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月下の姫、夢幻の朝日

作者: 國色 匹

 重い衣を引き摺りながら、間を移動する。


「そこの」

「は。何事にございましょう」

「簾を、少しあげて頂けませんか。今宵の月は傾いていると、風の噂で聞き及んだものですから」

「直ぐに」


 打てば響くような反応に何不自由なく暮らせている私も、やがては帰らなければならない。

 蛍の光が入水に集まって、月に負けないほど綺麗だった。

 騒がしいのに、何処か寂しいような気分になるのを、全部夏のせいだ、って言えたなら。

 ただの貴なる身分であったなら、と言うのが贅沢なのは分かっている。

 せめて、せめて私も御爺様と御婆様と同じであれば………

 先程の御爺様と御婆様の、衝撃を受けていたあの顔が忘れられない。

 月へと帰らねばならぬこと、本当は二人の子供なんかじゃなくて、月から墜ちてしまった赤子だったということ、その他、いろんなことを話した。

 『こうなるって、分かってたでしょ?』と心では理解していても、御爺様と御婆様の顔を見ていられなくて、奥の間から飛び出してしまったのが、半刻程前のこと。


「……あら。御爺様、御婆様。わたくしからお伝えすべきことは、全てお伝え致しました。今宵の月は美しき様ではありますが、遅い時間ですのでそろそろお休みになられたほうがよろしいかと存じます」

「──かぐや、先程の続きだが」


 床板が撓む音がしたので、つい、と視線を向けると、御爺様と御婆様がいらした。

 最上川のように荒ぶる心を悟られぬように、今まで貴族の男君の方々とのやり取りで鍛えてきた表情筋を稼働させる。

 御爺様の皺は、私を見つけてくださったときよりも深くなっている。

 私の為に女御をつけてくれたり、質の良い衣を仕入れてくださったりと、苦労してくださった。

 これからも、遠くから見つけられるように、生きて皺を刻んでいてほしい。

 御婆様の手は、私を抱えてくださっていた頃よりも荒れてしまっている。

 女中がやると言うのに、やりたいと言って譲らなかった餉の支度。

 御婆様が、私の大好きな御婆様たる証が、その手には詰まっている。

 月の光に照らされた御爺様と御婆様が、世界の何よりも美しく、あはれなものに、私には見える。

 何年も、私を優しく、時に厳しく、愛し、導いてくださった、誇るべき、私の『両親』。

 実物を見たことは無いけれど、蓬莱の玉の枝よりも、燕の子安貝よりも、何よりも、美しい。


「……確かに、わし達はおまえの話を聞かせてもらった。近いうち、遠く月まで帰らねばならぬこと。どうしても、帝の寵愛をお断り申し上げても、行かねばならぬことも」

「驚きはしましたが、老いた私達のもとに来てくれたあなたは、その時から不思議な子でした。とても子供ができる歳では無かったものだったから、考えれば当たり前のことでしたね」

「隠していたことは、本当に申し訳なく思っております。御爺様と御婆様は、わたくしを愛してくださっていたから。きっと気味悪くなって捨ててしまうと思って……」


 直視できずに袖で顔を隠す。

 今まで宝物のように世話してきた子供が、人では無かったと知れたら、誰であれ絶望し、落胆し、愛を失う。

 増して、なまじかたちが整っているだけに貴族の方々に気に入られたので、まやかしだと知れたら憎しみさえ覚えられても無理はない。

 私の腕と袖が掴まれた。

 屋敷住まいとなってからというもの、そうした行為にはとんと縁が無かったものだから、ついぎょっとしてしまう。


「かぐや。わしも、婆さんも、おまえのことは今でも、本物の、自分の子供だと思っとるよ」

「かぐやが隠していることを気にしていたのなら責めはしませんし、打ち明けられる存在だと思わせてあげられなかった私達にも責任はあります。どうか、そのように自分だけを責めないで欲しいわ」

「そうだ。辛かったのはお前のほうだろう。何年も一人で秘密を抱え続けるのは、尋常ではないことだろうから」

「あ……」


 鍛えていた表情筋が崩れ落ちて、涙と一緒に溢れていく。

 私はどうやら、甘く見ていたようだ。

 敬愛なる、尊敬する、私の『両親』を。

 故郷には、お母さんやお父さんがいるが、そんなことは関係ない。

 この私を作り上げてくれた『両親』は、ここにいる。


「かぐや、私達はあなたの事情を聞かせてもらったわ。秘密を隠していて申し訳無く思っていることも」

「だがな、わし達が聞きたいのはそこじゃない。大切なのは、かぐや、おまえがわし達をどう想っているのか、それだけなんだよ」


 夏風に植木が揺れる。今宵は涼しかった筈なのに、目のあたりは凄く熱い。


「……とり、が、いいなぁ……」


「ゆる、許される、の、ならば、わた、わたくし、は、この世で、たった一人の、御爺様、と御婆、様の子供が、いい、なぁ……! わたくし、二人のこと、本当に、だい、大好き、だから……!」

「……あぁ、ありがとう。かぐや。これでもう、わし達に悔いはない」

「えぇ。今は甘えて? 昔みたいに、ね」


 御婆様の胸の中で、御爺様に背中を撫でられながら、私は小一時間泣いた。


 落ち着いた、ころ。泣き晴らした目と鼻が詰まった声になってしまったけれど、これが御爺様と御婆様との最後のお話。

 言いたいことは、全部言う。


「御爺様、御婆様。本当に、今までありがとうございました」

「礼を言うのはこちらだよ、かぐや」

「ええ。本当に、毎日が輝いていたわ」

「そう言ってもらえて嬉しいです。そして、お二人にお願いがございまして」

「? なんでも言ってみなさい」

「私達にできることならなんでもしてあげますよ」


 二人の優しさに、折角引っ込めていた涙が出そうだった。なんとか堪えて、今までで一番のわがままを口にする。


「月を見上げるたびに言って欲しいのです。遠い未来の言葉で、大切な人への愛を伝える為の言葉を」

「あぁ、分かった。言ってみなさい」

「えぇ、老い先少ない私達だけれど、それくらいならいくらでもできるわね」

「ありがとうございます。では──」


「月が綺麗ですね、と」

以前友人と一緒に、盛り込むワードを決めて書いたものです! そのワードが何か想像してみるとよいかも?

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