第十三話 仕置人と鬼嫁
■その13
夕焼けで赤く染まった空の下を、彼は走っていた。
軽快さを欠く、贅肉を溜め込んだ腹をたっぷんたっぷん揺らしながら、人気がない薄暗い廃工場の中を走る。長年の運動不足のせいで既に息切れを起こしているが、それでも彼、丹羽亜比斗は走らないといけない。逃げ切れなければ殺される。どうして追われる身になったのか、記憶をたどりながら。
想伝蜃奇録における彼の推しキャラ、玲南との出会いはまさに運命だった。学校に遅刻しちゃうとパンを咥えて走っていた玲南に出会い頭にぶつかってしまう、そんなベタすぎる出会い。
それがいざ現実になった時、出会えた喜びから玲南に抱きつこうとしたら、勤務先の新人学生アルバイトに邪魔されてついカッとなって彼を体当たりで殺してやった。その直後に視界が暗転し、床に激突した痛みで悶絶するうちに玲南を見失ってしまったのだ。
だが、ここは丹羽が富嶽第一想発をコピーして作り上げた異空間であり、見失った彼女を探し出すのは簡単だった。医務室に出入りする彼女を発見した丹羽は、運命の出会いをやり直すべく偶然を装って医務室に入ろうとしたが、不審者扱いされて警備に追い払われてしまった。
服とズボンと靴下も履き紳士アピール完璧だったのに、不審者扱いされた事に困惑する丹羽。
どうやら、玲南達はさっき殺したはずの学生アルバイトを看護しているらしい。それを知った丹羽は激怒した。
『玲南との出会いを邪魔しやがった上、俺の嫁を独り占めなんて許せない』と。
二次元から嫁を連れてくる事ができるという想力発電所に就職し、想力発電技術エンジニアになるための勉強や実習に散々苦労しながらようやく掴んだチャンスを学生バイト風情が横取りしようとしたのだ。社会を舐めるにも程がある。
だから、丹羽は学生バイトに制裁を与えるべく、使役するパラノーマル達に医務室を襲撃させた。こんな事もあろうかとパラノーマルを操る術も準備してあったのだが……これがものの役にも立たなかった。腐ったオタクみたいでムカつく同僚達を模して作ったパラノーマル達、というのがまずかったのだろうか。医務室で待ち構える警備にまるで歯がたたないし、玲南と学生バイトが隠れているであろう、医務室に存在する結界を破る事もできない有様だった。
イライラしながら医務室の再襲撃を試みる丹羽は、近づいてくる気配に気がつかなかった。恐ろしい殺気をついに察知した丹羽は、その場で足をもつれさせて転倒した。
「大丈夫か? 丹羽」
差し伸べられた手。今まで大手術していたような血みどろ白衣に身を包んだ、いつも疫病神に取り憑かれたような顔色をした勤務医の手だ。
いつものように重い空気を纏った木南の背後に、眼光の鋭い般若を幻視した丹羽は……情けない悲鳴をあげて逃げ出した。
転げ落ちるように階段を下り、一階へ。この時点で丹羽は既に息が切れ始めていたが、暗がりに浮かび上がる般若を見て必死に走る。階段室からエレベータホール前に入ろうとした、その時。
「ねぇ、何で逃げるんだよぅ? ちょっと話を聞きたかっただけなんだけどさぁ……」
虚空に浮かぶ無数の般若と共に待ち構えていた木南を見て、丹羽は腰を抜かしそうになった。
「何なんだよ、何なんだよ! オレを殺す気かよ! 人権侵害だ! 労基に訴えるぞ!」
「話聞かせてもらうだけなのに、殺すも人権侵害もないだろ……お前が陰で相当に危険なパラノーマルと手を組んでるって報告が他のエンジニア達から来てるんだけどさぁ、本当なのかい?」
丹羽は問いに一切答えず床を這いつくばって逃げ出した。木南には後ろめたいものがあると判断されただろうが、丹羽にとってはどうでも良い事だった。木南から距離をとって、空間転移を実行して脱出するだけ。木南や虎野、会社側にも知られていない、パラノーマルに魂を売って丹羽が手に入れた能力の一つである。
転移した先は無数の落書きがされた鉄道の高架下だった。見知らぬ景色に、ここまでは追ってこられないだろうと丹羽は安堵する。
問題はこれからどうするかだ。恐らく自分はクビになるのだろう。この仕事にありつくのに散々苦労したのに、それに見合うだけの給料を貰う前にパーになってしまった。玲南と出会うのも失敗し暗雲たる気持ちになる。
『右を見ろ』
目に止まった落書き通りに、右を見る。
『後ろを見ろ』
後ろを振り向いた丹羽は、すぐ目前に浮かぶ般若の面に悲鳴を上げる間もなく飛んできた鉄拳に殴り倒された。暴力を振るっていいのかと木南を非難する暇もなく、丹羽は再び空間転移を使用して高架下から脱出する。
人気のない廃工場にたどり着いても油断はできなかった。何十年も前から時間が停まっている廃工場なのに、何者かが潜んでいる気配がある。こちらを観察するような視線に、丹羽は慌てて逃げ出す。
どんなに走っても、追跡者の気配からは逃げられなかった。
それでも丹羽はひたすら走り続ける。世界の果てまで続いていそうな、この廃工場と夕焼け空の景色の中を。
やがて丹羽の前に、線路に隣接した貨物ホームが姿を現した。長年使われていないせいで線路は判別不可能なくらいに草で覆われ、レールは錆びついていた。
不意に、レールがガタゴトと振動し始めた。まさかと思って線路の先を見る。夕闇の中から現れたのは小さなディーゼル機関車だ。運転しているのは誰なのか、恐怖に耐えられなかった彼には確認する暇もない。
三度目になる空間転移は、まさに最後の力を振り絞ってのものだった。これでもう、丹羽は力が回復するまで空間転移も他のフォースも一切使えない。力が回復するまで、このカラオケボックスに籠城するしかない。
多分木南はすぐにここを見つけてくるだろうが、部屋中心部にあるテーブルをバリケードにできるかもしれない。そう考えた矢先に鳴り出した内線電話にギクリとする丹羽。もう嗅ぎつけられたのかとビクビクしながら、丹羽はドアのガラス部分から外を伺う。店内には客どころか店員の姿も見えなかったが、ドアのすぐ向こうに突如として現れた血みどろ白衣の男にひっくり返りそうになった。
こじ開けられないように必死にドアノブを抑える。この勤務医はいつもフラフラした足取りなのに、一体どこからこんな力を出しているのか。開けられないようにするだけで精一杯だ。
「さっきから、一体何やってるんだい……?」
彼の努力をあざ笑うような声に、丹羽は恐る恐る室内を振り返る。ソファに座って食事のメニューを眺める木南を見て、丹羽は外へ逃げようとするがいち早くドアノブを抑えられてしまい、最早逃げられない。
「な、なんで、何で追いかけてくるんだよ! ストーカーめ! 訴えるぞ!」
「一体何言ってるんだい? お前はさっきから『どこにも移動してない』じゃないか」
ふざけるなと丹羽は叫びそうになった。カラオケ店や高架下、工場跡地と空間転移を繰り返しても執拗に追いかけてきたクセに、と思った。
「お前がそう思うのならそうなんだろ。お前の中ではな」
二人を取り巻く景色が、富嶽第一想発をコピーして作られた灰色一色の異空間に変わる。
丹羽は気づいた。
木南の言う通り、空間転移は何故か正常に機能していなかった。
つまり、今までの逃亡は丹羽の体力と貴重なフォースを浪費しただけだった。突きつけられた事実に、丹羽はついに絶望的な声を上げる。
「鬼! そうやって人を追い詰めて楽しいのかよ!」
「楽しくはないなあ。これで今日も残業だろ。お前みたいな馬鹿が余計な仕事増やしてくれたせいだろ。今日も鬼嫁が角おっ立てて待ってるんだろうな……」
普段はとても優しくて明るく、木南を支えてくれる。そんな美少女と結婚した事で周囲からの妬みがハンパでないのだが……彼女は怒ると文字通り角を生やした鬼となる。文字通りに。
木南はそんな最愛の妻を、遠い目をして思い出す。
「お、オレを脅すのか! 殺すのかよ!」
「心配しなくていいよ。殺したりはしないからな」
「嘘つけ! 殺すつもりで追いかけてきたんだろ! 人殺し!」
「何で嘘をつく必要があるんだよ?」
確かに、木南は内心では丹羽を八つ裂きにしてやりたいくらいムカついていたのは事実だ。
それでも、木南には彼を殺せない理由があった。
丹羽自身も知らない、特殊な事情だ。
『おコまリノようDEすネ、丹羽SAN?』
職員控室に流れる、片言な日本語。見ると、職員控室の液晶テレビに電源が入っていて、黒地の画面にギョロッとした三白眼と、分厚いたらこ唇が映っていた。
「いいところに! アイツだアイツ! 木南を殺すんだ!」
『そうですか。女又を殺せと仰ゑのですわ?』
これこそまさに天の助けとばかりにテレビにすがりついて叫ぶ丹羽の姿に、木南はついに彼が錯乱したのかと思った。だが、それも一瞬。
映っていたモノの正体に気づいて、木南の顔からみるみる血の気が引いていく。
「……おい、丹羽……お前、そいつから離れろ! 離れろ! 早くっ!」
『では、おイ壬せ下きヰ』
テレビに映るパラノーマルが大きく口を開け、世界は一瞬にして闇に閉ざされる。
「あーっはっはっはっは、あはははははは!!」
そいつがどんなヤバい奴かわかってるのか、という木南の声も、広がる闇の前にあっけなくかき消された。
自分の大逆転勝利を確信した丹羽は、闇の中で終わらぬ哄笑をあげる。
彼に考え違いがあったとするなら、彼を飲み込んだ闇の中に安らぎがあるわけがない、という事だろうか。
そこにあるのは完全な無。彼を待っているのは喜びも悲しみも希望も絶望もない、完全なる無なのに……
木南は知っていた。
どんな強大なパラノーマルに対しても有効な、丹羽の持っているフォースを。
発動にはとても大きな代償や条件が必要になる。いわば使う事が許されない最終兵器というべきフォース。
彼のフォースを研究すれば、想力技術のさらなる発展やパラノーマル退治に役立つ知見が得られるはずだった。『後ろめたい気持ちを持った人間にデバフをかける』木南のフォースで丹羽の空間認識を狂わせ、同じ場所をグルグル回らせて丹羽を泳がせ、パラノーマルが出てくるのを待っていた。
『パラノーマルやフォーサーに殺された時、犯人を問答無用に道連れにする』丹羽のフォースに例外はない。
それがまさか。
この馬鹿はよりにもよって、人が決して触れてはいけないような、史上最狂のパラノーマルに魂を売っていたなんて!
「そいつがどんなヤバい奴かわかってるのか! あれ……ここは」
木南が我に返る。富嶽第一想発によく似た異空間が激しい振動に見舞われ、天井からホコリや小さな瓦礫がバラバラと降ってくる。
そう言えば、丹羽はどこに行ったのか? 全く気配を感じないが、まさか逃げられたか?
慌ててにわの気配を探る木南であったが、しばらくして、ある事に気がついた。
『にわ』って誰だ?
全ての仕事を終え木南が富嶽第一想発に戻ってきた時、時計は既に午後8時を回っていた。
ここから日報を書いて引き継ぎをするとなるとあと30分かかる。4時間もの残業だ。
家では頭に角をはやした鬼嫁が夫の帰りを待っているのだろう。文字通りに。
怪我をした学生バイトの手当が大変だったと釈明して許してもらえるだろうか。
『4人』のエンジニア達は明日からしばらくお休みである。休みを利用して聖地巡礼や鉄道イベント、あるいは二次元に行くんだと張り切っていた。
To Be Continued>
2019年08月13日更新 丹羽とパラノーマルの関係、職場における丹羽への評価などが明確になるように書き直しました。




