崩御
アドルノが皇城に向かう前、アンドロイド部隊が皇城への潜入を試みていた。
アドルノが皇城に向かえば、魔王はギルド全体が動いたと察するだろうが、アンドロイドだけならまだおれが単独で動いているとみなすだろう。
避難はタイミングが肝心だ……。魔王バシリスと魔王スクラヴォスの注意を引きたい。一分でも長く、安全な避難経路の確保と維持を目指す。
こちらの戦力が足りないのであれば完璧な連携が必要だ。アンドロイドが擬態と光学迷彩を駆使して城内に侵入する。
だが魔王バシリスは完全に侵入者に気づいていた。兵士が差し向けられ、侵入したアンドロイドはそれぞれ別個に追い詰められていった。
「完璧な連携。自分の手足のように動くコマ。それはスズシロだけのものではない」
魔王スクラヴォスが、影の中からぬるりと現れた。とある一室に追い詰められたアンドロイドの前に、その姿を晒す。その異形を見ても、兵士たちは全く動じなかった。完璧に洗脳されて、魔王を敵だと認識していない。
「心外だな。おれの軍隊を、お前ごときの洗脳術と一緒にされるなんて」
アンドロイドを介しておれは言葉を放つ。スクラヴォスは影の形が不定で、で揺らめいていた。
「ふん。負け惜しみか? これからどうするというのだ。いよいよ皇都の人間を見捨てるか?」
逆におれが皇都の人間なんてお構いなしに戦い始めたら、お前らはどうする気なんだと聞きたかった。そんなことにはならないと高をくくっているのか。
おれはアンドロイドの配置を確認してから、
「洗脳している人間の行動は、術者の力量に左右される。おれの軍隊の連携も、中枢の能力に左右される。つまり“頭”の差がそのまま集団の実力差に直結するわけだ」
「スズシロ、貴様、自分の処理能力に自信があるというわけか?」
「お前、おれの頭の中を覗いたんだろう? クレメンスを介して、ご苦労なことだ。だが理解はできなかったようだな」
皇城の各所で同時に爆発が起きる。
スクラヴォスは動じなかった。しかし意識が音と衝撃に一瞬向けられる。どんな冷静な者でも、意識を向けざるを得ない。
隙と言えるほどのものではない。一瞬の意識の散逸に合わせて――というより爆発が起こる寸前から行動を開始したアンドロイドの動きは、完璧にスクラヴォスの虚を突いた。
アンドロイドの手がスクラヴォスの喉元を掴む。
ガンマの聖印から供給された魔法の力を駆使し、体内に大量に埋め込まれた魔法素子が力の集約を始め、魔王スクラヴォスの影の体を掴む。
スクラヴォスが身をよじった――しかし至近距離から放たれた魔法が、魔王の体を妬いた。
電撃と火炎の魔法。魔王スクラヴォスの全身を這うように衝撃が伝わる。
「なんだ、この魔法は……! この私が知らない魔法……。私が眠っている間、魔法技術は根本的にはほとんど発展していないと思っていたが……」
スクラヴォスはその魔法を打ち消すことができない。逃げることもできず、その場に佇んでいる。
「おれがヒミコに開発させた魔法の内の一つだ。リーゴス相手に手を焼いたものでな。実体がいまいち掴めない相手にも有効打を与えられるような魔法を探していた」
「魔法の開発……? お前がこの星にやってきてから一年も経っていないはずだ。そんな大それたことを、魔法の門外漢であるお前が、できるはず……」
「せっかくおれの記憶を覗き込んでも、おれやヒミコの能力を見極めることはできなかったようだな。色々と心配していたが、思ったよりうまくやれそうだ」
スクラヴォスは舌打ちし、近くの兵士にアンドロイドを襲うように指示した。
立て続けに飛び掛かってきたが、アンドロイドは人間にはおよそ不可能な動きで避ける。
関節を逆に曲げ、ありえない体勢から跳躍し、壁に指を突き立てて自らの体を支持し、そして勢いをつけてスクラヴォスに蹴りをお見舞いする。
スクラヴォスは血を吐きながら笑った。
「戦うんだな、ここで? 皇都を戦場に選ぶと? 全てを破壊してやるぞ」
そう言いつつもスクラヴォスは自らの体を巨大化させることはなかった。話を聞く限り、魔王が体を巨大化させ完全顕現するのは、最後の手段だ。満足のいく形でそれをするのには準備が必要だが、ヴェロスやニケはそれが十分になされないまま巨大化し、戦った。不可逆的な躰の変化は、彼らを死への一方通行を強制した。
スクラヴォスはまだ踏ん切りがついていない。不老不死を求めて修行をし、ダンジョンに自らを封印した彼は、まだ自分の生に縋っている。
「……今だ。避難を開始しろ」
おれの指示にヒミコが同意し、皇都全域に展開していたギルドメンバーに合図を出した。
ギルドメンバーが笛を鳴らす。市民がギルドの指示に耳を傾け、魔王がこの街に間もなく現れるということを知らされる。
パニックになって慌てて逃げ出す者、逆にすぐには逃げようとしない者、兵士に保護を求める者、さまざまいたが、ギルドが避難経路を示すとおおむね皆それに従った。
スクラヴォスは避難が始まったことに気づいていない。目の前のアンドロイドを仕留める為に、洗脳した兵士をこの場所に集めようとしていた。意識が皇都全域に向かっていない。今、自分の安全のことだけを考えている。
スクラヴォスは、皇城に潜入したアンドロイドを無視することができなかった。それがこの男の敗因だ。アドリオンを殺したとき、スクラヴォスはおれを挑発した。おれが何らかの行動を示せば、それに乗っかってくると信じていた。そういう性格だと……。実際、そうなった。アンドロイドを追い詰めたことで気分を良くして、おれにメッセージを送ってくる。
半ば賭けだったが少ない戦力で何とかするにはこれしかない。スクラヴォスは兵士を洗脳したことで得た皇都全域の監視網を捨て、機能を麻痺させていた。
いったいこの状況がどれだけ続くか分からない。バシリスは皇帝の近くに控えているはずだが、アンドロイドの侵入に気を割いてくれていると助かる。
続々とこの部屋に兵士が集まって来る。スクラヴォスはアンドロイドの破壊を命じるが、天井の張り付いた機械人形に、兵士たちはなかなか手を出せずにいた。
スクラヴォスはまだ火炎と雷撃の複合魔法のダメージを負い続けている。ヒミコが開発した対不定形魔法は効力を存分に発揮しているようだ。
だが、追い詰め過ぎないようにしないといけない。避難が完了するまで遊んでもらおう。おれはスクラヴォスのコントロールをヒミコに完全に任せ、皇帝とバシリスの動向を探った。
皇帝はこの騒ぎでも動じなかった。皇国騎士たちを警護につけ、玉座の間で果物を貪り食らっている。
その傍らには黄金の仮面をかぶったバシリスがいる。
城内では攪乱するアンドロイドとそれを追う兵士が常に音を立てている。
そこにアドルノの一隊が踏み込んだ。
アンドロイドたちがうまく他の兵士を誘導し、アドルノたちは最小限の兵士を排除するだけで玉座の間に辿り着いていた。皇国騎士の鎧の群れの背後で、皇帝はアドルノを見下ろした。
「アドルノ。主君に刃を向けるというのか?」
「皇帝陛下。私はあなたが若返ろうと何をしようと、あまり興味はありません。しかしこの国を滅ぼそうというのであれば剣を向けるしかない」
アドルノの覚悟が完全に定まっていた。汚れ仕事はアンドロイドにやらせるつもりだったが、思った以上にアドルノの行動が迅速だった。そちらまで手が回らない。
「なんという恩知らず……。私がお前のしていることを知らなかったとでも? 魔族の保護などという酔狂を見過ごしてやっていた私の温情を、無碍にするというのか?」
「魔族に関しても、今が瀬戸際なのですよ。戦うしかない。魔王が勝てば私も魔族も人間も、全て滅びる。それが分かりませんか?」
「私はこの国の絶対的な支配者だ。滅びる? それは私がそう望んだとき初めてそうなる。バシリス様がそうおっしゃっている」
バシリスは仮面の奥でくすりと笑った。
「アドルノさん。御覧の通り、あなたの君主は気が狂っておいでです。話をするだけ無駄ですよ?」
バシリスのその言葉は、皇帝には伝わっていないようで、バシリスを不審に思う素振りはない。完璧に意思を掌握されている。
アドルノはやり切れない様子で俯いた。そして義肢に炎を宿す。
「――ならばせめてこの手で討つ! 陛下の年齢は鬼籍に入るのに遅過ぎたくらいだ。悔いはないと信じる!」
アドルノが放った炎。皇国騎士が盾を構えて防ごうとする。
しかし蛇のように床を滑った炎は皇帝まで届き、その躰を包み込んだ。
燃え上がった皇帝の体が、みるみる縮んでいく。若者の体を手に入れた皇帝がにわかに老人に戻っていくかのようだった。
それをバシリスは近くで見ていた。助けるわけでもなく、ただぼうっと見ている。
声も出せない皇帝は助けを求めてバシリスに腕を伸ばしたが、バシリスはそれを払った。
無様に床を転がった皇帝を、騎士たちが助けようとしたが、炎がそれを阻んだ。
燃え上がる皇帝が転がるカーペットには、焦げ跡さえ残らなかった。完璧にコントロールされた炎はそれ自体生きているかのように、皇帝の命が潰えるまで勢いを弱めることはなかった。




