続・時間
義父の三回忌は、十一月の最後の日曜日に執りおこなわれると決まった。命日より半月も早い。義母いわく、
「十二月だと寒いから」
だそうだ。もっともだ。
妻の実家は北陸地方。私たち夫婦は、北海道からバスと飛行機と電車を乗り継いでゆく。法事の前日の朝うちを出て、たどり着くのは夜になる。
今年の春、義弟が仕事を辞めて、東京から実家に戻っていた。一人になった母親と同居するためである。義父の車は生前のうちに処分ずみだ。以来、義母のスクーターだけが玄関前でぽつんとさびしげだったが、義弟の新しい軽自動車が隣にならんだことになる。駅まで迎えにきてもらえたおかげで、レンタカーを借りずにすむ。
家の前の坂道は急なうえ、石垣や生け垣にはさまれて、極端に幅がせまい。軽自動車ならどうにか一台通れるほど。サイドミラーをたたみ、そろりそろりと忍び足のように徐行しても、セーフティーセンサーに両側の障害物を検知されてしまう。せばまった箇所ならせわしなく。いくらか広ければゆっくり。警告音がリズミカルに鳴り響く。
「オプションは安全面にこだわった」
義弟は少し得意そうだ。自動ブレーキもバックカメラもドラレコも、みんなつけた。今どきめずらしい車幅確認用のコーナーポールまでついている。義弟は公共交通機関でどこでも行ける二十三区内に、ずっと一人で暮らしていた。彼の初めての自家用車だ。
「そういえばWi-Fi、使えるようになってるからね」
今までの固定電話とは別に、義弟が光回線を引いたという。この家の二階は彼が独り占めしている。寝室にもエアコンをつけ、大型のモニターと自作パソコンを二台も据えて、なかなか住み心地がよさそうだ。
薪風呂とくみとり便所、和室ばかりの古い家にも、ささやかながら着実に時が流れている。
ひと晩泊まり、朝になって気がついた。ポンポン時計の音がしない。妻にたずねてみると、
「ねじ巻くのやめたんだって」
「どうして?」
「脚立にのぼるのが大変だから」
まことにもっともだ。義母は補聴器を使う以外すこぶる健康だが、八十をすぎている。スマホを見る義弟には、壁掛け時計なんか不要だろう。
「時計、捨てちゃったの?」
「ううん。そのままだよ」
茶の間で妻が指すほうを見上げたら、確かに壁の天井付近に箱型のものが存在する。が、文字盤が隠されていて、時計とはわからない。前面にベタリと紙を貼りつけてあるのだ。──白い紙に印刷されているのは、いろんな向きと大きさの『C』と、近所のらしき眼鏡店の名前。
「どうして紙を貼ってるの?」
「とまってても癖でつい見ちゃうでしょ。時間を間違えたら困るかららしいよ」
「どうして視力検査の紙なの?」
「ついでに視力が落ちてないかわかるからじゃないの」
なるほど。じつに合理的だ。
法要は自宅でいとなまれる。もう三回忌だから少人数で。家族のほかは、歩いてこられる距離に住む親族のみ。──直前に例の流行病にかかった一人が欠席。ふすまを開け放った広い座敷に、十名ほどが集まった。全員がお年寄りだ。
余談だが、ぼっとんトイレを数名以上で使うとき、用がすんだら戸を少し開けた状態で去るのがよいらしい。設備全般が無音なので、戸が閉まっていると誰か入っているのかいないのか、わかりにくいからだ。
「体が硬うなってあぐらもかけんのよ」
義父の弟や従弟たちは、順調に白髪としわが増えており、「おじいちゃん」度が進化していた。このおじさんたちはとにかく元気で頼りになる。義父の葬儀のときも、なにかと世話を焼いてくれた人たちだ。
そんなおじさんたちだから、義弟の自慢の新車は、たちまち俎上にのぼってしまう。
「四駆?」
「いや、二駆だけど」
あああー、と、いっせいに残念そうな声があがった。私もいっしょにあげてしまった。冬になれば重たい雪が降る町だ。四駆でなければ家の前のあの坂道をのぼるのはつらかろう。雪国では必須の装備なのだ。
お坊さんの読経と法話のあと、歩いて五分のところにあるお墓へ納骨するという。なぜ三回忌の今なのかは不明だ。そういう習慣の地域なのかもと考えたが、そんなわけでもないらしい。
小春日和という言葉がぴったりの、暖かく晴れた午後だった。かろうじてセメント舗装された山道を、喪服姿の中高年がぼちぼちと歩いていく。晩秋の空は澄みきって、すがすがしく青い。道ばたには真っ赤なもみじが残っている。照葉樹の葉もぴかぴかに光っている。──もう何度目だろうか。義母やおばさんたちが口々に言う。「いい天気になってよかったねえ」「ほうやねえ」
低い山の中腹に、旦那寺の墓地が広がっている。かたすみの斜面をのぼり、林のなかに足を一歩踏み入れれば、そこがうちの墓所だ。
ぽかりと現れる十畳ほどの空間は、とても静かで、穏やかで、すてきな場所だった。すてきな、という形容がお墓に対してふさわしいかどうかわからない。けれど、私はそう感じた。太い太い杉の木と、孟宗竹の群れにかこまれて、エメラルドグリーンに輝く苔のじゅうたんを敷いた地面。薄灰色の古い墓碑たち。それぞれの花立には、義母が庭で摘んだあざやかな色の花々を差してある。
「夏にきたらやぶ蚊がすごいから、そんなのんきなこと言ってられないよ」
と、妻は笑う。
台座に載った大きな墓碑がひとつ。刻まれた故人の皆さんの享年から推しはかるに、明治のなかごろの建立だ。ひび割れた小さな墓碑を、左右合わせて十以上も従えている。比較的新しいものからどうにか読み取れる元号が、「安政」とか「享和」である。
妻の実家は旧家なのだ。義父の父か、祖父──おじさんたちが「じいさん」と呼ぶ人──が遊び人で、持っていた山も田んぼも全部飲みしろに変えてしまったと聞く。たぶん田舎の親戚あるあるなんだろうけど、私の先祖が北海道に住みついたのは、せいぜい三代前からだ。映画のなかのエピソードが目の前で続いているような気さえする。
そよ風が吹く。こもれ日のもと、線香の白いけむりと香りがそよぐ。あらためてお坊さんの読経がすむ。フットワークの軽いおじさんたちは、お骨を納める場所を探してさっそく墓碑をためつすがめつしている。
「これ、どこか開くのか」
「どこも開かんな」
台座に蓋や扉のようなものは見当たらない。結局、屈強とは言いがたい老人たちが、竿石を力まかせにかたむけた。すると、下の台座に現れた穴のなかには、半紙の包みがぎっちりとつまっていた。おそらく、というか、間違いなく、ご先祖さまたちのお骨だろう。
「ぜんぜん土に還ってないなあ」
「穴が下まで通ってないからじゃないでしょうか」
と、首をかしげるお坊さんは先代の跡を継いだばかり。あまりくわしくないようだ。お墓とはそういうものか、明治時代の墓碑だからか、はたまた満杯になったら次の墓を用意するのが正解か。この場にいる誰も知らない。そして、おじさんたちはまったくめげてない。
「ひとつ出さんと入らんのやないか?」
「入れるしかないやろ」
彼らの指示で義母が骨箱を逆さにする。ざざーっと、ほとんどふりまくようにして、義父のお骨が穴のすきまへそそぎこまれてゆく。
「ようし、入った入った」
「こんな納骨は初めてや」
「もう次は入らんがな」
どしん、と竿石をもとに戻し、おじさんたちは笑っている。次とは義母のことである。その義母も笑っている。お坊さんも苦笑いで「入らなかったら寺で引き取れますよ」とフォローのようなことをおっしゃってくださる。われわれ次世代としてはなんとなく安心だ。
周囲には、竹の子に突き上げられて傾き崩れ、やぶに飲みこまれた墓碑がいくつかかいま見える。近所の宅地にも空き地が目立つ。跡継ぎがなくて絶えた家だ。私たち夫婦に子どもはおらず、義弟も五十を超えて独身だ。義父はとうとう、孫の顔を見られないまま亡くなった。
「──さあ、父ちゃんのことは、これでおしまいおしまい」
私たちが帰る日の朝、そんなふうに義母は言った。
お風呂場だけでも直そうよ、灯油のボイラーをつけよう、と妻が義母を説得する。薪のお風呂はわかすのがひと苦労だし、スーパー銭湯も決して近くはない。お金は出すからリフォームしよう、と義弟が提案しても、義母は首を縦にふらないらしい。義弟も近々地元で再就職するだろう。そうなったらシャワーくらい毎日浴びられないと大変だよ、と妻にも言われ、ようやくしぶしぶの「ほうやねえ」が返ってきた。脱・薪風呂への道のりは遠そうだ。
「遠くからきてくれてありがとうねえ。また何年かしたら会いましょ」
義母が笑顔で言った。はい、と、私は応えた。
帰りも駅まで義弟が車で送ってくれる。坂道をくだってゆくときも、セーフティーセンサーがピーピーピッピとやかましい音を鳴らす。
「この音、練習したらさ、なにか一曲弾けるようにならないかな」
案外本気の口ぶりで妻が言う。ハンドルをにぎる義弟が、あははと笑った。
北海道に帰ってきたら、アスファルトの道路には真っ白な雪が積もっていた。
家の様子などはお葬式編にもう少しくわしく書いています。
『時間』
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