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暴君王子 長編とスピンオフ

異類婚姻譚 ー魔族と人ー

作者: 藍生蕗


 その男は不思議な人族だった。

 魔族という際立つ美貌を持つ自分を、ただの個体として扱った。


「お前は魔性なのか?」


 問いかけには答えないまま、じっと男を見つめる。

 男は苦笑し、彼女に手を伸ばした。




 ◇




 目覚めれば粗末なベッドの上で寝かされていた。

 床には昨日見た男が背中を向けて転がっている。

 ……自分に寝床を譲り、床で寝ているのだ。


 彼女は魔族と呼ばれる存在だった。

 この国では見つかれば処刑の対象となる。

 少し前、自分に懸想した貴族が魔族の疑いを掛け追っ手を放った。

 聖職者と呼ばれる者に取り囲まれ、聖具と言われる物で痛めつけられれば、彼女には成す術が無い。彼女はまだ産まれたばかりの存在で、弱い魔族だった。


 セラハナの木も苦手だった。

 あの木は魔力を吸う。

 まだ魔力の少ない彼女では、近づくだけで動けなくなる。


 彼女はそんな聖職者たちの罠に掛かった。

 彼らは聖職者と名乗っていたけれど、彼女を見る目はギラギラと欲に満ちており、捕まればどうなるかなど火を見るよりも明らかで。


 魔族は美しい。

 人は誑かされる。

 けれど人を意のままに操るのは、成長し高い魔力を備えた者たちであり、彼女にはまだその力は足りなかった。

 捕まれば捕食されるのは彼女の方。


 かといって人外の住む場所では、まだ生きては行け無い。

 そこでも彼女は食べられただろうから。

 だから人の暮らす街に紛れ、静かに暮らしていたけれど。

 ある日戯れに訪れた貴族の男の目に留まった。


 そうして追い回された結果がこれだった。


 人は皆、彼女を羨んだ。

 貴族の元へ行けば贅沢な暮らしが出来ると。

 けれど彼女はそう思わなかったから拒んだ。

 貴族の元へ行けば尊厳を失い、飼われるだけだ。


 しかもその戯れは何年続くのか。

 どう考えても彼女の魔力が溜まる程の時間は稼げないだろう。

 自分の意思と削ぐわない環境で過ごす時間など、彼女には耐えられ無かった。

 けれど貴族が声を掛ければ、皆彼女を捕らえようと手を伸ばす。

 必死で逃げたけれど。

 捕まらない彼女に業を煮やし、貴族は聖職者にも金を握らせた。

 あれは魔族に間違いないと。

 とにかく彼女を捕らえる為に、人手を欲した為だ。


 彼女はセラハナの木に縛られ、身動きが出来なかった。

 そして聖職者たちが自分に手を伸ばした時、野犬が出た。


 彼らは慌てふためき逃げて行った。




 そして少しして訪れたのが、彼。


 彼女は床下の男に目を向ける。

 自分に触れる時、人の男たちが見せる欲望が、彼には宿っていなかった。

 それは魔性と呼ばれる魔族にとっては屈辱に等しく、まだ年若い彼女でも尊厳が傷ついた。


「変な人族」


 ポツリと呟くと、眠っている男が身動ぎし、起き出した。

 彼女は、はっと身を竦める。

 むくりと起き上がった男がこちらを向き、目が合った。


「ああ、起きてたのか。良く眠れたか?」


 彼女は、じっと彼の様子を観察し、一つ頷いた。

 その様子に彼は目を細めた。




 ◇




「俺はここに住んでいる訳では無いんだ」


 顔を洗い、持ち運び出来る食べ物をいくらか取り出し、彼女にも進めた。彼は、魔性も食事を取るのか? と首を傾げたので、彼女は否定した。


 何故か彼に嘘を言っても意味は無いように思った。

 自分が魔族である事を隠せば、彼はそう受け取るだろう。

 けれどそれをすれば、見るからに少ない彼の食事を無駄に減らす事になる。一応助けられた身。何となく図々しいような気がしたのだ。


「一緒に来るか?」


 その台詞に彼女は目を丸くした。

 その様子に彼は罰の悪そうな顔をする。


「仕方ないだろう。性分なんだ。放っておく事は出来ない」


 その顔をじっと見つめ、彼女は頷いた。

 いくらかホッとしたような様子で、彼は首を捻る。


「名前が無いと不便なんだが」


 名前……

 街で名乗っていたものがある。

 けれど、きっと自分はその名で捜索されている。

 目を伏せる彼女に男が提案した。


「セラでいいか? セラハナの木で拾ったから」


 微妙な顔になる。

 苦手なものから捩った名。

 男は気安く笑いかけた。


「まあ、一時のものだ。落ち着いたら好きな名を選べばいい」


 彼女は少しだけ迷ってから、頷いた。




 ◇




「隣国へ渡ろう」


 そう言って彼と森を歩いた。

 昨日のような野犬や獣たちを、彼は難なく払った。

 追っ手に掛かると面倒臭いからと、酷い悪路を歩かされた。

 よたよたと前を進む彼に着いていく。

 彼は時々振り返っては、少しずつ歩みを遅くして行った。




「俺の聞いている魔性とは違うな」


 一休みする中で、彼は呟いた。

 しげしげと彼女────セラを眺める瞳は心底不思議そうだ。


「お前は弱い魔性なのか?」


 その台詞にセラはむっと顔を顰めた。


「産まれたばかりなだけだ」


 男は目を丸くした。

 そう言えばこの男に返事をした事は無かったかもしれない。

 と、そこまで考えてセラはある事に思い至る。


「お前の名前を聞いていない」


 セラを、じっと見つめた後、息を吐き出しながら、男は苦笑した。


「レイディ。レイでいい」


 

 それからレイは少しずつ自分の話をし出し、セラの事を聞くようになった。

 レイはセラが魔族だと思っていても、特に気にした風でも無い代わりに、魅了すらされていないようだった。

 セラの自尊心は傷つけられる。

 自分は産まれたばかりとはいえ、魔族なのに。

 他の魔族は産まれたばかりの時、皆同じように人に翻弄されるものなのだろうか。


 翻弄……

 セラは前を歩くレイの背中を見つめた。

 人に対してそんな感情を抱いたのは初めてだった。




 ◇




 やがてセラが住んでいた街とは違う街に辿り着いた。

 そこで船に乗り、隣国へ。

 産まれて初めて見る海に目を輝かせ、潮風の心地よさに心が浮きだった。


 船を降り見渡せば、今まで暮らしていた場所とは風土の違う環境がセラを囲んでいた。

 景色を楽しむセラにレイは微妙な顔を向ける。


「その……どうする?」


 セラは首を傾げた。

 

「一緒に来るか?」


 もう一度問われたその言葉にセラは目を見開き、そのまま勢いよく首肯した。




 ◇




 レイは騎士団に所属していた。

 第三騎士団という部隊で、任務は他国も含む情勢調査。


 騎士団へ報告を済ますべくセラを伴ったレイは、団員に大層驚かれた。

 宿舎にセラを住まわせられるかと聞いてみたが、宿舎は独り身専用だと事務担当にニヤついた顔で返され、苦虫を噛み締めた。


 (……別に、一時的に保護しただけだ)


 拾ってからひと月も経たないが、本当に人に混じって暮らしていたのかと不思議に思う位不器用だった。

 確かに綺麗な顔をしている事には驚いたが、どこかぼんやりとしているのに、興味を持ったものには目を輝かせ頬を紅潮させていて……

 子どものようだと思った。

 産まれたばかりだと言っていたから、間違えてはいないだろう。だからあんな純粋な反応で────


 そこまで考えてレイは顔を顰めた。

 純粋な魔性など……

 けれど言い得て妙だと思う自分も確かにいた。

 まあつまり、魔族とは言え子どもを害する気にはなれなかったのだ。


「揶揄ってやるな。こいつに限ってそんな筈は無いだろう。また捨てられて途方にくれてる奴を拾って来ただけだ。一緒に暮らすわけじゃあ無いんだろ?」


 ふと掛けられた声にレイは顔を上げた。


「隊長……」


「良く戻ったな、レイ。任務遂行により、お前の実績は確実に積み上がったぞ。また一歩前へ進んだな」


「……ありがとうございます」


 いくつかの書類を受け取り、レイは目を伏せた。


「ああーそうか、もうすぐ結婚するんだったなあ。おめでとうレイ」


 違う方から飛んできたその言葉に顔を向け、レイは軽く頭を下げた。




 ◇




 レイの祖父は貴族だ。

 父はその家の次男だったが、所謂(いわゆる)貴族の駆け引きが苦手な輩で大して優秀でも無かった。それでどこかの家に婿に収まる事も、文官や騎士を目指す事も出来なかった。

 それ故、平民である母と結婚した。


 豪商と呼ばれる程でも無く、庶民と言うには少しばかり裕福な環境。

 普通貴族であれならば、屈辱と捉え、こんな不遇に甘んじる事は出来ないだろう。

 だが、父は気にしていないようだった。

 そして祖父や伯父は優秀であったし、一族に一人出来の悪いのがいたところで痛くも痒くも無かった。

 つまり父の存在など取るに足らないものだったのだ。


 レイは何故か伯父に良く似ていた。

 だから目を付けられたのだと思う。

 ある日、第一騎士団に所属する騎士に声を掛けられた。


 君はアンソレオ侯爵家の者かと。

 レイは否定した。

 すると騎士は急にレイを見る目を変え、直ぐに踵を返した。

 成る程、父が嫌がる理由が少しだけ分かった。


 第一騎士団は王族の近衛の準部隊だ。

 高位の貴族が多くいる。

 外交官を務める伯父の顔を知る者がいてもおかしくはない。

 


 それからしばらくして、同じように声を掛けられたのだ。

 

 

「あら、ロイーズ様?」


 振り返ったのは、それが従兄と同じ名前だったから。

 子どもの頃は良く遊び、共に過ごした。

 昔は双子のように良く似ていると言われたものだった。


 振り返った先の令嬢は一瞬驚き、口元に手を置き目を丸くしている。

 

「申し訳ありませんが……人違いかと……」


 レイの瞳は青かった。

 けれどその虹彩は金に瞬き、それこそがアンソレオ侯爵家である伯父と同じものであった。まるで美しい宝石のようなそれ。

 若い頃伯父はその瞳で意中の女性を射止めたのだと聞いた事がある。


 けれど、レイ自身はこの瞳に何かしらの恩恵を受けた覚えが無かった。今も……


 目の前の相手は貴族のようだった。

 関わる事は得策では無いだろう。


 レイは登城する事は滅多に無い。

 貴族というものが面倒臭いと何となく察していた為だ。

 自分の容姿も血筋も、その面倒事に巻き込まれてもおかしくないと思っていた。


 けれど令嬢はレイに歩み寄り、興味深そうに眺めた。




 そうした事があって暫くした後、伯父から連絡があったのだ。

 縁談を持って来たと。




 ◇




 一つ息を吐いて、事務室から足を踏み出した。

 そこで廊下で不思議そうに張り紙を眺めるセラが目に留まり、つい口元が綻んだ。


「セラ、部屋を見つけるまで宿屋で暮らすんだ」


 その言葉にセラは目を丸くする。

 そして逡巡してから申し訳無さそうに口を開いた。


「お金……無い」


 レイは苦笑した。


「心配しなくても、住み込みで働いて貰う」


 その言葉にセラはきょとんと首を傾げた。

 レイは思わず出そうになる手を、腕を組んで誤魔化し、苦笑した。


「この国に慣れて、一人で生きていけるようにならないとな。お前、当分人間の振りをして生きていかないといけないんだろう」


 最後の方は声を顰め真面目な顔で告げる。

 セラもまた真剣な顔で一つ頷いた。


 レイは思わず手を伸ばし、セラの頭をわしわしと撫でた。




 ◇




「人間の振りをするんだぞ」


 そう言ってセラは宿屋に連れていかれ、宿屋の女将に紹介された。一通り挨拶を済ますと、レイは仕事があるからとセラに別れを告げた。

 立ち去るレイのその背を見送るのが何故か酷く悲しくて、セラの眉は自然と下がる。


 ずっと追いかけて歩いた背中……

 ドアを開き外に出ようと足を踏み出す瞬間に、レイは躊躇いがちに振り返り、また来るからと告げた。

 その言葉にセラはホッと息を吐き、一つ頷いた。




 それからレイは宿屋で食事を摂るようになった。

 それは朝だったり夜だったり昼だったりとまちまちだったけれど。セラの様子を確認しては、頭を撫でた。


 宿屋の女将は厳しい人だったけれど、面倒見の良い人だった。何もしなくとも生きていかれたセラには、そもそも生に執着は無かった。必要な物も無かったし、楽しいも嬉しいも知らなかった。

 ただ人間の真似をして、何となく暮らしていた。


 今は毎日忙しく暮らしてるいた。

 怒られ、褒められ、失敗して悔しがり、自分の気づかなかった長所を褒められ、くすぐったい気持ちを知った。

 楽しいと思った。

 ずっとここにいたいと。


「良かった」


 レイが目を細めた。

 彼は良くそんな言葉を口にするようになった。


 セラはそんなやりとりにも慣れて来たから、笑って答えた。


「レイ、あなたは本当に過保護ね」


 セラは言葉遣いも女将に習って、女性らしくなってきた。

 人に馴染み人と親しみ。

 レイは目を細めた。


 セラがこの国に来てから、ふた月が経っていた。




 ◇




 ある日宿屋の前から人のざわめきが聞こえて来た。

 セラは夕飯の仕込みをしながら、首を傾げる。

 何かあったのだろうか。


 やがて宿屋のドアが開かれた。

 セラは、いらっしゃいませと声を掛けた。

 ドアを開いた男はセラを一瞥しただけで無表情なまま、続いて入ってきた女性を中に通した。


 彼女は綺麗なレースのハンカチで口元を覆い、宿屋に足を踏み入れた事を後悔するように顔を顰め、戸惑っていた。


「あの……」


 控えめに声を掛ける女将に令嬢が顔を向ける。その時に視界の端に映ったセラに気づき、目を見開いた。


 そのまま女将を押し除けセラに近づき、持っていた扇子で思い切りセラを打ちつけた。


「この泥棒猫!」


 打ち付けられた頬を押さえ(うずくま)っていたセラは、襟首を掴まれ立たされた。

 先程ドアを開けた男だった。

 女将は悲鳴を上げた。



 セラは散々叩きのめされ、放られた。

 痛みは無かった。魔族だから。

 だから女性が散々喚いていた台詞は良く聞こえていた。


 彼女はレイの婚約者で、セラがレイと仲良くしている事を怒っていた。


 彼女は貴族で、ここにいる誰も手を出せなかった。

 彼らが出て行った後、女将や常連客がセラに駆け寄り、手当をしてくれた。


「レイ……婚約者がいたのね……」


 ポツリと呟いた自分の声が耳に響く。

 そしてそれは傷よりも強く、心に痛みを滲ませた。


 遠慮がちに女将が口を開く。


「セラ……申し訳無いんだけど、もうここには置いておけない」


 その言葉にセラは目を向けた。

 女将は目を逸らし、ボソボソと話す。


「お貴族様に目を付けられたら……うちなんてやってけ無いんだ……」


 ふと見渡すと皆同じように目を逸らした。

 セラはその目を知っていた。


 以前住んでいた国で、貴族に追い回されたセラは、そんな目にも囲まれていたから。


 貴族


 彼らに目を付けられたら、もうここにはいられない。


「お世話になりました」


 セラはふらりと立ち上がり宿屋を後にした。




 ◇




 人のいるところには居られない。

 包帯だらけで歩くセラを見て、驚く人たちも、先の騒動を知っているのか、声を掛ける者はいなかった。


 立ち止まれば追いかけてくる思考を振り切るように、セラはひたすら歩いた。


 街を背にただ足を動かす自分に気づく。

 逃げている自分に。

 どうして。

 ずっとここにいたいと願っていたのに。


 レイ


 セラの顔が歪んだ。

 戦慄く口元に涙が伝う。


「あなたは誰かのものだったのね」


 前を歩く彼を思い出す。

 必死に追いかければ、彼は時々振り返った。

 セラの歩みが遅れれば、休む時間を設け、次からはゆっくりと進んでくれた。


 目を細めて笑う顔が好きだった。

 頭を撫でる手が温かいと……心がじわりと潤むような、幸せな感覚に満たされて。


 いつか思った翻弄という言葉ではない。


 恋慕(こいした)っていた。


 好きだった。


 でも……


 彼は誰かのものだった。




 ◇




 騎士団の隊舎に押しかけて来た自身の婚約者に、レイは眉を顰めた。


「リザリア嬢、このようなところに御令嬢が足を運ぶのは如何かと……」


 目を潤ませ、自分を見上げる婚約者は有力伯爵家の一人娘で。自分を婿にと望んだ人だった。


 伯父が持ってきたこの話にレイは戸惑った。

 父もいい顔をしなかったが、母は自分の息子が貴族になる事を大いに喜んだ。

 一度だけ会えと説得され、顔を合わせたのは、あの時城で自分を従兄と間違えた令嬢だった。


 どうやら彼女は従兄に懸想していたようで、似た顔立ちのレイをいたく気に入ったようだった。

 レイにとっては苦悶しか無さそうな婚約話。

 父が嫌がった理由が良く分かる。レイは平民として暮らして来たから余計に理解出来なかった。


 だから仕事と称して国外の任務ばかりを請け負った。

 自分の事など会わなければ忘れてしまうだろうと。


 けれど思惑は外れ、いつの間にか外堀が埋まり、レイの婚約は勝手に纏められていた。


 一度だけ婚約者に着飾られ、夜会というものに参加した。

 平民ではあったが、最低限のマナー教育は受けていた為、そちらの方は何とかなったが、正直あの空気は辛かった。


 言いたい事があればはっきり言えばいいのに。

 紳士淑女の美徳とやらは理解し難い。

 嬉しそうに自分にしがみつく婚約者も、それを遠巻きに羨ましそうに眺める令嬢たちも、レイには掴みどころの無い、不気味な存在でしか無かった。


 従兄が彼の婚約者と入場して来た時には、何故かリザリアは胸を逸らして勝ち誇っていた。

 ……自分と従兄は違う人間なのだが、分かっているのだろうか。


 リザリアはレイが何を考えて、どう過ごそうとも気にしなかった。

 ただ綺麗に着飾り横に並び、従兄に見劣りしない存在であれば満足していた。

 レイは、そんな彼女の価値観に歩み寄れず、かと言って逃げる事も出来ずに、迫り来る時間から目を背け日々を歩いて来ただけだった。


 その結果が今ここにあるこれ。


 リザリアはレイに手を伸ばし、胸に顔を埋め縋った。


「聞いてレイ。あなたに平民の恋人がいるなんて、酷い事を言う人たちがいて……」


 そこまで聞いてレイは勢いよくリザリアの肩を掴み自分から引き離した。


「何をしたんだ?」


 セラ


 思い浮かぶのは、不器用で無垢な魔性の少女。


 力を込めた手に釣られ、声も硬くなる。

 その様子にリザリアは息を飲み、顔に険を滲ませた。


「な、何よ! 婚約中だと言うのに、平民の女に入れ上げてるなんて! 私がどれ程惨めな思いをしたと思っているの? あなたは婿養子なのよ? 許される筈が無いでしょう?」


 レイは眉間に皺を寄せた。


「何故俺なんだ」


 今まで何度も頭を過った疑問。

 けれど口にしなくとも、どこか納得していたそれ。


「似ているからよ、ロイーズ様に……あの方の事がずっと好きで、忘れられなくて! 婚約者がいても気持ちは変わらなかったのよ!」


 聞かなくても分かった振りをして、聞く事を放棄して来たのは、それでも直に耳に届けば軋む自分の心を鑑みていた為かもしれない。


「そうか……」


 レイはリザリアから手を離した。

 自嘲気味な笑みが口元に浮かぶ。


「な、何よ……あ、あなたとの婚約は破棄しないわよ! もうあなたと結婚するって皆に言っているんだから! き、貴族の婚姻なのよ! あなたには私の夫になって貰いますからね!」


「どうでもいい」


 レイは踵を返して外に向かった。


 ただの拾い物では無くなっていた。

 彼女に惹かれ、全てを捨てたいと思い詰める位には。

 だからもう他には何もいらない。


 その言葉に婚約者は目を丸くしたが、駆け出したレイには彼女の絶叫のような喚き声が聞こえてきただけだった。




 ◇




 街外れに山道への入り口があった。

 セラはそこに足を運び、歩いていた。

 けれど暗闇に苦心して、木の根に腰を掛けて休んでいると、雲間から月が顔を出した。


 月明かりに照らされ、自分の身体がよく見える。

 包帯と絆創膏だらけの身体。

 泣きそうになる。

 女将たちは一生懸命手当してくれた。

 せめてそれだけでもという思いが見て取れた。


 だからセラはあの場を去った。

 好きだったから。

 彼らの事が。

 迷惑を掛けられなかった。


 だからまた違う街に行こう。

 今度こそ貴族に見つからず、静かに暮らすのだ。


 もう、レイのような人に会ってはいけない。

 レイに会ってはいけない。


 セラは魔族なのに、彼を誰かから奪い取ることは出来ないと思った。

 きっとレイは傷つく。

 振り切った者たちに心を痛める。


 けれどセラは一人だ。

 誰かに割く心はレイ程多くはなく、また、レイのような人なんて……

 きっといないのだから。


 身体を震わせて泣くセラは、近くで土を踏む音に顔を跳ね上げた。


「セラ……」


「レイ……」


 そこには息を切らしたレイがいた。

 それはずっと走った印。

 セラを探してくれた証……


 セラは顔をくしゃりと歪めた。

 レイはセラに近づき、ぎゅっと抱きしめた。

 その動作にセラは驚く。


 いつも目を細めて笑ってくれていた。

 頭を撫でてくれていた。

 けれど今は……セラはおずおずとレイの背中に手を伸ばした。


「一緒に逃げるか?」


 その言葉にセラは固まる。

 いつか聞いたものと似たそれ。

 一緒に

 ずっと一緒に……


「いても、いいの?」


 レイの背中に腕を回し、縋った。

 泣きながら問うセラに、レイはきつく抱きしめる事で返した。




 ◇




 そこからひたすら山道を歩いた。

 また貴族から逃げる為。

 二人でいられる場所に辿り着く為。


 けれど山道を抜けて街道に着いた先で、囲まれてしまった。


 そこにいたのはアンソレオ侯爵家の者だった。




 ◇




「レイディ。一体何をしてるんだ」


 拘束された状態で伯父に引き合わされた。

 セラとは途中で引き離され、レイは苛立っていた。


「聞いてるのか。イオル伯爵家とは今後良い関係を築きたいと思っていると言うのに。お前にはしっかりしてもらわないと困るんだ。……遊びたいなら、せめて結婚してからにしろ」


 その言葉にレイは眉を顰める。


「ふざけないで頂きたい。どこの世に遊びの女と駆け落ちする男がいると言うのです?」


 侯爵は、ふんと息を吐いた。


「本気と言うなら尚質の悪い事だ」


 レイは口元を歪めて笑った。


「ロイーズを気に入っているようですよ。それ程あの貴族との縁が大事というならば、詫びの品としてあいつを婿に差し出せばいいじゃないですか」


「……分かっていて言ってるのだろう? ロイーズの婚約者は由緒正しい公爵家の令嬢だ。そんな真似出来る筈は無い。……それに、詫びなら既にしてある」


 淡々と話す伯父にレイは嫌な予感がする。


「セラは……伯父上、セラはどうしたのです?!」


 侯爵はレイを一瞥した。


「お前は私の仕事を知っている筈だったが?」


 その言葉にレイは息を飲んだ。

 レイの反応に侯爵はため息を吐く。


「全く。お前はつくづく弟に似ていない。私の元できちんと教育しておくべきだった」


「彼女は……」


 侯爵はレイに向き直り、言い聞かせるように口にした。


「あの娘は隣国へ返す手配をした。魔性だそうだな? お前の疑惑を払拭する為に、聖職者に多額の寄付金を支払う事になった。もう諦めろ」


 レイの瞳はその慟哭を表すように、大きく見開かれた。




 ◇




 セラは檻に入れられ、物のように運ばれた。

 帰れと言われた。

 あの貴族はまだ自分を探していたのだろうか。


 或いは邪魔な自分をこちらの貴族が向こうの貴族に、恩という名ののしをつけて送りつけたか。


「レイ……」


 一緒にいたい。

 レイがそれを許してくれたから。

 レイと生きる事は幸せで、きっともうそれ以外にセラの生きる場所は無いから。


 馬車が止まり、檻に掛けられた布が剥ぎ取られる。

 飛び込んで来た刺すような光にセラは目を眇めた。

 けれど、その先にいる人物に目を留め、セラは目を瞬かせた。


「レイ!」


 思わず檻に飛びついて、少しでもレイの近くに行こうともがく。

 レイの顔を覗き込む。

 けれど、レイの表情は変わらなかった。


「レイ?」


 不安に声が掠れる。

 目を細めて笑うあの顔が見たい。

 また頭を撫でて欲しい。

 セラはレイを必死に見つめた。


「ふふ、やはり仏魔が効いたのかしら。ねえ、もうこの娘に何も感じないのでしょう?」


 楽しそうに笑う声に振り向けば、レイの婚約者が笑っていた。


「ええ……」


 その声にセラは勢いよく振り向いた。

 そのまま目を合わせたレイの瞳には、何も無くて……

 いつもセラが感じていた温かさはどこにも見当たらなかった。


「どうして……」


「どうしてですって?」


 セラの言葉に、リザリアが怒りと笑いをないまぜにしたような声を出した。


「偉い聖職者に頼んだからよ! 魔に魅入られた彼を助けて貰う為に! 彼は正しく目覚めたの。もうあなたなんかに目を向ける事はないわ!」


 そう言って、リザリアはレイの腕に自らのものを絡ませて、勝ち誇ったように笑った。


「もういいから連れて行って頂戴。変に勘違いされても困るから最後に挨拶だけさせてあげたけど、もうあなたとレイが会う事は無いわ。永遠に」


 ぴしゃりと言い放ち、二人は連れ立って去っていった。


 セラは呆然とした。

 自分は気づかないうちに魔族としてレイを洗脳していたのだろうか……


 (だったらあの……)


 昨日レイが言ってくれた言葉は……

 セラの少ない魔力が見せた幻。


 セラは笑った。


 結局自分は魔族だったのだ。

 しかも好いた相手を都合良く自分に傾倒させるような、つまらない魔力の使い方をする。


 残ったのは、セラの恋慕のみ。

 レイには何も残らなかった。




 ◇




 船に乗り、数ヶ月前にレイと歩いた道を馬車で進む。

 悪路だが、近いのだろうか。

 ガタガタと揺れる馬車にお尻が痛くなり、そろそろ限界を感じていた頃、降りるように指示された。


 護送の兵士たちは、いつか見たセラを取り囲んだ聖職者たちと同じ目をしていた。


『好きにしていいわ。でも最後は馬車ごと崖から落としてしまいなさい』


「綺麗な女だなあ。婿養子の立場だろうと手を出したくなるのも良く分かる。お嬢様が嫉妬するのもな」


 いやらしい笑みで近づいてくる男達を見て、セラは────

 彼らを殺した。

 触れられたくなかった。

 それでもレイ以外には。


 彼らの返り血に涙が伝い、セラは気がついた。

 

 (魔力が上がっている)


 セラは自嘲気味に口元を歪めた。

 こんな方法だったのか。

 人を害す。それが魔族が魔族たる証を手取り早く手に入れる方法。


 そしてそれはセラを人から────レイから遠ざけた。

 レイはもうセラに背を向けている。

 そして今セラはレイに背を向けたのだ。

 

 もう二人の道が交わる事は無い。




 ◇




 やがてレイはリザリアと結婚し、イオル伯爵となった。

 セラは今までの知識を活かして人として生きた。

 度々人族の男たちに襲われるようになったが、セラは彼らを遠慮なく殺し、魔力を手に入れていった。


 セラはレイに背を向けて生きていた。

 けれど、いつもその背にレイの気配を感じて生きていた。

 忘れられなかった。

 だから人の親切を感じた時は、返す努力をした。

 不遇な者に出会ったら、少しだけ手を貸した。


 全部レイに教えて貰った事。レイがきっかけで……

 セラが生きて……自分を好きになれる時間。


 セラは数年毎に居住を移し、同じように暮らしていた。

 助け、助けられ、殺し、レイを想った。


 セラは歳を重ねて行った。

 魔族であるならば老化を表す必要は無い。年若い方が人に混じりやすく、また、取り入り易い。

 けれど、セラはレイと同じ時を生きたかった。

 そして同じように死にたかった。


 だけどレイの寿命は分からない。

 その気配はいつもセラの近くにあったけれど、最後にセラを冷たく見据えたあのレイは、今どうしているのか……。


 年老いてからは人に襲われる事は無くなったので、セラは住み易い街を見つけ、長く一人で暮らしていた。


 会いたい……

 

 最後に一目でいいから。


 セラは思い立ち、レイの元へと向かった。

 その頃にはもうセラの魔力は、セラに不自由を与えない程に大きくなっていた。




 ◇




 昔数ヶ月だけ暮らした街。

 セラは宿屋に目を向けた。

 レイが紹介してくれた場所。

 厳しく面倒見の良かった女将さん。

 人の寿命を考えると、彼らの命がまだあるかは分からなかった。

 それはレイにも言える事だとは、ここに来る途中で気がついた。


「いらっしゃい! お客さん?」


 明るい声に振り向けば、昔見た女将を若返らせたような若女将がこちらに笑顔を向けている。


「ああ……食事をね……やってるかい?」


 若女将の笑顔に釣られ、つい答える。

 若女将は満面の笑みで返事をし、セラは宿屋に入った。


 勧められるまま席につき、店内を見回す。まるで時が巻き戻ったようなそこで、一息をつくように目を閉じた。

 

 (懐かしい……)


 約半世紀、色んな街を渡り歩いて来たけれど、ここはセラの故郷のようだ。育み、大事にされた場所。


「何にする? この辺のメニューが柔らかくて食べ易いよ」


 若女将の親切に勧められるままそれを頼んだ。

 魔族は食事を摂らないが、食べないと人に混じって生きるのは難しい。

 歳を取り、街外れに住むようになると特に何とも思われなくなったが。


『あの婆さんは歳を取りすぎて仙人にでもなっちまったんだ。霞で腹が一杯になるのさ』


 当たらずとも遠からず。

 日持ちのする物を家に置き、食べる振りをして過ごしていた。


 こうしてちゃんとした食事を摂るのは久しぶりだ。

 一応美味しいと思う感覚はセラにもある。

 ぎこちなく食事を始めるセラを、若女将は興味深そうに眺めていた。


「お客さんどこから来たの?」


「北から……昔の知り合いに会いに」


「へえ……いいね」


 そう言って若女将は目を細めた。

 その仕草にセラはふと食事を止める。

 レイと似てる。

 こうやって笑う人間は何人かいた。

 その度にセラはレイを思い出した。


「あたし、この街から出た事が無いんだ。だから、いいなあ羨ましい。旅ってどうだい? 楽しいかい?」


 セラは思い返した。


「……どこに行っても心は一つだったよ」


 若女将は片眉を上げた。


「そうなんだ……それもまた、羨ましいね」


 若女将はそれきり口を閉じた。

 何かを察したのか、宿屋をやっていれば人のあしらいなんて日常茶飯事なのだろう。その瞳に賢明な瞬きを見て、セラは口を開いた。


「もし……知ってたら教えて欲しいんだけど……貴族街は、どっちだい?」


「……貴族……」


 その言葉に若女将は眉を顰めた。

 やはり関わり合いになりたくないのだろう。セラは苦笑した。


「いいんだ。すまないね。間違えたくなかったからさ、方向だけね、確認しておきたかっただけなんだ」


 その言葉に若女将はホッと息を吐いた。

 セラが貴族街に近づきたく無い故の質問と受け取ってくれたのだろう。大抵の平民は、貴族とは、お近づきにはなりたくとも、近づきたくは無いものだ。


「そうだね。あんまり大きな声じゃあ言えないけど、この国の貴族には近づかない方がいいよ。祟られてるって噂だから」


「祟り?」


 目を丸くするセラに若女将は重苦しく首肯した。


「うちのおばあちゃんが女将をしてた頃の話なんだけど……」




 ◇




 アンソレオ侯爵の根回しにより、セラは隣国への手土産となった。あの貴族はセラを見失った事を惜しんでいたから。

 セラは国境を勝手に抜けたとして、元いた国に戻されるよう手配された。


 下手に手を出せば国際問題になるだろう。

 レイが一人喚いたところで、どうにもならないように。けれど、先の貴族に粗末に扱わないように念を押して。レイが自棄を起こさない為に。


 魔性と言われていたが、果たして真実そうなのかと、セラの魔力が弱い為、誰も信じていなかった。


 食事を摂らなくとも生きていかれる。

 痛めつけられても、傷を負うが人のような痛みは無い。

 セラが認識していた魔族の力はその程度で、それは隠す事に大した努力は必要無かった。


 結果侯爵はセラを魔性とは信じなかったものの、甥の不始末を詫び、伯爵家と話し合い、両家はこの一件を収めた。


 ただリザリアはその話し合いに納得しなかった。

 魔性とは言え自分の婚約者を誑かした。そして少なからずレイはその誘いに乗り、自分を捨てようとした。


 だから護送にごろつきを雇い、あの娘を辱め殺してやろうとした。ごろつきはその後帰らなくて良いと金を握らせておいたから、誰にも気付かれずあの娘を葬る事が出来た。


 リザリアは嬉しかった。

 やっと彼が手に入ったと。

 ロイーズに似たレイを手に入れた事で、二人を自分のものに出来たような高揚感すらあった。

 レイもまた騎士として鍛えあげられた凛々しさが魅力的で、しかも現侯爵の持つ宝石のような瞳はロイーズには受け継がれていないのだ。リザリアの気持ちは益々高まった。




 レイは侯爵からこれが幸せなのだと聞かされた。

 誰よりも何よりも、自分が耐える事でセラは幸せになれるのだと。

 侯爵家も伯爵家も、お前たちを逃さないし、許さない。

 お前が我を通し、手放さなければ、どれ程の者が不幸になるのか良く考えろと言い聞かされた。




「セラを、幸せにしてくれるんですか?」


 懇々と聞かされる説教に、レイは思わず口にした。

 家族にも……責任を求められると言われてしまったから。


 自分が耐えれば、セラは幸せになれる。

 突き放すしか無かった。

 レイはリザリアとの婚姻に頷いた。




 けれど、リザリアは更に求めるようになった。

 婚約者である自分を見ろと。愛せよと。

 レイにとっては彼女との婚姻はセラを幸せにする為の条件でしか無かった。

 しかも肝心のセラは既に隣国。

 リザリアにこれ以上手出しが出来ないのは分かっていたから、レイはリザリアへの態度を取り繕う事もしなかった。




 リザリアが怒りを示したのは、婚姻の夜。

 レイの式の最中の態度と、披露宴を欠席した事だ。

 

「どうして誓わなかったのよ! レイ!」


「……沈黙で答えた」


 沈黙は肯定とされ、神父に承認された。

 レイにしてみたら同じ事だ。

 誓いの口付けをと言おうとする神父を睨みつけて黙らせ、式をさっさと終わらせた。


 出席していたリザリアの友人たちがクスクスと笑い声を立てていたが、レイには気にならなかった。

 その後披露宴を欠席した事で、リザリアがどれ程居た堪れずにそこに座していたのかも。


 こんな男が伯爵位を継ぐ事に、現伯爵はどうとも思わないのかと不思議に思ったが、仕事は出来るが娘には甘いだけの親バカで、こちらも話の通じない輩だった。


 レイは密かに頼んでいたのかもしれない。

 リザリアが自分に愛想を尽かす事を。

 親族の誰かが諌めてくれる事を。

 その期待は外れ、自分はまだ逃げられない。けれどその日はそう遠くないのでは無いかと考えていた。


 目の前で憤るリザリアを見て、レイは内心ほくそ笑んでいた。続く言葉を聞くまでは。


「まさかまだあの娘を恋しいと思っているんじゃあないでしょうね? 言っておくけどもう無理よ! あの娘はとっくに死んでいるんだから! あなたの気持ちなんて欠片も受け取れないんだから!」


「何を……」


 動揺を表すレイに、リザリアは口元を歪めて嘲った。


「護送にごろつきを雇ってやったのよ! 好きにしていいって言ってやったわ! その後崖から落として……」


 全て言い終わる前にレイはリザリアを黙らせた。

 貴族令嬢である彼女の身体は華奢で、それでも止められずレイはリザリアを打った。



 初夜とは言えあまりにも酷い物音と、夫人となった令嬢のけたたましい叫び声に、流石にと言った風に使用人が部屋の様子を伺いに来た。

 そして部屋と夫人の惨状に悲鳴を上げ、屋敷は騒然となった。



 新郎は斬首となった。



 イオル伯爵家にはそこから少しずつケチがつき、衰退の一途を辿り、今はもう没落寸前だと言う。


 アンソレオ侯爵家はそんな新郎の縁者として社交界で厭われ、伯爵家よりも早く没落してしまった。




 もうここに、レイはいなかった。


 


 レイはずっとここ(・・)にいた。


 セラは自分の背中を抱きしめたくて、両手を肩に当て、自らを抱きしめた。

 

「レイ……」


『一緒に来るか?』


「レイ……」


『一緒に逃げるか?』


「……っごめんなさい!」


 何度も一緒にと言ってくれたのに。

 側にいてくれたのに。

 見守っていてくれたのに。



 気づかなくてごめんなさい。


 

 顔を覆って嗚咽を零すセラを、若女将は戸惑いながらも背中をさすって宥めてくれた。




 ◇




 レイがいなくなった世界なのに、セラはまだ生きていた。

 レイが近くにいると考えるようになってから、死ねなくなった。


 そうして長い時間を過ごした。




 ◇




 やがて長い時間を過ごす中、セラは未来を視る力を手に入れた。

 未来視

 長く生きる魔族が得る力。

 そしてそれが魔族に現れるという事は、近く次期魔王が産まれるという証。



 セラは名乗る事が無くなり、おばばと呼ばれるようになっていた。




 ◇




「やあ、おばば様。この子の世話を頼んでもいいかな?」


 そう言ってある魔族が連れてきたそれは、小さな男の子の姿をしていた。


 セラはしげしげとその子を見て確信した。

 この子がやがて番を見つける事。

 その相手の為に国を滅ぼし、邪魔者を排除する暴君となる事を。


 やがて二人幸せそうに笑い合う未来に苦笑し、そしてその中の、あるものに目を留めセラは息を飲んだ。



「レイ……?」



 レイの顔をはっきりと覚えているかと言われると、そうではないかもしれない。

 でも、珍しい虹彩の瞳と、それが細まり笑う仕草。それに優しくて温かな彼の……


 途端、未来視の中で彼が振り返った。



『ここに来い』



 ────セラ



 もうただの魔物に成り下がった自分。

 人も沢山殺した。

 それでも……


 セラの葛藤に応えるように、レイは目を細め、頷いた。



「……っ」



「どうした? 婆さん?」


 思わず滲んだ涙を誤魔化す為に、目の前の子どもの頭をパシリと叩いた。


「うるさいよ! 誰が婆さんだ!」


 いてえ! と叫ぶ子どもにふん、と息を吐き、セラは腕を組んだ。


「あんたは将来見込みがありそうだからねえ、特別にあたし自ら、しごいてやろうじゃあないか。ありがたく思いな!」


 げえ! という呻き声に口元を歪め、セラは泣き声を必死に噛み殺した。



 レイ……私、あなたに会いに……あなたと生きる場所に行く。




 ◇




「エデリー?」


 ぼんやりとしたまま本を片手に、いつの間にか微睡(まどろ)んでいたらしい。

 長椅子に凭れているところを覗き込まれ、エデリーは頬を抑えた。


「パブロ様? まあ、いらっしゃるなら仰って下さい」


「無理を言って通して貰ったんだ。そしたらとても素敵なものが見れた」


 嬉しそうに目を細めるパブロに、エデリーは、もうと頬を膨らませた。


 エデリーの手を掬い取り、パブロは唇を落とす。


「どんな夢を見ていたんだい? とても幸せそうだったけれど」


 そう言って少しだけ険を孕む眼差しは、彼の嫉妬が混じっているからだと、エデリーは既に慣れていた。


 (こんなに嫉妬深い人だったかしら?)


 くすりと笑みを零す。


「あなたの夢よ。ずっとずっと前の……」


 パブロは眉間に皺を溜めた。


「私はずっとずっと先の、君との時間が欲しい」


 生真面目な顔で膝をつくパブロにエデリーは苦笑した。


「そしたらわたくしは、おばあちゃんになるわ……」


 一人年老いた時間を思い出し、少しだけ寂しい気持ちになる。


「その時は私もおじいちゃんだ。ずっと一緒だと言っただろう? エデリー・セラ・シャオビーズ、私と結婚してくれかい? ……今度こそ……君と共に……」


 パブロの瞳が思い詰めるように揺らぎ、エデリーはそれを無くしたくてそっと微笑んだ。


「ええ、パブロ・レイディ・ルデル。あなたを愛しているわ。わたくしには、あなたしかいなかった。きっとこれからもずっと……」


 そうして二人手を重ね額を寄せ、永遠を誓った。



 読んで頂いてありがとうございます^_^

 レイ視点もあるのですが、ヤンデレが酷いし読み味がどうなんだろうと思って割愛しました。


 興味のある方はこちらからどうぞ


 11. 永遠 (※レイ)

 https://ncode.syosetu.com/n5680gr/51/

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