第五話 SAN値直葬プロテイン
■その5
いや、全ては幻なのだ。おかしな筋肉ナースもヤクザな医者同様に非実在で、仕事中におかしな夢を見てしまった千影に神様が怒っているのだ。
人は夢の中では生きられない。生きるのは現実の中だ。おかしな筋肉ナースが出る幕はない。
荷物の計量作業にデータ入力、事務室の片付けまで、千影はテキパキ仕事をしていく。神様がおかしな試練を与えてくる隙も見せない。
「すまないが、誰か手伝ってくれないか?」
「「「今日、耳日曜日ー」」」
「仕方ないな、それじゃ有東木くん来てくれるか?」
事務所にやって来た現場の荷物責任者に指名されてプラットホームに行く。普段仲が悪いのに見事な異口同音を成立させ木南に一刀両断(物理)されたエンジニア達の代わりに。
「これから何を手伝うんですか?」
「運ばれてきた超大量のフィギュアがバラバラになってしまったんで、片付けを手伝ってほしいんだ」
「……フィギュアですか」
千影の目が一瞬キラリと光った。だがそれも一瞬、すぐに自分を戒め、瞳の輝きを消す。高価なフィギュアが無傷で残ってないかな、なんて考えをしたらバチがあたる。
しかし、嗚呼! 神様は見逃してくれなかった! プラットホームの扉を開けた千影達は、中から津波のように押し寄せてきた大量のフィギュアで生き埋め状態に!
雪崩れたフィギュアの山から、やっとの思いで千影と責任者が顔を出す。
「……あの、これらはフィギュアじゃなくって、人体模型って言いませんか?」
「そうとも言うね。さあ片付けよう」
責任者は何故こうまで平然としていられるのか。千影達が首まで埋まっている人体模型のリアルすぎる感触。しかも筋肉や内臓が蠢いているように感じられ、思わず悲鳴を上げそうになる。
「あ、あの……筋肉がピクピク動いてませんか?」
「筋肉が動くのは当たり前だろ?」
「筋肉の前に人体模型ですよ! その人体模型が、胸倉掴んできてますが!」
「気のせいだよ」
たくましい腕達が次々に千影にまとわりついても気のせいと仰るのか。
「何か目玉達が一斉にこっち睨んできましたよ!」
「そんな事気にしてたら仕事にならないぞ」
『筋肉ぅ……』
「って、今変な呟きが聞こえませんでしたか!」
「運搬用の一輪車でフィギュアを処分場所に置いてくるだけの、かんたんなおしごとだよ」
つまり、片付けが終わらない限りエスケープ不能!
ならば速やかに作業を終わらせた方がいい。発想を転換した千影は一輪車に人体模型を載せ、残骸だらけのプラットホームをひたすら走る。処分場所まで残骸だらけで足の踏み場もない。人体模型が筋肉を強調するポーズで立ちはだかったのも、残骸達が一輪車にタックルしてきたのも全て目の錯覚だと言い聞かせる。
片付けは想像以上に大変だった。作業終了時の、全身ホコリまみれ泥まみれな千影の姿が重労働ぶりを物語っている。何故首筋に歯型みたいな痕がついているのか、足首に入れ歯が噛み付いていたのかは……深く考えてはいけない。
「おかげで片付け作業は想像以上に早く終わったよ。有東木くんありがとう」
「い……いえ、お役に立てて何よりです……」
「そうだ、ジュースでも飲むかい?」
「え……ええと、コーラで」
奢ってもらえるのは嬉しいが、早く事務所に帰りたい。片付けが終わっても、まだ変な気配や視線を感じる。
『いらっしゃいませ♪ 冷たいお飲み物はいかがですか?』
『お買い上げありがとうございました♪ お釣りは忘れないで下さいね♪』
「あれ、これコーラじゃないな」
「え? どうしたんですか?」
「コーラじゃなくてプロテインジュースが出てきたんだけど、これでもいいかい?」
千影は首を全力で横に振って否定。
「わかった、じゃあこれはオレが飲むから、君には別のを」
『いらっしゃいませ♪ 冷たいお飲み物はいかがですか?』
『お買い上げありがとうございました♪ お釣りは忘れないで下さいね♪』
今、責任者は確実にコーラのボタンを押したはずだ。千影もその目で確かめている。
それなのにプロテインジュースが自販機から出てきた。2人は首を傾げている。
そもそも、自販機の商品ラインナップにプロテインジュースはない!
『いらっしゃいませ♪ 冷たいお飲み物はいかがですか?』
『お買い上げありがとうございました♪ お釣りは忘れないで下さいね♪』
今度は自販機がお金を入れる前からプロテインジュースを吐き出し始めた。築かれるプロテインジュースの山。千影はみるみる青ざめていく。
『いらっしゃいませ♪ 冷たいお飲み物はいかがですか?』
『お買い上げありがとうございました♪ お釣りは忘れないで下さいね♪』
『いらっしゃいませ♪ 冷たい冷たい冷たい』
『お買い上げありがありアリアリアリアリ』
アナログ機器で高速再生したような飛び飛びな音声がプラットホームに響く。自販機がプロテインジュースを吐き出す勢いは止まらず、プロテインジュースの山がみるみる大きく成長していく。
「なんだこれ。自販機の故障だな……って、うわああああ!」
「うっぎゃあああああ」
自販機よりも高く積み上がったプロテインジュースの山がついに崩落し、千影達の頭上にプロテインジュースのペットボトルが容赦なく降り注いだ。
「有東木くん大丈夫か! 怪我はないか?」
「大丈夫ですけど……何なんですか、これ!」
千影達は他の職員達に救助され、幸いにも怪我はなかった。せっかく人体模型を片付けたのに、今度はプロテインジュースを片付けないといけない。また骨が折れるなと千影が思った、ちょうどその時。
「うわー! ボディビル用の映像ソフトと、貴重な超兄貴なゲームソフトがーッ!!」
プラットホームに来たばかりのトラックが、ついうっかり千影達の近くに大量の映像ソフトをぶちまけた。滝のような轟音を立てて荷台から溢れ出す映像ディスクの筋肉成分てんこ盛りパッケージが、千影の記憶に強烈なトラウマを刻みつけていく……
そう、この日に起きた事は全てが悪い夢なのだ。
多分。きっと。
そう思わなければやっていられない。もはや千影は真っ白に燃え尽きてしまった。早く返ってゆっくり休もう。そうしないと、次は変質者が更衣室に潜んでいる、なんて展開もありえる。
着替えの入ったロッカーを開けた。
まさかの不意打ちだった。
「お疲れのようですね。試供品のプロテインどうぞ」
脊髄反射でロッカーを閉める千影。しかし、ロッカーに隠れていた不審者はヨコシマな瞳をギラつかせながらたくましい腕でロッカーをこじ開けようとする。
「どうして逃げるんです? 大丈夫ですよ、無料ですからギャーッ!」
ナース服に身を包んだヘンタイを問答無用にハリセンで引っ叩いてロッカーに押し込み、厳重に封鎖する。混ぜるな危険。何でハリセンなんて持ってるのか疑問に思う余裕もない。全ては夢だから何も不思議はない。
「おいおい、ロッカーは大事に扱ってくれ……ってふぎゃあー!?」
入り口から聞こえた声に、千影は天の助けとばかりに不審者出没を伝えようとしたが、背後に立っていた筋肉ナースを視認すると同時に身体とハリセンが動いていた。
後ろのめりに倒れる筋肉ナース。何かが裂けるような音が聞こえた。廊下の床に受け止められたナースの背中から亀裂が四方八方に伸びていく。床だけでなく、壁、天井にまで。亀裂の入った更衣室の景色が、まるでジグゾーパズルのピースがばらばらになるように砕け散る。
バラバラと落ちていく過程で細かい粒子となって消滅する背景の破片。
落ちていくって、どこへ?
周囲は薄暗く足元もおぼつかない。そもそも自分がちゃんと立っているのかも怪しい。疲労困憊な千影の五感が悲鳴をあげる。
ああ、そうか。これも夢だ。
そう理解した直後、千影は全く別の場所に立っていた。
ジャングル?
それまで空調が十分に効いていた発電プラントの更衣室にいたはずなのに、千影は鬱蒼としたジャングルに取り囲まれていた。
蒸し暑い。夢の中なのに蒸し暑い。皮膚から吹き出した大量の汗が作業着に張り付いて気持ち悪いし、今日の作業でクタクタな千影には喉の渇きが辛い。
額を伝う汗も貴重な水分補給源。夢なのにこんなところにリアリティ出さないでほしい。
どこか遠くで聞こえた水の音に、千影が走り出す。
ジャングルを駆け抜け辿り着いた先に、きれいな水をたたえた泉があった。助かったと駆け寄る千影。
この時、彼はこれが悪夢である事を忘れていた。
透き通るような水面にゴボゴボと気泡が上がってくる。そして……
「あなたが落としたのはこのプロテインですか? それともこちらのプロテインですグワーッ?」
水面から上がってきた白衣の天使を遠慮なくハリセンでシバキ倒す。白衣の下で光り輝く屈強な筋肉なんてどうでもいい。
何せ、千影は怒っていたのだ。クタクタ状態で蒸し暑いジャングルの中を走り回らされた挙げ句、ヘンタイナースに出会うなんて! あまりにも夢がなさすぎだ。夢のはずなのに。
しかし、悲しい事にこれは罠だった。
振り下ろされたハリセンに期待した手応えはなく、まるでゼリーを叩いたような柔らかい感触。
それもおそらくプロテインゼリーのような。
ここがプロテインジュースの泉だと千影が気づいたと同時に大規模な水柱が上がり、何か得体の知れない力が千影を泉の水面に引きずり込む!
「あば、あばばば……」
逆らい難い力で泉に引き込まれ、そのまま泉の底へ。疲れてぐったりした千影の身体では反抗もままならない。もはや脱出不能。
溺れて死ぬ? プロテインジュースを死ぬほど飲まされて死ぬ? それとも死ぬ?
為す術もなく暗い暗い泉の底に沈んでいく千影の身体に、唐突にワイヤーのようなものが巻きつき水面上まで強制的に引っ張り上げられ、縛られたボンレスハム状態で硬い地面に激突、本気で身体がバラバラになるかと思った。夢なのに死ぬほど痛い。
「ごば、ごはぁっ、うが、ぐえええ……」
「……千影くん?」
のたうち回る千影に明らかに困惑した声が投げかけられた。全身に食い込んでいたワイヤーが綺麗に解けて千影は自由になったものの、全身強打の痛みで身動きがとれないのは変わらない。声を聞き取れるくらい落ち着くまで、少女の優しそうな手が強打した千影の背中をさすってくれて、本当に痛みが和らいできた気がする。ずぶ濡れの顔もハンカチで拭ってもらって、千影は女の子の顔を至近距離で見た。
玲南そっくりなあの娘だった。
To Be Continued>
押し売りはダメ、絶対!




