開通
レダは目覚めてすぐ、自分が作り出した聖印を持ち上げてじっと観察した。完成したのが夢の中の出来事だったかもしれないと疑ったのだろう。
夢ではないと分かると彼女はほっと息をついて、それを自身の髪に付けた。黒い髪飾りは彼女の栗色の髪によく似合っていた。ヒミコが造った付属部分は髪飾りの内奥に収納されて目立たなかった。
「聖印をそんな露出して大丈夫なのか? 他のギルドメンバーは大事に隠し持っていたようだが」
レダは髪を掻き分け、聖印を指の腹で優しく撫でた。
「でも、これって髪飾りなのよ? 懐に入れておくようなものじゃないわ」
「そりゃそうだが、たとえばダンジョン内で魔物に奪われたら、魔力で体がいかれるんじゃないのか」
「多少は大丈夫。それに、そうそう簡単に外れないわ。ほら、試してみて」
レダが頭を差し出してくる。彼女の髪の匂いがふわりと漂ってきた。おれはそっと髪飾りに触れて外そうとしたが、頭皮とくっついているようで、全く取れなかった。髪飾りを動かすたびに頭皮がぐにぐにと動く。
「魔法でくっつけているのか?」
「というか、聖印というのは、自分の体を守る為に身に付けるものでしょ。体内で悪さをする魔力を代わりに処理してくれるもの。魔法で聖印と体を結びつけないと、うまく作用しないの」
レダが頭を押さえながら言う。ちょっと痛かったようだ。おれは苦笑して謝った。
「そうだったのか。それじゃあ杞憂だったみたいだな」
「そうね。でもありがと。……ねえスズシロ。私がダンジョンに潜るの、反対する?」
レダは上目遣いに聞いてきた。おれは不安そうにする彼女を励ますように、穏やかな声音を出すことを意識しながら、
「いや……。お前はおれの所有物じゃない。自由にやればいいさ」
「そうじゃなくて、そうね、友人として、私の振る舞いに呆れたりしてない?」
「どうかな。もしかすると呆れているかもな。ただ、おれもこれからダンジョンに潜ろうと思っている」
レダは目を丸くした。
「え?」
「だからお前を無謀だと諭すことはできないな。ついでに言うとヒミコも行く」
レダは意味もなく辺りを見回し、それから自分の聖印を掴んだ。
「いや、聖印は? というか、この国の魔法も知らないのに、そんなこと……」
「なんとかなるだろ」
「いやいやいや、駄目でしょ。死んじゃうわよ。そんなことできない。ギルドの人たちも、止めると思うんだけど」
おれには策があった。おれはヒミコと目配せし、それからレダににじり寄った。
「な、なによ」
「レダもギルドの人間ではないだろう。入れてくれないんじゃないか?」
レダは唇を尖らせる。
「でも、聖印があるし……。なんとか頼み込んでみる」
「それより確実な方法があるぞ。実は、ダンジョンに別の入り口を見つけた」
おれの言葉にヒミコが僅かに笑む。レダはそれに気づかなかった。
「別の、入り口……?」
「少し離れた位置だがな。そこからなら、こっそりダンジョンに入ることができるだろう。どうする、レダもそちらから来るか?」
「それは……。ダンジョンに別の入り口なんて、聞いたことがないけど、ありえない話ではないのかしら? 本当なの?」
「ああ。ただし人が入れるほどの大きさではないので、今掘り進めているところだ。間もなく開通するだろう」
本当は、もちろんおれがヒミコに命じてダンジョンに向かって穴を掘っているだけだ。ダンジョン内の構造をある程度探査したところ、ダンジョンは東西南北に折れ曲がりながら少しずつ地下へ続いていると判明したので、ダンジョン入り口からある程度離れた位置から縦に掘り進めるとダンジョンのどこかに突き当たることは分かっていた。
ただし、ダンジョンの外壁は非常に頑強で、おそらく魔法で補強されている。古代の人間が魔を封じ込める際に、地下水や土中生物がダンジョンの構造と交わらないように配慮したのだろう。その外壁を突破するにはかなり強引にいかないといけない。通常の岩盤とは比較にならないほど掘りにくいことが予想できた。
おれは早速、探査船を出て土中を掘り進めているポイントへと向かった。レダもついてくる。ニュウはレダを心配して眠れず、生活が不規則になったか、朝になってもぐっすり眠っていた。今の内に下見を済ませるつもりだった。
派遣していたベータが巨大なドリルを使って土中を掘り進めている。掘り出した土を周辺に積み上げ、小型のロボットがその土を使って地面を均し、ちょっとした広場を作っていた。都合、ダンジョンの第二の入り口周辺は小高い丘になっていた。もっと騒音がひどいかと思っていたが、近づかないと作業音は聞こえなかった。
「進捗はどうだ」
到着してすぐ、穴からベータがひょっこり顔を出したので、おれは尋ねた。ベータは穴から体を引き上げると、土埃を払った。
「ダンジョンに到達しました。現在はこの穴の最深部が壁一つ隔ててダンジョン内の道に接している状況で、あとは最後の開通作業を行うだけです。ただし人間の足で進めるほど整備が進んでいないので、あと半日ほど待ってください」
「思ったより早いな。ギルドの人間はここに気づいたか?」
ベータは空のプローブを指差し、
「いえ。誰もこちらには近づいてきませんね。まだダンジョン発見者の権利をどこの陣営も手に入れていないようです。どこか現場はぴりぴりしていて、こちらに気を割く余裕はないようです」
「好都合だな。ダンジョンに入る準備を進めよう」
おれは第二の入り口から離れた。レダはベータの土木作業姿に度肝を抜かれたようで、しばらく何も言わなかった。
「あの人……。あの細腕で、随分パワフルなのね」
レダは辺りを走り回る小型ロボットを不気味そうに見ながら言った。
「あいつは三姉妹の中でも、力仕事が得意だからな」
「そうなんだ。でも、本当にダンジョン内に入れそうね」
「怖いか?」
レダは少し照れたように、
「少し。でも、正直言うと、スズシロやヒミコが一緒に来てくれるなら安心だわ。あなたたち、底知れない何かを持っているもの。どんな困難を前にしても、あなたたちなら難なく切り抜けてくれるんじゃないかって思う」
おれは探査船に戻ってアンドロイドの準備をした。加えて、ダンジョン内に取り付ける中継基地の準備も進める。おれがダンジョン外から中のおれ自身を操作するには、電波を届かせないといけない。その操縦システムを構築するにはそこそこ骨が折れた。
できればヒミコがその場その場で中継基地を製造して設置していくのが理想だった。つまり原材料は現地調達できるものが望ましい。そうでなければヒミコは大荷物を抱えてダンジョンに挑むことになる。ダンジョン周辺の岩石を調査したところ、基幹部品以外は現地調達できそうだと判明した。なのでヒミコは体内にプリンターを仕込んで、その場その場で原材料を喰い、中継基地を生み出していくことになる。
この中継基地はアンドロイドの操縦以外にも使える。情報を地上に送信できるので、仮に全滅しても情報を残すことができ、次に生かすことができる。
ニュウはおれたちが準備をしている間に起床した。そしておれたちがダンジョンに入ると知ると、自分もついてきたがった。しかし正規の魔法教育を受けたわけでもない、そして聖印を持っていないニュウが中に入るのは無謀だった。さんざんごねたが、結局少女はアルファと一緒に探査船に待機することになった。
おれとレダとヒミコは再びダンジョン第二の入り口に向かった。アンドロイドを操縦する為の小屋が完成しており、その小屋はガンマが守ることになった。おれは小屋の中に入り、アンドロイドと入れ替わった。操縦と言っても椅子に腰かけて精神を集中するだけ。やろうと思えば操縦しながら会話したり走ったりできるが、もちろん操縦に専念するのが望ましい。
おれはアンドロイドの視界が普段の視界と変わらないことを確認し、必要とあれば視点を幾つも増やせることを確かめる。それからダンジョンの入り口を覗き込むレダに声をかけた。
「大丈夫か?」
レダは振り返りおれの顔をまじまじと見つめたが、アンドロイドだとは気づかなかったようだった。
「ええ。私はもう行けるわ」
「よし」
おれのアンドロイドとレダ、それから武装したベータの三人は、実は半数以上が機械人形だったわけだが、いよいよダンジョンに入ることになった。おれは操縦に集中するべく、肉体があるほうの意識を消していった。やがて感覚がアンドロイドの体と完全に同化したとき、おれは自分が狭苦しい小屋の中にいることを忘れ、ダンジョンへと続く深い穴に足を踏み出していた。
急勾配の道の先頭を行く。レダがそれに続き、最後尾はヒミコが固める。しばらくは平和な道が続いたが、いよいよダンジョンの本線に辿り着いたとき、レダがその濃い魔力に息を呑むのが分かった。もちろんおれにはその魔力の濃さというのが分からない。
「大丈夫か?」
「う、うん、平気」
「行くぞ」
おれは破砕して開通した赤黒いダンジョンの外壁を潜り抜けて、ダンジョンに降り立った。ギルドの人間が設置していったと思われる灯りに照らされるのは、まとめて置かれた魔物の死骸の山だった。不思議と死臭はしない。ギルドの人間が魔法で特殊な処理を施したのかもしれない。
ここがダンジョン。実感が湧かなかった。魔力の存在もよく分からなかった。奥に進めばそれが分かるのか? おれはヒミコがこっそり中継基地となる箱を道の隅に置いたのを確認してから、先頭に立って進み始めた。




