六話
「……レッジ、なのね?」
「え、あの」
「私よ」
「私……?」
扉から出てきた美女は、領主様を一瞥した後、目の前までやってきて、未だ臣下の礼を取り続ける僕と目線を合わせた。
「ミ・オ・ン」
「…………は?」
「この名前、覚えているかしら?」
「えっ、えっと……ミオン? 村にいた幼馴染の?」
「そうよ」
「え? す、すみません……頭が混乱して……ミオン、あのミオンなのか?」
「そうって言ってるでしょ、もう」
自らを幼馴染のミオンだと名乗った女性は、懐から何かを取り出した。
「それは!」
「憶えている? レッジが私にくれた花よ。押し花にして、ずっととっておいたの。特別な技術を用いて、クリスタルの中に入れてもらってね」
透明な板の中に、茎のついた花が一輪、収まっていた。
間違いない、僕が冒険者になろうと決意して、村を出る最後の夜、ミオンに渡したものだ。
「それに、ほら」
「ちょ、何を!」
思わず顔を手で覆ってしまう。
女性が今度は突然、胸元を開けたのだ。
「ここのほくろ、ね?」
「あっ……」
指の隙間から見えた右胸にあるほくろ。間違いない、これもミオンにあったものだ。
「まだ信じられない?」
鼻と鼻がくっつくほどの距離で、僕のことを見つめてくる。
びっくりして、尻餅をついてしまった。
「えっと……でも、急すぎてちょっと頭の整理が……」
「きこりのおじさんの家……どう?」
「ああ……」
大切な思い出、ミオンと過ごした日々。あの時々が、また想い出される。
「……本当に、ミオンなんだな?」
「そうよ、当たり前でしょ? 私、知ってるんだから。レッジが私のこと好きだったこと」
「えっ!?」
突然、僕の想いを当てられてしまった。
いや、いまだに恋をしていることはわからないはずだ、うん。
「あからさまだったじゃない、うふふ」
絶世の美人……いや、ミオンは僕の手を取り、立たせてくれる。
「そうかなあ?」
「でも、あの時、実は私も……」
「えっ?」
「こほん!」
と、領主様がおおきな咳をした。
しまった、失礼だったな。つい二人の世界に入り込んでしまっていた。
「ミオン様、もうよろしいでしょうか?」
様?
「ええ、ありがとう。約束通り、融通してあげるわ」
「ありがたき」
領主様がこうべを垂れる。
「えっ? どういうこと? っていうか、そもそもなんでミオンがここにいるんだよ?」
「それは、また後で。じゃあ、行こっ」
ミオンは僕の手をとって、部屋から連れ出す。
「あの、でも、領主様からの召喚状は」
「鈍いわねえ、私がレッジを呼び出す為の方便に決まってるじゃない?」
それはつまり、ミオンが僕を呼び出す為に、領主様に召喚状を出させたってことなのか……?
「でも、そんな領主様を顎で使うようなこと、平民にできるわけないじゃないか」
「それができるのよ。ま、そこら辺の話も後でね? とにかく、まずは王都へ向かうわよ」
「王都!?」
王都といえば、この国で一番栄えている都市だ。文字通り、王様の住まう街でもある。
「私の住まいがあるのよ」
「ミオン、王都に住んでいるのか?」
「そうよ」
「そんな……」
信じられない。
母さんからは、僕が村を出て行ったすぐあとに、追いかけるように旅立ったって聞いてはいたけど、まさかこの街を通り越して王都まであったなんて。
「まあ、見ればわかるわよ。何もかもね」
「そう、かなあ?」
今だに夢の中にいる感じだ。
領主様の館に恐る恐る向かうと、いきなり幼馴染と再会して。
しかもとんでもない美人に育ってきて、さらに王都に住んでいるだなんて。下手な子供向けの物語よりも突拍子も無い展開だろう。
「ほら、馬車を待たせてあるの」
ミオンに連れられて、今度は正面の玄関から館を出る。
と、庭には何台もの馬車が止まっていた。そのどれもが、僕がここにくるまで乗っていたものよりもはるかに豪華だ。
馬も一級品と思われるものがつなげられている。
馬車の前には、幾人もの御者や使用人らしき人達が待機していた。
「こっちよ」
そのちょうど真ん中、ひときわ大きく豪奢な装飾が施されたものに乗せられる。
「よろしくお願いします、レッジ様」
と、御者さんから声をかけられた。
「あ、はい、でも様だなんて」
「いいえ、そういうわけには参りません」
「はあ……」
なんかムズムズするからやめてほしいんだけどな。
「ほらほら、早く」
「あ、うん。わかった……うおっ」
中もこれまた、外装に劣らず素晴らしいものであった。
椅子は触るだけでもふかふか、中には机もあって食べ物や飲み物が備え付けられていた。
前後合わせて6人はゆうに座れる広さだ。
「すごいな……これ、本当にミオンの馬車なのか?」
「そうよ、とびきりのを用意したんだから!」
「確かに、すごいけど……」
なぜミオンが、という気持ちが大きい。
こんな馬車、僕の冒険者時代の稼ぎでも、こんなものは到底揃えられない。
しかも似たような馬車が何台もあるのだ。人出も必要だし、人を雇うことの大変さはわかっているつもりだ。
「今はとりあえず、ね? 馬車が出発したら、聞きたいことにはなんでも答えてあげるから」
「そういうんだったら……わかったよ」
僕はそれ以上何も聞かず、大人しく座ることにした。うわっ、ものすごい気持ちのいいふかふかだ。
はあ。ますます場違いな気がしてきたよ……いずれにせよ、聞きたいことは山ほどある。今のうちに頭の中を整理しておこう。
「じゃあ、行くわよ!」
ミオンも馬車に乗り込み、僕のすぐ隣にぴったりとくっつくように座る。
いい匂いが一気に頭を支配して、少しクラクラした。
馬車がゆっくりと動き出し、領主様の館を後にする。
馬車は街中を進み、ついには門を出た。門番さんが敬礼をして見送ってくれている。
「うふふ」
「うん? どうしたんだ、ミオン」
さっきからずっとドキドキしっぱなしだ。心臓が破裂しそうで、ミオンに聞こえたらと恥ずかしくもある。
初恋の人云々もあるけど、こんな美人の横にいるというだけで、十分緊張する。しかも、12年ぶりに会ったのだ。どのような態度を取ればいいかも、いまいちわからない。
「えいっ!」
更に、ミオンが僕に抱きついてきた。
「えっ!? な、何をするんだ」
驚いたままにすぐさま避けようとするが、全く離れる気配はない。
「もう逃がさないんだから……」
「ミオン……?」
体全体に抱きついてきている為、手の置き場所もわからない。
「レッジ!」
「な、なんだい?」
彼女は、上目遣いでこう言った。
「あんた、私のヒモになりなさいよ!」