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旅の終わり



 おれはタナカの思惑に不備があることに気づいていた。

 アポミナリアを生かしていることだ。

 宇宙の果てに運んだ、と言ったが、きっと貴重なサンプルとしてのちのち利用することを考えているのだろう。

 あれほど魔力に満ちた存在はいない。

 しかし空間を超越して影響力を持つ魔王アポミナリアは、どのような方法でも拘束することはできない。

 宇宙の果てに運んだところでそのまま何もできなくなる、というレベルの相手ではないはずだ。

 しかしアポミナリアが地球にとっての脅威となるかというと、そうではなかった。

 脅にとなるとしたら、イフィリオスにとって……。

 おれはアポミナリアを殺して欲しかったが、宇宙開発局の管理下にある今となってはなかなかそれも難しいだろう。

 

 夢の中でアポミナリアは待っていた。

 今度は顔がしっかりと視認できる。想像していたよりも若々しく、自信に満ちた顔をしていた。

 傍らには黒髪の女性が立っている。下がり眉が印象的な長身の女性で、質感が滑らかな紺の衣服を着ている。


 アポミナリアとエイシカ……。二人の魔王が夢の中でおれと正対する。


「目当ての新しい星は見つかったか?」


 おれが尋ねると、アポミナリアは心底楽しそうに笑った。


「――無数に。宇宙というのは想像も絶するほど広いな。イフィリオスの大地など比較にならない。なんだか、今までの自分を否定されたようだ」


 随分と人間臭い感情を抱いている。おれはつられて笑ってしまった。


「誰でも抱く感慨だから気にするな。それで? どうしておれの夢の中に現れた」

「そう言う貴様も、私の話を聞きたくてここに来たのではないのか」


 おれは軽く否定する。


「どうかな……。おれはもう、イフィリオスからは離れる。あとはこの手の法律や方法論に詳しい連中に任せる。本来、星一つの運命はおれひとりで背負える重さじゃなかった」

「離れて、どうするんだ? 地球に帰って一市民として過ごす? それとも、また別の星を探しに旅を続けるのか?」


 アポミナリアが数年来の親友のように気安く尋ねてくる。おれは夢の中なのだから何でもアリだなと勝手に自分を納得させて、


「どうとでも生きられるさ。お前はどうなんだアポミナリア?」

「私は今、肉体が永遠の闇の中に閉じ込められている。星の光さえ届かない、宇宙の中でもとびきり密度の低い場所に捨て置かれたようだ。おかげで瞼を開けようが閉じようが視界が変わらん」

「常に眠っているような状態だな、それは」


 おれは少しぞっとしながら言った。何もない空間に置かれるなんて、死んでも嫌だ。


「そうかもしれん。しかし、おそらく貴様と話すのはこれで最後だ」


 その声音は諦念に染まっていた。おれはどうしても疑ってしまう。


「……アポミナリア。お前、このまま終わるようなタマじゃないだろう」

「どうかな」

「何を企んでいる」


 おれの鋭い声に、アポミナリアはエイシカと目を合わせて、小さく笑った。


「正直途方に暮れているよ。転移魔法を使った瞬間、待機していた金属の塊に攫われ、宇宙の果てに放擲された。まともに戦っても勝ち目がないことははっきり分かった」

「それで?」

「ふふ、貴様、まだ私がイフィリオスの人類を滅ぼそうとしているのではないかと危惧しているな。警戒している」


 おれを落ち着かせるためか、自らの体を左右にくねらせておどけてみせた。


「当然だろう」

「もはや、無意味だ。我々の世界は拡張されてしまった。この宇宙にはイフィリオス人だけではない、地球人類まで滅ぼさなければ、私の魂の形を書き換えることはできない。完全な不老不死にはなりえないというわけだ」

「だからもう、諦めると?」


 アポミナリアはすっと真顔に戻り、


「……スズシロ。魔法の可能性は無限だ。私はただの人間だった頃、メテオラという修行場で魔法の力を探究し続けた結果、人間の寿命を超越することができた。貴様のような肉体改造手術を受けなくても、だ」

「ふむ。確かに驚異的なことだ」

「なぜそんなことが起きたかというと、魔法というのは多かれ少なかれ、自然の理を破壊するのだよ。人間の魂を捻じ曲げ、本来ありえない形に整えてしまった。そして、いまや魔法の力は宇宙全体に行き渡っている」


 おれはその言葉に嫌な予感を禁じえなかった。


「宇宙全体に?」

「最初、スズシロをイフィリオスの世界に呼び込んだのは、ニュウ。類稀な魔法の才を持つ一人の少女が、村の危機に際して発揮した力が、夢の世界を通じて別次元の宇宙に存在するスズシロを引き込んだ」


 ニュウの夢がきっかけでおれはこの星にやってこれた。もし、ニュウの村が危機に瀕していなかったら……。今でもおれは宇宙を放浪していたかもしれない。


「……」

「ニュウの願いと、ワープ航行のタイミングが噛み合った結果生まれた一つの奇跡だ。しかしそれがきっかけで二つの宇宙の境界は曖昧になり、本来異なる法則で動いていたそれぞれの世界が混ざり合った。魔法の存在しなかった宇宙にも、魔力が行き渡るようになった」


 おれは目を見開いた。


「ちょっと待て。地球でも魔法が使えるようになっているのか!?」


 おれの反応が大袈裟とばかりにアポミナリアはおれをしげしげと眺めた。


「そうでなければ、タナカとかいう男が貴様の思念を受け止めることなどできなかった」

「とんでもない混乱が生じるぞ……。既に田中は魔法理論をおれを通じて知っている。幾らでも魔法を使うことができる」


 おれの言葉をあっさり受け流したアポミナリアは続ける。


「元々、地球人とイフィリオス人の魂の形は似ていた。だからこそ夢の世界を介して通じ合うことができた。間に次元の壁があったとしても、関係ないほどに二つの魂は干渉しあっていた」

「……地球が魔法技術に力を入れるなら、アポミナリア、お前は良いサンプルになるな」

「かもしれない。イフィリオス人を拉致して実験というのは倫理的に許されない。地球人的には、そうだろう? 人間ではない、それも宇宙の果てに置かれて存在が一般人に知られていない私なら、ある程度人道に悖ることがあっても問題はない」


 まるで他人事のようにアポミナリアは言った。おれは彼の余裕のある態度が気になっていた。


「お前はそれでいいのか? 抵抗するつもりはないのか」

「どうかな……。私にも考えはある。だが、これからただの一市民になり下がるスズシロにわざわざ話すようなことではない」


 何か含みを持たせている。それとも彼なりの強がりだろうか? 判断がつかない。


「……これが最後の会話。そう言ったが、その言葉を信じていいのか?」

「ああ。色々と世話になったな。ザカリアス帝とアイプニアをよろしく頼む。あの二人は人間と仲良くやれなくもないだろう」

「ちょっと待て。お前らの近くにスコタディはいないか? フォスが暴れそうな雰囲気なんだが」


 会話が終わりかけ、おれは慌てて言った。この夢の世界には、スコタディも入り込めていないようだ。


「ああ、忘れていた。とっくの昔にそちらの宇宙に送り届けておいたよ。さすがに位置が特定できず、イフィリオス星に直接お届けというわけにはいかなかったが。なにぶん、太陽系も銀河系も、それぞれ凄まじい速度で移動しているからな。近くにはいるはずだ」

「分かった。近くの宇宙を探してみよう。これでフォスも暴れなくなる」

「私が生み出した魔王という存在は、結局のところ最初意図したレベルの生命体に進化することはできなかった。それは残念だが……、まあなかなかユニークな生き物だろう。せいぜい可愛がってやってくれ」


 ここで夢の世界が崩壊した。おれは眠りから覚め、急速に覚醒した。

 既にそこは宇宙船の中だった。宇宙空間上で移動している。


「お目覚めですか、マスター」


 壁から声が聞こえる。ヒミコの聞き慣れた妙齢の女性の声。


「ああ……、ヒミコ。既に出発したのか」

「はい。お別れの言葉を残しておきたかったですか?」

「いや、不要だろう。おれは、もうあの星に関わることはない」

 

 心残りはあった。おれは今後、この星の発展と進化を、その他大勢の何も知らない地球の人間と一緒に見守ることになるのだろう。大事な事実は隠され、表面上の事柄、限定的な情報を渡されてそれを楽しむ。ありきたりな聴衆と同じ立場になる。

 それでいい……。それが正しい形だ。


 この船にはおれ以外にはヒミコ本体しか乗っていなかった。

 アルファも、ベータも、聖印化したガンマも、地球に持って帰るにはあまりにイフィリオスに染まり過ぎていた。彼女たちのパーツは、イフィリオスの資源を利用して出来ている。だから致し方ない。今後やってくる宇宙開発局の職員が、おれの建設した設備や兵器もろとも回収していくはずだ。


 おれを乗せた船は間もなく地球へとワープした。入星手続きを行い、軌道エレベーターの延長線上にある宇宙港へと着岸する。顔見知りのエンジニアたちが、何でもない様子で受け入れてくれた。が、船内の様子を見て彼らが一様に驚愕の表情を見せた。


「にゅう!」


 聞こえるはずのない声が、おれの船の中から聞こえてきた。




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