宇宙探索
「そもそも私が天体に興味を持ったのは、アポミナリアがきっかけでね」
魔王アイプニアは言う。目の前のアンドロイドが無二の親友であるかのように近い距離で語り掛ける。
「私は不老不死にあまり興味はなかった。まだ我々がただの人間だった頃、アポミナリアの修行の究極の目的が不老不死だと聞いて、随分と俗物的だなと思ったのを覚えている。メテオラの修行場で尊師と呼ばれるアポミナリア、エイシカ、モナダの三名は、世間では超然とした傑物だと評判だった」
モナダ……。魔王ニケの援軍として登場したが、とても理性的とは言えない男だった。狂気に染まり、まともな会話もできない状態だった。
「……モナダはおれが会ったとき、既に正気ではなかったが、なかなかの人物で通っていたんだな?」
アイプニアは昔を懐かしむように遠くを見る目になった。
「少々感情的なところはあったが、面倒見がよく、多くの弟子がなついていたよ。才能のない弟子にも熱心に指導していた。そのおかげで、彼の弟子の大半は修行についてくることができず、それが彼の精神を蝕んだようだ。アポミナリアは才能のない者には冷たく、エイシカは彼女の魔法があまりに特異なゆえ、弟子が極端に少なかった」
それぞれ指導者としてはばらばらの方針を取っていたわけか。正直、どんな人間だったのか想像することが難しい。
「弟子、ね……。お前は誰の弟子なんだ?」
「強いて言うならアポミナリアだ。しかし弟子とは形式上のことだけで、彼とはよく他愛のない話をして過ごした。アポミナリアは不老不死になりたがっていたが、私はしばらくそれが彼の理想の最終到着地点だと思い込んでいた」
ほんの少しだけ不愉快そうにアイプニアは言う。苦い思い出でもあるのかもしれない。
「……違うのか」
「その先の段階がある。不老不死が目的の成就に必須だということだ」
「……それが、この星の離脱だと?」
アイプニアは深く頷いた。
「そうだ。スズシロ、貴様は他の星からやってきたらしいな。凄まじい知的好奇心の為せる業だ。アポミナリアもそれとよく似た願望を持っている……。つまり自分の星を所有したいという願望が」
おれはそんな願望を持っていないが、似た願望と言えば、そうかもしれない。開拓者は往々にして征服者でもある。
「自分の星……」
「生まれたときから世界に存在する動植物。彼らはいったいどこからやってきて、どのように繁殖したのか。大地に刻まれた彫刻のような険しい渓谷や、峻厳たる山嶺。それらはどのように形成されたのか。この風は太古においてもこのように清涼で人の気持ちを慰めるようなものだったのか。そしてなにより、我々人はどこから来て、そしてどこへ行くのか……。世界の営みの中で中途半端に生まれ、中途半端に死にゆく人間たちは、その物語の一端を覗き見ることしかできない」
アイプニアの詩的な表現は、しかし何を指しているのかおれにははっきり分かった。
「……アポミナリアは生命の始まりから終わりまで、観察したいと?」
「そういうことだ。似た気質なのかな、お前とアポミナリアは……」
アイプニアはにやりと笑う。おれは咄嗟に返事できなかった。
地球ではワープ航行が確立されてからというもの、宇宙開拓時代が長く続いている。おれのような無茶な人間は少ないが、おれの活動意義を綺麗ごとだけで飾るなら、生命誕生の秘密、知的生物の発生の過程、地球型惑星の推移の解明、などといったものになるだろう。
これだけ科学が発展しても、地球人以外の知的生命体が未発見だった地球では、もっともらしい仮説を立てて学会を納得させることはできても、たとえばなぜ人間が人間足り得たのか、といった疑問に答えることはできなかった。
つまり実際に観測しなければどこまでいっても空想のことでしかない。地球とそこで生まれた人間のことが知りたければ、地球によく似た惑星がどのように知的生命体を発生させるのか、データを取ることが極めて有意義な研究になる。
アポミナリアがどこまで考えているのか分からないが、それとよく似た発想かもしれない。この星のことをよりよく知る為に別の星に飛び立つ。
普通の人間では、何億年とかけて環境を変えていく星の一生を追うことはできない。しかし不老不死なら話は別だ。
「……なるほど。アポミナリアが人間を皆殺しにしようとしていたのは、不老不死を完成させるためだけではなかった。地上の覇者たる人間を一掃し、自らの手で新しい世界を再構築することで、どのような生命が生まれ秩序が出来上がるのか、観察したかった」
科学者のような願望だ。おれはそれが少し意外だった。
アイプニアは、おれの言葉に「やはり」という表情で頷いた。
「もしかするとそんな思いもあったかもしれない。スズシロの登場で、それは不可能だと悟ったわけだがな……。アポミナリアはこの地上が孤独であるとこぼしていた。つまり、イフィリオスから別の星に行くには普通の方法では無理だということだ」
「……アポミナリアがそんな願望を持っているとはな。だが、魔王連中は知っているはずだろう。おれの頭の中を覗きこんで知ったはずだ。宇宙はあまりに広大で、星々を行き来するにはおれたちは矮小過ぎる」
ぽん、とアイプニアは手を叩いて同意した。
「そう。驚いたよ。他の魔王はお前の作り出す兵器に注目していたが、私は違った」
「しかしそれでも、アポミナリアは宇宙を渡るというのだな?」
「ワープ航行……。それを可能にする反物質というエネルギー。詳しくは分からんが、そんな技術があるんだろう?」
アイプニアの口から出てくる、この星には似つかわしくない言葉。おれは一瞬の空白のあと、
「……ああ」
「実はそれとよく似たものが、魔法の世界にはある。禁書指定の魔法だがね」
「禁書……」
禁書だけは全てをチェックできなかった。もし閲覧できていたら、知見も広がっただろう。
「ワープ航行は、転移魔法をより過激にしたもの。反物質は、魔力の性質を捻じ曲げて対消滅させこの星を破滅に追い込むというものだったかな」
イフィリオスの言語の語彙は地球の言葉に翻訳している。その関係で科学の言葉である対消滅という単語が出て来たことは、おれに軽く衝撃を与えた。
「確かに、似ているな……」
「アポミナリアは禁書の内容を把握していた。そしてクレメンスを通じてスズシロの知識の一部を閲覧した結果、魔法技術と地球の科学技術を結び付けたわけだ。諦めかけていた星々の移動方法を思いつき、それを実践しようという気になっているのかも」
アイプニアはここにきて自信なさげに天を仰いだ。
「かも?」
「確信はない。私もアポミナリアには見捨てられたのでね。全て推測だ。だが、アポミナリアが星々に興味を持っているのは本当だ」
しかしこれ以上ないほどアイプニアの言葉は役立った。おれは彼に礼を言った。
「……おれはアポミナリアの目的をいまいち把握しきれていなかった。だが、謎が解けたような気がする」
「そうか?」
「アポミナリアは、おれの理由なき善意を不気味がっていた。奴はおれが合理性の権化のようなヒミコを従えておきながら、無償で人を助け続けることに疑念を抱いていたのだろう。取引を持ち掛けておれの行動を制御しようとした。だが、おれが魔族を助ける為に多少の無茶を他人に強いたとき、おれとの接触を断ち潜伏した」
言葉にしながら、おれは確信を深めていく。アイプニアは納得と疑問半々といった顔で顰め面をつくる。
「ふむ……」
「確信したんだ。おれがあいつにとって本当の意味では脅威にならないと。いざとなったらおれはこの星を見捨てて、地球や他の星々を守る行動を取るのか? それともこの星と共生する道を歩み、イフィリオス本位の活動を続けるのか?」
「見定められていた、と」
アポミナリアがどこへ行こうというのか、おれにはよく分からない。当てがあるのかどうか。少なくともイフィリオス太陽系には、居住可能だったり生命が誕生する条件がそろった惑星は存在しない。つまり彼が新たな星の始まりと終わりを見届けたいなら、別の恒星系へ旅立たないといけない。
フラットに物事を捉えるなら、放置してもいい、とおれは考えていた。だが、何かが引っ掛かっていた。
アポミナリアが宇宙に旅立ったとして、おれにそれを咎める理由はないはずだが、腑に落ちない。
なぜアポミナリアはおれを恐れていたのか……。素直にこの星を出て行くと言えばそれで済むはずなのに。おれが阻止すると思っていたのだろうか。
何かがある。おれはアイプニアから意識を外した。
アポミナリアとエイシカはまだ地上にいるのだろうか。それとも魔王との戦いの直後、隙が多い内に宇宙へ飛び立った可能性もある。
すぐさま追う手段はない……。あてもなく宇宙探索するという手もあるがさすがにそこまでやる気にはなれなかった。
魔王フォスと魔神スコタディを含めて、魔王たちは忽然とその気配を絶った。
世界中でおれの無人兵器が製造され、軍備が整った。しかしそれらは無用の長物になる可能性がでてきた。
何ヶ月か経って、おれは宇宙探索の準備を整えた。衛星を打ち上げ、宇宙の拠点を構築した。
もはやこの星はおれの科学技術が取り囲んでいた。イフィリオス人にその恩恵の全てが渡っているわけではないし、彼らの暮らしをできるだけ邪魔しないように配慮しているが、それだって限界があった。
もしかすると……。おれはかつてヒミコが警告したように、間違った道を歩んでしまったのかもしれない。この星の文明に地球の息吹を与えてしまった。もうイフィリオス独自の文明は成立しないのかもしれない。
この星を守る。そう決めておれは活動してきた。それは叶ったと言えなくもないが、おれの存在がアポミナリアに宇宙を出て行く手段を与えてしまったとも言えた。
「落ち込んでるの?」
おれにそう問いかけたのはニュウだった。おれは咄嗟に否定できなかった。そのことが彼女にとっては何よりの重大事だったらしく、必要以上に体を近づけてきておれの顔を見上げて来た。
この先どうしていくべきか分からない。そんなときこそ、原点回帰か……。おれはニュウと出会ったときのことを思い出しながら、彼女と話をすることにした。
 




