次元
「落ち込んではいない」
おれはニュウの問いにそう答えた。しかし彼女はあまりその言葉を信じていないようだった。
「わたしのせい?」
ニュウが更にずいずいと近づいてくる。おれは近くにレダの姿を探したがいなかった。おれはときどき自分がどこにいいるのか分からなくなる。機械を通して世界中の情報を取得しているせいだ。
今、おれは無人兵器工場と資源採掘場が併設している山間地帯にいた。世界中を飛び回るおれを見て、ニュウとレダが一緒に旅行したいと言い出し、一緒に行動している。
皇都の魔法学校は無事だったが周辺は瓦礫の山で立ち入れる場所ではなくなっていた。おれはどさくさに紛れて禁書を全て読んでみたいと思ったが、ヒミコから「火事場泥棒みたいですね」と指摘された。
今更そんな言葉を気にするおれではなかった。しかし復興のために汗水たらしている人々を横目にこそこそ行動するのは良心が咎めた。
もし、禁書にアポミナリアにつながる情報が隠されていたら……。一刻も早く禁書を確認すべきだと思う。だが、これは直感だが、禁書を読んでアポミナリアの秘密をすべて暴くことができたなら、おれはもう元の位置には戻れないだろう。ニュウと一緒にこの世界を旅するなんてことは不可能になる。
おれは一応名目上は、魔王フォスや魔神スコタディを警戒して、世界中を飛び回って軍備増強に努めている、ということになっている。
だがアポミナリアの狙いが宇宙にあると聞いてから、こんなことは無駄だと思う自分もいる。彼を放置してもいいし、絶対に止めないといけない気もする。
自分の考えが分からない。ニュウと一緒に旅をして、その答えが見つかるとも思えないが、この時間がおれは好きだった。ふとすると暴走しがちな自分の思考が、ニュウと話していると等身大のスケールに戻る、とでも表現すべきか。
「ニュウのせいじゃない。おれは大人だ。自分の行動の責任は自分で取る」
「??? よく分からないけれど、スズシロは空を見ている時間が増えたねー」
ニュウは無邪気にそう言う。おれは頷いた。
「そうだな……。宇宙……。思えばおれは宇宙の人間だった。人生の大半は宇宙で過ごした。この星でこうして重力に縛られていることのほうが、よっぽど特殊だ」
おれはここで唐突に気付いた。アポミナリアが宇宙を目指していると聞いて感じたおれの中の違和感の正体が。
アポミナリアがどうこうではない。おれ自身が宇宙に焦がれている。
知的生命体を発見する、そのために宇宙を旅する。おれにとって宇宙を探索することは目的を達成するための手段に過ぎなかった。それなのにおれは宇宙の旅そのものに意味を見出し始めていた。
おれは小さく息を吐いた。アポミナリアは放置してもいい。それなのに追いかけたいというこの感情は、おれが宇宙に戻りたいという感情が起因している。
「……スズシロ?」
ニュウがおれの服の袖を引っ張っていた。おれは彼女のふわふわした栗色の髪を撫でた。彼女は「にゅう」と鳴いた。
「……前から思ってたが、その『にゅう』という鳴き声はどういう意味なんだ? 翻訳できないんだが」
「ほんやく? そういえば、スズシロって最初はまともに喋れなかったけれど、すぐに話せるようになったよね。頭いいんだね」
「今更だな……。いや、おれは頭が良いというより……」
「ねえ、スズシロ。私、あの装置に入れられたとき」
装置というのは、ベルギウス、そしてニュウの脳波を詳細に検知し電子空間上に再現した例のもののことだろう。
「ああ」
「実は……、抵抗したんだ」
「抵抗?」
ニュウは俯く。そして苦いものを口に入れたような表情をした。
「表向き、平気そうな顔してたけど、実はこわくて……」
「ああ、怖いのは当然だ。すまなかったな。だが、抵抗というのは」
「自分が分裂する気配がしたの。だから、抗って……」
そんなことができるのか? 電子空間上の操作は全てヒミコが行った。操作は計算能力がモノを言う領域であり、人間の脳でももちろんある程度は干渉できるが、そんなものは何億倍もの処理能力を持つヒミコがあっさり塗り潰してしまうだろう。
だが……。ニュウは実際に抵抗した。彼女はこんなことで嘘をつかないだろう。
「そいつは凄いな。どういう理屈なのか……。まだまだ魔法のことはよく分からん」
「わたし……。スズシロに言ってないことがあって」
「まだあるのか? なんだ?」
「わたし。スズシロに会う前に。スズシロに会ってる」
ニュウは覚悟を定めた顏でそう言った。おれは思わず聞き返した。
「ん?」
「夢の中で。スズシロを呼んだのはわたしなの。わたし、未来が見えるときがあって……」
「未来が?」
ベルギウスが持っていた予言の力。それをニュウも持っているというのか?
「そう。わたし、この世界がめちゃくちゃになるのが分かってた。でも、それをスズシロがどうにかしてくれるって、信じてた。最初は所詮夢の中の出来事だからって思ってたし、記憶もぼんやりしてたけど、段々時間が経って、どんどん夢の中の出来事がくっきりはっきり思い出せるようになって……。変だよね。普通、時が経つと記憶はきえちゃうものなのに」
「確かに奇妙だ。だが……」
ニュウは首を傾げる。目が潤んで、少し泣き出しそうだった。
「信じない?」
「いや、信じる。おれも同じ夢を見たから」
「え?」
「そして、おれもニュウに呼ばれたからこの星に辿り着けたんだと考えたことがある。感覚の話さ。理屈がどうこうって話じゃない」
これは本心だった。
「テキトウに話を合わせてるわけじゃなくて、本当にそう思ってる?」
「ああ」
「それなら……。わたし、これからの話をするね」
「うん?」
ニュウの口調がここから大人っぽくなる。
「この世界はもう大丈夫。キケンはなくなった。この星に長年住み着いてた魔王は、もうこの星に興味を失ったみたい」
「……アポミナリアはもうこの星を飛び立ったというのか?」
おれは困惑しつつも聞き返した。ニュウは頷く。
「わたしの能力はそう教えてくれてる。スズシロが望むなら、ずっとこの星にいて欲しい。けど、でもきっと、アポミナリアがどこへ行ったのかを知ったら……」
「どういうことだ。ニュウ、お前には何が見えている?」
「最初から、夢の中で、わたしとスズシロはつながってた。そして、アポミナリアもその世界の住民だった。アポミナリアは、わたしとスズシロが共有した夢を覗き見て……、つまりスズシロがこの星にやってくる少し前から、スズシロのことを知っていたんだよ」
夢の中でつながっている……。その感覚そのものは体感していた。不思議とすんなり受け入れられた。
「それは……」
「たぶん、わたしが未来を見ることができるのは、アポミナリアと精神のどこかでつながってるからだと思うんだ。アポミナリアが思い描いている未来が、わたしの中に流れ込んでくるの」
一応、説明としては破綻していない。おれとクレメンスの間で起こっていた干渉が、ニュウとも起こっていたということだろう。
「……アポミナリアは何処へ行ったんだ。さっきニュウが言いかけていたことを教えてくれ」
「彼は……、スズシロの知識を借りて、色々考えた。星々を移動することは難しいと思って絶望したはず。けれど妙案を思いついた」
「妙案?」
「自力で移動できないなら連れていってもらえばいいって」
「は? 誰に連れていってもらうっていうんだ。おれか? それとも、宇宙人?」
ここまで言っておれは気づいた。アポミナリアの考えていることが。
アポミナリアを連れていくのは地球人だ。
おれが使っていたワープ航跡……。ワープ通信のチャンネル……。もしアポミナリアがそれを利用できるだけの頭脳を備えているなら、地球とコンタクトを取ることができる。
ここは地球が存在する宇宙とは次元が異なっている。しかしもしその次元の壁を解消することができたなら、アポミナリアは地球と交信し、接触を果たすだろう。
向こうでは行方不明になっているであろうおれは、どういう扱いになっているだろう。今更そんなことを考える。アポミナリアは地球に向かった後、大人しくしているだろうか。アポミナリアが地球に行くなんて、成功するのは奇跡にも等しいほど低い確率だと思うが、もし成功したら……。
アポミナリアは、おれ一人で抑止できた存在だ。地球文明がアポミナリア一人相手に崩壊するなんてことは考えにくい。だから過剰に心配する必要はないとは思う。
だがおれが蒔いた種だ。少なくともおれは地球に警告する必要がある。
「ねえ、スズシロ。もし、もしだけど、この星を離れたとしても」
ニュウは訴えるように言う。
「わたし、ずっとスズシロのこと呼んでるから、帰ってこられるように呼んでるから」
「……ああ、ありがとう」
おれはニュウから離れた。そしてヒミコに呼びかける。
「ヒミコ、どう思う」
「次元を超える技術が魔法にあり、それは科学技術がまだ到達していない超技術だとして……。まずはそれを解明しないことには」
「禁書か」
「手がかりはそこしかありませんね」
おれは皇都近くにいるアンドロイドたちに命令を下した。復興途中の皇都に、妙に足取りの揃った男女が足早に向かう姿を、避難民たちは目撃した。
 




