彼女を嫌いになるにはどうしたらいいだろう?
彼女を嫌いになるにはどうすればいいのだろう?
小さい頃、僕と彼女は家が隣同士だった都合からよく遊ぶ間柄だった。六歳くらいの時、彼女の両親の仕事の都合で、彼女は僕の隣の家に越してきた。隣人関係を築かねばと言いたげに、彼女の母が彼女を引き連れて挨拶にしてきたことが、僕と彼女の出会いだった。
当時の彼女は、まだ引っ込み思案な性格をしていた。
その逆で、当時の僕は少しだけ横暴な性格をしていた。一人っ子ということで両親に甘えさせてもらったことが多分に影響していたと今ならなんとなく笑いながら思えたが、かつてはそんなガキ大将気質な性格も相まって、僕と遊ぶことを快く思わない人が結構いた。
『もう、仕方ないなあ』
その点、彼女はいつも、嫌な顔一つせず僕と遊んでくれていた。僕も男ということがあって、彼女に時々横暴な態度で接したりしたものの、それでも彼女はあまり嫌な顔をせず、笑顔で僕と遊んでくれた。彼女のことを特別視するようになったのは、多分この辺が原因なんだろうと思わされた。
小学校に上がる頃、僕は周囲よりも体の成長が少しだけ遅れていた。背の順で整列させられるといつも一番前。
力こそ全てという野蛮な精神性をしている小学校において、ガキ大将がチビというのは欠点でしかなく、この頃に僕の周囲を取り巻く環境は形成された。
喧嘩にも勝てなくなり、僕も当時はあれだけ横暴だった癖に、今ではそんな姿見る影もなかった。
そしてこの頃になると、彼女は知的な印象相まって、周囲から一目置かれる存在になった。彼女はテストでいつもクラス一番の点数を取る知的な少女だった。
かつて僕の家で二人で遊んでいる時より、彼女の顔には笑顔が増えていたように見えた。
『もう、しっかりしてよね』
小学校の高学年になる頃、僕は少しずつ内面に秘めていた不真面目な気持ちを露わにするようになっていた。
彼女はそれでも、休日になると時たま僕の家に遊びに来てくれた。そうして、ふくれっ面を見せながら、僕を咎めるのだった。
すっかりクラスで孤立していた僕は、彼女にこうして遊びに来て欲しいがために不真面目な態度を装ったりと色々と彼女に迷惑をかけた。
彼女は僕の不真面目な態度に呆れ、つまらない洒落にため息を吐いて、世間話に苦笑を見せてくれていた。
多分、この頃から彼女に対して抱く気持ちの正体に気付き始めていた。
僕は、彼女のことが好きだった。
『あたし、将来はお医者様になりたいの』
小学校の卒業を間近に控えた頃、僕達は神社にある遊具で遊んでいた。別になんてことはない。ただ、家にいても面白くないという彼女の願いを叶えるため、嫌々外に繰り出したに過ぎなかった。
ただ、神社で教えてもらった彼女のその将来の夢に、僕は当時の自分の陳腐さを目の当たりにさせられた。そして、同じ齢にしてそんな明確な夢を持つ彼女に対して、畏怖にも近い尊敬の眼差しを向けるようになるのだった。
中学に上がると、僕は彼女と距離を置いた。
理由はただ、彼女に将来の夢を叶えてもらいたかったからだった。好きな人に、当人の夢を叶えてもらいたいと思うのは、そんなにおかしな話ではないと思っていた。
中学は小学校時代、更にはその前の僕の姿を知る人もそうおらず、かつ知っていてももう時効だと言いたげにかつてのような無下にする風潮もなくなっていて、友達だってそれなりに築くことが出来た。だから、彼女と疎遠になる孤独感も不思議と紛らわすことが出来た。
まあ、疎遠といっても一切彼女との関係がなくなったわけではなかった。
なんせ、僕達の家は隣同士だったから。
回覧板を届けに行って、挨拶して世間話。
地方から届いたサクランボをお裾分けに来てくれて、そこで世間話。
関係が断ち切れたわけではない。
そして、昔に比べて、世間話をする時の彼女の顔に笑顔が増えていることに僕は気付いていた。
彼女の夢は叶えて欲しい。
その時まで、出来れば傍で見守っていたい。
小学校の頃の不真面目はどこへやら。僕は中学時代、それなりに勉強を頑張った。
そして、彼女と同じ高校に進学して、二年生。
運悪く、高校では彼女と同じクラスになることはなかった。
だけど、家の前での世間話だとか、廊下ですれ違う度に会話をして、彼女の目指す進路は知っていた。
彼女は上京し、有名大学の医学部に進むつもりでいるらしい。それに向けて勉強を頑張っているらしい。
それがどれだけ大変なことか。
イマイチイメージは出来なかったが、学年一の秀才と名高い彼女なら大丈夫なのではないか。そんなことをのんびりと考えていた。
そして、一年年が過ぎて、三年生になった。
「あたし、〇〇大学受けるの辞めることにしたの」
「え?」
衝撃のあまり、僕は手から回覧板を落としていた。
「ち、ちょっと。どうしたの」
慌てて回覧板を拾う彼女に、僕はなんて言葉をかけていいのかわからず、しどろもどろになっていた。
「どうして?」
「え?」
「どうして、辞めたのさ」
あはは、と彼女は乾いた笑みを浮かべて頭を掻いた。
「あたしの頑張りじゃ、とても受からないな、と」
「そんなことあるもんか」
彼女の頑張りは、僕が一番知っているつもりだった。小さい頃から明確な夢を持ち、その夢に向けてずっと前進してきた。ぶれずに前進してきた。
彼女の頑張りが、彼女の願いを叶えるのに不足しているだなんて思えるはずもなかった。
「ありがとう。随分と買っていてくれたんだね」
「……まあ」
少しだけ気恥ずかしくなって、僕はそっぽを向いた。
「……ほら、大学生活って言えば、キャンパスライフだとか、そういう風に言うじゃない? 折角一度っきりの大学生活なんだから、青春送りたいなって思ったの」
「それは、夢を諦めるくらいのことなのかい?」
「うん。それくらいのこと。やりたいことが出来たんだ」
「……そう」
彼女の意思の固さに、これ以上の詰問は無意味と察した。
「で、代わりにどこ受けるの?」
「△×大学」
「……え?」
その名前を聞き、思考が停止した。
だって、その大学は……。
彼女はあっと声をあげて、微笑んだ。
「そういえば、君が志望している大学だったね」
わざとらしくそう言われた。
全身の血が沸騰しているのがわかった。もしや、彼女が志望校を変えた理由は……。
「大学でもよろしくね」
照れくさそうに微笑む彼女を見て、僕はその理由を確信した。
……だけど、すぐに熱は冷めていった。
もしそうだとしたら、僕は今、彼女の足枷になろうとしているわけじゃないか。
支えたいと思った彼女の夢の、足枷になろうとしているわけじゃないか。
彼女が去った後、僕は自室のベッドで仰向けに倒れて、ぼんやりと考えた。
彼女の突然の志望校変更の理由。
それは多分、間違いないのだろう。
だとすれば、それはとても嬉しいことだった。
だけど、嬉しいのに……。喜べそうではとてもなかった。
小さい頃から彼女が夢を叶えるために努力をしているのは知っていた。そのために色々犠牲にしていることを知っていた。
なのに、この土壇場で僕が理由でその夢を諦めさせることになろうとは。
そんなの、僕はまるで望んでいなかった。
どうすればいいのだろうか。
僕は、どうしたいのだろうか……?
自分の気持ちには、すぐに気付いた。
僕は彼女に夢を叶えて欲しかった。僕のことなんて放って、その夢を叶えて欲しかった。
そのためには、彼女に嫌われても良いとすら思えた。
……だから、そのためには彼女への想いを断ち切らないといけないとすら思えた。
だから思った。
彼女を嫌いになるにはどうしたらいいのだろう?
そうしなければならないのだろうと思った。少なくとも、そう装わなければいけないのだろうと思った。
だけど、小さい頃から秘め続けたこの想いは、最早隠すことすら出来る自信が僕にはなかった。
翌日の学校、授業はまるで頭に入ってこなかった。どうすれば彼女に嫌ってもらうことが出来るのか。
そんなことをひたすら考えていた。
「どうしたい、眉間に皺寄ってるぞ」
昼休み、仲の良い男子……高木君からそう言われた。彼が心配する程度には、今の僕の顔は酷いらしい。
「ちょっと色々ね」
「わかった。恋の悩みだな?」
いやに鋭い。図星とばかりに、僕は体を震わせた。
高木君は大層面白そうに笑っていた。
「そんなに悩むことないって。恋なんてのは、押して押しまくれば大体なんとかなる。それに、俺達はいつ死ぬかもわからないからな。後悔しないように、口にし続けなきゃ勿体ないぞ!」
豪快な性格をしている高木君の言葉に、僕は少しだけ呆れていた。だけど、当人の口から聞いた話によれば、彼は恋人に困らないような生活はしているようで、少しだけそれは羨ましくもあった。
それにしても、こんなお気楽な彼がそれなりに勉強を頑張る僕と同じ大学を志望しようとしていることは少しだけ妬みそうになってしまう。
まあ、彼からもらったアドバイスはまるで活きそうもないことだけは明白だった。
だって俺は、彼女に嫌われたいと思っているのだから。
放課後、未だ妙案が浮かばない頭のせいで、帰る気持ちが削がれてしまっていた。
今日もうだつのあがらない一日になってしまった。
それもこれも、僕の気持ちに気付かず勝手気ままに前進しようとする彼女のせいなのだろう。
まったく……。
嫌気が差す内心から目を逸らしたくて、窓の外に目を向けた。
校舎から校門へ抜けて、生徒達が下校しようと歩いていた。
目を疑った。
玄関から、一組の男女が腕を組んで歩いていた。
それは、高木君と彼女だった。
彼女に好かれているんだと思っていた。
昔から仲良くしてきて、今でも世間話をし、互いの近況だって当人の口から聞けるから。
自分と同じように、相手に特別扱いされていると思っていた。
だけど、どうやらそれは全て僕の勘違いでしかなかったらしい。
高木君の志望校は、僕と同じ。そして、彼女が変更した志望校でもある。
彼女がキャンパスライフを一緒に送りたいと思った相手。
それは、僕ではなく高木君だったのだ。
長らく思っていた夢を諦めてまで、彼女は高木君との関係を。キャンパスライフを願ったのだ。
頭がおかしくなりそうだった。
憎悪にも似た悪しき感情が腸を煮えくり返させていた。
嫌われるにはどうしたら、なんて言っておいて、僕は彼女への想いを断ち切るつもりなんてまったくなかったことに気が付かされた。
そして同時に、言い訳出来ないくらい彼女への想いを募らせていたことを知った。
一筋の涙がこぼれた。
それくらいの感情を持っていたと知って、ただ最早どうすることも出来ない状況であることを知って。
どうにかなってしまいそうだった。
この感情を抑えるにはどうしたらいいのか。
逃げ道を探すと、答えはすぐに出た。
「彼女を嫌いになるにはどうしたらいいのだろう?」
展開浮かばなかった。。。
供養という名の短編投稿。