第四層
グリゼルディスの周囲は魔物の死骸の異臭が凄まじかった。しかしすぐにそれは消えた。魔法によって何らかの処理が施されたらしい。
第三層と第四層の境目にグリゼルディスは立っていた。その足元に転がっているのは魔物の死骸だけではなかった。人間の頭部らしきものが転がっている。男か女かもわからない。肌の表面がどろりと溶け、ほとんど禿頭だった。
「魔物のお腹の中から引っ張り出したのよ。死亡者確認のためにねえ。モル派の若い子みたい」
グリゼルディスは言う。彼女が血まみれなのは魔物の腹の中を漁ったかららしい。おれたちをここまで案内してきた男二人がその頭部を布でくるんで持ち上げた。グリゼルディスに何度も礼を言う。そして二人はモル派の陣地に下がっていった。
「スズちゃん、ヒミちゃん、来たのね。レダちゃんも」
グリゼルディスは笑む。おれはその辺に転がっている魔物の死骸を一瞥し、それから第四層へと繋がる門を見上げた。例によって特殊な石材が積み上げられて出来た門は、ここより上の階層で見たものより巨大だった。
「どうも。グリゼルディスは一人で行動しているのか? イングベルトは」
「インベルちゃんはモル派と合流したわ」
「裏切り――いや、鞍替えしたのか?」
「元々、あの子はフリーだし。勝ち馬に乗るのが普通よねえ。私のほうから勧めたのよ」
「そうか。グリ派は他に人員がいないのか?」
「ギルドに一報が入ってまだ数日だし、大部隊を組織しているモル派の手際が良過ぎるだけよ。うふふ、単独行動は気楽だけど、どうしたって慎重に行動せざるを得ないわよね。今回はちょっとモル派に負けそうね。いやだわ~」
おれはグリゼルディスがぐったりしていることに気づいた。相当疲弊しているらしい。
「……ギルドでも指折りの手練れだと聞いた。それでも厳しいのか」
「魔物の強さは大したことないわ。問題なく駆除できる。けれど、ダンジョン内の濃い魔力の下、魔法を使い続けていると、体内に魔力の毒が溜まり始めるのよねえ。どんな達人でもそれは避けられないの。なので体内の魔力を抜く“瞑想”をする時間が必要なんだけれど、その状態だと咄嗟に魔法を使えない。当然、危険ばかりのダンジョン内で、周りに味方がいない状況でそれをやるのは自殺行為なわけ」
魔力というのは魔法を使うのに必要だが、人体には毒。バランスを取るのが難しそうだった。
「それでぐったりしているのか」
「瞑想を一時間でも挟めれば、元気いっぱいになるんだけどね~。最初はインベルちゃんと交代で頑張ってたんだけれど、二人でも厳しいのよ」
「ダンジョンに潜る前からそれは分かっていたはずだろう? 思ったよりここのダンジョンが手強かったということか?」
「そうね……。見れば分かるわ~。第四層は、ダンジョンを造った人が気合いを入れ過ぎたみたいね、うふふ」
グリゼルディスが指差す。おれは門をくぐり、第四層に足を踏み入れた。入ってすぐ曲がり角が続き、小刻みに照明が設置されていることを確認する。
やがて開けた場所に出た――上が高い。見上げると10M以上は優にある天井に、照明器具が幾つもぶら下がって光線を降り注いでいる。
そこは迷宮だった。壁に次ぐ壁、曲がり角に次ぐ曲がり角。高低差の激しい地形であるが、明らかに人の手が入った痕跡があり、人為的に迷路が造られていることは明らかだった。
「迷路?」
「たまにあるのよね。ダンジョンに遊び心を入れてくる古代人。何か具体的な目的や合理的な理由があって、迷路を造ったのかもしれないけれど!」
おれは壁をよじ登った。おれが思ったより身軽に感じられたらしく、グリゼルディスが感心するような声を発した。
おれは壁の上に立ち、迷路の全景を把握しようとした。しかし高い壁に低い壁、うねる地面と奇怪なオブジェ。見晴らしが悪く、迷路の全容を掴むことはできなかった。
「なかなか複雑な造りをしているな。これが第四層か」
おれは壁から下りながら言った。グリゼルディスは頷く。
「魔物がまだまだたくさん残っているから気を付けてね。死角が多いから、迷路の中で休憩しちゃ駄目。それで何人もやられてるらしいの」
「なるほど。単独で挑んでも、疲弊して、終わりも見えず、突破できないわけだ。人数をかけて安全地帯を形成しながら進んでいくしかないな」
おれは迷路の壁を殴ってみた。壁の表面がぼこっと音を立てて崩れる。迷路に迷っても壁を破壊して先へ進むことはできそうだが、いったいどれだけの壁を破壊すれば第四層の終わりに辿り着くのか。
「モル派の部隊が三つ、第四層をかなり進んでいるわ~。私も彼らの後をこっそりついて回ってみたんだけど、魔物との戦闘は避けられず、攻略は不可能だと判断しちゃった。インベルちゃんにモル派との合流を勧めたのは昨日のことね」
「不可能、ね。諦めたってことか?」
「不本意ながら。うふふ」
おれはヒミコのほうを見た。そして不安げな顔のレダを見る。
「どこまでやる気があるかだ、レダ。ギルドのトップランナーでも諦めるほどの厄介なダンジョンだが、お前はどうしたいんだっけ?」
レダは自分の手の平を見つめた。何度か瞬きし、そして決然とおれを正面から見つめる。
「私は……。アドルノ様の背中を追うようになって、魔法を学んで、自分の村を守りたい。そう願ってる。でも今のままだと、本当に魔物と戦えるのか自信がない」
「自信……」
「最低でもギルドに認められるような魔法使いにならないと、皇都まで行った意味がないわ。スズシロ、力を貸して欲しい。魔物と戦って、いっぱしの戦士であることを証明したい」
「……だ、そうだ。ヒミコ。妙案はあるかね?」
ヒミコは懐からレーダー装置を取り出した。グリゼルディスが興味深そうにそれを見る。
「ヒミコ、それはどんな魔法道具だったんだっけ?」
「ダンジョン全域を探知するものです。特にマークすべきは、門です。そこが目的地であり、第四層の出口ですから、極端な話、迷宮内の構造はどうでもいいわけです」
「ほうほう」
「幸いなことに、この迷宮は上部が開けています。複雑な迷路を形成する上で、とりあえず広い空間を用意し、そこから壁を構築していった形でしょう。一発で広範囲を探知できます。マッピングをするには好条件です」
ヒミコは跳躍し、壁の上に立った。そして次々と壁の上を跳び移り、レーダー装置を掲げた。その装置は内部からプロペラを展開し、飛行を開始した。風音を響かせながら、レーダー装置が天井付近まで上昇していった。
グリゼルディスが少女のように、きゃっきゃと声を上げて拍手した。
「なかなか面白い道具ねえ。ダンジョンの外で見た、あの可愛らしい飛翔体の正体はこれだったわけね」
「この装置は、それほど長時間飛行はできませんが、かなり広域を探知できます。あっという間に第四層の構造を把握できるでしょう」
ヒミコはそう言いながら、壁から下りた。知り得た地理情報を紙に出力したヒミコが詳細な三次元地図を取り出したので、いつも冷静なグリゼルディスも目を丸くした。
「え? これは……。この第四層の地図? 今の、一瞬で?」
グリゼルディスは地図を凝視して固まってしまった。そしてヒミコを一瞬見た後、おれをしげしげと観察し始めた。
「ヒミコは優秀な技師なんだ。これくらいは簡単だ」
「あらあら、驚いたわ~……。これなら無駄な経路を進まなくて済むし、死角を気にする必要もない。モル派に追いつけるかも。魔法による索敵より正確だし、なにより体力を消費しなくていいから、数秒ごとに繰り返し探知し続けることで無駄に警戒し続ける必要もなくなる。画期的ねぇ~」
「どうする? おれはダンジョンというやつに興味があってね。おれとしても戦力的に天下のグリゼルディスと同行できるなら安心なんだが」
「そうね……。体力を回復したいから、あと30分くらい瞑想させてね。体内から魔力を抜かないとまともに戦えないわ。それでよければ、是非ご一緒したいわね~」
話は決まった。ヒミコはその後も探査を続け、30分の休憩の間に第四層全域を粗方調べ尽くしてしまった。
おれとグリゼルディスは地図情報を出力された紙を並べて、構造を見た。ヒミコはついでにモル派の現在位置もマーキングし、モル派が第五層への封印の門までかなり接近していることを突き止めた。
「最短距離で進んで、二時間くらいかしら。この迷宮をこうして見るとそれほど大きく感じないけれど、モル派は30人くらい投入して、三日かけてやっと門に到達するところだから、スズちゃん、本当にすごいわよ。効率が何十倍も違う」
「そりゃどうも。そろそろ出発するか?」
「ええ。魔物を避けながら進みましょう。ついでにインベルちゃんを雇い直せたら言うことなしね」
おれたちはグリゼルディスを加えて、第四層を進み始めた。ヒミコが都度魔物を索敵したので魔物との交戦は最小限で済んだ。戦闘になってもあっという間にグリゼルディスが仕留めたので、おれやヒミコ、レダの出番は皆無だった。
グリゼルディスは魔物を効率的に殺した。斬首、そののち焼殺である。ヒミコは魔物の死骸を律儀に観察し、データを取ったが、血生臭くておれはアンドロイドのカメラ越しとはいえ気分が悪かった。
レダはグリゼルディスの一挙手一投足を観察し、全て吸収してやるという意気込みが感じられた。レダは何度か自分も戦おうとしたが、グリゼルディスがそれを制した。
「私が瞑想するときの為に取っておいてね。いざ瞑想を始めたら、戦闘可能になるまで、五分くらいはかかる。つまり最低でも私を五分間守り通せるだけの余裕を、常にレダちゃんには持っておいて欲しいのよ。分かる?」
「は、はい、わかりました」
こうしてグリゼルディスだけが戦い続ける一行は順調に第四層を進んでいった。モル派の部隊に追いつくのも時間の問題だった。