予言
ダンジョンに入ってすぐ、ヒミコは現在位置を確認した。イングベルトが突き止めたダンジョンの大雑把な構造と、外部からのレーダー探査を突き合わせ、ここが第二層の中頃であることを把握する。ダンジョンは基本的に下方向へ傾斜しており、どちらに進めば奥かどうかは分かりやすくなっていた。
ダンジョン内は無臭。壁は頑丈で、そう簡単に崩すことはできない。人が通るのに十分な広さがあり、三人並んで歩いてもまだ余裕があった。ギルドの灯りが点々と連なり、十分な視界は確保されている。おれは警戒していたが魔物の気配はまるでなかった。
ヒミコが第二の入り口への道を合成樹脂の発泡体で塞いで偽装した。表面を堅く加工したので、手で触れてもすぐには異常に気付かないはずだ。
遠くで人の足音が聞こえた気がする。おれは、聖印を持っていないし、部外者だが、ダンジョン内でいちいちそんなことを確認してくる輩はいないだろうと踏んでいた。部外者は入り口で弾くようにしているはずだ。
おれたちはゆっくりとダンジョン内を進んでいった。一同無言だった。視界が限られている今、聴覚が一番頼りになるセンサーであったし、常時レーダーで索敵していたら電力消費が激し過ぎる。
十分ほど先に進んだ。すると前方からの足音が段々大きくなってきた。どうやらこちらに向かっているようだった。おれたちは慎重に先に進んだ。
現れたのは四人編成の部隊だった。負傷者一名を三名で運んでいる。即席の担架の上で負傷者が呻いていた。おれたちは道を譲った。すれ違いざまに見ると、負傷者の顔面がひしゃげていた。前歯が折れて血まみれになっている。ぱっと見男か女かも分からなかった。
「おい」
すれ違った後、担架を先頭で持っていた男が振り返りながら言った。おれはわざわざ少し引き返して、男に顔を向けた。
「何か?」
「どこの所属だ。見ない顔だが……。まさかギルド外の人間じゃないだろうな」
おれは肩を竦めた。
「そりゃ“まさか”だな。おれたちはグリ派の新参だよ」
「グリ派……? グリゼルディス様が先陣に立っているのに、援軍だと?」
おれは内心きついなと思いつつ、ふてぶてしい態度を貫いた。
「悪いか?」
「珍しいな、と思ってな……。まして新参ときた。本当にグリ派の人間か?」
明らかに疑われている。おれはレダをちらりと見た。それを受けて、レダが髪飾りを目立たせるように頭を突き出した。
「聖印。これが証拠にならない?」
男はじっとレダの髪飾りを見た。それから首を捻る。
「……悪かったな。俺の杞憂だったようだ」
おれはほっとした。レダも強張っていた表情が少し緩んだ。
「分かってもらえて良かった」
「つい先日も、部外者がダンジョン内に入りこんで、ひと悶着があったんだ。ベルギウス様が大層ご立腹だった。クレメンスの奴が随分詰められていたよ。それはいい気味なんだが、おかげでダンジョンの出入りに煩雑な手続きが必要になっちまった」
「……本当、迷惑だな。しかしそのおかげで部外者は確実に弾けるわけだ」
おれはそう応じておいた。レダが白い目で見てくる。おれは続けて男から情報を引き出せないか試みた。
「しかしひどくやられたな。中は魔物でひしめいているのか」
「まあ、ぼちぼちだな。どうしたってやられる奴は出てくる。第三層の魔物は大方駆除できたが、第四層は死角が多くてなかなか奥に進めない状況だ」
「今、どこの派閥がリードしているんだ?」
男は鼻で笑った。
「余裕でお前に情報を渡している、ウチだよ。モル派だ。グリゼルディス様は大した御方だが、少数精鋭主義だからな。アドルノ派も、アドルノ様が来たのは驚いたが、あまりやる気がないようだ」
「このダンジョンに、各派閥の大幹部が勢揃いしているわけだな」
「未登録のダンジョンにおいてはよくあることだ。新参のお前には馴染みのないことかもしれんがな。発見者の権利を得られれば、それ自体の収入はもちろん、その後のダンジョン攻略の優先権を得られるからな。皆躍起になる」
おれはちらりと負傷者を見た。荒く息をしている。
「長いこと引き留めて悪かった。負傷者を運んでやってくれ」
「見た目は酷い怪我だが、大したことねえさ、こんなのは」
男たちは担架を持って去っていった。おれたちはそれを見送ってから先に進み始める。おれが先頭に立ち、最後尾にヒミコ、間にレダが立った。
進み始めてすぐ、第二層と第三層を隔てている封印跡地に辿り着いた。そこまでは自然な洞窟のような形状をしていたのに、そこだけ露骨に人工物ということが分かった。滑らかな質感の石材をゲート状に積み上げて、アーチの形を描いている。石材のところどころに透明なビニールのような残骸が付着していて、指で触れてみると仄かに暖かった。触った感じは柔らかくて脆そうだったが、強く引っ張っても破れなかった。
「これ、なんだ」
「いわゆる封印というやつでしょう。既に突破された後の」
「それは分かる。材質だよ」
ヒミコは封印の残骸を口に含んだ。巧みにレダから見えないように体の角度を変えている。彼女は一流の手品師になれそうだった。
「解析の結果、炭化水素の集合体です」
「ポリエチレンか?」
「いえ、似ていますが違います。一見エチレンの高分子のようでいて構造が複雑です。ところどころ隙間があるといいますか……。通常ならもっと脆いというか不安定な物質のはずですが非常に頑丈で、化学的には説明がつきません。新素材です。少なくとも私はこれを作れません」
「……魔法が関わっている素材ということだな。解析しがいがあるじゃないか」
レダは封印の門のあちこちを調べていた。おれとヒミコの会話を盗み聞いていて、首を傾げていた。
「スズシロたちの会話はよく分からないわね。母国語で喋ってるの?」
おれは頷いた。
「別に、秘密の会話ってわけじゃないんだがな。そろそろ先に進むか」
「……まだ遠足と大差ないしね。もう戦闘を覚悟しないと」
第三層に入って、戦闘になるかと思ったが、時折魔物の死骸を見かけるだけで、生きた魔物を発見することはできなかった。おれたちは慎重に進んだが、相変わらず照明が設置されているし、道は広くて快適だし、緊張感がまるでなかった。
やがて開けた場所に出た。そこには照明がたくさん焚かれていて、人の動く気配が多くあった。遠目で小さな砦や小屋が構築されているのが見えた。どうやら前線基地らしい。
「止まれ」
広場の入り口で男二人がおれたちを止めた。
「見ない顔だな。ここはモル派の前線基地だ。迂回しろ」
「了解した。迂回路はどこだい?」
「自分で見つけろ」
男はそっけなかった。これが普通の対応なのかもしれない。おれたちは少し引き返すことにした。
「待て」
男が少し意外そうに言う。おれは首だけ振り返った。
「何か?」
「お前……。もしかしてスズシロとヒミコか?」
おれは意表を突かれて、一瞬、返答に窮した。
「……どこで聞いた?」
「ついさっき、ベルギウス様が予言を下したのだ。このダンジョンを制する者が現れる。その名はスズシロとヒミコだと」
おれはヒミコと顔を見合わせた。レダも頭の上に?マークを浮かべていた。
「予言? そんなものがあるのか」
そして、そんなものを信じているのか、とも思った。おれの態度で男はそれを敏感に感じ取ったようだった。
「ベルギウス様の予言は必ず当たる。しかし今回は、ギルド内の人間でそのような名前の人物がおらず、困惑していたのだ。お前たち、ギルド外の人間だな?」
「いや。グリ派だよ。ギルド外の人間がここに入れるわけないだろう。あの勤勉で優秀なクレメンスが厳しく取り締まっているのに」
男はクレメンスへの皮肉に口の端を僅かに持ち上げたが、すぐに真顔に戻った。
「だから、我々も途方に暮れていたのだ。ギルド外の人間でも構わない。一緒に来てくれ。悪いようにはしない」
おれはヒミコとレダと顔を見合わせた。良い方向に転びそうな気もするが、厄介なことに巻き込まれたと見ることもできる。すぐには判断できなかった。
しかし男がこっそり連絡を入れたのか、モル派の人間がぞろぞろと集まり出した。もはや抵抗できないと思い、おれたちはベルギウスと会うことにした。
ベルギウスは広場の奥で大きな椅子に腰かけ、何人かの部下の報告を聞いていた。部下たちは今にも卒倒しそうなほど顔が青ざめ、ベルギウスの顔色を必死にうかがっていた。しかしベルギウスは全身を黒い包帯で覆い、しかも微動だにしなかった。まるで人形のようだ。
「ベルギウス様、スズシロとヒミコという名の男女を発見致しましたので、報告に上がりました」
ベルギウスは椅子から立ち上がった。そしてゆっくりと腕を持ち上げ、おれを指差した。おれはベルギウスの言葉を待った。悪いようにはしないだろう、と思っていたら、
「拘束しろ」
おれは頭の中が真っ白になった。すぐさまベルギウスの部下がおれを縄で縛り上げる。レダも同じだった。ヒミコが一瞬おれに意味ありげな視線を寄越してきたが、
「抵抗するな」
おれがそう小声で言うと、ヒミコは頷いた。ほんの数秒でおれたちは虜囚の身となり、ベルギウスはそれを見て満足げに頷いた。