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フォス



 ベルギウスの飛行速度は音速を超えていた。

 黒い影となった彼、その飛翔体は空を切り裂くように進み、ブオンという異音と共に皇国の美しい風景に一抹の穢れをもたらしたかのようだった。

 おれは飛行艇で現場に向かっていた。ベルギウスがその活火山に到着したのと、飛行艇が上空に到達したのは、ほぼ同時だった。

 ベータが真っ先に降下する。おれは飛行艇が十分に高度を下げてから、活火山の火口付近に降り立った。


 ベルギウスはそのまま飛行する勢いそのままに、火口に突入するつもりのようだった。

 ベータが寸前で妨害した――鉄の網を展開し火口に突撃しようとしたベルギウスを絡み取ろうとしたのだ。

 ベルギウスは寸前で方向転換し、山の頂上付近に降り立った。


 黒い包帯が一部ほどけ、顔面が露になっていた。灰褐色の肌。全体が黒く変色した眼。幾重にも刻まれた皺と、水分が完全に抜けた肌は、老人のようだった。

 ベルギウスは忌々しげに鉄網を睨む。そして、遅れて近づいてきた俺を見て嘆息した。


「……問答無用で死んでやろうと思ったのに、追いついてくるとは。つくづく有能な男だ」


 ベルギウスの皮肉に、おれは小さく笑った。


「おれも驚いたよ。お前がそこまで自由自在に空を飛べるとは。他の魔法使いもできるのか?」


 ベルギウスはずり落ちた包帯を再び巻こうとしたが、途中で千切れ飛んで長さが足りないらしく、すぐに諦めた。


「いや……。アドルノやグリゼルディスでもここまでの速度は出せないだろう。我は、魔神を内に宿してから、格段に魔法の腕を上げた。魔神の力を一部、抽出できるようなのだ」

「魔神の力……」


 ベルギウスの瞳は黒一色で感情が分かりにくい。しかし怒気を含んで言葉を発していることは分かる。


「だから、我は魔神がどれほどの強さなのか、なんとなく分かる。人類では敵わない。そう確信するからこそ、自害する必要がある」

「だが、封印が完全に解けるまでまだ時間があるんだろう? それまで何か方法がないか、探してみないか。そう思ったからこそ、おれはお前に禁書が燃えたことを正直に話したんだ」


 ベルギウスは、話にならない、とばかりに手を振った。


「見当違いも甚だしい。我は既に一度過ちを犯している。その上で今日までおめおめと生き長らえてきたのは、いざとなれば躊躇なく自らの命を絶つと決めていたからだ。これは外せない」


 しかしおれは諦めたくなかった。ベルギウスはこんな簡単に死んでいい人材ではない。それでなくとも、そんな自己犠牲は認められない。


「アドルノやグリゼルディスは、お前のやり方に賛同しているのか?」

 

 彼は少し答えるのに躊躇した。額に手をやり、


「……アドルノは何も言わなかったが。グリゼルディスはギルドの力を結集すれば魔神なんて倒せる、などとのんきなことを言っていた。貴様と同じだ」

「一つ思うんだが、火口に身を投げたとして、お前は確実に死ぬが、魔神も死ぬのか?」


 ベルギウスは弾かれたようにおれを見た。


「なに?」

「お前は魔神を、人類には手に負えない強大な敵だと考えているが、だとしたらマグマに飲まれたくらいで死ぬような奴なのか? 仮に死ぬとしたら、人類でもなんとか倒せる程度の敵ということにならないか」


 ベルギウスは一瞬黙り込んだ。そしてぶんぶんと首を振る。


「そんなことは……。魔神は我の内に眠っている。我もろとも死ぬはずだ」


 しかしベルギウスは自信を少し失ったようだった。自分が死ねば魔神も死ぬ、と無条件に考えていたのだろう。

 実際どうなるかはやってみないと分からない。死ぬ覚悟はできていても、無駄死にの可能性があると気づいてしまったら、躊躇してしまう。それは仕方のないことだった。


 ベルギウスは明らかに動揺し、もう妨害しなくとも火口に飛び込む様子はなかった。

 ベータが火口全体に展開していた鉄網を回収し始める。それをベルギウスは力なく見つめていた。


「……スズシロ。お前は魔神を殺せるのか?」


 さっきまではとはうってかわって、弱々しい声音だった。

 おれはできるだけ淡々と答えた。


「自信はある。おれは強力な兵器を隠し持っている」


 作ろうと思えば、際限なく強力な兵器を作り出せる。

 化学兵器、核兵器、反物質を用いた対消滅兵器……。どんな生物もその威力の前にひれ伏すしかない。

 仮にこの世界に神と呼ばれる存在がいたとしても、喰らってしまえばひとたまりもないだろう。


「なら、その兵器を使って我を殺せ。魔神を確実に葬る為だ」


 ベルギウスはくぐもった声で言う。その眼差しから揺らぎない決意を感じられる。


「ベルギウス……。なぜそこまで」

「言っただろう。魔神は必ずこの世界を滅びに導く。はっきり言って、我はお前を信用していない。だが、貴様以外にこの状況をどうにかできそうな奴も思い浮かばない……」


 ベルギウスはおれに向き直った。そして目を見開いた。

 おれを見て驚いたわけではない。おれの後ろに焦点が合っている。


「……マスター!」


 ベータが叫ぶ。そして駆け寄ろうとして足を止めた。

 おれは振り返ろうとした――おれの首に冷たい感触がある。

 白く細い指が、おれの首にかかっていた。

 凄まじい力で引き倒されそうになる。そしておれの頭を抱くようにして拘束したのは、白い肌の女だった。


 白い髪、白い肌、白い服、ピンク色の瞳……。禁書を焼いた例の女が、おれを引き寄せて動きを止めていた。


「スコタディ……。迎えに来たよ」


 女は細い声で言った。今度は思念体ではない。実体だ。


 ベルギウスの体が突如膨らんだ。すぐに抑え込む。ベルギウスの全身の黒い包帯が内側から強風にあおられるようにして弾け飛んでいく。

 おれはベルギウスを助けるよう、ベータに指示を出した――が、彼女はおれの命を守る為に、その場から動けなかった。おれが人質に取られている間はむやみに動けない。


 ベルギウスはもがき苦しんでいる。地面を転がり、のたうち回り、体が不自然に変形し、しかし彼はなんとかそれを抑え込む。


「頼む……!」


 ベルギウスは叫んだ。


「我を殺せ……! このままでは魔神スコタディが顕現する……! 我を火口に……」

「させないよ。そんなことしたら妹が死んじゃうじゃん。きみが死ぬぶんには構わないけど」


 女は言った。拳を前に出して、くいっと捻る。

 その動作に合わせてベルギウスの首がゴキンと折れた。おれは息をのんだ。


「助かったよ。スズシロさん。あなたがベルギウスを引き留めてくれて。彼がこんなに早く死を決断するとは思わなかった。おかげで到着が遅れちゃった……。火口に飛び込んでいたら、愛妹スコタディは死んでいたでしょうね」


 くすくすと女は笑む。ベルギウスはもう動かなかった。おれは自分の首に手をかけた。


「……お前……、魔王か?」

「そうだよ」

「名前は?」

「フォス。ねえスズシロ。空にある物騒な船を退避させてくれない? きみを人質に取っているのはさ、きみの抱えている兵器が私たちにとって脅威になり得るからなんだよ……。とりあえず今は、ここから退けるだけでいいからさ」

「魔王は現在何体いる?」

「……私の話、聞いてる?」

「クレメンスをけしかけたのはお前か?」

「ねえ。質問ばかり。そんな態度取ってたら、殺しちゃうよ?」

「お前が死ぬ前に、できるだけ聞いておかなくちゃな……。だがもう無理そうだ」


 フォスが怪訝そうな顔をした。そんな彼女の脳天に、光の柱が一本、下りて来た。


「……ん?」


 次の瞬間、フォスの全身が燃え上がった。飛行艇装備のレーザー兵器。一瞬で対象の体温を数千度引き上げる凶悪な代物。まるで蝋でできた人形のように、フォスは燃え上がり、おれは彼女の手から逃れた。


「マスター! お怪我は?」


 ベータが駆け寄ってくる。おれはベルギウスを指差した。


「少し後頭部が焦げたくらいだ。それよりベルギウスだ。まだ死んではいないな?」

「ええ……。しかし……」


 ベルギウスの体が不自然なほど膨らんでいる。今にも別の生物が飛び出してきそうな、そんな異物が彼の体内にいることが分かる。


「酷いことするなあ」


 燃え上がったフォスが、炎をそのままに、平然と立っていた。少しずつ鎮火していく。彼女は白い肌や白い髪がそのままに、ダメージがほぼないようだった。燃えたのは服だけだ。


「ちょっと驚いちゃったよ。やっぱりスズシロさん、きみは脅威だ。まだ殺さないでおく予定だったけど、早めにやっておいたほうがいいかもね……」


 フォスは完全に炎を消し、悠然とこちらに歩み寄って来た。ベータが身構える。飛行艇に搭載していた無人兵器が降下してくる。もちろんフォスはそれを把握しているはずだ。おれは銃を構えたが、この戦いでおれが役立てるかと言うと、そこまで自信はなかった。





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