地球へ
《……そうか。ニュウを狙っている奴がいると》
タナカ宅は広大な敷地を誇り、緑地化域では天蓋に青空と模擬太陽まで用意して、まるで地上の邸宅のような風情を実現していた。
ワープ通信可能な設備を普通の通信機のように備えている家は少なく――というのも科学技術が進んでも反物質の取り扱いは一般人には許されておらず、ワープ通信の莫大なエネルギー消費量に対応できるのは実質反物質炉しかなかったので、タナカ宅でイフィリオスにいるタナカと連絡を取れるのはありがたかった。
専門業者にワープ通信を委託する選択肢も当然あるのだが機密性の面で問題がある。量子コンピュータの実現は暗号技術に新たな洗練されたアイディアを要求したが根本的な解決策はいまもなお見つかっていない。量子暗号ですら情報の扱いによっては安全とは言えない。
おれは地球にどんな組織が蠢いていて、何を狙っているのか、その辺の事情に疎かった。
タナカには何か心当たりがあるのではないかと思っていたのだが、
《心当たりならある。リストにしようか》
「……リストにできるほど心当たりが多いというわけか?」
タナカはくぐもった笑い声をあげた。
《冊子にしたら、百科事典くらいの厚さになるだろうな。しかし、なかなか出し抜けないものだ》
「おい田中、ニュウを地球に寄越した理由を話してもらうぞ。わざとなんだろう?」
一瞬の沈黙の後、
《謝罪はしないぞ。元々はお前が蒔いた種だ。お前が居眠りしている間に諸々を仕込ませてもらった。と言っても、私がやったことといえば、ニュウがお前と一緒に行きたがっているのを見過ごし、お前の相棒がさっさと出発したがっていたのを、数分足止めしたくらいだがな》
ヒミコに確認すると、確かにイフィリオスから地球へ出発しようとしたとき、つまらない確認事項を延々と復唱させられたという。
「……てっきりそういう古めかしい流儀の方なのかと」
ヒミコが反省する中、おれは舌打ちした。
「おれが蒔いた種だと? どういうことだ」
《地球に起きた異変だよ。おそらく、お前がイフィリオスに渡ったその瞬間から、異変は生じていた。次元の壁はそこを誰かが越えるたびに緩く、曖昧になっていく。そこを越えるコストが低くなっていく。いずれはこの宇宙と向こうの宇宙は同質化するだろう。魔法がこの世界を侵食し、これまで確固としてあった物理法則全てに魔法に関わる変数を付け加える必要が生じる。学者たちが頭を悩ませるくらいで済めばそれでいいがもちろんそうではない。一般人が日常生活を送るうえで魔法の存在を意識しなければならなくなるほど、影響が広範に及ぶことになる》
アポミナリアも言っていたが、やはりおれが最初のきっかけを作ってしまったらしい。世界の可能性が広がったことを善とするのか、予期していなかった変化を招くことを悪とするか。
「……おれが、イフィリオスに渡ってしまったから」
《魔法が我々の生活にどう影響を及ぼすか、説明しなくともある程度は分かるだろう。鈴城、お前も後天的に魔法を扱えるようになったな。最初の渡星者であるお前が魔法を習得できたということは、地球人の大半は魔法を扱えるようになるはずだ。できればお前が百万人に一人の魔法の天才であったことを願うが、きっとそうはならないだろう。社会秩序が崩壊する。既得権益が破られ、混乱が生じる。現代人が最も嫌う混沌の時代が襲いかかってくるわけだ》
戦争の時代、経済格差の時代、環境破壊の時代、核による世界危機の時代。そういったものを乗り越えてきた人類はいま、比較的な平和な世の中を構築している。そこへ現れた魔法は、歓迎すべき変化をもたらすのかどうか。
「……既得権益を守るべき人間の代表である田中が躍起になるわけだが、具体的にニュウを使って何をする気だ」
《彼女は鍵だよ。魔法をコントロールするための、鍵だ。というのも、私はお前の知識を得てから聖印というものを造ってみようと試みた」
おれはリーゴスのダンジョンで聖印を造ったことを思いだした。科学と魔法が融合した瞬間だった。
「聖印を……」
《お前がアンドロイドの一体を聖印化した事実を見て、私にもできるかもしれないと思った。しかし、実現はできなかった。お前が実際にやっているのだから、その手技を再現すればできるはずだ。だが、できない》
確かに、おれの知識をタナカが得ているのなら、聖印造りくらいは当然試す。まだ実現できないとは、少し意外だった。
「向こうでも高度な技術ではあるが、普通に行われていることだ。もう少し時間をかければできるんじゃないか」
《私もそう考えていた。だが、そもそも愛着のある物体しか聖印化できないという曖昧な条件に私は疑問を抱いた。愛着なんて単語は、あまりにも科学とは相容れない要素だ。しばらく悩んだが、やがてあることに気づいた》
「なんだ」
タナカはここで大学生相手に講義をする准教授のような説明口調になり、
《聖印はイフィリオスではダンジョン内の高濃度の魔力に耐えるためのものだったな。つまり人間を魔力の悪影響から守りつつ魔法を安全に行使するためのものだった。私はてっきり、聖印というものは魔力というエネルギーを動力に変換する一種の装置のようなものと解釈していたのだが違った》
「……なんだというんだ」
《あれは、分身だよ。作成者のな。お前がヒミコと長年旅をし、人工知能を唯一の話し相手にしている間に、お前はヒミコに自己を投影し、聖印の作成条件を満たしていた。モノに愛着を抱くということはそこに魂の一部を移すということだ。全く非科学的だがモノで溢れモノを消費財としてしか見做さない我々にはなかなか難しい所業だな》
タナカの熱のこもった言葉に、おれは聞き入った。
愛着。言い換えればそれは感情を移入すること。ひいては自分の分身を作り出すこと。腑に落ちる部分はある。
「分身……」
《魔力は不完全性とは切っても切り離せない。自己の魂を欠けさせ、聖印との補完の中で、初めて魔法を扱うことができる。イフィリオス人は生まれながらにその本質を理解しているが地球人は聖印がなければその不安定な状態を維持することができない》
それが魔法を使う際の障壁。聖印がそれをクリアしてくれる。機械にも魔法を扱えるようにするためにはその補完装置が必須というわけだ。
「お前の仮説は理解した。が、ニュウが鍵というのはどういうことだ」
《まだ分からないか? ニュウはつい先日、大仕事をやってのけたではないか。魔族の力を魔王ではなくガンマのほうへ誘導し、魔族を救った。私はあれを見たとき理解した。お前が次元の壁を超越しイフィリオスに飛ぶことができたのも結局は同じ力だ》
名だたる魔法使いにも不可能だったその力をニュウはいとも容易く実行した。その技術の正体をおれはまだつかめていなかったが、タナカには見当がついているらしい。
「そいつは……」
《アポミナリアが人間だった頃、必死に修行し、人間という枠をはみ出してまで修得したワザ。自らを魔王へと変貌させ、人間を魔族へと改造し、魔物を生み出せたのは人間や生命の本質、魂に魔法で干渉して本来のカタチから捻じ曲げたからだ。そしてアポミナリアも、自ら次元を超越する力を持っている》
おれは考え、タナカの言わんとしていることを先に口にする。
「……それは、つまりこういうことか? ニュウは……、いや、魔法というのは、魂を書き換える。対象は生物や無機物だけに留まらず……」
タナカは通信機越しに笑みを湛えていることが分かるほど、声に喜色を混ぜた。
《魔法はこの世界の理を書き換える。そうでもしなければ次元の壁なんて乗り越えられない。アポミナリアは厳しい修業によって、ニュウはその類稀な才能によって、それを実現したのだ。ニュウは普通のイフィリオス人とは一線を画する。地球に今後襲い掛かる混乱を鎮静に向かわせるパワーを秘めているのだ》
「お前がアポミナリアを生かし、それも独占状態にしているのも……」
《そうだ。彼がニュウと同じ力を持っているからさ。ニュウから思うような成果を取り出せなかったときのため、アポミナリアも保険として確保しておきたかった》
今後、地球の技術は魔法の存在を前提として確立されなければならない。その適応には時間がかかる。
ニュウの力がその適応を加速させる鍵となる。それは確かに間違いない。
一秒でも早く、この魔法の新時代に適応した者が、次代の覇権を握ることになる。
おれはタナカから大きな興奮を感じ取った。
「お前が今、わざわざイフィリオスに滞在して自ら陣頭指揮を執っているのも、ニュウと同じ力を持ったイフィリオス人がいたら確保しておきたいからか?」
《そういうことだ。こういうのは独占してこそ価値が生まれるというもの。平等は“違い”を生まない。“違い”が儲けを生む》
理にかなっている。しかしおれはそこに自分が入り込む余地があるのかどうか考えていた。あまりにも大きな流れだ。
「お前はぶれないな……。それで? お前はおれに何を期待しているんだ」
《ふふ……、お前が襲われていなければ、のんびり過ごしていろと伝えているところだった。しかし今となってはそうはいかない。軌道エレベーター内は地球における極地だ。何をしてきてもおかしくはない。まずは地球に降り立ち、安全を確保しろ》
「宇宙に逃げるって手もある」
おれはわざと悪手を挙げてみる。タナカがおれの能力に疑問を抱いてくれないかと期待したが、
《何でもありの戦いに持ち込まれたら勝機はない。私が所有する宇宙船の最新鋭機でも、国家が所有する軍用船には性能面で劣る。ニュウをイフィリオスに送り返すとしても、今は既に全世界的にイフィリオスに注目が集まっている。私が先行して現地に到着し色々と画策できたのも、お前とのチャンネルがあったからだ。だから、私を試すのはよせ、鈴城》
おれは苦笑し、
「……地球に下りて、その後は?」
《迎えを寄越す。こういうときのために部隊を待機させている。しかし、気を付けて欲しい点もある》
「なんだ」
ここでタナカの声のトーンが落ち、
《私はこう見えて情報戦には自信があった。ニュウをこっそり地球に向かわせ実験させるための手筈を、何ヶ月も前から組んでいた。誰にもニュウの存在を知られるわけがなかったんだ》
おれは思わず周囲を見渡した。タナカの部下たちがじっと見つめ返してくる。
「……裏切り者がいるってことか?」
《私の部下にいるかもしれない。あるいは、信じられないような方法で情報を抜き取った奴が外部にいるかもしれん》
曖昧な言い方だった。魔法が絡むとなると予期できない出来事を予期しないといけない。それがネックだった。
おれは近くに立っていたニュウの頭をぽんぽんと叩いてから、
「……分かった。とりあえず今はお前を信用して地球に下りる」
《ああ、頼んだぞ鈴城。私もお前を信用している》
地球への降下には軌道エレベーターを利用する。タナカは軌道エレベーター内の一等地の所有者だけあって要請すればケーブルの一本を優先的に利用できる権限を持っていた。
既に輸送スケジュールが書き換えられ、おれとニュウ、ヒミコが地球へ降り立つ便が確保されていた。
ヒミコは現地のアンドロイドに“乗り換える”手もあったが道中の警備もかねてそのまま機体ごと同道することになった。
おれたちは専用のビークルに乗りエレベーター乗り場に向かった。
それを追跡する小型の車があったがおいそれと手出しはできない。
そのままカプセル状の昇降機に着き、中に入った。長時間の旅となるため、中はそこそこの広さがあり、ネット設備や冷蔵庫や大きなベッドなどが置いてあった。
ニュウが窓に張り付いて眼下に広がる青い星を見ていた。昇降機が徐々に加速し落下していく。昇降機にも重力素子が設置され、落下の際に体が浮くこともない。それにより昇降機の降下速度は自由落下に僅かに劣る程度まで伸ばすことができるが、今回は前後の便の関係もありゆっくりと進んだ。
軌道エレベーターの地上における発着場は洋上の人工島にある。人工島には高層建築がありその屋上が軌道エレベーターの末端部に接続している。その巨大なターミナルにタナカの部下が待機しているはずだった。もしかすれば、ニュウを狙う敵も。
心休まる瞬間はしばらく訪れそうにない。おれはタナカ邸から出て行くときに受け取った拳銃を懐に忍ばせ、じっとりと脂汗をかいていた。




