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焼失



 ただ単にクレメンスがモル派への恨みで動いているだけならおれは動くべきではないのかもしれない。

 しかしその背後に魔王がいるのなら話は別だった。


 おれは重くなった頭を抱えながら飛行艇に乗った。

 ベータは飛行艇の速度を抑えめにした。それでもちょっとした加速度の負荷が体に毒だった。


 ベルギウスがクレメンスを圧倒しても、皇帝がベルギウスを敵視しているのなら、遅かれ早かれ彼は屈服するか国外逃亡するしかないだろう。

 こんな事態になれば国外に出ているモルとロートラウトは戻ってこないだろう。いや、釈明の為に危険を承知で戻ってくるのか? なにもやましいことはしていないと思えば、堂々と帰国する可能性はあるか。


 おれの今の思考はクレメンスに読まれていないはずだ。

 今ならクレメンスをどうにかできるかもしれない。しかし、彼が魔王と通じているというのは推測でしかない。ギルドの人間を攻撃するのはやはり確信がなければやれるものではない。

 

 皇都に放っているプローブが、クレメンスと彼が率いる120の兵士の状態を絶えず監視している。

 クレメンスは魔法学校付近を重点的に見張っていた。ベルギウスが魔法学校に戻ってきたところを襲うつもりだろう。

 ベルギウスに任せてもいい。しかし皇都周りはモル派への弾圧を開始していた。

 ギルドとギルド寮に皇城の兵士が押しかけ、モル派のギルドメンバーを拘束していた。

 牢にぶち込まれるほどではなく、ギルド寮に軟禁状態になったようだ。

 モル派ではないイドゥベルガも、ついでに自由を奪われたようだ。ひたすら彼女は困惑していた。


 危険はないようだからいったんは放置する。どうすれば誤解は解けるのか。

 皇帝が本当に呪いをかけられているのなら、その真犯人を突き止めねばなるまい。しかし、ただの老衰からくる身体の不調かもしれない。


 皇帝はいまでもおれを信用してくれるだろうか。直接話をすれば、モル派への攻撃をやめてくれるかもしれない。

 おれはそんなことを考えつつも、皇都上空まで戻ってきた。飛行艇の上から皇都全域を見渡す。


 アンドロイドや無人兵器の軍勢を差し向ければ、あっという間にクレメンスを捕縛できるだろう。自白剤の類を使えば、もしかすると呪いの真偽も話してくれるかもしれない。


 だがおれはそれになかなか踏み切れなかった。魔王が関わっているという確証が欲しい。もし間違いだったならおれは真正面からこの国の政争に関わることになってしまう。いや、クレメンスがおれの知識を利用しているのなら、もう既に手遅れなのかもしれないが……。


「マスター。ベルギウスが皇都に帰還するまで、三日ほど待ちますか。彼ならばモル派を統率し、皇帝へのとりなしもやってくれるかもしれません」


 ベータは言う。彼女はこの騒動に嫌気が差しているようだった。おれはそれに同意したかった。


「ああ……、そうするべきなんだろうが……。やれることは全てやっておきたい。クレメンスがリーゴスのダンジョンから帰還して病院で過ごし、そして復帰するまで、誰かと妙なやつと接触はしていないか」

「彼周辺を重点的に見ていたわけではないので、皇都全域を監視していたプローブのカメラにたまたま彼の姿が映ったときの情報しか残っていません」

「そうだよな。わざわざ皇都を監視する必要が、これまでなかったからな……」


 おれは現在、魔法学校周辺に張り込んでいる兵士たちをカメラ越しに見た。

 いずれも完全武装し、全く潜伏できていない。

 都民や魔法学校の生徒たちは彼らを遠巻きにして、不気味そうにしている。

 これではベルギウスがのこのこ現れて禁書棚に赴き、何らかの力を禁書から得るなんてことができないだろう。

 ベルギウスにとって、それは必要な行為のはずだった。もしそれができなかったら彼はどうなるのか……。


 おれは禁書棚付近の映像をなんとはなしに見ていた。

 人気のないそこに、ぼうっと突っ立っている女がいる。

 白い髪。白い睫毛。白い肌。白い衣服。

 瞳だけは淡いピンク。その女の姿を、おれは見たことがあった。


 リーゴスのダンジョンに突如として現れた思念体。魔法使いでないと見ることができないと言われた、魔王とおぼしき女。

 それが禁書棚の近くにいた。


 おれはぞっとした。女は禁書にゆっくりと手を伸ばし、当然のようにそれを閲覧している。

 周りに司書や学生はいない。

 クレメンスの兵士が現れたことで、学生たちは普段のように学業に集中することができずにいる。

 図書館はいつも以上に閑散としていた。


「なんだあいつ……。どうしてあんなところに」

「どうしました、マスター」


 ベータはゆっくりとそう応じる。おれは焦っていた。


「あいつだよ。おれがリーゴスのダンジョンで会った思念体……。堂々としてやがる」

「……いったい何の話をしているんです?」

「おいおい、カメラに映っているだろう。あの女……。そうだ、あの女が過去に皇都のどこかで映っていないか、記録を検索してくれ。もしかするとクレメンスと接触しているかも……」

「マスター。女というのは誰のことです?」


 おれはベータが映像に映っている女を視認できていないことに気づいた。

 カメラを通して、おれは女の姿を見ている。なので電子記録上、女の存在をヒミコたちは認識できるはずだった。

 しかしそれができていない。どういうことなのかおれには分からなかった。


「……ふざけてるわけじゃないんだよな?」

「それはこちらの台詞と言いたいところですが……。マスター、魔法学校に何かがいるのですね?」

「ああ」


 ベータはおれの表情から深刻さを理解し、


「……現場に行きますか? もしかすると、何かやらかそうとしているのかもしれません」

「そうだな……。だが、おれたちだけでは対応できないかもしれん。ギルドにすぐ動けそうな奴はいないか」


 おれは飛行艇を降下させた。おれとベータが皇都に降り立ち、魔法学校付近に移動する。兵士たちの動きはリアルタイムで完璧に把握していたので、それを避けながら移動するのは、時間させかければ容易だった。


 そうこうしている間に、皇都内に潜伏させていたアンドロイドがギルドと連絡を取り、援軍を呼んだ。

 モル派の拘束に抗議をしていたヴァレンティーネと、隙あらば魔法学校の教員職から逃れようとしていたイングベルトが、おれの要請に応じてくれた。

 学生街の家屋の隙間で身を隠していたおれとベータのもとに、ヴァレンティーネとイングベルトが現れる。


「スズシロさん! お久しぶりです」


 ヴァレンティーネは破顔した。イングベルトは出会ったときより少しくたびれた様子で、おれを見るなりため息をついた。


「スズシロさん、俺をどこか遠い国へ連れていってくれよ。ほんと、教員なんてろくな仕事じゃねえ」

「応じないわけでもないが、今はその話はなしだ。魔法学校の図書館に不審な奴がいるんだが、おれだけで対応するのもどうかと思ってな」


 ヴァレンティーネが大剣の柄に触れながら頷く。


「ギルドがこんな有様でないなら総出で対応するのですが。皇城が今はきな臭いですから、公然と動き回るわけにもいかず……。それではいきましょうか」


 おれたち四人は魔法学校に近付いた。クレメンスの兵士はできるだけ魔法学校を広範囲にわたって監視していたが、それでも限られた人間だったので綻びはあった。

 なんとか気づかれずに魔法学校の図書館に辿り着く。イングベルトは狼を思わせる冷たい銀色の瞳を光らせ、


「妙な気配がする。なあ、ヴァレンティーネさん?」

「ええ……。確かに何かがいますね」


 おれたちはがらんとしている図書館に踏み込んだ。禁書棚近くの席に腰かけて本を読んでいる女が一人。


 女は姿勢よく椅子に腰かけ、丸メガネをかけて本を読んでいた。

 読んでいるのは禁書だろうか……。おどろおどろしい色の表紙の本だ。女はぱらぱらとページを捲っている。


「思念体……」


 イングベルトが呟く。女は風もないのに白い髪が横に吹き流れていた。

 女がおれたちに気づく。本を閉じた。


 そしてその本を燃やした。一瞬で火が点き、あっという間に燃え尽きる。


「なっ……!」


 制止する暇もなかった。女は立ち上がり、立ち昇った黒い煙に息を吹きかけた。

 図書館に突風が吹き荒ぶ。

 おれは思わず瞼を閉じた。

 数秒後、おれが目を開けると、既に女の姿はなかった。

 イングベルトとヴァレンティーネも、おれと同じように女の姿を見失ったようだった。

 そしてベータはそもそも女の姿が見えなかったようだ。


 あとには禁書が燃え尽きた白い灰だけが残っていた。燃えたのは禁書だけ。図書館の机や床は焦げ跡さえ残っていない。


「今、燃やした禁書は……」


 嫌な予感がしていた。ヴァレンティーネが燃えた本を特定するべく、司書を呼びに行った。

 イングベルトは思念体の後を追おうと図書館を出て行った。おれは燃えカスを持ち上げて指の上で転がした。


「燃えカスを分析して禁書を復元なんてことは……」

「さすがにできませんね」


 そうだ。そんなことは分かっている。おれは動揺していた。ゆっくりと燃えカスを机の上に置き、瞼を閉じると浮かび上がってくる女の思念体の姿を思い出した。

 リーゴス。アイプニア。ザカリアス帝。それに続く魔王の一人だろう。いよいよ戦いのときが近づいてきたのかもしれない。おれはそう覚悟した。




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