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屈服




 アポミナリアの顔が、先日会ったときよりも鮮明に見える。

 夢の中の彼はごく普通の青年に見えた。赤髪で特徴のない顔をしている。

 平原に立つおれを見下ろしながら、深い森を背に、無防備に立っている。

 ここはおれの夢なのか。それともアポミナリアの精神世界なのか。

 もし、奴の精神世界ならおれに主導権はないだろう。


「取引に応じる気になったか?」


 アポミナリアはゆったりとした口調で言った。

 おれは小さく息を吐き、夢の中の冷たい空気を肺いっぱいに取り込んだ。


「今一度確認させてくれ……。取引というのは、お前と魔王エイシカを生かす代わりに、他の魔王討伐に協力する、ということだったな。あと魔族の呪いを解いてくれる、と」


 アポミナリアは少し笑みを含みながら頷いた。


「そうだ」

「魔王討伐にはクレメンスを使うのか?」


 アポミナリアは頷き、右手を翳すと、空間にクレメンスの姿が映し出された。

 クレメンスは恭しくアポミナリアに一礼する。


「ああ。彼には私の魔力をそのまま付与している。現在、私と同等の力を備えているはずだ。もし足りなければエイシカの魔力も乗せる。一時的ではあるが最強の戦士となっているわけだ」


 魔王の力がそのまま乗っているのか。強いわけだ。


「お前、この前会ったとき、クレメンスを殺すつもりだったが逃げられた、と言っていたな。嘘をついたのか?」


 悪びれる様子もなく、アポミナリアは手を振った。


「嘘ではない。が、追跡が容易な状態ではあった。なにせ彼ときみの間では大量の情報のやり取りが常時行われているわけだからな。きみが思考を読み取られないように大量の情報処理を行っているおかげで、かなり目立つのさ」


 確かに、そうだ。情報のやり取りがおれとクレメンスの間で行われていて、介在しているのが魔力なら、魔法を極めているアポミナリアは容易に情報をキャッチできるだろう。


「そうか。だが、なぜクレメンスをお前の使者に仕立てた?」

「理由は幾つかあるが、最も大きかったのは、彼が私に従順だったからだ。私の正体を知りつつも協力してくれる、それも魔法の達人ということになれば、これ以上の人材はいないだろう」


 魔法の達人……。クレメンスはギルドの中でも有望な人材だった。レダを見下していた彼の言動を思い出す。


「……奴はモルへの復讐のためにお前を利用しているだけだ。従順なのも目的を果たすまでのことだぞ。分かっているのか」


 おれは映像の中で目をぎらつかせているクレメンスを指差して言った。

 クレメンスはそんなおれに気づいてそっぽを向いてしまった。


「そうかもしれないが、そのことはきみには関係ないだろう? それで、取引に応じるのか?」


 おれは少し考えた。まだ分からないことが多過ぎる。


「……もし、お前とエイシカを生かしたとして……。その後はどう生きるつもりなんだ」

「どう生きるか? ふふ、そんなことをはっきりと答えられる人間など、どれほどいるものかね」


 はぐらかそうとしたアポミナリアにおれは詰め寄る。


「不老不死は完成せず、お前とエイシカはいずれ死ぬのだろう? だが、常人より長寿なのは間違いない。大人しくできるのか」

「きみがいる限りは、下手なことはできないだろう。仮にいなくなったとしても、もうこんな騒ぎは起こさないと約束する。そうだな、メテオラという名前のダンジョンの中に引きこもって、一生出てこないと約束する」


 メテオラ……。アポミナリアたちが人間だった頃、修行場にしていたというダンジョンだ。塔のダンジョン。ベルギウスが攻略途中だったあの場所だ。


「その約束を守る保証は?」

「保証と言われると、難しいが……。封印でもするか? きみの気が済むまで徹底的にやればいい。基本的にはきみに従うよ」


 今なら何とでも言える。おれはやはりアポミナリアを信用できない自分に気づいた。


「……なぜ、先日の夢が覚めてすぐ、魔王をけしかけてきた。考える暇もない」


 少し責めるような口調になってしまった。

 アポミナリアは少し意外そうに眉を持ち上げ、首を振る。


「ふふ、きみは思ったより能天気なんだな。私も必死なんだ。許してくれ」

「お前の行いでどれだけの人間が死んだ。皇都だけでも少なくない。全世界で七か所、同時に魔王が動き出し……。おれの軍隊が間に合うはずもない。何万、何十万という人間が死んだはずだ」


 まだはっきりと調査したわけではないが、世界各地で魔物や魔王に殺された人間が大量にいた。目を覆いたくなるような惨状がそこかしこに確認できた。


「そうだったかな。気の毒なことだ」


 おれはアポミナリアの態度に激高しかけたが、深呼吸して気持ちを落ち着かせた。


「お前はもう、人類を滅ぼすつもりはないんだろう? なのになぜこんなことができる。おれはお前と分かり合える気がしない」

「分かり合う必要なんてないだろう。ただでさえきみは異星人で、私は一度ダンジョンの中で死んで生き返った身だ」


 にべもなくアポミナリアは言う。おれはもう一度深呼吸した。


「だったら……」

「しかしそんな両者でも妥協点はある。私が本気でやれば、ある程度きみに抗える。きみは今、バシリスに追われている避難民の命と私の命を天秤にかけているつもりかもしれない。だがそうではない。この交渉が決裂したら、私はこの星の人間を殺しまくる。殺し尽くすつもりで戦う。最後の意地というやつだ」


 これ以上の死者が出る。互いが本気で戦えばそうなるのは必然だった。皇国と氷の大陸の戦争どころの話ではない。


「脅しか?」

「交渉材料を提示しているだけだ。きみはまだ本気で戦っていないね? 核兵器や反物質を用いた爆弾――私はまだ目にしたことがないが、想像を絶する威力を誇る超兵器だということは、きみの知識を拝借したときに知ってしまった。まるで勝ち目がない。本当、嫌になるね」


 確かに、そういった兵器をおれの戦力として勘定すれば、魔王側に勝ち目はないだろう。一発で敵勢力を殲滅できる。仮に魔王軍が地上を支配したとしても、おれは宇宙船一つで大気圏外に脱出し、そこから爆弾を撃ち込めば負けることはない。人間の被害が尋常ではないことになるが……。


「……核兵器を使うつもりはない。反物質を用いた兵器も、現実に行使されたことはない。おれの母星ではテクノロジーが追い付く前に法規制が整えられた。それほどの兵器だ」

「だが、ここは君の母星ではない。本当に追い込まれたらきみは使うさ……ならば私も必死に抗うしかないな」

「おれは……」


 交渉に応じたとして、本当にイフィリオスの人間に不利益があるのかどうか。突っぱねたほうが、彼らの未来に暗い影を落とすのではないか。おれは悩んだ。

 アポミナリアは辛抱強く待っている。内心焦っているのか、それとも吹っ切れているのか。

 

 正義とか悪とか、そういう話ではない。死屍累々のイフィリオスの世界を目にしたとき、アポミナリアの死骸の前でおれは本当に後悔がないと言い切れるか。


 魔王を全て滅ぼす。その為に、百万人、いやもっと多くの人間の命を差し出す。

 賭けるべきではないのか。アポミナリアを生かしつつこの星の未来を紡いでいく。おれが監視していればアポミナリアは本当に大人しくしているかもしれない。その間にもおれは戦力を増強できる。


 おれは覚悟した。その瞬間、返答する暇もなく、夢の世界が解けて消えていった。


 巨大化したバシリスが避難民の隊列に迫る。散り散りになって必死に駆ける人々。絶望と恐怖に満ちた叫び声が空に響き渡る。


 バシリスが躓いた。その巨体が大地に倒れ掛かる。


 人々は見た。バシリスの首と胴体が分離していることに。その断面が黒いもやに覆われていることに。

 バシリスは声もなく倒れた。その巨体に圧し潰される者はいなかったが、その衝撃で何名か吹っ飛び負傷した。


 バシリスの死体の傷口は黒く腐食していた。死骸の傍らには黒い刀を携えたクレメンスの姿があった。


 スクラヴォスを殺した光の大刀。バシリスを殺した黒い刀。それぞれの魔王への特効武器を持ちだした彼は、まさに魔王殺しの強力な助っ人だった。


「マスター……!?」


 ヒミコがおれに呼びかける。おれはしばらく返答できなかった。ヒミコに理解してもらえるかどうか自信はなかったが、間違いなく決断したのはおれだ。収拾はおれがつけなければなるまい。


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