へそ曲がりの戦車乗り
「本能寺から来た男」の外伝です。
オーストラリアにて日本軍とメキシコ軍の戦車部隊訓練を請け負ったジューコフ、瀬島は、日本軍の中に奇妙な動きをする戦車がいるのを発見します。
ジューコフを呆れさせ、瀬島の頭に冷や水をぶっかけるような行動を取る男の正体とは。
昭和一七年(一九四二年)七月、オーストラリア連邦、西オーストラリア州の北部、ピルバラ地区には最近になって、港と町が整備された場所があった。
この近所に大規模な鉄鉱床があると判明したからである。
将来の開発を見据え、これからその鉄鉱石を粗鋼へ変える高炉が整備されることがすでに決まっている。
ただ、南部のパースよりもかなり北にあるため、気候としては過酷な場所で、なかなか住民になろうという人間は増えない場所だった。もう、ほぼ熱帯エリアに入り、また大きいものでは体長七メートルを越えるソルティウォータークロコダイルを始め、毒ヘビ、毒グモなどの危険な野生生物もかなりいる、ということも開発を遅らせる大きな原因となっていた。
そんなわけで、町や埠頭が整備された、と言っても人が急に増えるなんてことは全く無かったのだが、それがある日、急変することになる。
まず手始めにやってきたのは、南部パースからの小さな船に乗った十人ほどの人間だった。
出身地の国名という意味で、言えば、ソ連人が一番多く、次いでオーストラリア人、イギリス人、さらに何故か、日本人が混じっていた。
そして、今度は、ずっと大きな船に乗せられた、およそ千人にもなるメキシコ人、さらにほぼ同数の日本人が次々と港に降り立った。
彼等に共通していること、それは全員、男ということである。
地球上にもし、男ばかりの国があるとしたら、その光景にもっとも近いのがここだったろう。
元から、女性はほとんどいなかったのである。そして集まったのは全員男。
計画したのかしなかったのか、とにかく全てのことは男がこなす町だった。
そして性別以外にも共通点があった。そう、例外無く軍人、しかも戦車乗りだったのである。
そして彼等が待ちかねていたものが最後に届いた。
港にはおびただしい戦車と補給車が溢れかえっていた。
一部は直接日本から、一部はパースの港で大型貨物船から降ろされ、小さな船に積み替えられて運ばれたものだった。
その数、およそ四百両。戦車が八割方を占めていた。
もちろん日本製の轟エンジン搭載の五式戦車である。
この戦車兵ばかりを集めた集会を率いることになったのは、ゲオルギー・ジューコフである。今回オーストラリア連邦政府に戦車持ち込みの許可を取ったのももちろん彼だ。
もっともその手続きはおそろしく簡易なものだった。
戦車も補給車も、正式には輸入品ではなく、保税貨物という扱いだったからである。
言ってみれば、旅行者の携行貨物と同じ扱いということだ。
つまりこれらの車両は一時的にオーストラリア領内にいるだけで、いずれオーストラリアではない本当の目的地に運び出される、ということになるからである。
もちろんわざわざ品目を「戦車」などと記載するわけはなく、単に輸送用車両としか記載していない書類になんの怪しいところは無かった。
鉄鉱石の鉱床での作業に一時的に外国から借り受けた車両を使って作業を行うだけ、という扱いなのである。
この説明にも嘘は無かった。使う場所は鉄鉱石鉱床の広がる台地だったし、そこで作業することも間違い無く事実なのだから。
なので、オーストラリア連邦政府のチェックはほとんど無かった。
連邦政府がしゃしゃり出て来なければ、西オーストラリア州政府などジューコフから見れば手下同然である。何の問題も無かった。
車両関係の入管手続きをこの程度で済ませられるならば、人間についても同様である。
日本メキシコからやってきた者は、ノービザ、ノーパスポートでこの地に降り立つことになった。
場所が大きな陸地の上とは言え、絶海の孤島同様に孤立した場所なので、仮に、はぐれて奥地に迷い込んだりしたら、生還できる確率の方がはるかに低く、それで連邦政府が困るような事態になる可能性は全くないのだが。
日本からようやく届いた新開発の五式戦車の実物と初めて対面した、ジューコフ、瀬島にはいろいろと思うところはあった。
特にジューコフは、五式戦車のお手本となったT32に、一度は大きな希望を見たし、そしてその後大きな後悔を味合わせてもらっている。その自分の後悔を生んだ事件がこの目の前に現れた新型戦車の登場に繋がったという事実が重くのしかかっていた。
『ソ連軍の戦車のエキスパート』としての自負を大きく傷つけられた落第点に対して与えられた勲章なのである。
なので、どうしても、なにがしかケチをつけたくてしかたがない、自分を抑えるのが大変だった。
しかしジューコフはそれができないほど、こどもではない。
表面上は冷静さをカンペキに維持し、目に映った五式戦車の性能や特徴を把握しようとすぐさま分析的に観察していた。
もっともおおまかなスペックは、すでにしっかりと頭に刻まれていた。
主砲は八十五ミリ口径とT32の主砲を上回る。
エンジンは排気量もレイアウトも同じ『轟』と呼称される日本製エンジンで、最高馬力は五百馬力。
最高速度は整地平面で五十キロとされていた。
見事なものである。
このスペックだけ見れば、現時点では世界最強と名乗ってもいいぐらいだ。
が、見た目から彼の信条には合致していないところがあるのを見つけてしまい、ついに黙っていた口を閉ざしておけなくなった。
傍らに立つ瀬島に話し掛ける。
「龍三よ、この戦車の砲身はどうしてこんなに短いのか。せっかく八十五ミリもあるのにこんなに砲身が短くては初速も遅くなって威力は落ちるだろうし、第一、遠距離砲撃の際、命中率がかなり悪くなるのではないか。T32と同じ七十六ミリの長砲身砲をそのまま載っけた方が良かったのではないか。何か技術的な問題があったのか?」
「さすがは、ジューコフさん、全くその通りです。実は日本の技術力では七十六ミリ長砲身はまだムリらしいんですよ。そのままの寸法でT32の砲身を作ると、全然耐久性が無くて、すぐに砲身が破裂してしまうんです。で、それを避けるために寸法を増やして厚みを拡大すると今度は重量増が効いて、ものすごくバランスの悪い戦車になってしまう事がわかりまして」
ジューコフは期せずして知らされることになった、日本の工業力の劣っている点を聞かされ、また母国ソ連の技術力が日本より確実に進んでいたことに満足感を覚え、先ほどまで心に重くのしか掛かっていたものがいくぶん和らぐのを感じた。
「そうか、長砲身大口径砲の製作は日本にとってそんなにハードルが高かったのか」
と、呟きを漏らしたのだが、それに敏感に反応した瀬島の返しは、完全にジューコフの意表を突いていた。
「技術陣はかなり落ち込んで殿下にかなり叱責されることを覚悟して報告したら、かなり意外な反応を示されたそうでビックリだったと」
「殿下の反応? 驚き? どういう意味だ」
「殿下は長砲身なんか必要無いと言われたんです」
「バカな。長砲身砲は戦車同士の戦いでは、絶対有利なんだ。殿下はそんなことも知らんのか」
「たぶん分かってるとは思います。しかし戦車戦は戦車の使い道としては正しくないと考えているようです」
「なに、それはいったいどういう意味だ?」
「敵戦車を退けるのは、築城術、あるいは航空機、そういうものの方が戦車より役に立つ、とお考えのようで。また戦場でやむを得ず戦車対戦車という遭遇戦になるとしても、そこで勝敗を分ける決定的な要素は砲身の長さではなく、数だと言われまして。彼我の差が三倍なら勝てるという道理が長砲身を採用したことでひっくり返せるとは到底思えないと」
「う~む。それはそうだが……」
「従って、敵戦車を掃討するのはまず戦力差が自軍に有利な場合だけに限定し、そうでなければ、対戦車防御陣地や航空機に任せ、自軍戦車が排除すべき目標は、歩兵、砲兵、司令部、補給基地、火点の制圧などを優先すべきであろうと」
瀬島のこの答えはジューコフに冷や水を浴びせるものだった。
ジューコフはノモンハンにおいて、まさにそれで敗れたのだから。
ジューコフは、気持ちを落ち着かせてから、質問をさらにつないだ。
「しかし、戦車戦を戦車使用の目的にしないとしても、なお敵との距離を開けたまま有利に戦を進められるという意味で長砲身は有用だと思うが」
「私も同意見だったのですが、殿下に否定されました。失うものが大きすぎると」
「失うもの? 重量増での機動性の悪化のことかね?」
「はあ、まあ、そういうことなんですが。いや、これに関しては、殿下の考えの深さに全然思いが及ばなくて。分かっているつもりでも全く分かっていなかった、と言うべきでした。ジューコフさん、機動性の悪化、具体的には何が問題だと考えられていました?」
「そりゃあ、速度の低下とか、砲塔を回転させた時の戦車全体の姿勢バランスが取れなくなることとか、いろいろあるだろ」
「殿下はそんなこと全然問題にしていなかったんですよ。殿下は戦車を最初からこの戦車を飛行機や船に搭載して空を飛ばして高速移動させたり、海を渡らせて使えるようにしたいと考えておられたんです。だから輸送の際、収納が難しくなる長砲身はいらないと言われたんですよ。現実にここオーストラリアまでこの戦車を運んで来た船、あんな小さな船でちゃんと一個戦車小隊を運んでいたでしょう。飛行機の方はまだ完成したとは聞いていませんが、今作っているはずです。これが完成したら、飛行機で戦車を運び、敵地の奥、前線の裏側に第二戦線を作って、敵の補給線をズタズタにすることが可能になると構想を語っておられました」
「まさに殿下らしいな。常人には思いつかないぞ、そんなことは。なるほど君の言う意味がよく分かった。そういうことなら確かに長砲身砲で失うものが大きいな。ソ連軍のT32は船に乗せることも飛行機に乗せることも全く考慮に入れていなかった。砲身が短い理由はよくわかったが、あの戦車、砲塔の大きさがやけに大きくないか。内部を広くするにしたって、戦車の幅一杯まであるような砲塔にする必要は無かっただろう。大きくすれば、強度を上げるのも大変だろうし、それこそ重量増になったのではないか?」
「あれも殿下のこだわりです」
「ほう、どんな?」
「戦車の打撃力は、結局短い時間の間にどれだけ沢山タマが打てるかが重要だ、と言われまして、砲身の動きを少しでも早くするために、砲塔回転用にはモーターを入れることにして、さらにそれを大型の軍艦の砲塔用のものを流用したので大きくなりました。さらに砲弾の装填にもモーターで引き揚げるリフトを仕込んで、次弾装填時間の短縮を図っています。つまり機関銃ほどではないですが、一発撃って、次に撃つまでの時間はどの戦車よりも短い戦車になっています。このことは敵戦車一両に自軍戦車が複数で対応できるという場合、短砲身での命中率の悪さをカバーして余りあると言えるでしょう」
「長砲身砲で敵に狙いをつけている間に、ボカスカ、連射される、ということか。狙いが多少荒くても脅威であることは間違い無い」
「連射しても装填手が疲労しませんしね」
「そうか、八十五ミリ砲弾じゃ、結構重さもありそうだな。それはいい装備だ。戦車兵の疲労は戦車の能力低下の大きな原因だ」
「殿下も同じことを言われていました。それであの戦車には冷房装置が入っています。ソ連には必要ないでしょうが、日本軍の担当していた戦場は暑いところが多いですからね。密閉された鉄の箱の中に炎天下放置とかされたら戦う前に兵はみな伸びてしまいます」
「私がもしここを知らなかったら、何をバカなことを、と言っていたところだが。この場所を知った今となっては、それは非常に適切な判断だと言わねばならないな。そうか、この戦車はこのクソ暑い場所でもまともに使えるということか。私もここではさすがにT32に乗りたいとは思わないよ。それと最後にもう一つ気になっているんだが、この戦車は必要以上に背が高くなっていないか? T32よりもかなり高いよな。戦車は高さが低い方が有利じゃないのか。これも何か殿下の特別なこだわりがあったのか?」
「よく気がつきましたね。私もこういう装置があるのを知ったのは完成間近になってからだったんですが。その、今更言うまでもありませんが、戦車に乗って実際に砲撃する時って、ほとんど場合、どっちかの方向に傾いてるのが普通でしょ」
「モスクワの西、ドイツの方向ならどこもかしこも真っ平らだから、あんまりそういうことは無いと思うが、満州や、日本、ここも確かに斜面だらけだな。じゃあ、床が高いのは何か仕掛けを入れたのか?」
「エンジン、ミッション、動輪、履帯のセットで走行ユニットが作られていますが、砲塔を含むキャビンスペースはその走行ユニットにそのまま載っけているわけではないんです。その間の四隅に電動ポンプで作動する油圧ジャッキを入れて高さをそれぞれ十センチほど動かせるようになっています」
「そういうことか。斜めになった場所でも砲塔回転で素早く狙いが付けられるようにしろ、と殿下が命じたことに対する答えがこれ、というわけだな」
「さすがにお察しが良いので助かります。それに砲手が狙いをつけながら、手元のスイッチで車体の角度を変えられるというのは砲身の微調整が簡単にできますから。測距儀の計測精度も向上します」
「なるほど、まさに日本軍のための戦車ということか。運動性能も、平地よりは山地を意識している、ようなギアリングになっているのかね」
「そうです。動力伝達機構で言えばT32よりはBT戦車に近いですね。チェーンドライブ機構付きのクリスティですから。平地での最高速度ではT32には劣りますが、山岳路の走破性では上回ると思います」
「日本軍は戦場がこの戦車向きの場所だから、それでいいのは分かる。だが、メキシコ軍はどうなんだ。彼等の母国は山地ばかりということもあるまい。アメリカからずっと平原が続いた場所もあると聞いているのだが。メキシコ軍と日本軍は同じ訓練メニューでかまわないのかね」
「すでに使用する予定地はちゃんと選ばれているので問題無い、という話だけ聞かされています」
「もうそんな先の話まで計画されているのか。分かった。それから殿下の言う通り、戦車同士で潰し合うのは戦術として愚策だというのは分かるが、戦技訓練としてはやはりこれは外せないと思うが、それでいいかね」
「もちろんです。異論はありません」
「一つ、君の意見を聞きたい。その戦車同士で戦技訓練の時の話だが、発砲は許可していいものなのか」
「それは、まさか実弾を使いたいということですか?」
「いや、まさか。君のこの新型戦車の性能がいくら優れていても、実弾くらって無傷でいられることはないんだろ。メキシコ軍は、この演習に使った機体をそのまま持ち帰るのが前提なんだから、こわしたらマズイだろ。が、この問題は意外と厄介だ。砲弾の重量が変わると弾道も変わる。射撃訓練の時にいくら実弾で練習しても、模擬戦での不発砲弾ではその弾道通りには飛ばないからな。そうなると、命中判定なんて何の意味もない、ということになる。そして重さを実弾と同じに調整した砲弾でもそれなりに戦車の車体はダメージを受けるからな。せっかくの新品戦車を凹みだらけのみすぼらしい姿にはしたくないだろ。そもそも不発砲弾でも、被弾すれば大破することはなくても故障の原因ぐらいにはなる」
「ソ連軍ではどうされていました?」
「命中判定だけでは勝敗判定は行わない、というルールにはした。つまり被弾状況時の彼我の位置関係で勝負あったかどうかを見るというやり方だな。だから遠距離からの砲撃で撃破した、なんてのは全然評価しないということになる。実弾だったら当たっていないのは間違いないからな」
「ああ、そういうことだったんですか。やっと意味がわかりましたよ。実は練習用の小麦弾というのが送られてきていまして……。ちょっと待っててください」
瀬島は補給車のところへと走り、暫くすると砲弾を一つ抱えて戻ってきた。
「これなんですよ」
ジューコフに見せられたのは、確かに砲弾だったが、先端部、つまり弾丸部分が黄銅色だが半透明なものになっていた。
ジューコフは先ほどの瀬島の説明の意味が分からなかった。
瀬島の英語の発音が悪かったのだろうかといろいろと考えていた。
wheat(小麦)ではなく、hetいやHEAT(成形炸薬弾? まさか? それこそ一番威力のある実弾だろ)とでも言ったつもりだったのか?
それにしても、この透明なアメ色の弾頭はなんだ? 液体をガラス管の中に閉じ込めた?
いったい何から作られている?
何故、これが練習用なのだ?
「すまない、これが何かもう一度説明してくれないか?」
「ですから、練習用の砲弾です。この弾頭部分は、よく練って乾燥させた小麦でできているんだそうです。デューラムセモリナ種百パーセントで、硬くて粗挽きにしかできない小麦だけれども、パスタにするととってもおいしいそうですよ」
「デューラムセモリナがパスタによく使われるうまい小麦だというのは知っている。だが、なんで弾頭になってるんだ? 意味がわからん」
「ああ、それはですね、幕府で、ジューコフさんが言われていた問題と同じ話が前に問題になったことがあったんですよ。どうやって優秀な戦車兵を養成するのか、っていう時。その時に提案されたのが、実弾と完全に同じ重さの小麦のタマを作ったらどうだって、アイデアがあったんです」
「まさか、それがコレか?」
「いや、その時に作ったのは小麦粉を単に水に溶かしてこねただけのもので、発射と同時に薬莢内の火薬の爆発に耐えきれず見事にバラバラになって全然使えなかったそうです。でもその後も改良策の検討は続けられた。で、カナダから輸入されていたこの小麦に目が向けられた」
「そうか、この半透明の弾頭はパスタの塊だったのか。確かにこれだったら、発射の爆発にも耐えられそうだな。しかし、カナダ産とは……。オーストラリアでも作らせるべきだな」
「そういうことです。ただ、難点はこんなタマでも発射時の初速は実弾と全く同じなので人体に命中したら間違い無く貫通するらしいです。だから絶対人に向けて打つな、ということで」
「パスタ弾に打たれて死ぬ、か。パスタ好きのイタリア人には本望かも知れんな。ま、それはとにかく、このタマは戦車に命中しても戦車を傷つけることは無いのか?」
「車体に命中するとタマの方が粉々になって、車体側にパスタが少し焦げ付くそうです。水で洗えば落ちる汚れらしいですけど。ちゃんと痕は残るそうなので命中判定には全く問題ありません」
瀬島はそのタマをジューコフに手渡した。
渡されたタマを一通り、手触りや重みも含めてチェックすると笑顔を浮かべながらすぐに隣に並ぶかつての副官に手渡す。ジューコフの取り巻き達も興味深そうにそのタマの検分を始めた。
「まさか、こんなものを真剣に開発するとは……。日本人というのは、どっか変わってるな」
「デューラムセモリナ弾の量産金型の設計図を書き始めた人間がいる、と聞いた時には、私も耳を疑いましたよ。しかし殿下がそれを聞いて絶讃したというので、それでいいのか、ってみんな納得しましてね」
「結局は殿下一人が変てことか。こうなるとあの非凡さは筋金入りだな。まあ、いい。となると弾丸を撃ち合う戦車戦を実際に本気で行えるということになるな。これは全員熱が入りそうだ。じゃあ、まずは基礎、こっちの仕事を片付けていくことにしよう。戦車と言ってもやることの基本は歩兵の訓練と同じだ。隊列を組んで走行し、命令に従って速やかに向きを変え、そして目標を射撃する。これが基本だ。歩兵と違うところは、その一つ一つの動きがそれぞれの戦車に乗り組む四人の連携がしっかり取れていないと素早い一つの動きとして完成しないということだ。これができたら、次のステップとして、周囲の地形に応じた対処とか、危険な場所、索敵と欺瞞、みたいな応用に入る。で、最後が全員お楽しみの模擬戦車戦だな。ま、これは実戦で活かすというよりも、戦車を扱う総合技量を見るためのゲーム、ということになる。こういうことでいいかな」
「気象などの要素は?」
「考慮が必要なのは雪と霧だが、そういう想定、例えばソ連との一戦という想定が必要かね」
「今のところは不要でしょう」
「今のところは、か。まぁいいだろう」
こうして日本軍/メキシコ軍合同の元ソ連軍指揮官による戦車兵促成オーストラリア特別訓練が始まった。
彼等が連れて来られた場所は、ところどころに平たい板状になった赤い石が積み上がったような地層が露出した岩山が見える赤土の荒野である。
熱帯近くなのでスコールが夕暮れ時に降る時もあるのだが、ほとんどの時間は乾燥している。
オーストラリア大陸の気象というのはおそろしく単純だ。
面積、形状はアメリカ合衆国とそんなに変わらず、また南緯、北緯の差はあるものの、中央部はほぼ温帯という恵まれた環境にありながら、オーストラリアの水資源が極端に乏しくなった理由は、要するにロッキー山脈に相当するような山が無かったからだ。
高山があれば上昇気流を生み、多様な気象が生まれるのだが、それが無い。
大陸中央部にいつも高気圧が一個デンと居座っていて滅多なことでは動かないのである。
従って中央部は雨が降らない。
周辺部ではそれぞれの海に中心を置く高気圧と大陸の高気圧との間で押し相撲が行われ、大陸側が優勢なら晴れ、海洋側が優勢になると曇ったり雨になったりする。
特に南側は南氷洋の冷たい高気圧との間での押し相撲になるので、その寒暖差が大きい分、発生する低気圧の威力が巨大となり、従って天候の変動が激しくなる。
一日の間に四季を全く無視したような気象の変化のある日があるのだ。
つまり朝晩に雪がちらつく、最高気温三十度越えの日、というのがあるわけだ。
しかもこういう日は、当然ながら、突風が吹きまくるのが仕様である。
現代で言うところのスーパーセルが日常的に発生している場所、というわけだ。
北の赤道近くの北側海岸では、海と陸との間でそういう極端な温度差は無いので、気象としては安定して熱帯雨林の気候となる。
もっとも今彼等がいる場所は、そこまで赤道には近くない。
亜熱帯と温帯の境目ぐらいのところなので乾燥地帯の気候に近い。
なので植生はそれほど多くなく、高くても二メートルを超えない程度の灌木がまばらにあって、それらに隠されるように固い地面が水の浸食を受けてできた大きな段差があった。
また戦車程度の高さの車両なら完全に灌木に隠れることも可能だった。
この場所が選ばれた理由は、ここが鉄鉱石鉱床だからだ。
地面に顔を出している岩はもちろん、表土の薄い層のすぐ下もすべて、見渡す限り鉄鉱石である。
何故、こんなに鉄鉱石だらけの場所が生まれたのか。
資源というのはいつも特定の場所にだけ集まるのが世の常で、公平という概念は自然界にはほとんど存在しないものらしい。
創造主なんてものがもしいたとしたら、そいつは公平とか平等とかには大して興味が無かったことだけは間違いあるまい。
それはともかく、何故こんな不公平なことになったのか、ということに対する現代の科学的な考証というのは次の通りである。
太古、無数の微惑星の衝突によって生まれたばかりの地球は火の玉状態にあった。
徐々に冷えていく過程で微惑星に含まれていた水は水蒸気となり分厚い雲を作って地球を覆っていた。
十分に冷えていくと、やがてその水蒸気は一斉に雨となって地表に降り注ぎ、海を誕生させた。
この時の地球大気は二酸化炭素ばかりで、酸素はまったく無く、微惑星に含まれていた大量の鉄はイオン化し、誕生したばかりの海に溶け込んでいた。
それから四十億年以上の、物理学の摂理以外何もない時間が過ぎた後、水中に最初の生命、微生物が生まれる。
やがてこの中から光合成を行って二酸化炭素から酸素を作り出すものが現れた。
海中に放出されたその酸素が海に大変革を起こす。
酸素が水中に溶けていた大量のイオン化した鉄と結びついて、次々に酸化鉄となって沈殿していき、この分厚い鉄鉱石層を生み出すことになるのである。
何億年もかけて沈殿し堆積していったものだけに、その厚みも量もケタ違いに多い。
オーストラリアにこれほど巨大な鉄鉱石鉱床が存在しているのは、最初に酸素を作り出した微生物にとって、生存に適した条件が揃っていて、この辺りに集中的に大量に発生したため、と考えられている。
そして少なくともここ数百万年間ぐらいは、雨の少ない場所だった、ということも鉄鉱床が浸食されなかった状況を後押しした。
人の手の入っていない、完全に自然のままの地形なので、平地の部分もあれば傾斜のついた場所もある、戦車にとっては簡単そうに見えて、実はかなり厄介な地形でもあった。
最初の一週間は、全員、戦車の操縦訓練という共通メニューだった。
何しろ、ここに来るまで誰も五式戦車を見たことも操縦したことも無かったのである。
日本で予め、操縦を習得していた三十名ほどが、分散して基礎的な動かし方を教え、どうにか普通に前に進めたり止めたり、曲がったりできるようになってから、この鉱床のあるところまで全車両を移動させてきたのだ。なので鉱床に到着した時点では、一部の者はそれなりに経験を積んだ格好にはなっていた。
が、この戦場に見立てた場所での操縦と道路での操縦は全く別物である。
ジューコフの厳しい訓練メニューは朝から晩まで続き、地形を読み取り、戦車の動きを地形に合わせてスムーズ行えるように繰り返し何度も訓練を積まされた。
赤道に近いこの場所では、七月というのは、太陽が北のもっとも端の方を通ってくれるという意味で、ある意味、涼しい時期ということになるのだが、その恩恵を感じ取れるものは誰もいなかった。
五式戦車の冷房装備はカンペキに作動していた。
が、だからと言って、訓練が楽に済ませられるというものでは無かったのである。
それでも車中は車外に比べれば極楽で日中は誰も外に出たがらないという状況にはなっていた。
戦車の中が一番快適。
これは日本軍、メキシコ軍問わず戦車兵の常識となった。
で、そんなどうしても外に出たくない人間にとって最悪の訓練というがあった。
別にジューコフのいじめというわけではない。
戦車兵にとっては生き残るためには絶対必要な作業である。
ジューコフの指導の下、硬い岩盤の上で、左右それぞれの履帯を逆方向に動かして行うピボットターン、いわゆる超信地旋回を繰り返し行うと履帯が切れた車両が何両か出た。
そう、切れた履帯を元通りに繋ぐ訓練である。
五式戦車はクリスティ式を採用しているので、履帯が切れても全く動けなくなる、ということは無いが、走破性が著しく悪くなるし、速度も落ちる。
戦場で危険を最小限にするためには、速やかに履帯を修復することが絶対に必要なのである。
だからどの国でも、半分防御用鋼板代わりに履帯の予備部品をペタペタと車体に貼り付け、履帯が切れた時にすぐ修復できるようにしている。
炎天下で熱くなった重い履帯を繋ぐ作業は過酷そのものだった。
そしてどういう星の巡り合わせか、はたまた作者の勝手な都合か、不幸では誰にも負けないチームというものは、物語や小説には欠かせないことになっているのである。
そんなチームの一つが日本軍の中にいた。
彼等は繋いだばかりの履帯をまた切る、を繰り返し、一日に五回も履帯修理を行い、日本軍、メキシコ軍双方の将兵から哀れみとあざけりの籠もった注目を一身に集めていた。
車体に表示されたその番号は、一八八と記されていて、ある意味、この混成訓練で、誰もが知るもっとも著名な番号となった。
「いやあ、今日はほんと、福田さんのおかげで助かった」
「ほんま、ほんま。履帯切れ修理は重労働やけど、それでも冷房無しのコイツの中に一日中おるよりはよほどマシやったで」
「せやけど、わざと履帯を切るなんて、よく思いつくこと、まさか履帯修理にかこつけて、冷房の修理やっとったやなんて誰も思わんし」
「冷房の修理やらせてくれ、なんて言っても誰も認めてくれませんからね、絶対」
「でも、こんなにムキになって、履帯を切るために超信地旋回を何度もやったの初めてやったわ。でもそのおかげで、コイツがどうやったら履帯が切れるか、どうやったら切れないかが分かるようになったような気がする」
「しっかし、こいつのコンプレッサー、どっか壊れとるんやないか。修理してもすぐまたベルトが切れるなんて思わんかった」
「そう言えば、妙に軸の抵抗大きかったですよね」
「補給所で、今夜コンプレッサー、ガメておこか。こういうのはそんなに補修部品の数多くはないから、早いもん勝ちやで。それに履帯修理ももうたくさんや」
という会話が一八八号車の中で交わされていたことを知る者はいなかった。
こうして日本軍、メキシコ軍将兵は、元ソ連軍の戦車戦のエキスパートとそしてそのエキスパートを打ち破った日本軍の元参謀による指導をみっちりと受けた。
一通り、戦車の機動性を十分発揮できるだけの状況把握能力、操縦技能、射撃技能、車両メンテ技能が揃ったとジューコフが判断できたのは、二週目の半ばになった頃だった。
「細かいところに文句を言い出せば切りが無くなる。年単位での時間訓練をするなら別だが、数ヶ月でできる内容なら、もうこれ以上ここでやる必要は無いと思うが」
「そうですね。射撃とかもっともっとと言い出したら切りがありませんね。しかし個人的には少し練度にバラツキがあるように見えるのはもう少しどうにかしたいとは思いますが……」
「君らしい意見だな」
「私らしい……ですか?」
「走行技能、射撃技能、車両メンテ技能、我々が今彼等を評価している項目はこれだけだ。で、君は、これらの成績がそのまま彼等の戦闘力になっている、と考えたんだろ。確かにどの項目でも高得点を出してるチームは優秀と言いやすい。が、それは彼等が精強な戦車兵であることを示しているわけじゃない。残念ながらな。ま、これはわしの経験則に過ぎないんだが」
「どういうことでしょう?」
「幾多もの戦場を生き抜いてきた猛者と呼ばれる連中のほとんどは、成績優秀者とはとても呼べなかった、ということさ。つまり分かりやすく言えば、我々が評価項目にできていないが、戦闘では決定的な意味を持つ項目が他にある、ということだな。運とか、勘とか、臭いを嗅ぎ分ける力とか、目の良さとか、そんなもんがな。神ならぬ我が身では、とてもそんなものを教えることも鍛えることも測ることもできんがね。我々が教えられることは、せいぜい、戦場で生き残る確率をほんの少し引き上げてやることぐらいさ」
「つまりあまり訓練成績にこだわっても意味が無いと」
「まあ、そういうことだ。もし君の意見が正しいと言うのなら、私が保証するよ、ここにいる日本軍は間違い無く世界一の戦車兵だと」
「なるほど、ジューコフさんが言われると説得力がありますね。しかし日本軍でも一八八号車みたいなのもいますから、世界一にはなれませんよ」
「ふふふ、一八八号車はメキシコ軍のどん尻グループといい勝負だったな。ある意味確かに突出していた。逆に聞こうか。一八八号車は何であんなに成績が悪いんだと思う?」
「えっ、成績が悪い理由ですか……。私が聞いている話では、チームメンバーの中にかなりの変わり者がいて、それがチームの足を引っ張っているとか……」
「で、一八八号車の残りのチームメンバーはその変わり者を変えてくれと言ってきたかね? あるいはチーム編成を見直してくれ、みたいな話を出してきたかね?」
「いや、そういうことはありませんでした。というかメキシコ軍はどうも違うようですが、日本軍でチームの個人名がチームの成績不振の原因として名指しされる、ということは普通はありえないんです。チーム内の問題としてならありえますけど」
「そう、ソ連軍もだいたい同じだ。では一八八号車で実際に起こっていることとは何だと思う」
「本人……が、自分のせいだ、と言っている……から? でも何故?」
「わしも実情をつぶさに検分したわけではないから、断言はできないのだが、一八八号車の成績が悪い時には、どうも一定の共通条件があるように思えるんだ」
「共通条件? 一定の条件になると成績悪化が起こる?」
「ふむ。戦車というのはまだまだ制約が多くて、出来ないことが多い不自由な武器だからな、与えられた条件下で、与えられた使命を果たそうとした場合、搭乗員に一定の選択を迫る時が多々ある。問題は搭乗員と指揮官は同じ場面を見ているわけではない、あるいは一見すれば同じに見えても、厳密には同じでない場合があるということだ。いくら用兵要綱などで決まり事として意思統一していると言っても、個々の状況の適否判断にまでは踏み込めないからな。そして一八八号車は、そういう微妙な立ち位置に入った時、命令をあえて無視して、自分のチームの危機を切り抜けているのさ。当然指揮官からすれば、評価点を下げざるをえない」
「独断で命令を無視している? それはまずいんじゃありませんか?」
「まずい、とまでは言えない領域なんだ。そうだな。例えば射撃訓練のことを考えてみよう。あれで高得点を出すためには、一番狙いやすい位置に速やかに車両を移動させ、測敵し,速やかに砲身を目標に向けるという連携が必要になる。さて、君が車長だったら、どんな場所を選ぶ?」
「まわりがよく見渡せる標高の高い水平な場所、でしょう」
「その通り。評価点の高いチームはすぐこれをやる。狭いスポットから覗いて敵を探しながら照準をつけるよりも、はるかに簡単に照準を合わせられるからな。ところで、そういう高台ってのは、たいていそんなに広い面積じゃない。戦車の方が、水平部分よりも大きい時の方が多い。そうなると戦車ってのは、正しく四点以上で接地していないわけだから、ほんのちょっとバランスが変わるだけで揺れるし、そもそも砲塔が斜めに回転するようなことになりやすい。こんな時は狭いスリットから敵を見つけて狙いをつけるのは大変だ。目視にも時間がかかるし、斜めになった回転砲塔の制御はかなり難しいからな。しかし折角上り切った高台から降りてしまったら、また登り直すのもまた時間がかかって大仕事になる。こんな時、君ならどうする?」
「砲塔から半身を出して、直接敵を目視し、砲手の照準合わせを補助します」
「確かにそれが有効だ。直接目視する方が、はるかに簡単かつ正確に照準を合わせられる。高得点車はみんなこれをやる……。だがな。ただでさえ、高台の上にあるということは周囲から絶好の標的になりやすいということなんだ。そこで戦車から半身を出した戦車兵なんて、歩兵から見たら絶対に見逃さない獲物になるんだよ。しかし一八八号は違う。彼等は最初から高台に登らないんだ。絶対に」
「自車の姿を晒さない?」
「たぶんそういうことだろう。車長が身を晒すことも私が見ていた限りでは一度も無かった。射撃訓練ではそのことは考慮しないと言っても、走行訓練で教わったことを守りたいんだろ。とにかく灌木の間、崖下、そんなところばかりを狙って動いて目標にかなり接近してから発砲していた。敵の歩兵からしたら、一八八号は一番厄介な相手、ということになるだろうな。どんなに射撃訓練の成績が悪くても」
「では訓練自体をその一八八号のルールでやるように変えたら如何でしょう?」
「わしもそうしたい。だが、それをやろうとすると、誰も発砲しなくなってな、射撃訓練にならんのだ。つまりそんなルールにするということは、身を晒したら減点というルールになるからな。減点を怖れて発射機会になかなかたどり着けなくなる。つまりだ。言葉はきつくなるが、一八八号車は、命令を厳格に遵守しながら、我々の訓練批判を行っている、ということになる。我々としては、徹底的に低得点にして見せしめにしてやるぐらいしか対応が無い、ということでもあるんだよ」
「まさかそんなへそ曲がりが我が日本軍にいたとは……。いろいろとご心労をおかけし申し訳ありません」
「君が謝る必要はないさ。だがな、実際の戦場で考えたらどっちが合理的だと思う? ま、だからと言って、高台を狙わない者ばかりになっても訓練担当指揮官としては困るわけだが……。わしの勘だが、あの一八八号車の変わり者は、戦車兵として成功するかどうかはわからんが、何かやる男にはなるんじゃないか、という気はする。自分の信念を曲げないタイプの男だからな」
「なるほど、そういうものですか」
「わしにもわからんよ。本当のところは。これは神様の領分だからな」
「逆に一八八号車以外の将兵の将来が不安になりますね」
「ああ、その通りだ。だから必要なんだよ。戦車同士の模擬戦が。身を晒すことの危険を一番的確に味合わせられるのが、模擬戦ということになるからな。いくら戦術としては愚策だと言われてもな。明日からは模擬戦をやる。でないとメキシコ軍も一八八号車以外の日本軍も全滅しかねないからな」
「へぇ、模擬戦やなんて、最初は遊びみたいに考えてましたんやけど、やっぱきつうおますな。福田はんを車長にしといてやっぱ正解やわ、わしら」
「ま、そう言って頂けると。なんせ、わいは機械にはあんまり強くないですから。操縦すれば、坂道転げるし、砲手になればよう標的に照準合わせられへんし」
「でもまあ、福田はんって、どっか達観してるさかい。こう、みんなが安心できるみたいな感じがええんやで」
「そうそう。他のもんが車長やると、どうもギスギスしてあかん。威勢良く先頭に立つみたいなええカッコし、てなところは皆無やけど、かえって我々そんで助かっとるし。今日だって、メキシコ軍と日本軍十両づつでチーム対戦で始まって、最初の一〇分ぐらいでうちら以外に残ったのは、メキシコ軍がたった三両、日本軍はわしら以外は一両だけって言うんじゃ、福田はんの言う通りが間違い無い、ってことやないか」
「確かに開戦と同時に敵に向かって突っ込んだら、集中砲火浴びますよね。なんでみんなわからないんだろ」
「つーか、身を隠そうとしないで、高台に登ろうとするあの神経がわからん。頭出したら危ないってわかるだろうに」
「それ以前に、冷房の効いたこの車内から出たくない、ってのが実は一番大きな理由なんですけどね」
「でも福田さん、戦車兵団長目指すとか言われてましたけど、ホンマ、こんな消極的で構わないんですか。成績が悪かったら出世にも響くんでしょ?」
「ああ、まあ、そうなんですけど、早く死にたいとは思っていませんから。成績優秀者とかになると、真っ先に激戦地に送られるのが目に見えますからね」
「さすが、そういうことですか。でもなんで戦車兵なんかに。せっかくあの難しい大阪外国語学校に入学できたところだったんでしょ?」
「いや、それもどっちかと言うと帝大に入れなかったんで、仕方なくだった上に、外国語学校の勉強ちっとも面白くなかったんです。そんな時に、幕府が歩兵部隊を整理して戦車だけの戦車大隊を作るらしいって話が来て。是非戦車というものには乗ってみたいな、とこう思ったわけですよ。それで休学して戦車隊に入ったら、外国語できるならちょうどいいって今回ここまで連れて来られたわけで。実際、乗ってみたら楽しいし。だけど、これを自分の棺桶にしたいとは思いません」
「確かに。こんなもんに乗って、小麦を固めたタマを打ち合って遊んでる経験なんて、滅多にできまへんな」
「で、福田車長、これからどうしまひょ」
「無事だった友軍の一両はどうしてます?」
「さっきは前にいましたけど、あれれ、やっこさん、自分の前に居た三両が全部撃破判定されちゃったからな。あわてて隠れ場所を探すつもりなのか、右の坂を下りていっちゃったようです」
「メキシコ軍はどこにいます」
「いきなりの遭遇戦で向こうも七両が撃破判定食らいましたからね。この戦車の打撃力をうちもメキシコ軍も舐めすぎだったんや。おそらく呆然自失状態で三両ともまだ前方にいるんじゃないですか?」
「じゃあ、うちはひたすら後退しましょ。それで下り斜面になったら、そこで停止。敵を待ち伏せということで。あ、慌てなくていいから。微速後退で」
「前方に敵さんの影発見。三両、全部おるようです」
「動いている?」
「こちらに接近中かな、いや、止まった。どうやら坂の下に下った友軍を見つけたようで、右旋回を始めました」
「三両とも?」
「そうやね。どうやら追跡して挟撃するつもりやな、三両が右方向に対し、左翼、中央、右翼と囲むように動いとる」
「停止。ここで、左方向、メキシコ軍の背後に行きましょう。いつも通り岩陰と灌木を利用して回り込んでいってください。敵戦車砲塔が崖下を向いているうちに、うまくいけば、三両とも、悪くても二両は仕留められるんじゃないですか。一両撃破した後、それに気がついて砲塔旋回してもこちらに照準を合わせるよりも前にこっちは次弾発射できるでしょ」
「せやけど三両はいくらなんでもキツイわ」
「いいですよ、中央と左の二両だけで」
「あれ、そしたら負けてしまうんでない?」
「チームの勝利は友軍が逃げのびたら日本の勝ちってことで。そうじゃないと、我々、将来激戦地に送られてしまいますよ。成績優秀車ってことで」
「せや、せや、ここは負けといた方が得やったわ」
模擬戦はこの後、場所を変え、時間を変え、都合五日間続けられた。
車両毎のチームメンバーの役割は、一部の例外を除き、車長、操舵手、砲手、装填手として、それぞれのチームで自主的に固定され維持されていた。
初日こそ、開始とともに壮絶な撃ち合いをやってしまい、すぐ撃破判定を食らった車両が相次いだが、さすがに二日目にはむやみに車体を敵前に晒す者は全くいなくなり、ジューコフの懸念はほぼ解消されていた。
日本軍とメキシコ軍の勝敗については、初日から三日間は日本軍が圧倒したのだが、四日目と五日目はメキシコ軍が雪辱を果たした。
ようやくチーム内の連携においてメキシコ軍が日本軍を上回ったものと解釈された。
そしてジューコフ、瀬島の目を惹いていた、日本軍一八八号車は、平凡な成績を残していた。
すなわち、五日間の模擬戦の戦績は、五敗。つまり毎日撃破判定されていた。
ただし一八八号車の所属したチームの勝敗としては、二勝三敗と平均的であり、一八八号車がチームの足を特に引っ張ったというわけではなかった。
「例の日本軍一八八号車思ったよりも活躍しませんでしたね」
「成績的にはそう見えるな」
「え、また何か変なことやっていたんですか?」
「たぶんな。わしは確信したよ。今回の訓練で、戦場で最後まで生き残るとしたらあいつだとな」
「どうしてです? 五日間とも全部撃破判定食らったんでしょ」
「その撃破判定を食らった時が問題なんだ。一八八号車は、五日間とも、双方とも二両、つまり二対二の関係になった時にまるで申し合わせたように撃破判定を食らってるんだよ。敵味方合わせて最初は二十両いた中から、必ず最後の四両になるところまでは生き残っていたということだ。つまりだ。ベスト3という最優秀賞にならないように気をつけていたということだよ。そう計算した結果ということさ」
「どういうことです? わざと撃たれた? 優等生にはなりたくない?」
「君とはある意味対局の生き方ということなんだろうな。勲章ってのは、もらって嬉しい反面、その重みを感じることも多いと思わないか? 英雄と祭りあげられると自然と一番危険な場所に向かわされる宿命も背負いこむ。一八八号車はそれを巧妙に避けてるってことだろ。まったくどっちが指揮官だかわからんぐらい、いろいろ考えるヤツだ。砲弾が小麦弾と分かってるからやってるだけで、もし実弾だったら、最後まで残るのは間違いなくヤツだろうよ。君も戦場ではヤツとは戦わない方が賢明だろうな。おそらく自分が生き残るためには味方を犠牲にすることも厭わない。利用できるものは何でも利用しそうだ。計算高いからな。ま、なんで今戦車兵なんかやっとるのか知らんが、いずれ戦車兵なんていうリスクの高い商売から足を洗いそうだがな」
ジューコフを呆れさせ、そして瀬島に、自分とはまったく違う人生観を教えることになった日本軍第一八八号車車長、福田定一は、ジューコフの予言通り、満州の戦車部隊を除隊後、大阪で新聞記者を経て、司馬遼太郎と名乗って作家として成功を収めることになるのである。