アドルノ
おれたちは探査船に戻った。探査船の改築は進んでおり、もう元の面影はなかった。一見すると木材を多用した普通の住居であり、まさかこれが宇宙の彼方から飛来したものだとは誰も思わないだろう。
中に入るとレダが作業机に向かっていた。黒い髪飾りを前に聖印作りに勤しんでいるようだ。彼女は彼女なりに、聖印作りに関して何らかの心当たりがあるようだが、うまくいっているようには見えなかった。
おれは三体揃っているヒミコを見渡した。
「反物質の備蓄はどうだ。ワープ通信はできそうか」
「可能ですが、地球座標の位置をまだ割り出せていません。正直、お手上げ状態です」
ベータが実際に両手を上げてみせた。おれはそれを下ろさせた。
「一か八か、ワープ航行で知っている宙域に辿り着けないかやってみるという手はあるが」
「ワープを二回分実行するだけのエネルギーとなると、相当な量の反物質が必要です。地熱発電だけで賄うには、年単位の時間がかかりますね」
確かに二回分のエネルギーを貯めるっ必要がある。ワープ先で漂流して野垂れ死ぬなんてことは避けなければならない。宇宙というのは恒星と恒星の間はあまりにスカスカで、エネルギーを備蓄できる宙域のほうがずっと少ないものだ。おれは大きく伸びをした。
「まあ、一応聞いてみただけだ。あんまり期待はしていないさ」
レダはぶつぶつ話し合うおれたちを睨みつけてきた。
「もう! うるさい、スズシロ! 作業手伝ってくれるんじゃなかったの?」
「ああ、分かってるよ」
おれはひらひらと手を振って応じた。おれはヒミコに向き直る。
「ヒミコ、あの場には大勢のギルドメンバーが集っていたわけだが……。他の聖印のデータはスキャンできたか」
「もちろん。それぞれの人物が持っている聖印らしきものの詳細なデータをマスターに送ります」
おれは脳内にデータを受信した。お守り、人形、紙切れ、本、儀仗、鏡……。それぞれの聖印は千差万別だった。そしていずれの聖印にも、付随する何かがあった。布の物品には布の、紙の物品には紙の、金属の物品には金属の付属品があり、それが聖印として作用する鍵のようだった。
「やはり、聖印それぞれの共通点なんてまるでないぞ。科学的アプローチで聖印を作るのは難しい。魔法使いしか聖印を作ることができないようだ」
「そのようです。が……、魔力が人体に毒であり、その毒を排除する役割を持つ聖印が、科学的に解明できないというのも奇妙なものです」
おれはヒミコの目をまじまじと見る。
「ヒミコはまだ諦めたくないようだな」
「マスターがやめろとおっしゃるなら、諦めますが」
「まさか。お前の不屈の精神には参る。色々試してみろ」
「はい」
おれはそれから、地球の座標であったり、村を襲ったイビルホークであったり、ダンジョンであったり、ギルドの三派閥であったり、様々なことを思い出しては考えたが、これから自分がすべきことは二つに絞られるだろうと結論した。
ダンジョン探索に一枚噛むか。情報を求めて皇都に向かうか。
両方同時にやろうと思えばできる。しかし皇都にもギルドの影響力はあるようで、おれはなまじグリ派と仲良くなってしまったので、皇都でのいさかいに巻き込まれる可能性がある。そこが懸念点だった。いきなり皇都に行くより、グリ派のヴァレンティーネだったり、色々世渡りに長けてそうなイングベルトに案内してもらったほうが良い気がしていた。となると、今からヴァレンティーネを追いかけるか、それともダンジョンでの決着を待ってからイングベルトに話をしてみるか……。
おれはそんなことを考えながらベッドに横になった。夜が深まり、朝がやってくる。おれが6時間ほど眠って、すっきりした気分で起床すると、レダがまだ作業していた。作業と言っても髪飾りを色んな角度からいじり、魔法的な何かの言葉をつぶやいているだけなのだが。ニュウは姉のすぐ横の長椅子の上でヘソを出して眠りこけていた。
「うまくいきそうか、レダ」
レダは目の下に隈を作っていた。10歳くらい老けて見える。もちろんそんなこと指摘はできなかった。
「さてね。私を焚きつけておいて、ろくに役に立たないあなたにはうんざりしてるけど、やってみせるわよ」
「それはすまない。見通しが悪かったようだ。ヴァレンティーネの持っている聖印の構造を真似ることができるが、レダ専用の聖印の構造となると、まるで見当がつかないんだ」
「そうね……」
レダは俯く。
「聖印作りには大きな工房が関わっている、っていうのはもう話したわよね? 聖印は、その人の思い入れのある物品に、魔法素子を加えて完成させるけれど、魔法素子の設計は魔法使いがやる。工房の人は魔法使いの要求通りにモノを作るだけ。だから、あなたが落ち込む必要はないわ。聖印ができないのは私の問題」
魔法素子というのはヒミコが以前命名したもので、聖印に付随する部品のことだが、レダの口からその単語が出てくるのは、翻訳の結果とはいえちょっと奇妙だった。おれはただ頷く。
「どうも、魔法というものは難しい。おれたちは独自の技術を持っているが、この国の魔法の難解さは参るね。最初の一歩さえ進めれば、一気に紐解けそうな雰囲気はあるんだが」
おれはそこまで言ってから、ふと、部屋の隅に目をやった。ヒミコが三体、並んで椅子に腰かけていた。膝の上には毛布が広げて置かれている。
「ヒミコ……?」
「あ。私が気づいたら眠ってたわよ。さすが三姉妹、寝相までそっくり」
レダがくすりと笑う。おれは脳内でヒミコに呼びかけた。返事はない。
ありえなかった。ヒミコが三体同時に休止するなんて。
探査船の管制AIであり、おれの助手役として働く人工知能ヒミコは、その主人格をアンドロイド三体に移し替えている。だからこの三体が同時に休止すると、船の機能が止まり、周辺のプローブのコントロールが自動で制御できなくなる。
おれは周囲を巡回するプローブにアクセスして様子を確認した。探査船周辺に展開しているプローブが制御不能状態になっている。おれは困惑し、自らの目で外の様子を見ようと歩き始めた。
外へと扉に手をかけようとしたその瞬間、その扉が開いた。おれの手は空を切り、そして目の前に立つ男に腕を伸ばす恰好になった。
そこにいたのは長身の男。おれの腕を掴み、バランスを崩したおれを優しく押し戻してくれた。男は黒のぼさぼさ髪に、茶褐色のコート、軍用と思われる物々しいブーツを着用していた。コートのポケットに手を突っ込み、中からプローブの残骸を引っ張り出す。
「これ、あんたのかい? ちょっと、鬱陶しかったから何個かはたき落としちまったが……。なかなか興味深いな、こいつは」
男は家の中をちらりと見た。中にいる三人のヒミコ、それから作業机から立ち上がってこちらの様子を見ているレダ、寝ぼけて寝言を言っているニュウなどが目に入ったはずだ。
「……この家も奇妙だ。見かけはただの家だが、見たことのない造りをしている。よくよく観察すると、どうやって建築したか分からんし……。家の内部にとんでもないエネルギーを感じる。あんた、異国の人かい?」
おれはぽかんとしていた。何か異様な雰囲気だ。おれは男の表情を読み取れなかった。おれに無関心なようでもあり、探るようでもある。
「え、あ、ああ……。スズシロという」
「私はアドルノという者だ。皇都の冒険者ギルド所属。未確認のダンジョンで死亡者が出たと聞き、ちょいと様子を見に行くところなんだが……」
アドルノ。昨日聞いた名前だった。ギルド三大派閥の内の一つ、アドルノ派というのがあったはずだ。そこの長。ヴァレンティーネは加えて、アドルノという男が国内最強の魔法使いだと話していた。背後で作業していたレダが、息を呑む気配がした。彼女も驚いているようだ。
目の前の平凡そうな男が、そのアドルノ。思ったよりも若い。おまけに覇気もない。しかし底知れない何かを感じる。おれは緊張している自分に気づいた。
「悪いな。あんたのモノを壊してしまった。謝罪と、弁償をしに来た。あと、これが何なのか教えてもらえると嬉しいが」
「謝罪も賠償もいらないさ。その代わりそれが何なのかは聞かないでくれ。おれの国の魔法道具とだけ言っておく」
「魔法道具? 別に話したくないなら構わないが、そいつは嘘だな。これに魔法技術は込められていない」
アドルノはプローブを家の入り口に静かに置いた。
「なにせおれの魔法で干渉できなかった。物理的に撃ち落とすしかなかったわけだが……。中を見たが精緻な部品が多数。それでいて極限まで無駄を削ぎ落としたデザイン。魔法を使えばもっと冗漫で妥協の多い造りになりそうなものだが、頑なに魔法を使わずに空を飛ばすという執念さえ感じられる」
おれはアドルノの観察眼の鋭さに舌を巻いた。この男は魔法使いというだけではない、技術というものに関心があるようだった。おれは一歩下がり、こんなときにヒミコが眠っていることに焦りを感じていた。
ヒミコが休止しているのは偶然ではない。アドルノが何か仕掛けたと見るのが妥当だった。おれは冷や汗をかいていることに気づき、固めていた拳をゆっくりと開いた。
「……おれは職人じゃない。そこで眠っている女性三人の合作でね。おれにはさっぱり」
「眠っているのか?」
「ああ。お疲れのようだ」
アドルノはヒミコを不躾に観察し、それから足元のプローブ機に視線を落とした。
「ふむ……。関係があるか分からないが、おれは、この小さな飛行物体を撃ち落とすのに効率的な攻撃方法を発見してね。雷魔法の一種だった」
「……?」
「と言っても、雷をそのまま撃つのでは破壊力があり過ぎる。雷が落ちると、周辺の磁場が乱れることは知っているかい? コンパスの針が狂うんだ。その磁場の乱れが、この飛行物体に悪影響を及ぼすことに気づき、広範囲にばらまいてみた」
おれはアドルノが魔法ではなく科学の話をしていることに気づいた。咄嗟に気の利いたことが言えない。
「そんなことができるのか?」
「できる。海外の魔法研究者に教えてもらったんだが……、この魔法、人体にも悪影響が出る可能性があってな。そこの三人の女性、もしかすると私の魔法が原因かもしれないと思って」
アドルノの目は抜け目なくヒミコたちの様子を観察している。おれはこれが罠だと思った。おれはゆっくりと首を振った。
「重ねて言うが、疲れて眠っているだけだ。あんたの魔法が原因ではない」
「それならいいんだが」
「もちろんだとも。弁償も謝罪もいいから、そろそろ出てってくれないか。朝食がまだなんだ」
「ああ、済まない」
おれはアドルノを押し出した。すると、家の外に一人の少女がぽつんと立っているのを発見した。アドルノはおれに押し出されながら、
「ああ、彼女は私の弟子だ。私の趣味は弟子の育成でね。毎年数人の弟子の面倒をみることにしている。今年はまだ、有望な弟子候補が一人しかおらず、絶賛募集中なんだが」
「そうかい」
少女は仏頂面だった。最初おれのほうを睨んでいると思ったが、実はアドルノのほうを睨んでいるようだった。大きなリボンを頭のてっぺんに付け、着ている服やアクセサリーは寒色系のだぼっとしたローブ、輝く赤毛は朝日を浴びて燃え上がるかのようだった。頬を膨らませて、歩き始める。師匠を置いてさっさと先へ進んでいく。
「ああ、弟子が行ってしまう。彼女、マジメな性格でね。人様のモノを破壊した私を睨み、道草を食う私をさらに睨み、我慢の限界を超えかかっているようだ」
「……ダンジョンは既にグリ派とモル派が争ってるぞ。今更行っても間に合わないだろうが、一応急いだほうがいいだろう」
おれが言うと、アドルノはおれがダンジョンの事情を知っていることに驚く素振りも見せず、
「発見者権利の件か? それはどうでもいい。私は通報があって、様子を見に来ただけだからな。問題なくダンジョンの魔物が駆逐されるなら、それでいい」
アドルノは去ろうとした。おれはこれ以上余計な声をかけず、そのまま消えていくことを願った。しかしおれの背後で、探査船の扉が開く音が聞こえた。
レダだった。不自然なほど顔を真っ赤にしている。先を行っている弟子の少女が、鬱陶しそうに振り返った。
「あの!」
レダの声は上擦っていた。
「この近くの! 村の防壁! あの……、10年くらい前! 村に防壁を築いてくれたのは! あなたですよね!?」
レダが子供の頃、村を救ってくれた旅の魔法使いの話。おれはそれを思い出した。アドルノは曖昧に頷いた。
「そう、かもしれないが……。きみは村の子?」
「はい! 皇都で魔法を学びました! あの……。あなたに憧れて! で、弟子を募集していると聞きました! わ、わた、私はどうでしょうか!?」
おれはぽかんとして成り行きを見守っていた。アドルノはしばらく黙っていたが、ゆっくりと探査船へと戻っていった。
そしてレダの前に立つと、彼女が手に握っていた黒い髪飾りに触れた。
「聖印」
「は、はい?」
「聖印を作ろうとしているな。ギルドにおいては大罪だが、私はそれを咎める気はない。むしろ八割方成功していることに驚いている。後の仕上げについて、一つ助言だ」
アドルノがレダの耳元で囁いた。レダは目を見開いた。そしてアドルノは踵を返す。
「弟子については、きみは条件を満たしていない。残念だが際立った才能を感じない……、しかし聖印作りを成功させたなら、きみは一つ上の段階に進めるだろう。そのときのきみがどれだけ輝いているか、見させてもらおう。どうか私の目が節穴だったと思わせてくれ。魔法の才能と一言で言っても、様々なカタチがある。きみは私が見たことのない種類の才能を持っていた。その可能性だってあるわけだからね」
アドルノは弟子と共にこの場を歩み去った。レダは紅潮した頬そのままに、探査船に戻った。そしてまた聖印作りに戻った。おれは探査船に戻り扉を閉め、ヒミコたち三人に近づいた。起動を試みるとあっさりと瞼を開けた。
「ヒミコ、何があった?」
おれが訊ねると、アルファがゆっくりと首を振った。
「申し訳ございません。あまりにも無防備な状態でした。電磁パルス攻撃の一種とみることができます」
「そんなことをあのアドルノがやったのか?」
「はい……、種々の回路がバーストして、修復し、情報処理をするのに時間がかかっていました。以後は脆弱な部分を改めておきます」
「対策できるなら何よりだが……。衝撃みたいなものは感じなかったが」
「魔法だから、としか言いようがありません。周辺のプローブ機はほぼ全滅しているようです。回収してきますね」
アルファが探査船を出て行く。おれはどっと疲れて、ベッドの上に腰かけた。それからゆっくりと横たわった。
あの男、アドルノ。口では謝罪だの賠償だの言っていたが、最初からこちらに攻撃的だった。おれがダンジョンについて言及しても驚きもしなかった。
おれがグリ派と繋がったことを事前に知っていたからあんな態度だったのかもしれない。ギルドの大幹部の一人だ、それくらいの情報は持っていてもおかしくはない。その上で、おれの素性が不明だったから探りに来た……。
考え過ぎだろうか? レダの村を守ってくれた魔法使いが、あのアドルノだった。悪い男という印象はない。しかし味方という気もまるでしない。
おれはレダの聖印作りの行方を見守ることにした。これは予感だが彼女は成功させる気がした。この国一番の魔法使いの助言を受けて、彼女の集中力はいよいよ限界を突破しようとしていた。




