探査船
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おれの宇宙探査の旅は、ヒミコの言葉を信じるなら、200年にも及ぶらしい。
もっとも、この茫漠した宇宙の住民となったおれが、地球を基準にした暦を採用することはほぼ無意味なわけだが。
宇宙探査船は、船とは名ばかりの2立方メートル程度の大きさの箱だった。居住スペースが限られているおかげで、超巨大なエネルギーを扱う反物質炉を常に腹に抱える恰好で旅を続けている。数十年に一度、地球に帰還して補給と船のメンテナンスをしてもらうが、この旧時代の宇宙探査船の構造を見て、若きエンジニアたちは一様に青ざめる。
効率的にワープ航行をする為に極限まで質量を抑えている。探査船の中では人間らしい暮らしはできない。食事らしい食事は一切摂らず、血管に直接栄養と水分をぶち込んでもらう。ついでに無重力状態で体が鈍らないように、細胞を活性化させる薬剤を注入し、骨や筋肉が劣化しないようにする。窓はないので常に合金の檻の中でじっと計器を見つめている。必要なものは原子プリンターで造れるので何も困ることはない。そんな生活が200年続いた。
旧時代の人類は、当時最先端の技術を惜しげもなく宇宙開発に投入した。おれが200年の旅を続けてもなお、若者の姿のままでいられているのは、倫理観など度外視で肉体をいじくり回したからだ。現代の地球では、むしろ自然のまま生き、そして死ぬことが一般的となっており、おれのような不死の老兵は不気味がられている。
今もおれは、天井や壁から伸びたチューブを血管に突き刺し、おれの体から出てきた老廃物が船内でぐわんぐわんと音を立てて分解される音を聞きながら、AIのヒミコからもたらされた報告書に目を通している。報告書は紙で出来ている。脳に直接情報を吹き込むことももちろん可能だが、人体改造の結果おれの目や耳や鼻は必要以上に鋭敏だった。これを生かさないのはあまりにもったいない、というおれのここ最近の気まぐれだった。
「ヒミコ……。起きてるか?」
《もちろん、マスター。何か気になる点でも?》
妙齢の女性の合成音声。彼女の声はおれを心穏やかにさせてくれる。
「別に構わないんだが、どうしてこの報告書、手書きっぽいんだ?」
おれは報告書をひらひらと振った。典麗だがばらつきのある字体は、まるで手書きのようだった。
《お気に召しませんでしたか? てっきりマスターは人の温もりを欲しているのではないかと》
「今更、この俺が? 読みにくいわけでもないから全然いいんだが、ちょっと気になって」
《最後に宇宙港に立ち寄ってからそろそろ30年が経ちます。プリンターで船の部品を作っては嵌め換えて、機能は維持していますがやはりがたついてきました。一度帰還を検討なされては?》
おれは狭い船内をぐるりと見回した。常にヒミコが整理整頓し、最大限おれの居住スペースを確保してくれているが、常人なら数日で発狂する狭苦しさだった。しかしおれは帰還の折となると憂鬱になる。おれはこの閉塞感溢れる空間が好きだった。
「お前がその手の提案をおれにしてくるのは初めてだな、ヒミコ。よほど危険な状況なんだろうな」
《もし危険な状況なら勝手に船を帰還させていますから、まだ大丈夫ではありますよ? ただ、この30年で地球文明がどうなっているか、分かったものではないですから、補給できるときにしませんと」
この宇宙空間を彷徨っていると分からないものだが、時の流れがもたらす変化は劇的で、おれは地球の情報を仕入れる度に驚かされる。思いもしない問題が立ち上がっていたり、信じられない技術が確立されていたり、他の探査船が見つけた惑星の生命体の話に心躍らせたり――しかし、おれを含め、数百の宇宙探査船がワープ航行を使って宇宙を駆け巡っているが、地球人と同等の知的生命体とはまだ接触できていなかった。
それだけに、きな臭い話が聞こえてくる度に、おれは虚しい気持ちになる。戦争が始まって、地球文明が滅びれば、もう二度とこの宇宙に先進文明が生まれてくることはないのかもしれない。おれの宇宙探査の目的は知的生命体の発見だが、半ば諦めかけている。この200年でいったいどれだけの恒星系に立ち寄り、生命体の発見に砕身したか。期待し、空振りを味わうたびに、地球がいかに奇跡の惑星であったかを思い知らされる。
「ヒミコ。次のワープ航行まであとどれくらいだ」
ヒミコは即座に、
《38時間5分33秒です。この恒星系の情報収集と分析も、それまでに完璧に終わらせます》
「次の星に行って、探査を終えたら、一度地球に帰還する。久しぶりに重力の檻に囚われてみるかな。薬剤で骨や筋肉を維持してきたつもりだが、どこまで通用するものか」
おれは生体チューブと癒着している自らの腕の傷を批判的に眺めた。ヒミコによればおれの身体能力は通常の人類の最高水準を遥かに超越しているらしいが、重力の負担というのはなかなか厄介である。いざ地球に降り立ったら一歩も動けないなんてこともあるかもしれない。
《宇宙港に寄るだけではなく、地表に降り立つのですね。80年ぶりです。資産運用を任せている田中氏に連絡しますか? あまり放置していますと、好き放題やられる可能性もあります》
「別にいいよ。どうせあいつもAI任せだろうし。それに、おれは宇宙探査を続けるだけのカネがあればそれでいいんだ」
田中という男はおれの200年来の知り合いだった。地球にいたら息苦しいだろうに、他の不死者と違って自死することも辺境の地に逃れることもなく、軌道エレベーター内にある一等地に住まいを構えて、カネを稼ぎまくっている。
《もっと稼いで、新しい船を買うことは考えないのですか?》
田中のことを念頭に置いたであろうヒミコの発言。おれは首を振った。
「別におれはそれでもいいかもしれんが、ヒミコ、お前は船の乗り換えが大変だろうに」
《マスター、私を200年前の人工知能だと侮ってはいませんか? 新しい船の仕様なんて一秒で理解してみせますよ》
おれはヒミコの得意げな声に首を傾げた。
「……あれ、もしかしてお前、このオンボロ船のこと嫌がってる? もっとマシな演算装置使わせろとか思ってる?」
《まさかまさか。あははは、マスター、ご冗談を》
「ならいいけど……。次のワープ航行まで寝る。諸々頼んだ」
《かしこまりました。おやすみなさいませ、マスター》
おれは瞼を閉じた。ヒミコが気を利かして、チューブの中に睡眠導入剤をほんの少し混ぜる。すっと眠りに落ちることができた。
おれは夢を見た。おれはこれが夢であることを自覚していた。夢を見ること自体は珍しくはなかったが、明晰夢は珍しい。
そこは平原のど真ん中だった。地球にはもうAIに徹底管理された人工的な緑しか残っていないが、おれはこの平原が全くの自然の環境であることを直感した。
平原の果てで少女が駆けている。必死の形相だ。赤い頭飾りと栗色の長髪を揺らして、死に物狂いで走る。風に揺れる黒い道衣はところどころほつれている。それを追いかけているのは醜悪な怪物だった。肥大化した筋肉に、泥と獣の血で薄汚れた、亜人の姿。身に纏っているのは獣の革で、手には一丁前に鉄剣を握っている。
少女は健脚だったが、怪物に追われ、恐怖で何度も転びそうになっていた。おれはこれが夢であることを強く意識していたが、助けなくてはと思った。試しに自分の体を動かすと、少しふわふわした感覚だったが、問題なさそうだった。
これは夢の中。少女が転び、怪物がその小柄な体を勢い余って蹴飛ばす。地面を転がった少女は意識を失い、怪物は鉄剣を振り上げた。
おれは銃を作った。おれの夢の中なのだから自由自在だ。それを間髪入れずに撃った。弾丸が怪物の頭蓋に撃ち込まれ、音もなく倒れた。
しばらくして少女は意識を取り戻して立ち上がった。頭から血を流している怪物を呆然と見つめている。
そしておれのほうを見た。
少女の目は眩い金色だった。
距離があるはずなのにおれはその金色の輝きを間近に見た感覚になった。
そして目が覚めた。
《マスター! マスター! 起きてください! 理想的な水惑星です!》
いつもの殺風景な壁にモニターが出現し、船のすぐ外を映し出していた。おれは目を擦りながら、モニターのほうを見た。
「うるさいな。もっと穏やかに起こしてくれよ。……今、何と言った?」
《見てください。まだ簡単なスキャンしか行っていませんが、生命の気配たっぷりの水惑星です。サイズは地球とほぼ同じくらい。大気も存在しています。大陸には緑が生い茂り、ああ、多種多様な動植物が生息していることは間違いないでしょう。それに、何より……》
おれはモニターが映し出す映像に釘付けになった。ワープ航行の前に起こせと言ったのに、既に航行した後なのはどういうことだと文句を言いたい気持ちもあったが、すぐに忘れてしまった。
その惑星は地球によく似た外観をしていた。海があり、緑豊かな大陸があり、雲があり、風の流れが見受けられ、むしろここに大型の動物がいないと言われたほうが不自然なくらい、地球にそっくりだった。
しかしながら決定的に違う点もあった。
この星は巨大な淡い光に覆われていた。薄緑色の光がこの星全体を覆っている。
その光はよく見ると紋章のようなものを描いている。獣の顔のような紋様だ。
文明。間違いなくここには文明がある。それも星全体を覆う謎の光膜を作り出せるような、高度な文明だ。
生命体の発見ですらほとんどないのに、知的生命体の発見となると、地球人類史上初めての功績だった。おれはしばらくこれが夢なのではないかと疑った。
興奮はしたが、頭は存外冷静だった。おれはじっと映像を見つめながら、
「まずは説明してくれ。予定通りの座標にワープ航行をしたんだな?」
《はい。お声がけをしたのですが、マスターがなかなか目を覚ましてくださいませんでしたので、安全に十分留意した上でワープを実行しました。当該恒星系に七つの惑星を発見し、その内の一つに生命体が存在する可能性があると判断したので、通常航行でこの地点まで移動しました。幸い、それほど遠くはありませんでした》
おれは額に手を当て、
「ん? ちょっと待て。おれはどれくらい眠っていたんだ」
《177時間と少し》
一瞬気が遠くなった。経験したことのないほどの睡眠時間だった。目覚めの気分は良くも悪くもない。おれが眠っている間、ヒミコが完璧にケアリングしてくれていたのだろう。
「そんなにか……。まあいい。それで、この惑星についてはどれくらい把握している?」
《本格的な分析は、探査小型機を軌道上に配置してからになりますが……。各種データを出力します》
天井から紙が降ってきた。報告書類が何十枚と目の前に落ちてきて、おれはそれを手早くまとめて急いで捲った。
「……驚いたな。ワープ通信で日本の宇宙開発局に一報だ。きっとこれらのデータを見たら連中の目ん玉飛び出すぞ。最近の若い奴は、宇宙人はいない、と平然と言ってのける奴ばかりだからな」
《マスター、その件についてなのですが》
ヒミコの声に陰りがあった。
「どうした」
《ワープ通信をするだけのエネルギーが残っていません》
「どういう意味だ? 燃料が切れたということか?」
《はい》
「ええと……。今回のワープ航行と通常航行で燃料を使い果たしたということか? それは、単なるお前のミスってことなのか?」
こんな事態が初めてで、おれは困惑していた。万能AIヒミコは人間臭い部分はあるが、こんなミスをするような奴ではない。もしこれがヒミコのミスだというのならまだマシで、不測の事態によるものだとしたら厄介だった。
《申し訳ございません。原因不明なのですが、ワープ航行で消費する燃料が通常の10倍以上に膨れ上がっていました。途中で通常航行に切り替えたのも、短距離ワープが使えなかったからでして》
「よく原因が分からないが、反物質炉の燃費が突然悪化したのか? しかしもしちょっとでも不具合があったらこの船ごと爆発起こして終わるような気もするが」
おれは反物質炉がある床をガンガンと叩いた。
《反物質炉に異常は認められません。しかしほぼ燃料が空になっており……。原因は調査中です》
おれは何と言っていいか分からず、しばらく壁を睨んだ。
「うん……。よく分からんが不気味だな。しかしヒミコ、お前もなかなか大したAIだな」
《といいますと?》
「真っ先に宇宙船の異常ではなく、惑星の発見を報告し、沸き立った。人間ならともかく、秩序と制御を重んじるAIらしからぬ挙動だ」
《マスターに似たのかもしれません。次の瞬間この船が爆発四散しかねないと思っていたので、真っ先に喜んでいただけるようにそちらの報告を優先しました》
「ふふ、普通は宇宙船の異常を真っ先に報告して、爆発しないように手を打つべきなんだが、よく考えてみればおれに出来ることなんて何もないしな。この船の主はお前だよ、ヒミコ」
《滅相もない。この船と私の所有者はマスターに他なりません》
ヒミコは心なしか少し嬉しそうな声で言った。おれはやり取りの間もモニターと報告書を見比べては、これが現実であるということを受け入れられるように努めていた。
「それで、これからどうする」
《恒星から受け取れる光エネルギ―だけでも生命維持システムを回すことは可能です。プリンタで簡便な核融合炉を建設し、別の惑星や小惑星から燃料を調達し反物質を貯蔵、ワープ通信で救助を要請します。自力でワープ航行できるまで反物質を貯蔵しようと思うと、何百年かかるか分からないので、自力での帰還は諦めます》
おれは顎に手を当てて何度か頷いた。
「それしかないか。何の対策も打たずにあの惑星に降下するわけにもいかないしな」
《我々の存在があの星の環境を破壊する可能性がありますから、降下は誉められた行為ではないでしょうね。我々は完全な無菌状態ですし、降下できるように準備することもできますが》
「やめておこう。この惑星を発見できただけで、おれは満足だ。開発局の若造たちと交渉して、ここの探査と必要であれば開発に一枚噛めないか探らないとな」
《……え?》
ヒミコがAIらしからぬ声を発した。おれは思わず天井を見上げた。別にそこにヒミコがいるわけではないのだが、何か物質のやり取りをするときは天井からなのでついそちらを見た。
「どうした。間の抜けた声を発して」
《惑星に落ち始めています》
「あ? 重力に捕まったのか?」
《いえ。重力ではなく……。何か不可思議な力が働いて、この船を引きずり落とそうとしています。このままいくとあの星に降下してしまいます》
おれはヒミコの困惑を感じ取って、少し焦り始めた。
「なんとか抜け出せないか? 残った燃料を使って」
《システムの維持に必要な電力を確保できなくなります。それに、どんどん力が強まって……》
「……参ったな」
おれはぼやいた。みるみる惑星が大きくなってくる。落下は不可避のようだ。
やがて探査船は惑星の重力に囚われて、落下速度を増していった。探査船の形状が大気圏突入に適したものに変わっていき、おれの体に壁から生えてきたベルトが巻き付いた。
モニターが消失した。エネルギーの無駄遣いができない状況で大気圏に突入するには探査船の構造を頑強にするしかなかった。どんどん居住スペースが狭まっていく。降下姿勢に入る。
「無計画に文明惑星に降下か。世間様からいったいどれだけ非難されるかね、おれたちは」
《仕方ありません。影響が最小限になるように努めましょう》
探査船は大気との摩擦熱で炎を纏いながら降下していく。ヒミコが抜け目なくその熱をエネルギーに変換していくが、反物質炉の出力と比べれば絶無に等しいものだった。計器からの報告によると船は陸地に墜落しそうだった。探査船からパラシュートが展開され、緩やかに落ちて行く。
おれは重力を全身に感じて、空中で既に吐き気を催していた。船が地面に落下したときの衝撃で、眩暈がした。最悪の気分だったが、しかしこの頑丈な躰はすぐに環境に適応するだろう。衝撃から覚め、血管に突き刺さったチューブを引きちぎり、おれは立ち上がった。
おれが外に出たがっていることを察したヒミコが、おれを十秒ほど制止する。
《周辺に異常なし。大気の成分分析完了。問題となりそうな病原菌も空気中に確認できず。外に出ても問題ありません》
おれは船の開口部を手で押して外に出た。宇宙で浴びる日の光と、地上で浴びる日の光は、なぜか印象が違った。まばらな低木と草原で織り成す緑色の世界が眼下に広がっていた。目の前を羽虫が通り過ぎ、植物だけでなく昆虫に似た生命の存在もあっさり確認したおれは、しばらく動けなかった。
星全体を覆っていた緑色の光は、地上から見上げると、空の青と混ざってほとんど見えなかった。おれは探査船の開口部から地面に下りるのにたっぷり時間を使った。
裸足で踏みしめた大地は柔らかかった。重力を全身に感じるのに体は浮き上がるような感覚に陥った。高揚感がそうさせるのだろうか。
《何はともあれ、マスター、おめでとうございます》
ヒミコが言う。おれは喜びと後ろめたさが混じった苦笑を彼女に返した。