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幽霊


 人間は脳の指令によって動く。

 神経細胞の情報伝達は電気によって行われる。

 つまり人間は電気で動く。雑に言えばそうなる。

 

 かつて無数に存在したオカルト話の大半は、人類が科学の剣を振りかざして所構わず走り回った結果、消滅してしまった。

 この宇宙に宇宙人はそうそういないし、地底人は地球の中に住んでいないし、UMAのほとんどは突然変異だったり病気で姿が一変した既知の野生動物だった。


 では現代において科学を信奉する人は幽霊についてどう考えているのかというと……。その正体は電気だった。

 人間は脳でモノを見、聞き、感じる。脳に異常が生じたら簡単に幻覚が生じる。事故で頭部を激しく打ち付けた人間が突然「人のオーラが見えるようになった」と霊能力者を自称するようになるのは、本人が嘘をついているからではなく、実際にそのように見える異常が脳に生じてしまったからだ。


 その脳の異常は環境によっても簡単に生まれる。磁気に異常が生じている場所、つまり心霊スポットと呼ばれるような場所では、異常な磁気に、人間の脳の神経の情報伝達に狂いが生じ、幻覚を見たり、あるいは副交感神経などを刺激して突然興奮したり青褪めたりする。電子機器は磁力に弱いので、心霊スポットにそういったものを持ち込めば狂いが生じるのは当然の話だ。


 では、幽霊というものは存在しないのか? というと必ずしもそうではない。幽霊の正体が電磁気に関わっている、というだけで、なぜ異常な磁気の乱れが生じるのかという問いには答えられていない。


 人間が持ちうる最も激しい感情は、死への恐れであろう。死の間際となればそれは最高潮に達する。

 生き物は死を忌避して動くようにプログラミングされている。人間も例外ではなく、死に際し脳活動は限界を超えて活発になるはずだ。

 その強烈な思念が、何らかの理由で周辺の電磁気に乱れを生じさせ、心霊現象を引き起こすスポットを作り出す。


 これが幽霊の正体であるならば、幽霊は存在すると言うこともできる。なぜなら、そのスポットを訪れた人間は、そこで死んだ人間が作り出した思念の影響を受けるからだ。

 強力な思念なら鮮明なイメージを訪れた人間に与えるだろう。思念に敏感な人間は霊能力者となり、そこで起きた出来事をある程度言い当てられるかもしれない。


 人間は世界を理解するのに脳を介するしかない。その脳に影響を与えてくるならば、幽霊は存在すると言える。

 今、アポミナリアはまさにその幽霊のような存在となっている。


 この星の聖印の一部となり、魔力を自在に操っている。魔物を生み出し、おれたちを攻撃している。

 そこにあるのは最も強力な感情、つまり生存本能。死への恐怖。ひたすら自衛のために暴れ回っている。

 その大本は、今アドルノが触れている“何か”だ。アポミナリアが変容したそれは聖印の一部となっている。


 それを破壊することはもうできなかった。アドルノが制御しつつある今の状況ではかえって魔力の暴走を生み出しかねないし、そもそも壊せるのかどうかも分からなかった。事前にアポミナリアが星の聖印化の為の準備をしていたのは明らかで、反物質の爆発を間近に受けても破壊されなかった何かがそこにある。


 人と魔物と機械が入り乱れる戦場の中、おれはまともに動くことができない。

 戦いそのものはおれたちが圧倒的に優勢だったが、それでも魔物にやられる人間もちらほら見られた。

 すぐに無人兵器が怪我人を回収し空へと飛び立ったが、空にも有翼の魔物がひしめいていた。


「アドルノを守れ! 彼ならやってくれる!」


 膨大な計算量を機械に押し付けても、結局頼りになるのはアドルノの天性の勘だった。

 アドルノの腕に、ヒミコの腕が接続している。彼の義肢はヒミコが作ったもので、あらかじめ簡単に接続できるように端子が隠されていた。

 アドルノの体を支えるようにヒミコが彼の隣にいる。アドルノはヒミコを介して、おれに話しかける。


《スズシロ……。仮に私が失敗しても恨むなよ》


 予想以上に弱々しい声におれは不安になった。


「なんだ。弱気だな。お前以上の適任はいないだろう」

《本当は、私はここに来るつもりはなかった。弟子たちを人間に戻せた時点で、私は満足だったんだ……。しかし、私たちのところにニュウが来てな》

「ニュウが?」


 アポミナリアに追われて転移魔法を連発した後、ニュウとは別れたが、彼女はすぐにアドルノのもとへ向かっていたのか。


《彼女はおれをここに連れて来た。理由も話さずに。強引にアヌシュカもついてきたが……。最初は戦いの決着を報せるためかと思っていたがそうではなかった。まだ私にも役割があるということだった」


 アドルノの声に生気が戻ってくる。やるべきことを目の前にして、魔族の庇護者から純然たる魔法使いへと意識を変えつつあるのかもしれない。


「もしかして、ニュウは未来を見て……」

《私以上の適任がいない、そう思って連れて来たのなら光栄だ……。ありえないことだが、私がこうして半分機械となって生き長らえたのも、この瞬間のためだったという気もしている》


 おれはリーゴスのダンジョンで起こったことを思い返しながら首を振った。


「それは、ありえないな……。だがアドルノがいなければ聖印の制御は不可能だっただろう。ニュウでも不可能だった」

《人生に無駄なことなどないな。腕を失ったからこそ得られたものがあるというところか。少なくとも、前向きに生きていく上では有益な考え方だ》


 自嘲気味にアドルノは言う。おれは苦笑し、


「で、やれそうか?」

《さっきは弱気なことを言ってしまったが、やれそうな気はしている。私に無理なら他の人間にも無理だろうなという気もする》

「ふふ、それでこそアドルノだ」


 アドルノとの会話が途切れた。魔力の濃度が、瞬間的に急上昇した。

 しかしすぐに戻る。いや、通常の水準まで一気に下がっていく。

 魔物の出現がやんだ。増援がなくなると、魔物との戦いは急速に終息していった。

 

 辺りには静けさが訪れた。おれはへとへとになったイングベルトをおれがさっきまで使っていたベッドのほうに投げると、大穴に近付いた。

 魔物の死骸、破壊された機械の残骸を飛び越え、穴を覗き込む。

 アドルノは穴の底でぐったりとしていた。ちょうどヒミコが彼を抱き上げるところだった。


「ヒミコ。やったのか?」


 ヒミコはよほど疲弊したのか、すぐに返事をしなかった。ぎこちなくおれのほうを見上げる。

 

「……マスター。しばらくは機能が低下します。少々無理をし過ぎたようでして」


 声がいつもの調子と違った。滑らかな口調が失われ、人工音声らしさが顕著になっている。


「冷却期間が必要か?」

「私もですが、本体のコンピュータの一部の回路が焼き切れたようです。現在、アルファが修復に動いてくれていますが、相当時間がかかるかと」


 さすがに一筋縄ではいかなかったか。おれは手を差し伸べる。


「分かった。よくやってくれた。聖印の制御は完了したんだな?」

「いえ……。それが……。一切の干渉を受け付けなくなりました。今どうなっているのか不明です」


 おれはぞっとした。思わず周囲を確認する。

 魔物の出現が止んでいる。アポミナリアも健在というわけではないようだ。しかし勝利宣言にはまだ早い。


「……田中! 周辺の警備を厳重にした上で、一帯を掘り進めようと思うんだが、どう思う」


 おれの呼びかけに、タナカはすぐには反応しない。ラグなんてほとんどないはずだが、様子はおかしい。


《……鈴城。聞こえているか》


 音声に雑音が入っている。おれは頭に手を添え、タナカの声に集中した。


「ああ、聞こえている。静かな今のうちに、徹底的に聖印の制御を進めたい。地面を掘り進めてスペースを確保し、グリゼルディスやモルに聖印を制御してもらう。いいな?」

《……私にはお前の声が聞こえていない。勝手に話す。今、宇宙船は襲撃を受けている》


 おれは衝撃を受けた。襲撃? 安全な場所で控えていたはずのタナカが危機に晒されているのか?


「田中……、誰から襲撃を受けているんだ? 答えろ!」


 しかしそれにも返事はない。聞き取りにくい報告が二、三続いたあと、


《……どうも助かりそうもない。申し訳ない。お前の相棒のヒミコも、これまでのようだ。せめてアルファとガンマだけでも逃がす》

「おい、田中! 今どんな状況だ! 言え! 船なんかどうでもいいからお前も逃げろ!」


 おれは叫びながらもう一度穴の中を覗き込んだ。

 ヒミコがアドルノを抱えたまま停止している。微動だにしていない。本体のほうに異常があったか、通信不全か……。


《聞こえているか、スズシロ。アポミナリアは追い込まれている。だからこそ奥の手を出してきた。つくづく用意周到な奴だ。しかし一時しのぎに過ぎない。私はお前の勝利を信じているぞ》


 タナカの声には不思議な明るさがあった。開き直りと言っていい。諦めた人間特有の空元気、上擦った声におれは唇が震えた。


「た、田中……?」

《私の人格のコピーは地球に残してある。今回の騒動で破損していなければいいが……。お前の資産は契約通りきっちり守ってやる。だからそう心配するな》

「そんなこと……」


 どうでもいい。しかし、タナカにとってはそうでもないのだろう。

 通信が途切れた。辺りは静かだった。おれは呆然としていた。

 ヒミコとデータを共有しようとしてもうまくいかない。メインコンピュータがどうなっているのか、確認する術がない。

 これまでイフィリオスを包囲する機械のネットワークに自由にアクセスできたがそれもできない。目をもがれたようなものだった。


「アドルノ様!」


 アヌシュカが穴に到着し、魔法で軽々とヒミコもろともアドルノを引き揚げた。

 ヒミコはもう動かなかった。完全に停止している。メインコンピュータと接続が切れても自律行動できるはずだが、相当な負荷がかかったのか、故障しているようだった。

 アドルノは息があった。アヌシュカが彼にすがりついている。


 おれは今どんな状況なのか把握していなかった。アポミナリアがタナカを襲撃したのか? 聖印化の制御でアドルノと争い、夢の中の世界でニュウと戦い、その上で田中を襲撃した?


 無人兵器たちの動きが徐々に狂いだす。ヒミコという統率者を失った兵器は自律行動に切り替わり、機能が制限されている。この状態では戦闘能力は半減だろう。


 この戦いがどう決着するのかおれには予測がつかなかった。アポミナリアの悪意に覆われたこの星で生きていく自信がなくなった。先ほどまでとはうってかわって静寂に包まれたかつての戦場には、死の気配が色濃く広がっている。


 遠くの空で巨大な閃光があった。

 爆風で遥か彼方の木々が激しく揺れている。

 おれは衝撃に備えて瞼を閉じた。

 願わくは、もう一度この瞼を開いたとき、この戦いが無事に決着していて欲しいと思った。おれはヒミコという心の拠り所を失い、全身の力が抜けていた。


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