敵と味方
電子機器の精度は半導体の挙動にかかっている。
例えば長らく半導体の主役として産業を支えたシリコンは、普段は絶縁体と似た働きをするが、不純物を加えることで導体と似た性質を持つようになる。
不純物と言っても何でもいいわけではなく、不純物が余計に電子を持っている場合、逆に電子が不足している場合とで挙動が異なり、これらを組み合わせることで整流作用を得て電気の流れをコントロールしている。
しかし突如としてこの世界に現れた魔力は電子機器の天敵だった。物質の隙間に入り込み、不純物として半導体の中に溶け込み、挙動を異常にさせた。
おれもイフィリオスで電子機器を製造し活用していたが、あれはイフィリオス産の素材を使っていた。元々魔力が存在した世界と、存在しなかった世界とで、ミクロの世界の挙動が変わってくる。
この世界の魔力が徐々に濃くなってくる。イフィリオスにおいても地上の魔力濃度は非常に希薄だった。地球となればイフィリオスの地上の魔力濃度の更に数万分の一といった程度だろう。
しかしそれでも世界中に異変が生じ始めている。電子機器が故障し、暴発し、世界中のネットワークが寸断され、電子制御されているモノ全てに不具合が生じている。まだ致命的な事故が起こっていないのは複数の演算装置が監視し合う重厚な制御システムを、特に事故に直結する機関や乗り物や工場に採用しているからだった。
「シンカイ。どういうことだ」
転移先の陸地――どこか分からない波止場で、おれはシンカイに尋ねた。彼は銃に付着していた水滴を払い、懐に入れた。
「魔王を殺しました。地球人類全ての意向です」
さも当然のように彼は言う。悪びれる様子は全くない。
「おいおい、勝手に人類の代弁をするな。いかれてるのか。どうしてお前がこんな権限を持っている」
「本来、ハッキングなんて不可能なのですが、今は魔力の流入で脆弱な部分が多々ありましてね。田中先生が株売買で使用しているコンピュータで、宇宙軍の管制システムに侵入を試みたのですが」
何でもないように言うがミスをすれば問答無用で逮捕されるようなことをしでかしている。この男はこの時点で相当な冒険をしている。
おれはシンカイから狂気を感じ取った。
「……何のために?」
「何のために? この世界の外敵を全て排除するためです。イフィリオスなんて全て滅ぼせばいい。あそこから生まれ出た全てを拒絶すべきだ。箱庭の中の人形なら、まあいい。しかしあそこから漏れ出た魔力、魔王、そして今も海洋を漂っている魔物。あんなものがあるくらいなら滅ぼしたほうがいいでしょう。当然の決断だ」
特に熱を帯びるわけでもない淡々とした口調で彼は言った。おれはまじまじとシンカイを見つめる。
「……お前、何者だ? 田中の護衛でしかない人間が、そんな大層な思想のもと、大胆な行動を取れるはずがない」
ふふふとシンカイは笑った。そんな彼を、シバが近くで唖然とした様子で見ていた。
「何者かですって? 鈴城様も、そして田中先生も、自分たちが周囲からどのように思われているのか理解していないようだ。いまどき、生身の躰で宇宙探索をしている者なんてほとんどいない。大体はワープ航行の高負荷に耐えられず数年で廃人と化すか、引退する。不死者としての改造を受けた旧時代の人間しか、宇宙探索することは不可能です。そして現代においてその改造手術は、秘密裏に国家が一部の兵士に施しているくらいで、民間では根絶した」
「つまり、おれと田中の宇宙探索活動を最初から妨害するつもりで田中の護衛を始めたってことか?」
この行動力、そして護衛の長に任ぜられるほどの高い能力は、個人的な行動ではない。
宇宙探索、そしてエイリアンの襲来に恐怖し排除しようとする組織なんて地球には山ほどあるはずだ。
日頃からおれたちの行動にはヘイトが向かっていたということか。
「別に、あなたが異星を発見しなければ何もしませんでしたよ。良い働き口でしたしね。しかし田中先生があくせく動くようになり、魔法の存在が明かされたとき、私にはもう迷いはなくなっていました。第一優先は外敵の排除。そしてその次は、異星と繋がろうとする人間の排除です」
致し方ない。そう言いたげに彼はため息をつく。おれは最初からこの男とはけして相容れることはなかったのだと悟った。
「田中をイフィリオスから出られなくしているのはお前か?」
「こちらからの連絡を途絶させたのは俺です。向こうから連絡が来ないということは、アポミナリアが暴れているのでしょう」
もしかするとタナカの命はもうないかもしれない。優先的に狙われるはずだ。
「……お前もニュウを害するつもりか?」
「滅ぼす、と言いましたよね。女子供は関係ない。あんな世界があるのなら全て潰すしかない」
「次元の壁を再構築すれば、魔法はこの世界から消える。それでいいだろうが。むしろ、イフィリオスを滅ぼせば魔法を御する方法がなくなり、地球はずっと不確かな魔力の存在に怯えながら過ごすことになる。大きく文明を後退させるだろう」
アポミナリアとエイシカの案に乗ることになる。もちろんそのときはおれが地球と永遠の別れを告げてイフィリオスに戻り、アポミナリアと戦うことになるが……。
「そうはなりませんよ。魔力の源泉はイフィリオスにあるのですから」
「源泉……」
「観測結果からそれは明らかです。田中先生もそれが分かっているから自ら乗り込んでいちはやく調査に乗り出した。ダンジョン内と地上とで、魔力濃度が大きく違いましたね。魔力を生み出す何かがダンジョン内、いやもっと根本、ダンジョンをダンジョンたらしめている中枢部分にある」
曖昧な言い方だった。そんなものがあの星にあるのだろうか。魔力そのものは、あの宇宙全体に広まっているようではあった。
「それさえ破壊すれば魔力もなくなると?」
「人類の技術力をもってすれば、いまや惑星を一つ破壊するくらいワケはない。大量の反物質を製造し、各所で反応させたらそれで終わりです」
そのときの様子を想像しておれは吐き気がした。風船を針でつついて破裂させるくらいのノリで言ってくれる。
「阿呆が……」
「言っておきますが、けして少なくない数の人間が俺と俺の組織の行動に賛意を示すでしょう。上っ面では俺を非難しつつも、可哀想だけどイフィリオスの人たちがいなくなってくれて良かった、そう思う人が大勢いるはずだ。なにせ世界は魔法の存在で大混乱に陥る。次元の壁の構築などという不確かなモノには頼れない。まして、おぞましい魔王が主導しているとなれば、信用などできませんよ」
「言いたいことはそれくらいか」
そう言ったのはおれではなくシバだった。シバがシンカイに近付いていた。素早くナイフをシンカイの脇腹に突き入れる。
軟体生物のように体をくねらせたシンカイは、シバの襟を掴んだ。そのままぐいっと自らのほうに引き入れ、足を払い倒す。
倒れたシバの鳩尾に肘を入れ、悶絶させた。シンカイは素早く立ち上がり、肩を竦める。
「斯波さん。危ないなあ。防刃ベストの隙間を正確に狙ってましたね。遅過ぎて話になりませんでしたが」
おれはシンカイの動きに違和感があった。普通の人間ではない。こいつも改造手術を受けている。それもちょっといじってみたというレベルではない。
おれと同等、もしくはそれ以上に体を機械部品に染めている。アンドロイドに人間判定を受けられるギリギリの水準まで改造している。
「……ヒミコ、気づいてたか?」
ヒミコはニュウを守るために彼女を抱きかかえながら、首を振った。
「いいえ。プライバシー関連の規定で個人用人工知能が一般の方をスキャンすることは禁じられています。機械判定はエリア各所のモニターが行っていますが、一度人間判定を受けた方へは手出しできません」
「そうか……。こいつが人間なら、お前もこいつを攻撃することはできないな」
ヒミコはゴミでも見るかのような目でシンカイを見た。
「ええ。しかしマスター、相手は明らかに軍人です。改造傾向も戦闘用に特化しているように思われます。仮にマスターが戦ったとして、勝ち目はほぼありません」
「おれが銃や格闘術を使ったら、そうだろう。だが」
おれは手をかざす。蓄積された魔法の知識を発現するのに、おれの体は土台としての機能を十分有していた。
シンカイの足元に火花が散る。だが、シンカイもタナカを介して魔法の知識を得ているのに間違いなかった。そう慌てることはない。
「鈴城様。あなたが大した魔法を使えないことは分かっています。ましてここはイフィリオスと比べて魔力が薄い。相当魔法に熟達していなければ十分な威力を得られないでしょう。本気で俺とやりあうつもりですか」
「お前がニュウを殺そうとする限り、当然の話だろうが」
シンカイは少し呆れたようにおれを見下ろす。
「仮に俺に勝てたとして……。既に俺の仲間が動いています。きっと絶望することになりますよ」
「もう黙れ」
おれは突進した。シンカイはあえて武器も何も持たずに構える。
再び彼の足元で火花が散った。それは渦を巻いて炎となり彼を下から襲った。
シンカイは素早くステップを踏みそれを回避した。おれに向かって蹴りを繰り出す。
その蹴りの威力は凄まじく、おそらくは単純な蹴りの威力に加えて彼の脚の内部の機構によって勢いが増していた。彼の体のいたるところにそういったギミックが仕込まれているに違いなかった。
おれの体はボールのように弾み地面を転がった。痛みで一瞬息ができなかった。すぐに痛覚を遮断する。
おそらく、普通の銃ではダメージさえ負わせられない。だがシバのナイフを一応警戒したところからして、無敵というわけでもないはずだ。おれは息をついて立ち上がる。
シンカイは小さく笑っていた。
「そんなちゃちな魔法で俺を殺す気だったんですか?」
「いや」
おれは姿勢を正し、シンカイを睨みつける。
「では、どうするおつもりだったんです?」
「こいつは普通の人間じゃないってことを、示す必要があった。手加減はいらない。それだけさ」
「……はい?」
ニュウがヒミコの腕から離れて手をかざしていた。シンカイの体が宙を浮く。
彼は必死にもがいたがどうすることもできなかった。ニュウの指先一つでどこへでも行ってしまう不安定な状況。
シンカイは少し焦った様子だったが、やがて抵抗をやめ、おれに不敵な笑みを見せた。
ニュウの力の前では最初からシンカイに勝ち目はなかった。彼にもそれは分かっていたはずだ。
「参考までに、鈴城様。これからどうなさるおつもりですか。田中先生を助けに行くのですか?」
彼から余裕を奪い取ることは難しかった。ニュウの意のままに空中でひっくり返ったり回転したりしているのに、声は落ち着いている。
「田中か……。ニュウのついでに、助けてやってもいい」
「既にイフィリオスには軍船が何隻か向かっていますよ。魔王エイシカを地球に差し向け、田中先生を攫い、地球へ宣戦布告をしたのですから、それなりの対応をしなければ」
おれはニュウに指示を出し、シンカイとまっすぐ向き合えるように移動させた。
「何を言ってる? そんな世迷言を……。誰が信じるというんだ」
「それがですね。地球に起きている異変も、魔力の基本的な性質によるものではなく、イフィリオス人の魔法によるものだと説明したところ、それを信じる者多数でして。いずればれる嘘ですが、今は有効なようです」
信じられなかった。魔法に関する情報はタナカを通じて公開すればいい。そうすればそんな嘘はすぐに露見するし、無意味なことだと分かる。だが、それでもシンカイたちはイフィリオスを潰そうと躍起になっている。
「だが……。それでイフィリオスを滅ぼすほどの措置に出るとは思えない。地球にとって最初の異星文明だぞ」
「だからこそですよ。夢もロマンも全て捨て、異星文明との交流なんて戦争以外にないと、認識を改めることになります。それでいいのです。もちろん、このままならイフィリオスを滅ぼすことはないでしょう。あくまで、このままなら、ですが」
おれはシンカイを睨みつけるしかなかった。シンカイは心底愉快そうに笑みを浮かべる。
「何を企んでいる? おい、ニュウに転がされたくなかったら全部吐け」
「俺は既に役目を終えています。外敵の排除……。きっと俺のこの行動は後年評価されることでしょう。いや、評価されなくとも別にいい。この地球が地球人のものである限り、それでいい……」
シンカイは瞼を閉じた。一瞬で眠りに落ちたように見える。もうぴくりとも動かなくなった。抵抗も何もしない。
ニュウが彼を地面に下ろした。ヒミコが怪訝そうに彼を見る。そしてゆっくりと首を振る。
「……息絶えています」
「なに?」
おれはシンカイに近付いた。体に触れる。体が急速に冷えていくのを感じ取った。心臓の鼓動もない。
「生命システムを強制停止したようです。毒物も外傷も必要ない。生命活動を機械に管理させている以上、自殺するのに必要なのはキルスイッチ一つだけ、ということですね」
「自殺……」
ニュウがヒミコの服の端に掴まって震えていた。おれは近くで倒れているシバに意識があったので、彼女に呼びかけた。
「おれはイフィリオスに戻る。おれの考えが甘かった。悪いな、斯波。後処理を頼む」
シバはなんとか体を起こし、おれに頭を下げた。
「鈴城様……。戻って何を……?」
「とりあえずアポミナリアと決着をつける。その後のことは……。おそらくおれはイフィリオスの味方になる。それが地球にとって敵となることを意味するかどうかはまだ分からん」
「……幸運を祈ります」
「ありがとう」
おれはニュウとヒミコを連れて歩き始めた。地球とイフィリオスがどのような関係に帰結するのか、まだ未知数だった。シンカイたちの工作活動が功を奏し戦争が始まるのか、それとも地球人類は理性的な選択をするのか。
世界的な混乱が生じ始めている。現在位置を把握するだけで時間がかかった。徐々に電子機器がダウンしネットワークも不安定になってきている。緻密に組み上げてきた地球文明の数々の発明が土台から崩れつつあるようだ。
「マスター、どうやってイフィリオスへ行くのです? ニュウの転移魔法でもさすがに無理ですよ」
ヒミコが柄にもなく辺りをきょろきょろ見回しながら言う。おれはそんな彼女の挙動がこの状況においては仕方ないこととはいえおかしかった。
「今なら、異世界へは宇宙船でギリ行けるはずだ」
「その宇宙船も不具合が生じる可能性が大なわけですが……」
おれはヒミコの肩を軽く叩いた。
「お前が管制しろ、ヒミコ。どういうわけかお前の中枢部分はイフィリオスの素材を一切使用していないにも関わらず不具合を起こさなかったな」
「ええ。魔力が不具合を起こすほど機械に入り込む前に、ガンマが聖印化したのが良かったのかもしれませんね。あるいは、我々だけはニュウの召喚に応じたことで特別な加護を受けたのかも」
おれは顔をしかめた。
「加護? お前らしくない語彙だな」
「魔法を理解する上で用いる“公理”には、魂だの不完全性だの加護だの、そういった単語が頻出するのですよ」
おれたちは再びイフィリオスへ向かう。もう二度と地球には帰ってこられないかもしれない。この大地を恋しくなることもあるだろう。しかし後悔はなかった。おれの魂はとっくの昔に宇宙に吸い上げられ、そして今イフィリオスに根付こうとしている。それがおれには分かっていた。




