世界
ベルギウスの命に別状はなかった。
元々、魔神を封印するのに必要な体力を付与するために、魔法で自らの肉体を強化していたらしく、普通の人間より頑強だった。
ただし魔神封印で歪んだ彼の肉体は元通りにならなかった。縮み、ねじ曲がった彼の体は一生そのままだろう。
灰褐色の肌に、黒一色の瞳。もう封印の為に黒い包帯で自らの体を縛り上げる必要はなくなったが、彼はその見てくれをさらして生きていけるのだろうか。
ベルギウスを施設で集中治療している間に、ベータ率いる無人兵器軍団は周辺を警戒しつつ撤収した。
今回の戦いで消費した資源は相当なものだったが、皇国全土で資源調達を進めているおかげで、およそ10日程度で取り返せる量ではあった。
そして今回の戦いでの死亡者はゼロ。負傷者は十数名いたがいずれも軽傷。これ以上ないほどの大勝利と言えた。
魔王ヴェロスの肉塊は、そのままだと運び出すことが難しかったため、頭部だけ切り出して近くの都市まで輸送し、残りは焼却することとなった。もちろん消し炭にする前にデータは取っておく。
運び出した頭部は戦果の証としてだけではなく研究にも使える。また、優れた魔法道具の資材にも使えそうだった。
「マスター、ご報告が」
おれが意識を失ったままのベルギウスの様子を見ていると、治療担当のアンドロイドがヒミコからのメッセージを伝える。
「なんだ」
「魔王ヴェロスの出現に際し、兵器や偵察機を特別配備しました。その影響で、皇都周辺の監視体制がやや緩んでしまったようで……。もう少し具体的に言うと、戦闘時、皇帝の対応や皇国の軍隊の動向をチェックするのに注力し、全体を見る余裕がなくなったといいますか」
戦闘と関係ない皇都でも特別なシフトを組んでいたか。もし魔王ヴェロスをあの場で止められなければ、皇都にも影響は出るだろうから、当然の措置と言えるだろう。
「ほう。それで?」
「病院に搬送されたクレメンスの行方が分からなくなっています」
おれの精神と干渉した、クレメンス。おれから発せられた情報の奔流に耐えられず気絶した男だ。今もクレメンスに思考を読まれないよう、細工を施している最中だ。
「クレメンスが? どこかへ逃げ去ったと?」
「あるいは連れ去られたか……。魔王たちの会話で出てきた情報源となる人間というのがクレメンスのことなら、始末されてしまったのかもしれません」
結局、魔王とクレメンスが通じていたのなら、クレメンスが手に入れたおれに関する情報を魔王が手に入れたということになる。
その際最も懸念されるのが魔族の情報だ。おれは世界中に探査の手を伸ばしている。アドルノが保護している魔族だけではなく、他の魔族の所在もちらほら把握していた。
魔王が魔族を欲しているのなら、おれの情報を利用して、魔族の回収に動いてもおかしくはない。
一応、アドルノには事態の詳細を既に伝えている。彼がその後どう行動したのかは分からない。
おれがそれを把握してしまうと、それが魔王連中にも筒抜けになってしまうかもしれないからだ。この件はアドルノにうまく対応してもらうしかなかった。
クレメンスとの干渉が脅威ではなくなった今なら、アドルノと接触しても問題ないはずだった。
しかし今は皇国の動向が気になる。まだ戦争を始めるつもりなのかどうか、知っておきたい。
おれはベルギウスをアンドロイドに任せ、皇都に向かった。
皇都ではベータが待っていた。
魔王の出現とその討伐は皇都の人間もほとんどが知っており、その功績者としてグリゼルディスの名前が挙がっていた。
伝承の中の存在だった魔王がおおっぴらに出現したことは衝撃だったらしい。
かつてモルが魔王を討伐したことは知られていたが、局所的な戦いに終始し、その目撃者は限られていた。
しかし今回は違う。体長500Mという規格外の大きさの魔王を目撃した者は多く、その最前線で戦っていたグリゼルディスの雄姿も、多くの人間が記憶するところであった。
元々、グリゼルディスは皇都の人間に好かれていたようで、彼女の活躍を喜ぶ声が大きかった。
その浮かれっぷりに飲み込まれ、皇都全体で、モル派への粛清ムードや、おれへの興味なども薄れているように感じられた。
おかげで皇都の中におれたちが侵入しても騒ぎにはならなかった。
ギルドの宿舎では、グリ派の人間が集まって、グリゼルディスを取り囲んでいた。
頼れる首魁から話を聞き出そうとしている。当の彼女は困惑気味だった。
「だからぁ、私は何もしてないのよ。あなたたちなら分かるでしょ?」
とりあえずグリゼルディスは英雄の偶像としての役割を引き受けるつもりになったようだが、仲間には真実を打ち明けたようだ。おれがひょっこり姿を現したことで、グリゼルディスは満面の笑みを浮かべた。
「スズちゃぁん! 良かったわ! あなたがいなければ、今頃みんな浮かれてなんかいられなかったでしょうね」
グリゼルディスはおれの手を掴んでぶんぶんと振った。
同席していたヴァレンティーネやイングベルト、エルンストなどが興味津々といったように近づいてくる。
「スズシロさん、ほとんど独力で魔王を倒したと聞いたが……、本当か?」
おれは傍らに控えるベータを振り返った。
「……おれは遠くで指示を出していただけだ」
ベータは軽く会釈した。イングベルトが感心したように言う。
「しかし、あなたが整えた戦力だろう?」
「そうだな……。元々、おれは魔王だろうが何だろうが、討伐できるだけの戦力を手に入れるつもりだった。その為に皇国全土で資源を求めて土地を買収した。おおむね、無人兵器が魔王に通用したことに安堵している」
ヴァレンティーネが大きな図体を揺らして少女のように笑った。
「スズシロ様、あなたは氷の大陸の出身者として追われていたときも、皇国だけではなくこの世界の為に、備えてくださっていたのですね」
「リーゴスのダンジョンで魔王の脅威をいやというほど理解したからな。本来、おれはここまでやるつもりはなかったんだが、ある程度割り切って大胆に活動しないと、取り返しのつかないことになると思ったんだ」
「私は支持します」
「ありがとう。……それで、皇帝は今回の件をどう受け止めてるんだ? 戦争なんてやってる場合じゃないと考え直してくれたか」
グリゼルディスは少し暗い表情になり、
「かもしれない。けれど、皇帝陛下は自らに呪いをかけている人間をどうにかするのが最優先みたい。ベルちゃんに、モルちゃん、ロートちゃんの首に懸賞金をかけて、民間や国外の人間にも協力をあおいでいるもの」
「そうか……。とりあえずベルギウスは安全な場所にいる。モルとロートラウトは?」
「国外に潜伏しているようね。賢い選択だと思うわ」
おれの探査機は世界全体に行き渡っているが、皇国ほど分厚い監視網を形成しているわけではない。
モルとロートラウトの正確な居場所はよく分かっていなかった。
「モル派を無差別に処刑、なんてことはやり出さないだろうな……」
「さすがにそれはないわ。私がさせないもの」
グリゼルディスは自信たっぷりだった。頼もしいその態度をおれは信頼した。
「そうか。おれは戦力の拡充と、魔王の追跡に注力したい。できれば各国が連携して魔王に備えて欲しいんだが、そういう話にはなっていないのか」
「皇国が氷の大陸相手に戦争を始めようとしている事実は、公然のものとなりつつある。そんな国とは連携が取りづらいわよね。でも、何か国は魔王の件を詳しく知りたいと打診してきたわ。本来なら皇帝陛下が主導して各国に情報を譲渡して対策を講じるよう助言すべきなんだろうけど、今は無理よねえ」
「……そういう感じか。分かった」
おれはギルド宿舎を後にした。傍らのベータに指示する。
「今までは単純なリソースの問題や、政治的な理由で皇国での活動をメインにしていたが、これからは積極的の他の国とも関わっていきたい。手始めに、魔王ヴェロスの情報と、分かっている範囲での魔王の詳細な情報を手土産に、各国を訪問したいんだが」
「分かりました。手配します」
「特に資源が豊富な国があれば、そこでも工場を建設したい。皇国の資源だけで全てを賄うのは難しそうだ」
これから魔王との戦いが続くのであれば、戦いは全世界規模になるだろう。資源の制約がなければ、もっと大胆で巨大な兵器を投入できる。
魔王からはおれがどう見えているだろうか……。警戒はしているはずだが、そうなるとおれの行動を妨害してくるかもしれない。魔王ヴェロスのような強敵が同時多発的に出現したら、対応できるかどうかわからない。もっと多くの戦力を用意する必要がある。おれは課題が山積していることを自覚し、少しだけ焦っていた。




