第十四話 ハエはハエタタキで叩くと死ぬ。
■その14
これはゲームのやりすぎでゲーム脳になってしまい、現実と妄想の区別がつかなくなった有東木千影が見た一炊の夢である。あくまでも夢なのだ。夢という事にしておいた方がみんな幸せでいられるというものだ。
「千影くん、現実しっかり受け止める、おっけい?」
想伝蜃奇録のアニメやゲームそのままな玲南が、やれやれと言いたげな仕草をする。三次元世界の富嶽第一想発に、二次元そのままの美貌をした玲南が、ごく自然に千影の目前にいる。VRではない。少女漫画みたいに瞳が大きくて童顔な女の子が、実体を持って、ゲームとアニメで声を担当した女性声優と全く同じ声で喋っている! そのうちメッセージウィンドウも出そうだ。
どう見ても不自然の塊なのに、何故自然に思えるのだろう。もしかして千影のSAN値は既に0になっているのではないか?
千影がアルバイトを始めて5日目になる、金曜日朝。朝も早くから萌えるゴミを積んだトラックが施設入り口で渋滞し、隣接する民鉄の駅にはアニメやゲーム、ホビー雑誌を積んだコンテナを載せた貨車が並び、今日一日の忙しさを予感させた。もちろん、この予感には朝礼で「エンジニア達は昨日遠い世界に旅立ってしまったので彼らはいません」と木南から伝えられた件とは何の関係もない。
朝礼後から計量器を操作する千影のすぐ近くで、他の職員達がエンジニア達の使っていたスペースを片付ける。
そこはゴミが花咲く地獄のような景色だった。まず掃除対象区画入り口から生命の危機を覚える。倒壊したら命の保証ができないレベルで高く積み上げられた雑誌の山が林立し、奇跡的なバランスで維持された山を慎重に片付ける様子を見ているだけでも精神が削られる。崩したら即死確定というジェンガをプレイしてるようだ。
そこはまだ序の口。片付けの本丸は、異様な雰囲気を放っているオフィスの奥である。空気が淀んでいて外からは様子も伺えない最深部に重武装で突入した職員達の悲鳴の自己主張が半端ない。
「ああっ、ちょ……ダメ、いや、もうお家に帰るぅー!」
「新津寝るな、寝たら死ぬぞー!」
仕分けされた荷物は事務所の外へとピストン輸送で搬出される。荷物の入った箱を載せた台車に混じって、たまに職員が担架に乗せられて医務室に担ぎ込まれていく。みな死んだ魚の目をしていた。
絶対に何か未知の虫や病原菌が潜んでいそうなエリアを、職員達は人海戦術で荷物を仕分けして外へ運び出していく。奥に進めば進むほど汚染レベルが増大するようで、叫び声がどんどん悲壮なものになっていく。
「永楽さん、ここ焼き払っちゃダメですか! 焼き払った方がいいですよ! 焼き払っちゃダメですか!」
「ダメだ! 書類やメモ、データは確保しないといけないんだ!」
「って、何だコイツら……うわああああ」
「新津、それは狸の置物だ!」
「お父さんお父さん、魔王が今、坊やの手を掴んで連れて行く……」
「新津! しっかりしろー!! それはただのオオサンショウウオだ!」
それまで対象区画で大活躍していた新津が、ついに担架に乗せられ運ばれていった。完全に白目をむいていて、口から泡を吹いていた。一体何を見たのだろうか。
とにかく、職員達が手際良く片付けを進めていき、掃除対象区画の清掃はあらかた完了したところで正午の時報が鳴った。
お昼休憩も終わり、千影が計量器に戻るとすぐに萌えるゴミを積載したトラックがやって来た。
「おはよう。今日はキミ一人かい?」
「おはようございます。あの人達、昨日から遠くに旅立ったそうですよ。さっきまで、みんなで片付けしてました。外にある私物の山がそれですよ」
千影がそう答えると、受付の外にいるトラック運転手が搬出された荷物の山を見る。見事なまでにドン引きされた。
「おいおい、事務所の容積よりも外に出された私物の量が多くないか……?」
「はい……」
「前々からクビになるって話あったしな。どう考えても仕事の役に立ってるとは思えなかったし、事務所をこんなにしたんじゃ、しょうがない話だよな」
どれほど評判が悪かったんだ、あのエンジニアを名乗る引きこもり達は。クビは当然だろうと千影も思う。これから夏休みの間ずっと、あんなギスギスした空気の下で、それもグッズの山が倒壊する危険と隣り合わせの職場で仕事なんて考えただけでゾッとする。
「ところで、そこにあるハリセンは何だい?」
「ああ、実は虫がうるさくて。ハエタタキがなかったもんで」
「そうか、ハエタタキの代わりかい。もしかして、あのゴミ屋敷スペースから湧いたのかな」
「まあ、そんなところです。まもなく駆除業者さんが来るそうです」
運転手の言う通り、千影の隣に大きなハリセンが置かれている。振り回したら大きな音が出そうな、やたら禍々しい雰囲気を纏った一品が。
『誰が虫だてめえ……言いたい事言ってくれるじゃねえか』
「え? 何か言ったか?」
「え、何がですか」
思わず千影が聞き返す。
「気のせいかな。変な声が聞こえたような気がしたんだが」
「そりゃきっと、ハエの羽音ですよ」
そう、ハエの羽音である。平和な日常が帰ってきたのはいいけれど、ハエ達がブンブン飛び回る音がうるさくてたまらない。変な声なんて運転手の気のせいだろう。
「な、なぁ……兄ちゃん」
また運転手が何かに気づいたようだ。千影の後ろを見ているようだが……
「お前さんの後ろにいる、変な黒い塊は何?」
言われるや否や、千影は着席した状態で背後にいる黒い塊をハリセンで爆散させ、何事もなかったような顔で言い放った。
「これはハエの大群ですよ」
そう、千影が今ハリセンで引っ叩いたのはハエである。周囲をうろつくそれは千影や運転手が見上げるほどに大きいし、空も飛ばない。人の形をしているモノもいるが、顔には大きな口しかない。悪魔とか悪霊といった、直視する事さえ憚れる奇っ怪な外見なのだが、ハリセンで引っ叩かれると床にボトボト黒い塊が落っこちるからハエである。何故ハエと断言できるのかと言うと、飛び散った黒い塊が床の上でピクピクしているからだ。
「そ、そうか。しかし、本当にすごい音がするハリセンだな」
「ハエをぶっ叩きましたからねえ」
「いやいや、大変だね。早く駆除業者さんが来るといいな、それじゃまた」
運転手がトラックに乗って計量器から去っていった、その直後。
『言いたい放題言いやがtろご』
ハエ(千影曰く)が大きな口を開けて千影に襲いかかる。
不幸にも、ハエと千影が取っ組み合うところに出くわした人がいた。千影と一緒に富嶽第一想発でアルバイトをしている、幼馴染の大谷留萌だ。
「ねえ千影、さっき想発宛に郵便物が届いたんだけど、どこに持っていけば……ひぃっ!」
留萌が顔をひきつらせた。それはハエと呼ぶにはあまりにも凶悪すぎた。大きく、力強く、重く、そしてグロテスクすぎた。それは正に怪物だった。
ハリセンを炸裂させようとする千影と、そうはさせないと邪魔する怪物の戦いは一進一退、いつどちらが勝っても負けてもおかしくない状況にある。
「千影、それは何なのさ、その怪物は一体何なのさ!」
「おお留萌、いいところに! ハエだよ! ハエタタキ持ってきて!」
「二足歩行するマッチョなハエなんているわけないじゃないか! 待ってて、今すぐ加勢するから」
「ハリセンで引っ叩けば死ぬからハエだよ!」
「人間と取っ組み合いをするハエがいるかーッ! 現実見なよ、現実を!」
「多分きっと火星帰りなだけだ!」
「地球征服に戻ってきただけじゃないのさーっ!?」
千影だけでなく留萌のSAN値も削られ始めた、ちょうどその時だった。
事務室の扉が開き、女の子が入ってきた。
「虫でお困りの千影くんに朗報★ バッチリ効いちゃう殺虫剤だよ★」
「殺虫剤?」
「精密機器には影響ないタイプだから、早速使っちゃいましょう★ はいこれ」
少女はハエ相手に取っ組み合ってる千影の耳に、次に留萌にイヤホンを装着させる。イヤホンから流れてくる心地よい歌声に、2人は思わずくつろぎリラックスタイムに誘われるが……殺虫剤に何故イヤホンなのか、千影には考える余裕もリラックスしてる暇もない。ハリセンで受け止めるのがギリギリ間に合った、ハエのたくましい腕をどうにかするのが先決だからだ。
そんな千影の焦りと関係なく、状況の変化はいきなりにやってきた。
ハエの背後で閃光が迸ったかと思うと、千影の視界全てをまばゆい光が飲み込み、イヤホンから流れる音楽でもごまかせない爆音と衝撃波が、事務室にいた全てのハエ達を消し炭のような黒い塊にして周囲の床に飛び散らせてゆく。
その様子を一言で表現するなら、まさに「殺戮」が相応しかった。
「な……な……」
だが事務室の機械や壁、窓ガラスにも影響はなく、ぽかんとしている留萌も全く無傷だ。飛び散った黒い塊も床や壁に溶け込むように、シミさえも残さず綺麗さっぱりに消えていった。
「よっしゃ、ハエが消えたよ★」
「わぁ、良かったね千影! でも、本当に凄い音だね」
「音を使って虫を駆除する殺虫剤なんです★」
「そっか、だからイヤホンで音楽流したんだ。今も震えが止まらない……」
「そりゃ止まるわけねえ! どう考えたって音響兵器だろ!」
思わず千影がツッコむと、2人は「えー?」と言わんばかりな顔で
「何言ってるのかな千影くん★ アレは殺虫剤だよ?」
「あんな怪物一撃で抹殺できる殺虫剤があるか-ッ!」
「千影、アレはハエだってさっき自分で言い張ってたよね?」
「歌声で街を破壊できる某ガキ大将の全力ソング、ハエの前に人類が絶滅するわ!」
「……え、千影くん知ってたの? あの歌」
「本当にガキ大将の歌かよーッ!」
千影は頭を抱えた。当てずっぽうで言ったらまさか大正解なんて! 全くのノーダメージだったから良かったものの、何かの拍子にイヤホンが耳から外れていたらどうなっていたのか。恐ろしい想像に本気で精神崩壊しかける千影の横で、殺虫剤持ってきた玲南は留萌と会話のキャッチボールだ。
To Be continued>
ここから物語後半です。
アップ時には推敲していますが、誤字脱字やわかりにくい文章が多くて申し訳ありません。




