなものを改めて持ち上げた。ヒミコが念じるようなポーズをとると、残骸からシャボン玉のような球体の水膜が、ぷかぷかと浮かび上がった。二個、三個と続く。
「おお!?」
おれは驚嘆した。ヒミコは少し動きが鈍くなっていた。相当エネルギーを使ったのかもしれない。
「今のは、お前の体から水分を飛ばしたわけじゃなんだよな?」
おれは興奮気味に言った。
「ええ。この封印の残骸の、スカスカの組成式から、魔力らしきものを抽出しました」
「もう少し具体的にどうやったのか教えてくれ」
「このダンジョン内は魔力に満ちているらしいので、材料には困らないわけです。あとはこの封印の残骸に使われていた魔力の種類をキャッチして抽出するだけ……。色々と試行錯誤を繰り返した結果、とある特定の周期で微弱の電流を流すと、この残骸が反応しました」
おれは残骸をまじまじと見た。電流を流すと反応? 機械じゃあるまいし、にわかには信じられなかった。
「電流って……。そんなことで?」
「ただし、100ミリボルト前後の、非常に微弱な電流です。非常に繊細な……、それこそ神経細胞の活動電位のようなレベルのもので……。これは仮説に次ぐ仮説ですが、異世界の魔法使いが脳内で行っている神経活動が魔力に作用している裏付けになりそうです」
「驚いたな……。いや、因果関係が逆なのか? 人間の意識一つで操作できるような技術体系をこの世界の魔法使いが確立したということか? それがこの奇妙な物質の生成に繋がっている?」
「魔法を理解するとっかかりになりそうです。他にも魔力を含有している物質を取得したいのですが……」
「ダンジョンにはその手のものがたくさん転がってそうだな。積極的に採取していこう」
おれとヒミコのひそひそ話を、レダは首を捻りながら聞いていた。グリゼルディスが地図を見ながら言う。
「そろそろ第五層への封印の門に着くわ。準備してね!」
おれたちはグリゼルディスの横に並び立った。長い迷宮を潜り抜けた先、そこには巨大な門が待っているはずだった。
確かにそこには門があった。しかしその前には死体が幾つも転がっていた。
静かだった。先行していたモル派の部隊が壊滅していることに気づいたのが遅れたのは、この空間が不自然なほど音を拒絶していたからだった。
門の前に立つ巨人。身長は優に6メートルを超えるだろう。全裸で、肌の表面がどろどろに溶けて、肉と血と骨が混ざった粘液がぼたぼたと地面に落ちている。肌の色は紫がかっていてとても生物とは思えなかった。ヒミコはこの化け物を単純にゾンビの巨人と名付けた。
ゾンビはモル派の戦士たちをその巨大な腕で殴り殺したようだった。グリゼルディスが何か叫んでいる。しかし何も聞こえない。ヒミコが通信でおれの脳内に直接言う。
《どういうわけか、この空間では音が全く伝播しないようです! しかもレーダーでもプロープ機のカメラでも、この魔物は感知できませんでした》
《索敵できなかったのはそのせいか。いったいどういう理屈だ》
《分かりませんが、もしかすると……、魔力の性質を利用しているのかも。現れたいときに現れ、消えたいときには消える。ゾンビの巨人はそういう性質の肉体を持っているのかもしれません》
《殺せるか》
《やってみましょう》
グリゼルディスが炎の魔法を撃ち放ち、ゾンビの片足を破壊した。しかしゾンビは倒れることもなく、瞬く間に足を再生させた。どろどろと崩れ行く肉体を前進させ、グリゼルディスに迫る。
さっきまで軽快な動きを見せていたグリゼルディスが、どういうわけか足を止めてゾンビを見上げている。何か不可思議な力が働いて、身動きできないらしい。
《とまれ!》
おれは腕に格納していた銃火器を取り出して撃ち放った。しかしゾンビの肉体の一部は削ぎ落とせたが奴は全く意に介していない。
ヒミコが跳躍する。そして内蔵していたブレードを振り回し、ゾンビの肩口を斬った。ゾンビは少し驚いたようにヒミコを見た。そしてグリゼルディスが突然動けるようになり、下がって来た。
「……良かった、妨害魔法が解けたわ!」
グリゼルディスが言う。声が通るようになったらしい。
「妨害魔法だと? よく分からんが、あのゾンビが声を通さなくしたり、索敵の邪魔をしてたってわけか?」
あの何も考えてなさそうな化け物が、そんな高度な魔法を使っていたというのか。おれの言葉に、グリゼルディスは首を振って否定した。
「いいえ。あの化け物を中継して魔法が発動しているけれど、術者は別にいるわねえ」
「別?」
「誰かが私たちを殺そうと、魔物を利用して襲ってきているのよ。ヒミちゃんは凄いわあ。妨害魔法をはねのけて動けている。スズちゃんもわりと平気そうね。レダちゃんは……」
レダは全く動けずに固まっている。グリゼルディスが肩に触れると、堰を切ったようにその場に座り込んだ。
「い、今のは……。い、息もできませんでした……」
「超一級の魔法使いが、私たちを仕留めに来ているようねえ……。並の魔法使いならこれだけで窒息死させられるでしょう。レダちゃんみたいにね。でも二度はやらせない。私は対抗魔法で妨害魔法を無効化する。スズちゃん、レダちゃん、あの魔物を倒してくれるかしら。相当な強敵だけれど」
おれは頷いた。レダも激しく咳き込みながらも、立ち上がった。
「任せろ」
「わ、私もやれます」
グリゼルディスはにっこりと笑んだ。
「頼もしいわ。さて、不意打ちで仕留めきれなかったことを後悔することね、妨害者さん……!」
グリゼルディスの全身から淡い光が放たれる。どこからともなく風が吹き、彼女のドレスを幻想的に舞い上げた。おれはその様子を観察する暇もなく突撃した。レダも続く。ヒミコがゾンビ相手に大立ち回りを演じている間に、ゾンビのどろどろの肉片は辺りに飛び散っていた。
モル派の戦士の死骸がびくんびくんと動き始めたことにおれは気づき、一瞬まだ生きているのかと勘違いしたが、いずれも首が抉れていたり内臓がなかったりしていることに気づき、すぐに絶望した。
ゾンビというネーミングは的確だったわけだ。おれは恐怖で顔が引き攣るレダの腕を取って地面を転がった。先ほどまで人間だったモル派の戦士は新たな生ける屍となって襲ってきた。おれは容赦なく銃火器を撃ち放った。レダが耳を押さえてうずくまる。頭がもげ、手足が吹き飛び、それでも近づこうとする死骸の数々に、さすがのおれも戦慄してしまった。