ニュウ
ヒミコはあまりにも有能だった。惑星探査の為に作られたAIというのもあるが、その手際は見事と言うほかない。
まずエネルギーの確保のため、地面に穴を掘り地熱発電を試みた。プリンタを使って核融合炉を建設する手もあったが、さすがにこの星に与える影響が甚大過ぎる。
次に周辺の探査を、小型探査機を組み上げて、空に放って行った。プローブは飛行する自立型の機械で、一部の精密部品を除く枠組部分は木製としておいた。原子プリンターはあらゆるモノを即座に製造するが原材料は無限ではないので節約できる部分はしておきたかった。プローブはすぐに周辺の地形や大気組成、生命の所在などの有用な情報をおれのもとへ届けてくれた。
その次にヒミコは、ほぼ全裸だったおれのために衣服と靴を作ってくれた。その辺の植物繊維から作った薄手の布を適当に染色したもので、おれは大層気に入った。
これらのことをヒミコは自らの頭脳を積んだアンドロイドに実行させた。このアンドロイドは宇宙船の部品を組み替えて造ったもので、合計三体造った。
宇宙船に留まりその保守と高度な情報処理を行うのが一号。
厄介な土木工事や物体の生産管理を行うのが二号。
そしておれに付き従い身辺警護を行うのが三号。
おれは当初、墜落した探査船から離れるつもりはなかったが、自然豊かな平原と、爽やかな風が吹き抜ける林、枯れ葉の混じった豊かな土壌などを見て好奇心を抑えることができなかった。目についた植物を片っ端からサンプリングしていく。
「ヒミコ、ちょっと探険してきても構わないだろうか?」
「マスターの判断に従います。しかし、この星の知的生命体と接触するのはご法度ですよ。我々の知識や存在そのものが、彼らの文明に与える影響は、計り知れないでしょう」
「それはもちろん。わきまえているさ」
個人的には、未開の地に降り立って、彼らの文明を肌で感じ取りたいと思っているが、どんな事態を招くか分かったものではない。おれはヒミコに頷いてみせた。
おれと一緒に行動することになったガンマは、最初、構造が剥き出しの無骨な姿をしていた。しかしおれと一緒に歩き回っていく内に、サンプリングついでに物体を分解し置換し再構成して自らの体の材料としていった。数十分後には18歳くらいの日本人女性の姿に変貌していた。黒の長髪に、無比に整った顔。茶褐色の瞳の表面は常に濡れていて、妙な色気がある。しばらく背丈や顔の造形や肉付きなどが微調整されていったが、やがて一つの姿に定まった。白のタンクトップにジーンズという古き良きラフな服装だった。
「マスター、相談なのですが」
声帯も完璧に人間の女性に似せた結果、先ほどまでの合成音声とは全く違う生の声に変わっていた。
「相談?」
「ええ。マスターはもう少し大きいほうが好みですかね?」
そう言ってヒミコはタンクトップ一枚着ただけの胸元を指差した。おれは指一本で下からタンクトップを捲り上げてやった。白い肌と、小さなヘソがちらりと見えた。
「お前に興奮するようになったらおれはいよいよだ。どうでもいいよ」
「マスターは若い頃から女性にあまり興味がないように見受けられますが」
おれは宇宙放浪を始めた当初から、閉塞した空間に慣れていた。ワープ航行をして旅を続けるには一人旅以外の選択肢はなかったし、もし性欲が人並みにあったら毎年のように地球に帰還しなければもたなかっただろう。
「人体改造の副作用だろうな。生物としての強度が高まった代わり、繁殖欲が薄まったのかもしれん。……突然どうした? この200年間、こんな話、したことがなかったのに」
「もし、この星に知的生命体がいた場合、彼らにとって最初に接触する地球人が我々ということになります。少しでも魅力的な姿になっておこうかと思いまして」
この星の知的生命体がどんな姿なのかもわからないのに。おれはヒミコなりのユーモアだろうかと考えながら、
「おれの好みでいいのか?」
「もちろん」
「うーん……。参考になるか分からんが、おれが思春期の頃は、もう少し大きいほうが好みだったかもしれない」
「あら、かしこまりました」
おれとヒミコは探索もそこそこに、宇宙探査船に戻った。アルファは新しいプローブ機の調整を行い、ベータは地熱発電の準備の為、掘削作業を続けていた。アルファは腕が四本あったし、ベータは両腕が掘削機と放水機になっていた。それと比べるとガンマは人間以外には見えず、油断すると地球人と一緒にいる感覚に陥る。
おれはプローブ機がもたらす情報の海に意識を向けることにした。当然だが発見する植物や虫、小動物の全てが新種だった。しかし、この星の環境が地球に酷似しているせいか、発見する生命体も地球のものと似たものがほとんどだった。地球に似た環境ということは、この環境に適した生命のカタチも共通しており、結果的に繁栄する種は地球の動植物と似た特徴を持つようになるのかもしれない。
まして、知的生命体が存在する惑星だ。もしかすると、この宇宙で知的生命体が生まれてくるプロセスはごく限られたルートしか許されず、地球に似た環境が知的生命体の誕生に必須の条件となっているのかもしれない。
おれはわざわざ書類として出力されたデータを何度も眺めた。そうしているとあっという間に時間が過ぎていく。夜が来て、朝が来る。そしてまた日が暮れる。この星にはしばらく退屈しなさそうだった。ヒミコとたまにディスカッションし、知る喜びと気づかされる驚きを味わう。
これまでの200年はこのときの為にあったのだと思った。時が凍ったような宇宙船内の日々を思い出すと、今があまりにも充実し過ぎていて、過去の自分に申し訳なくなる。
おれは三日ほど寝ずに活動した。ここでの一日の長さは地球における一日の長さとほぼ変わらない。その間、久しぶりに経口で食事を摂った。ヒミコが用意してくれた流動食が主だった。さすがにこの星の食べ物を口にする勇気は湧かなかった。体調は万全だったが、眠気があり体がだるくなってきたので探査船内に戻り就寝することにした。
三日も経つと探査船は様変わりしていた。もはやこの船でワープ航行をする必要はなくなり、ワープ通信を成功させて救助を待つのみとなったので、大幅に増築していた。人間一人が寝そべるのがやっとだった大きさが、数十倍に拡張され、綺麗な寝台が用意されていた。
「マスターが幼少期を過ごされた21世紀半ばのインテリアを再現してみましたが、いかがでしょう」
アルファが言う。瀟洒な雰囲気の照明と壁紙に、作業用の机と椅子、本棚には黒い背表紙の本がぴっちりと収まっている。暖炉もあった。おれはそれらを見渡し、
「随分余裕があるんだな」
「お気に召しませんでしたか」
「物資や時間に余裕があるからって、変に気遣う必要はないんだ。必要最低限で構わない」
「申し訳ございません。これまで窮屈な旅を強制させていた反動で、どうしてもマスターには快適になっていただきたく」
「ん、ありがとう。とりあえず寝る。何かあったら遠慮なく起こしてくれ」
おれは寝台に横たわった。手足を伸ばして眠る違和感と戦ったが、結局は丸まって眠った。睡眠導入剤なしでスムーズに眠れるだろうかと思ったが案外うまく眠れた。
おれは夢を見なかった。見たのかもしれないがその内容を完全に忘れていた。起床するとすぐ脇にガンマが控えていた。白いワンピースを着ている黒髪の女性は、じっとおれの顔を見つめていた。その穏やかな表情はまさに人間のものと変わらなかった。慈愛の感情さえ読み取れる。
「おはようございます、マスター」
「ああ、ヒミコ。おはよう……。掘削の音が聞こえないが、地熱発電はどうなった」
「今、アルファとベータが機材の最終チェックを行っています。じきに発電を開始するかと」
「そうか。……ん?」
おれは思わず声を発した。ヒミコは怪訝そうにした。
「いかがしました」
「いや。音が聞こえないか?」
「音……? いえ、感知できません。周辺のプローブも特に気になるような音を検出していないようですが」
「そうか……。いや、聞こえる。人の声か?」
おれは立ち上がった。そして船内を見渡す。どこからか分からないが、確かに人の声がする。そして頭上を見上げた。
「――上だ!」
天井を叩く轟音、そして強力な合金で出来た屋根を破る圧倒的な質量。埃が舞い、おれは顔を腕でガードしながら、顔をしかめて何が天井を破って落ちてきたのか見定めようとした。
そこにいたのは人間だった。それも、地球人の感覚から言うと、13歳程度の少女。黒い道衣のようなものを着た、小柄な少女が、むっくりと体を起こすところだった。頭から血を流している。
「う、この星の、住民か……?」
おれは後ずさった。ヒミコも同じように後退する。少女の姿は不思議なほど地球人と酷似していた。そしてその栗色の髪と金色の瞳に、おれは見覚えがあった。すぐにはどこで見たのか思い出せなかったが、やがて探査船内で見た夢に出てきた少女だと気づいた。
「にゅう」
少女はそう言った。その後も何か言ったが、当然のことながら異星言語、内容を理解できるはずもなかった。少女は凄まじい勢いで落下してきたにも関わらず、けろりとしている。そしてその好奇心の塊のようなまん丸とした瞳で、おれとヒミコを観察し始めた。
かなり気まずい状況だったが、おれは安堵していた。その少女の瞳に宿る好奇心の光は、まさにおれたち地球人と同一のものだと感じられたからだ。おれたちはこの星の住民と仲良くやっていけるかもしれない。根拠の薄い期待だが、今はそれだけでも嬉しかった。ファーストコンタクトの感想が「こいつらとは分かり合えそうにない」だったら、おれはいよいよ宇宙船内にひきこもっていただろうから。