第四十話 Boys & Girls(その1)
2026/2/22 修正
不穏なナレーションと共に映像に現れた怪物の醜さは最早考えたくない。爛れた全身からブスブスと白い煙を上げ、吐き気を催すような悪臭がするのだろう。変わり果てた姿になった凪橋が、重い身体を引きずるようにして廊下を歩いている。
その先にあるのは、普段零比都が仕事をしている事務室だが……
まさか!
■その40
そのまさかだった。
怪物の遥か前方で、書類を持った小柄な女性が事務室に入っていくところを不鮮明にも捉えていた。前方に潜んでいた怪物に気づかなかったようだ。もしかして見えないのか?
この映像はホンモノだ!!
既に千影と留萌、玲南と榛名の4人が制御室入口に殺到して廊下へ飛び出そうとしていた。
ヤバイ。ヤバイヤバいヤバいヤバい!
零比都さん逃げて、今すぐそこから逃げて! 恐ろしいモノが、貴方のすぐそばまで迫っています!
だが無情にも、制御室の扉は4人がかりでも全く動かせない。
「扉が固い! 重い!!」
榛名が床をドカドカ踏み鳴らして扉に連続で蹴りをお見舞いするがビクともしない。留萌は巨大な影を廊下側で実体化させ反対側から扉を開けられないか試したが、制御室内部から外部にはフォースを作動させられない。虎野は内線電話で零比都がいる事務室へ連絡しようと試みる。しかし応答はない。
「どうなってるんだ! とんでもないところで映像が途切れやがった!」
操作画面からSILLYにアクセスを試みた神父が机を叩いて嘆く。まるで作り主をあざ笑うように反応が途絶え、普段使用される想力炉の操作画面に切り替わった。『映像再生を停めよと言われたから停めました』と言わんばかりに。それも、零比都が入っていった部屋に、醜い怪物が舌なめずりしながら近づいていく、最悪な場面で! 結界の機能をうまく使って凪橋を止める、といった手法も使えない!
最後の手段とばかり、虎野は木南へ内線電話をかける。
「もしもし? 木南? 木南か!? 緊急事態だ! あの凪橋が居住区事務室に近づいている!」
『はぁ? 何言ってるんだ虎野? 凪橋はもうとっくに死んだぞ』
電話の向こうにいる木南にはまるで話が通じていない。虎野がイライラして怒鳴りつける。
「その凪橋が、パラノーマル化して零比都さん襲おうとしてるんだよッ!」
『そっか、アイツゴミに相応しい末路を迎えたか。いい気味だ』
扉相手に奮闘していた千影達も、思わず背後を振り返った。
虎野は制御室真ん中のデスクで電話をしている。その後ろでは、神父が操作画面から結界の操作を試している。
虎野が手にした受話器から、木南と若月の声が被って聞こえた。
そして、コンソール上部に設置された、想力炉やプラットホームを監視する、巨大な警備用液晶ディスプレイに。
電話を持った若月が映っている……
「虎野さん危ない! 離れて!!」
警備画面の若月が電話に右手を突っ込んだのを見て、反射的に玲南が叫ぶ。
だが遅い。内線電話から無数の大きな黒い手が虎野の頭を掴み、電話の中に引きずり込もうとする。
「ぐ……うぐぐ」
虎野が肩から上を電話の中に呑み込まれた状態で足を机に引っ掛けて必死に踏ん張っている。千影と玲南も慌てて駆け寄り、虎野の両足を抱えて綱引きみたいに引っ張る。千影と玲南の2人がかりで現状維持が精一杯な状況に、榛名と留萌も加勢しようと駆けつける。
『『いやー、よく頑張るね。でも君らが頑張れば頑張るほど、虎野の身体に負担がかかるのわかってる? このままだと、こいつの身体はバラバラになるよ』』
内線電話と頭上の監視画面から若月の声がステレオのように響く。若月に言われなくてもわかっているが、ここで手を離す選択肢は千影達にはない。諦める様子のない千影達に
『『頭が悪いなあ。これだから最近の学生は……取り返しがつかないほど後悔しないとわからないのか?』』
若月がそう言い放った直後。
千影達が掴んでいた虎野の身体がビクンと大きく痙攣し、吸い込む力が急に弱くなった。内線電話に呑まれかけていた虎野の身体が勢いよく外へ引きずり出され、それまで必死に引っ張っていた千影達は派手に尻餅をつく。身体の小さな留萌は虎野に下敷きにされてしまい、自力で脱出できない。
「あいたたた……虎野さんどいてえ」
「留萌、大丈夫か? 虎野さんもだいじょう……ぶ?」
身を起こした千影は、電話の中から救助できた虎野を見る。
見間違いかと思い二度見して、思わず息を呑む。
「ケタケタケタケタケタケタケタ」
千影達が虎野だと思って引っ張り出したのは、虎野と同じ日本想電の作業服を着用した人間の全身骨格だった。虎野と同じ髪型のカツラを被ったドクロがケタケタと顎が外れそうなほど笑っている。
これはまさか、若月に連れて行かれそうになった時に白骨化させられたのか?
いやいや、そんな馬鹿な。4人が引っ張ったのは確かに生身の人間だった。それがどうして一瞬で全身が白骨化したのか。ありえない。
榛名は顔を引きつらせながら
「お……おぉ、虎野さん打ち所が悪かったのぜ? あんなに鍛えていたのに、筋肉を向こうの世界に忘れてくる……なんて」
『『何を言ってるんだいお嬢さん? これは君らが虎野の身体に無理をさせすぎたせいだよ? 虎野が死んだのはお前達の責任だ!』』
若月の宣言とほぼ同時に、目から光が失せた榛名が明後日の方向を向いたように動かなくなった。
漫画やアニメの世界からやって来た少女特有の大きな瞳が一瞬にして巨大な眼窩みたいに黒く塗りつぶされ、その可愛らしい顔立ちがドクロに変貌した直後。
榛名の身体がガターンと大きく痙攣し、そのまま床に崩れ落ちた。
「榛名……ちゃん?」
白骨化した榛名を前に、留萌はそう呟くのがやっとだった。
意味が解らない。榛名は一体何をされたのか。
留萌だけでなく、千影と玲南も、そして新牢神父も。
天井近くに設置された監視用液晶に映っていた若月の仕業に間違いないだろう。
今は映像が途絶え、砂嵐みたいなノイズが映っているけれど……
「留萌くん、画面を見ちゃダメ!」
留萌と向き合う位置にいた玲南が、彼の異変に気づき注意を飛ばす。しかし、既に手遅れだった。
ビクンッ!!
宙を見つめていた留萌も榛名と同じように身体を大きく振るわせ、身を起こそうとする姿勢のまま静止した。
「お……おい。留萌?」
向き合う位置で恐る恐る声をかけた千影の前で、留萌が床に崩れ落ちた。
立ち尽くす千影と玲南。幼稚園からずっと千影と一緒だった留萌が何の造作もなく、一瞬で物言わぬ屍にされた。
虎野や榛名が死んだ時と同じように、着衣や頭髪、靴はそのまま。身体だけが白骨化した。
「そ、そんな……」
目の前で起きた出来事を受け入れられず呆然とする千影を、突然背後に現れた濃厚な不吉の存在が現実へ引き戻す。
「親からもらったせっかくの命、大切にするものだよ? 給料の良さに釣られたせいでこういう結果を招いたんだ。自業自得だよ? 幸いキミ達はまだ生きている。でもキミが死んだら親御さんやお友達だって悲しむよ? わかったかい?」
凪橋の過去映像に出てきた、面会人と同じ声だった。映像の向こうから千影達を金縛りにかけた、あふれ出す凶悪な気配まで一緒である。老婆心から若者へ警告を発する口調だが、肩に手を置かれただけで全身の毛穴から嫌な汗が吹き出し身体が竦みあがって動けない。




