流星フォス
イフィリオスの歴史を見ると、戦争や災害はあれど、大陸の版図を大きく塗り替えるような出来事は稀だった。
文明が成熟する前から、魔法技術が流通を促進し、相互依存の経済圏が早期に確立されたことが要因として挙げられる。
おおむね平和な星だった。魔王や魔物がいなければもっと人口の多い、文化の華が咲く高度な社会を構築していたに違いない。
魔王との戦いで各国は軍備を整えている。おれの無人兵器を頼りにしている国は多かったがそれだけではダメだとおれは説明した。魔王との戦いは無人兵器が行うが、他の脅威は自国で何とかしてもらうのが理想だ。
それに、おれがいつまでこの星にいるのか、分からない。
魔王アポミナリア、魔王エイシカ、魔王フォス、魔神スコタディ。
彼らが今どこにいるのかは分からない。既にこの星にはいないかもしれない。だが、四体全てがいないと仮定するのはあまりに楽観的だった。おれは彼らがこの星から出て行くところを観測することができなかった。
宇宙の監視も強化しているが、魔王自ら発光でもしていない限り、この広大な宇宙をくまなく探査するのは骨が折れた。魔王を追跡するには手掛かりが少な過ぎる。
「ヒミコ、ワープ航行は可能か」
おれは答えを知りつつも尋ねた。ヒミコは、これまた分かり切った答えを出す為に、わざわざ反物質の貯蔵量を調べ、それからワープ航行のシステムチェックまで行った。
「反物質炉のメンテは欠かさず行っておりました。いつでも行けます。それこそ、数分後でも」
「まあちょっと待て。今すぐどうこうというつもりはない。それに、今ワープ航行を敢行しても、次元の壁を越えることはできないだろう」
「ええ。それはそうですね……。思えば、イフィリオスに辿り着いたときのワープは通常のものとは大きく異なっていました。通常の10倍以上の反物質を消費し、到着予定座標も大きく外れ、再現不可能な現象が幾つも起きてしまいました」
「燃料は十分にあるのか?」
「発電施設を各地に建設することができましたから、反物質の貯蔵は折を見て行っておりました。とは言っても、大量に貯蔵し過ぎても扱いが難しいので、ワープを20回行える程度ですが」
「十分過ぎるな……」
おれとヒミコがそんな会話をしている間に、アンドロイドたちが禁書の閲覧を目指して行動している。禁書は結界で守られているがかなりその力が弱まっていた。
ベルギウスが結界術を担当していたので、魔王との戦いを経て緩んだのかもしれない。好都合だった。
以前禁書を読んだときは、オットケの著作と、神話やダンジョンの本に目を通したが、それほど役に立つ情報はなかった。禁書は他に多くあり、まあ知らない情報が数多く載っているに違いなかった。
アンドロイドたちは不躾に禁書棚に踏み込んでいった。魔法学校には教員や司書はいなかった。周辺が瓦礫で埋まっているので無理もないことだった。
禁書は持ちださず、その場で全て読んだ。アンドロイドたちはわずか十数分で禁書の全てに目を通した。読むのにそれだけの時間がかかったというより、禁書を傷つけずに出し入れするのに時間がかかった。情報を取り入れるだけなら数十秒で終わっただろう。
禁書の内容を共有する。危険な魔法、秘匿された歴史、とある王家の恥部など、興味深い内容が並んでいたが、おれたちが今欲している情報を乗せている禁書は一冊だけだった。
転移魔法の拡張を記した無骨で簡素な書物。
「理論上、転移魔法で大陸の端から端まで移動することは可能。しかし距離が長くなればなるほど、必要な魔力は増大していく。その増大幅を短縮する為に幾つか工夫を施す。人間には扱えないほどの魔力を要するが、将来的には星から星へ渡ることが可能となるだろう」
禁書の中にはそのような言葉が載っていた。
読み込んでいくと、爆発的な魔力を瞬間的につぎ込むことで転移魔法の出力をどこまでも上げることができ、いずれは“空間の飽和”を起こし次元を越え神の領域に達すると書かれていた。
「次元を越える……、ね」
おれは少し不気味に思いながらその本を読み終えた。
「この本の著者がどこまで意図して書いたのか分からないが、転移魔法がおれたちの使っているワープ航法と本質的に同じなら、確かに別の宇宙に渡ることはできるかもしれないな」
「100年以上前の著作ですね。著者は不明です」
おれは魔法学校からアンドロイドを引き揚げさせた。皇都では特に混乱は生じなかった。
皇都で復興作業をしていたギルドメンバーの何人かは、アンドロイドがおれの手先だと気づいたようだったが、わざわざ話しかけてくることはなかった。
宇宙での活動も考えていかなければならない。しかし、もしアポミナリアが宇宙に出ていたとしても、追跡するのはおれではなくヒミコの分身たちだ。おれはしばらくこの星で警戒を続けなければならない。
そういえば、宇宙の次元を越えられるのなら、地球とコンタクトを取って、宇宙開発局にも報告する義務がある。面倒なことに発展しそうなので、このまま断絶したままのほうが良い気もしたが、アポミナリアが次元を越えようとしているのならやはり何もしないなんてことは無責任だった。
宇宙での活動はヒミコの専門だった。宇宙に最低限の設備を打ち上げた後は、イフィリオスの太陽光でエネルギーを得ながら、拠点造りに勤しむ。本格的にやるならイフィリオスではない別の惑星にて拠点を造り、そこで資源を採掘して基地を拡大していくのだが、今はそこまでする必要はなかった。アポミナリアを追う宇宙船を継続的に建造できればいい。
宇宙で活動する準備は進む。しかしおれはなかなかゴーサインを出せなかった。特にワープ航行を実行するとなると、半端なエネルギー消費ではない。おいそれと乱発できるものではないし、次元を越えるという途方もない所業に成功の見込みはほとんどなく、無為に反物質炉を稼働させるだけではないかという思いもあった。
そんな折、宇宙を監視する衛星から情報が入って来た。不自然な光源を発見したとのこと。
「どう不自然なんだ?」
「明滅し、しかも光量がまばらです。距離はそれほど遠くはないようで……。また、彗星にしても光の軌道が不規則で、どうも妙だと」
「探査機を出して詳細を調べろ」
「了解しました。数日以内に観測結果が出るかと」
しかし実際には半日後にその正体が判明した。光を発しながら宇宙を彷徨っているのはフォスだった。光の魔法を多用していた少女の姿の魔王は、あてもなく宇宙を漂い、まるで助けを求めるかのように光を放ち続けていたのだ。
「接触しますか?」
ヒミコが尋ねる。おれは少し考えてから、
「探査機の一つくらいはやられてもいい。接近して話を聞いてやれ」
「そうですね。あまり敵意は感じられませんから、話くらいは」
スイングバイ、そして核融合エンジンの出力を利用して探査機が宇宙を進む。
探査機がフォスと十分に接近するのに二週間以上かかった。フォスは探査機に気づくと光の魔法を放ち自らの軌道を変えた。そして探査機の躯体にへばりつく。
「助けて……。降参するから、助けて! スコタディが、連れ去られたの!」
通信にはかなりのラグがあった。おれは落ち着いて、言葉を選びながら返答する。
「スコタディを連れ去ったというのは誰だ? アポミナリアか?」
フォスは何度も同じ言葉を繰り返し探査機に訴えていたが、おれの言葉が届くとはっとして、
「アポミナリアも、エイシカも、全員連れ去られた……。よく、分からないけど、スズシロの仲間なんでしょ!? どうにかしてよ!」
おれは思わず耳を疑った。アポミナリアが連れ去られた……? あの凶悪な魔王を御することのできる奴なんているのか?
地球文明がアポミナリアを拾ったとしても、一筋縄でいくとは思えない。魔法は未知の技術のはずだ。すぐに対応できるはずがない。問答無用で殺すなら別だが、連れ去るとなると難度は高いはず。
「……フォス。お前は転移魔法で次元を越えたのか? こことは違う宇宙に行ったのか?」
「はあ? 何言ってるの。難しいことは分からないけど、とにかく、アポミナリアが新しい星を見せてやるって言って、私とスコタディを連れ出したの。なぜか私だけは此処に戻ってきたけど」
「……まあいい。一旦イフィリオスに戻ってこい」
フォスはその後もごちゃごちゃと言っていたが、帰還するのには同意した。
おれは通信を切った後、考え込んでしまった。何かおれの予期していないことが向こうの宇宙で起きつつある。
「どういうことだと思う、ヒミコ」
ヒミコは少し考えてから、
「仮説ならいくらでも。しかし最も有力なのは……。我々以外に、地球に魔法技術を持ち帰った人間がいる」
「……そんなことがあり得るのか?」
「我々はこの星に長くい過ぎたのかもしれません。この星の外で起こっていることにあまりに無頓着だった」
ヒミコは切実にそう言った。
確かに、おれは地球のことなんて忘れてこれまで活動してきた。思いもよらない影響が母星に及んでいるなんて、想像もしていなかった。フォスがイフィリオスに帰還するまで、おれは不安に苛まれ続けていた。




