17話:美女と魔物
「なんだ? コマチは何人も兄弟がいたのか?」
「お前さん、駅の近くで野宿してる娘の知り合いか?」
唐突に、黒い服を着た髭の長い爺に話しかけられた。
「そうです」
「溺れとるぞ。行ってやれ」
鉄砲水にでもあったのか。
「でも、これ……」
宿場で酔っぱらった行商人たちが、徐々に外にいるコマチの群れに気づき始めた。
「大丈夫じゃ。こっちはどうにでもできる。早く行ってやれって」
「すんません」
わけも分からず俺は急いで野宿しているところまで戻る。
「まったくはしゃぎ過ぎじゃ。よほどゴーレムのレイドが盛り上がったようじゃの……」
去り際、爺の声が聞こえてきた。
寝床に戻ってみると、駅から漏れる魔石灯の明かりに照らされて、寝ているコマチが髪の長い女に口づけされていた。
「なにやってんだ?」
溺れていると聞いたが水気はないし、ちょっと事情が違うようだ。
「じゅる……」
髪の長い女は何かを吸い込み立ち上がった。
「ぺっ」
女は焚火に何かを吐き出した。
ジュッ!
なにやら柔らかそうなものが焚火の中で蠢いている。
「スライムか?」
焚火から逃げ出そうとしているので、俺は鉄の右腕で掴み、そのまま焚火で焼く。
「げほっ」
コマチが咽ながら起き上がり、長い髪の女を見上げた。すらり手足が長く、細身で膨らんだ胸だけが強調されている。先ほど会った爺と同じ服を着ているので、仲間だろう。
「スライムに溺れていた……」
冷めた声で女が説明して、自分の口元を手の甲で拭う。
月光と仄かな魔石灯の明かりの下で、女はぞっとするほど美しかった。肌は雪のように白く、湿った赤い唇が妖艶だ。この女は危険。そう思った。
コマチは状況を理解し鼻血を垂らして、女から視線を離せないでいる。別の世界に目覚めてしまったか。
「ありがとう。助かったよ。宿場にいるのもスライムか?」
できれば、早く去ってほしい。
「そう。水源のスライムはよく擬態して人を騙す。油断すると死ぬぞ」
「すまない」
俺の右腕の中でスライムが蒸発していく。最後に栗のような小さい魔石を残して消えた。
「これは必要か?」
一応、女に聞いてみた。
「いや、あげる。始めて見た。鉄の腕でスライムを駆除するなんて……」
女は、興味深そうに俺の腕の付け根を見ている。
「おーい、タユウ、仕事しろー!」
爺の野太い声が聞こえてきた。
「ん」
短く返事をして、女は宿場へと走っていった。
「タユウ、さん……」
「惚けてんじゃねぇ!」
俺はコマチの頬を張った。
「ありゃ人間じゃない。魔物に近い生き物だ。忘れろ」
西国の城でも時々、ああいう手合いを見かけたことがある。男女に問わず、己の虜にして全てを奪っていく。美しさとは一種の力だ。泣かされる程度ならまだましで、過ぎた力は命の灯まで消してしまう。
宿場から断続的に叫び声や陶器が割れる音が聞こえてきたが、なるべく関わらないようにじっと座って事態が収まるのを待つ。水が蒸発するような音が何度も聞こえていたが、なにが起こっているかはわからない。
夜明け前に、宿場が静まり返り、爺と女がこちらにやってきた。
「ゴーレムのレイドで随分、活躍したって?」
爺がよく通る野太い声で聞いてきた。どうやら御者か行商人が俺のことを喋ったらしい。
「たまたま参加しただけだ。それにこんな腕だぜ」
「その鉄の腕でスライムを倒せれば十分じゃ。これより三日はここで足止めを食らうことになる。暇だろ? 少し手伝え。ちょっとしたバイトじゃ」
「嫌だよ。何で俺が……」
そう言うと、隣にいたコマチが俺の袖をギュッと握った。振り返ると、コマチは女の顔を見ていた。俺はそれよりも女がぶら下げている袋に魔石が大量に入っているのが気になる。
「手伝ってあげましょうよ」
「嫌だよ。行きたきゃ、お前だけ行け」
「水源から早く抜けたければ、来ることじゃ。ここは特区。国の法とは違うルールが適用されている。明日には宿場が消えてるかもしれんぞ。明日の昼までにこの先にある湖畔に来い。赤い旗が目印じゃ」
そう言って、爺たちは湿地帯の奥へ消えていった。
少し寝て起きると、駅に御者たちが集まっていた。
駅に張り出された紙に、「一時通行禁止」の文字が書かれている。
「スライムが発生したくらいで、馬車が通れなくなるのか?」
張り紙を見ている御者に聞いてみた。
「いや、そうじゃないみたいだ。水源は基本禁猟区だ。昨日宿場に来た管理者たちによって管理・保護されている。俺たちもこの宿場以外は下車することを禁止されている」
「じゃあ、馬車に乗ったら乗りっぱなしか?」
「そうだ。特区に入ってからは休憩もしなかったろ。だが、人の死体が何体か見つかったらしい。だから、わざわざ管理者が宿場まで来たんだ。消えた人間がいないか調べるために」
「誰か消えたのか?」
「いや、皆、宿場に詰め込まれていた。いなかったのはお前さんたちくらいだ。乗車数と人数も合う。面倒なことになったな」
「そうだな。通行できるようになるまで何日くらいかかるものなんだ?」
「最低3日。管理者次第でもっと長くなる。こればっかりは仕方ない。ここはルールが違うんだ」
爺と同じようなことを言う。
「どうします? ずっとここにいても仕方ないじゃないですか?」
コマチが目を輝かせて聞いてきた。
「お前は昨日の女に会いたいだけだろ?」
「どうしてわかるんです?」
「顔に書いてある。あんまり深入りするなよ」
「女同士ですから。深入りはできませんよ」
俺たちは荷物をまとめて、湿地帯へと向かうことに。
「おい、湿地帯は水源の範囲だぜ!」
御者が俺たちを止めた。
「管理者の爺さんに呼ばれたんだ。バイトしろってさ」
そう言うと、見ていた御者も行商人も何も言わず、見送ってくれた。
俺たちは宿場を出て、湿地帯を進む。馬車の道だけはしっかり石やレンガで舗装されているが、少し外れると沼や水たまりがあり、背の高い草が鬱蒼と伸びている。
大型犬ほどの蛙がこちらを見て、ゲコゲコと鳴いていた。人に慣れているというよりも、人が何もしてこないことを知っているようだ。
鬱蒼としていた草が途切れ、唐突に湖が現れた。
爺が言った通り、湖畔には小屋と赤い旗が立っている。小屋の側には荷物置き場があって、白い袋が積まれている。中身は、小麦か死体か。
赤い旗で待機していると、小屋から爺と眠そうな女が出てきた。気だるそうな女は歯磨きをしながら、湖の水を汲み上げてシャツから胸が零れ落ちそうになっている。誰に見せつけているのか。俺は目をそらして、遠くの山脈を見ていたが、コマチは目を皿にして見て顔を真っ赤にしていた。
「来たか」
爺が俺たちを見てニヤッと笑った。
「バイト代はいくら出す?」
「裏の魔法使いの町じゃ、鉄の利権を全部整備屋に渡しちまったって聞いたぞ。金など必要ないのだろう?」
「いる時もある」
「まぁ出来高じゃ。それほどはずめんがな」
死体の処理くらいならいいが、嫌な予感がする。
「軽作業だけにしてくれよ」
「それはお前たち次第じゃ」
俺は大きな溜め息を吐いた。
「で、仕事内容は?」
「その白い袋の中に死体が入ってる。この湖畔で見つかった死体じゃ。魔物に喰われた後もある。喰った魔物の討伐とどこで捨てられたのか見つけてほしい」
やはり面倒な仕事だった。
「人間の味を知った魔物を討伐するのはわかるが、どこで捨てたのかは自分たちで探してくれないか? 管理者なんだろう? 俺たちはこの水源をよく知らない」
「水源は案内する。自分ならどこで捨てるかを教えてくれればいい」
「そうか、わかった。ちなみに俺は今レベルが低い。そこら辺にいる魔物を狩ってもいいか?」
「あまり狩るな。討伐するなら人に興味を持った個体のみだ」
「竜型のゴーレムを倒したと聞いたが、どうしてレベルが低い?」
後ろから、長い髪の女が口を挟んできた。行商人たちはなんでも喋っちまってるらしい。
「腕の呪いのせいだ。力を使うとレベルが削れる」
「ふーん」
女は何度か頷いて納得していた。
「竜については詳しいのか?」
「……ほんの、少しだけな」
「十分じゃ」




