嘘
ダンジョン内は魔力に満ちている。魔力は人体に有害。となれば、ダンジョン内に送り込んだプローブも魔力にやられて、すぐに故障するのではないかと心配していた。しかしプローブは何事もないようにダンジョン内をすいすい進んでいく。魔力には、金属と木材で出来たプローブの腐食を進ませるような作用はないようだった。
魔力を化学的な観点で見るのが間違っているのかもしれない。だからこそヒミコが検知できない。そこでおれは一つの仮説を立てていた。
「ニュウが探査船の屋根を突き破って落ちてきたときのこと、覚えているか」
おれはプローブがもたらす映像を直接脳内で受け取り、それを見ながら言った。
ヒミコはダンジョンの入り口付近に生えている植物などを採取しながら、
「意図的に忘れようとしなければ、私はいつまでも覚えていますよ」
「そうだったな。あのとき、おれは事前に、人の声がどんどん近づいてくるのが聞こえていたんだ」
ニュウが探査船の屋根を突き破って落下したのに、負傷は僅かだった。今考えてみると魔法で自らの体をガードしていたのだろう。あの時の光景を思い出す。
「そのようにおっしゃっていましたね」
「あの声を、ヒミコは検知できなかったんだろう。人間の耳には聞こえていたのに、お前には聞こえていなかった。不自然だとは思わなかったか」
ヒミコは自身の耳を指差した。
「空耳ということもあるでしょうし、そもそも人間の耳は、今の私の限られた資源における性能と比べると、それほど劣っているわけでもないですし……。不自然だとは思いませんでした」
「ニュウのあのとき発していた声、そして今、ヴァレンティーネ隊の男が反応した獣のような音……。あれはどちらも魔法由来の音だったんだと思う」
「魔法由来……」
ヒミコは新たな単語をインプットするが如く、ゆっくりと繰り返した。
「おれがかろうじてそれを聞き取れたのは、魔法の才能が僅かばかりでもあるからなのか、そもそもそういうものなのか。どちらにせよ、ヒミコが全く音を聞き取れなかったのは、機械が魔法を扱うことはできないから……。そうとは考えられないか」
「かもしれません。私が魔力を検知できない事実とも符合します……」
おれはヒミコに一歩近づく。
「それならプローブが魔力を浴びても特にダメージを受けているわけではないというのも納得がいく。おれたちは魔力を扱うことはできないが、魔力を恐れてダンジョンに潜れないなんてことはないわけだ」
「マスターはダンジョン内には行かないでくださいね? 行くとしたら私です」
「まあ、当面はそうなるだろうな。で、どうする、ヒミコ。ダンジョンに潜ってみるか?」
「潜るとしたらベータでお願いします。私はマスターの護衛ですから」
ヒミコは有無を言わさぬ口調で言った。おれはできればヒミコに今すぐダンジョンに潜って探索して欲しかったが、彼女は絶対に頷きそうになかった。
おれはプローブの映像が途切れたことに嘆息した。電波が届かない位置まで行ったらしい。どうせほとんど何も見えなかったが。
「そうか……。ところで、ヴァレンティーネ隊は無事だと思うか」
「さあ……。我々はダンジョン探索のいろはを把握していませんからね。何が普通で何が異常なのかがわかりません。これからそれを理解していかなくては」
どこか突き放すような言い方。おれは少し考えてから言った。
「そうだよな。しかし、もしヴァレンティーネ隊が危機に陥っているとなると、何もしないのも人道に悖るとは思わないか」
「かもしれません。マスターがそれをこの地で気にするべきなのか、という別の問題も立ち上がってきますが」
「レダならダンジョンについて多少知っているだろう。彼女に話を聞くべきだと思うんだが、アルファと連絡を取ってもいいだろうか」
おれは今、ヒミコの機嫌を取っているかのようだ。そんな口調になってしまった。ヒミコはそんなおれの態度を不思議に思ったらしく、少し首を傾げた。
「……別にそれは構わないでしょうが、マスター、一つ尋ねておきたいことが」
「なんだ」
「マスターは、レダやニュウに、我々の出自がばれても構わない。そう考えていますね?」
おれは顔をしかめた。
「突然どうした。できれば隠しておきたいと思っているよ」
「そうでしょうか。村に蔓延る病を払ったり、探査船に招いて聖印作りを手伝ったり、遠隔地にいるレダからアルファを通して話を聞こうとしたり……。まともな思考能力を持っている人間なら、マスターと我々が普通の存在でないことくらい、じきに気付くはずです」
おれは自分の振る舞いを思い出す。否定することなんてできるはずがなかった。
「……かもな」
「彼らと接触的に関わるというのなら、私はそれでもかまわないと考えています。全てマスターの意向に従います。しかし、我々の科学力を全面的に押し出すなら、事態はもっとシンプルに進められると考えます。つまり、レダに話を聞くのではなく、皇都に飛んで、書物を漁る。レダが魔法について学んだ地であれば、魔法に関する蔵書も豊富でしょうからね。ここで聖印作りを通して魔法について探るなんて迂遠な方法を取る必要はないわけです」
おれはヒミコの具体的な提案に驚きつつも、
「お前の言う通りだが、ヒミコ。魔法については普通の人間が学ぶ機会さえ与えられていない。皇都に行ったところで、魔法に関する本なんて入手できるもんなのか」
「ですから、いくらでもやりようはあると」
おれはヒミコの思考がどこまで及んでいるのか分からなかった。箍が外れた人工知能は、どこまで人道というものを無視できるのか、おれは少し怖くなった。
「……駄目だ。この星の住民と対立するようなことになれば、おれたちの科学力は兵器として発揮されることになりかねない。そうだな……、ここで決めてしまおう」
「何をです」
「おれたちの科学力は、全く新しい魔法……。そういうふうに連中には説明する。村にあった本によれば、南にはろくに開拓されていない“氷の大陸”があったな。おれたちはそこの出身ってことにしよう」
ヒミコはおれの言葉に追いつくために、額をトントンと叩いた。
「随分思い切った嘘ですね。私たちはその氷の大陸について、何も知らないのに」
「しかしこの辺の人間も何も知らないだろ? 何を言っても、それは真実になる」
ヒミコは小さく笑った。
「まあ、そうですね」
「それに、おれたちは連中からすれば異星人。文化的に隔絶された氷の大陸出身の人間だって、異星人みたいなもんじゃないか? 言語も文化も人種も違うとなれば、さほど大きな嘘をつかなくともいいかもしれないぞ」
ヒミコは感情を失った顔で、おれをまっすぐ見据えてきた。おれの覚悟をはかるかのような眼差しだった。
「マスターがそう言うなら従いますが……。我々の科学力は別の形式で紡がれる魔法。そんな嘘で固めたとして、我々の科学力の不自然さを完璧に隠せるわけではないと思うのですが」
「どうだろうな。案外うまくいくかもしれないぞ。そういうわけで、レダから話を聞いてもいいか?」
「……マスターの仰せのままに。マスターの言葉をそのままアルファに話させます」
おれは探査船にいるアルファ機にアクセスした。アルファの視聴覚情報がおれに共有される。レダとニュウは望遠鏡に夢中になっていて、姉妹仲良く順番にレンズを覗き込んでいる。アルファがゆっくりと近づくと、姉妹は敏感に反応した。二人揃ってアルファのほうを見る。
「レダ、ニュウ。ダンジョン付近で獣の声のような音が鳴って、それをきっかけに見張りの人が慌ててダンジョン内に潜っていったのですが、これは何なのでしょう?」
かなり直接的な質問だった。ニュウはきょとんとしていたが、レダの顔色が変わった。
「獣の声……。それって、強敵と接触した合図よ。現行戦力では討伐不可能だから撤退するか、それとも増援を求めるか。たぶんこの場合だと撤退するんだと思うけど」
「つまり、ヴァレンティーネ隊は今、窮地に陥っているということですね」
アルファの言葉に、レダは頷いたが、
「……スズシロたちがダンジョン近くにいるのね? どうやって連絡を取っているの。もしかして、実は魔法を使えたりするの」
レダのほうからそんな疑問を投げかけてきてくれたので、助かった。おれはアルファに返答させる。
「全く別の形式の魔法を使うことができます。魔力ではない、別の動力を必要とする技術ですが……。それで遠隔地の人間と話ができますし、物体を生み出したり、操作したりできます。我々にとってレダたちの扱う魔法は非常に目新しかったので、情報が欲しかったのですが」
「そういうことなの……。異国の人だとは知っていたけれど、とんでもなく遠い場所からやってきたのね? 別の大陸だったりする?」
「ええ。我々の出身は氷の大陸です」
「氷の……」
それきりレダは絶句した。顔色がすっと悪くなる。もしかすると突拍子のない嘘だったのかもしれない。嘘だと見破られても仕方ない。
「……そう。色々腑に落ちたわ」
レダは頷いた。
「見た目も、どこか私たちと違うものね。言葉も最初、たどたどしかった。そう、氷の大陸……。とんでもない人たちと知り合えたものだわ」
どうやら信用してもらえたようだった。しかしレダのアルファを見る目には畏怖の感情が込められているような気がする。おれはこう聞かずにはいられなかった。
「……氷の大陸と聞いて、どんなイメージを抱いた? レダの持っている知識を聞かせて?」
「偏見に満ちていたら申し訳ないけれど……。過去200年に及ぶ鎖国で、独自に進化した魔法技術を持っていると聞くわ。大陸統一国家があって、凄まじい軍事力を誇るとも……。でも、知っていることなんてほとんどない」
「そうですか」
「あと知っているのは……。この国の皇帝が、10年以上前から、氷の大陸の侵攻計画を進めていること。だから、スズシロ、ヒミコ、氷の大陸出身であることは隠したほうがいいわ。見つかったら尋問されちゃうかも」
だからレダは青ざめたのか。おれは自分のついた嘘が思わぬ効果を発揮したことに驚いた。そして嘘なんてつくもんじゃないなと少し後悔した。レダはおれたちの心配をしてくれている。いらぬ心配だと教えてあげられたら、どんなに気が楽か。
「都合がいいですね」
おれの隣にいるヒミコはあっさりそう言った。さすがですマスター。そんな感情が込められた眼差しをヒミコは寄越してきて、こいつらはあとどれくらい演算装置の性能を高めれば人間の機微を理解できるのだろうかと、おれは苦笑した。