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19歳、元ニート。冬の山形で農業やってます!  作者: 羽火
第一章 俺は冬でも元気です!
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6. 日本海が見たいんだよ!

「オラオラ来てやったぞ、これで満足かよ! 電話かけてきやがったテメーが悪いんだからなっ!」

「ぶぎゃあ! や、やめっ、那須くん、俺別に呼んでないから!」


 なんで間違い電話しただけで家まで来るんだよ、バカか。俺は頭からかけ布団を被って、那須くんが浴びせてくるパンチ連打から逃げ回った。


「とにかく支度しろ、カス。出かけんぞ」

「え!? で、出かけるって、まだ午前二時……え、何? これから俺のこと殺害して山に埋めるの?」


 意味が分からずに、頭からぽこぽことクエスチョンマークを出す。だって、こんな夜中に外出するシチュエ―ションが思い浮かばない。天体観測とか、散歩とか? 


「寒クロ釣りだよ、鼠ヶ崎港まで行くぞ!」

「か、かんくろ? 釣りぃ? え、お、俺、行ってもいいの?」

「いいに決まってんだろ、オレたちもう一週間以上ぶっ続けで働いてんじゃねえか。昨日赤根さんに頼んで、二人分の休みもらってきたんだよ!」


 那須くんは全体重を込めて俺を好きなだけ踏みつけると、またもや嵐のように部屋から出て行ってしまった。今日が休みなんて初耳だぞ……いつの間にそんなことになったんだ。

 いまだに事の次第が理解できていないが、俺は適当に着替えを済ませてショルダーバッグを引っつかみ玄関まで走って行った。しかし、


「そんな薄着で行く気か、冬の日本海舐めんじゃねえ!」


 と那須くんに怒られてフルセットの防寒具を取りに戻る羽目になった。長袖を四枚重ね着した上からコートにマフラー、毛糸の靴下に手袋、帽子にレッグウォーマー……全部装備したら雪だるまみたいになっちゃったよ。息苦しい上に動きにくいけど、これで文句ないだろ。

 そもそもなんでこの寒いのに釣りなんだ。休みなんだから、暖かいショッピングモールにでも行って遊べばいいのに。いまいち納得のいかないまま、俺は那須くんの愛車に乗り込んで海へ行くことになってしまった。


 現在時刻は午前二時半。濃紺の夜空には星が瞬き、周辺住民は一人残らず寝ている時間帯だ。街灯のない田舎の雪道を走っているのは、俺たちの乗っている車だけだった。


「いつもこんな時間から釣りに行ってるの?」

「たりめーだろ、貴重な休みは最大限活用しねーとな」


 運転席の那須くんは、眠気を感じさせないほど冴えた顔つきをしている。彼にとって海釣りは、何物にも代えがたい大切な趣味であり、最良のストレス解消法でもあるようだ。

 俺は目まぐるしい展開についていけなくなり、あくびをして目をしょぼしょぼさせた。

 車を運転してくれるのはありがたいが、釣りには興味がない。けれど朝焼けの海は見たい。しかし寒い思いはしたくない。


 わがままにも心の中で文句を垂れている俺をよそに、車は見たことのない道を走り、トンネルを抜けて月山を越え、道の駅や温泉施設を通り過ぎて行った。

 海が近づくにつれ、暗がりの中でうっすらと『名物イカ焼き』と書かれた看板の文字が読み取れた。途中のコンビニで買った朝食のレーズンパンを頬張りつつ、ついつい視線が吸い寄せられる。


「イカ焼き食いたし……」

「もうアオリイカのシーズンは終わったからな。この時期釣れるのはメバルとかアイナメとかの根魚だ」

「そういえば、那須くん前にアオリイカ釣って来てくれたよね。ごっつぉさまでした」

「おう。けど今年は全体的に不漁だったから、内陸が多雪なのも頷けるな」


 どうやら、山形には「イカが釣れない年は多雪」という言い伝えがあるらしい。俺もそういう知識をいっぱい仕入れて、ドヤ顔で誰かに披露したいものだなあ。

 

 イカは夜になると動きが活発になるので、那須くんご自慢の餌木を釣り糸の先に付けて誘い、イカが上に乗っかったところを引き上げるらしい。この釣法をエギングという。

 俺は釣りなんて小学生の時に数回した程度なので、知識も経験もゼロに等しい。小さなサヨリやアジを釣って、家で唐揚げにして食べたのは遠い昔の思い出だ。

 カリッと香ばしい衣に、ふっくらジューシーな魚肉の食感。塩とレモンで味付けして、あつあつの揚げたてを急いで食べるのが一番美味しかった。幼い日の記憶が蘇り、俺はまた郷愁にかられてセンチメンタルな気分になった。


 やがて俺たちは目的地である鼠ヶ崎港に着いた。駐車場で車から降りた那須くんは、スパイクブーツに履き替えたり、ベストやゴーグルを身に付けたりと本気の釣り人装束に早変わりした。


「お前も予備の靴使っていいぞ。ライフジャケットも必要なら持っていけ」

「すげー……那須くんの車、釣具屋さんみたいじゃん……」


 俺にクーラーボックスを持たせ、自分は釣り竿二本とフィッシングバッグを装備して堤防の方へ歩き出す。


「さーぶい、さぶさぶっ」


 陽が昇る前の海辺の寒さときたら、尋常ではない。俺は吹き荒ぶ冷たい海風に身を震わせ、懸命に那須くんの後について行った。

 これは優雅に釣りなんてしている場合ではない。体温を奪われて気絶しそうな俺は、すでに帰りたくて仕方がなかった。

 午前五時の日本海。太陽は姿を隠しており、幕で覆われたように暗い波止場に数隻の漁船が音もなく停まっている。俺は海が好きだが、底の見えぬ夜の海面には恐怖を抱かざるをえない。

 ポイントに到着した那須くんが釣竿の用意をしている間、邪魔にならないよう後ろの方で時間を潰していた。


「お前は竿に触るなよ、そこでじっとしてろ」

「はいはい」

「んだよ、せっかく連れて来てやったのにその態度はねーだろ」


 俺のふてぶてしい態度のせいで、早速ギスギスした空気になってしまった。そもそも俺たちのような正反対の性格をしている人間同士が仲良くできるわけがないのだ。俺は反抗期の子どもみたいに顔をしかめようとしたが、すんでのところで考えを改めた。


 そうだ、俺はもう自分勝手なティーンエイジャーではない。気の合わない相手にも表面上のおべんちゃらを使って、良好な関係を築かなくては。楽しくない飲み会やゴルフでも『最高ですね!』と笑顔をふりまくのが一流の大人というものだ。

 とりあえず咳払いをし、冷凍のオキアミを砕いている那須くんと友好的にコミュニケーションをとることにした。


「那須くんって、休みの日に釣りばっかりしてるの?」

「おう。週六で仕事して、休みの日はこれだよ。けど、海釣り自体オレの性に合わねーんだよな。やっぱ釣りっていったらアユだろ」


 話によると、山形は『海あり県』の中でも海岸線の長さがトップクラスに短いらしい。その関係で、どちらかと言えば渓流釣りの人気が高いようだ。


「新潟ってアユ釣りの名所とかあんのか? 糸魚川くらいしか聞いたことねーけど」


 那須くんが気をきかせて地元の話題を振ってくれたが、俺はアユ釣りのことなんてこれっぽっちも知らない。無知が露呈するのが恥ずかしくて、小声で返事した。


「お、俺よく知らないや。ごめん」

「マリンピア日本海は三回くらい行った」

「あ、そうなんだ。俺も三回くらいしか行ったことないかも」


 嫌になるくらい会話が弾まない。地元が誇る水族館の名前を出されても微妙な返ししか出来ない俺を、那須くんが振り向きざまに睨んできた。おお怖い怖い。


「テメーは自分の地元のことすらろくに知らねーのかよ。そんなんでよく一丁前に新潟県民ヅラしてんな」

「だって俺インドア派だし……」

「引きこもりだろ。もう二度とお前に新潟の話題ふらねーからな」


 そんなふうに見捨てられたら、心の拠り所がなくなって悲しい。しょぼくれている俺をよそに、那須くんは海に垂らしていた釣り糸を引き上げ、片付け始めた。


「ここは見込みがねーな。違う場所行くぞ」


 何をもってそう判断したのかは分からないが、俺は荷物を持った那須くんに付いて行って別のポイントに移動した。急な階段を上って、ひと際高いコンクリ堤防の上を歩く。

 この視界がおぼつかない時間帯に海沿いを歩くのは、中々緊張感がある。俺は自らの足場を確保するので精いっぱいだった。


「こっから先は海水で足元滑るから、気ぃつけろよ」

「え? この先って岩場だけど行ってもいいの?」

「いいに決まってんだろ、ちゃんと階段ついてんじゃねーか」


 どう見ても自然の産物である野性味あふれる岩の上を、那須くんは確かな足取りで進んでいく。大きなクーラーボックスを抱えた俺はバランスをとりつつ、苦労して岩山を上った。

 信じられない、こんなとこ初めて来た。刑事ドラマのラストシーンで犯人を追いつめる例の場所じゃないか。一歩足を滑らせた誰も助けてくれない、素人殺しの断崖絶壁だ。


 岩場の上まで到着したところで、ふと後ろを振り返ってみた。波止場の船が小さく見える。桃色の朝日に照らされて、船体がほのかに白く光った。朝が来たのだ。

 はっとして、俺は空を見上げた。


「わあ……」


 俺は朝焼けの空模様に心を奪われた。ほんのりと薄い水色に染まった晴れ空と、水平線の上にたなびく雲。桜色、黄金色、薄紫色といった多様な色の光が雲を彩り、永遠に見ていたくなるほど綺麗だった。

 なにしろ、周りには邪魔な遮蔽物が一切ないのだ。あるのは海と岩と空のみ。俺は好きなだけ頭上に広がる絶景を楽しむことが出来た。


「ずっと見てられる……」

「さっさと来い。こんなとこで転んだら笑い話じゃすまねーぞ」

「うん……あ、那須くん。あの島って何て名前?」


 神々しい極楽浄土のような景色に見惚れていた俺は、ふと海の果てにぼんやり見えていた陸影を指差した。


「飛島」

「へえー、じゃあ向こうの島は?」

「あれは粟島だな」

「あ、粟島? まじで!? 写真撮らないと!」


 まさか山形の港から新潟の島が見えるなんて。予想外の幸運を前にした俺は、慌てて自分のショルダーバッグを漁ってスマホを取り出そうとした。俺の豹変っぷりを見た那須くんは、面白くなさそうな顔をしている。


「飛島も撮れよ。お前もう住民票移したんだから山形県民だろ」

「粟島! あ・わ・し・ま、フウーッ!」


 大海原を前にして気持ちが開放的になっている俺は、大喜びで写真と動画をスマホのカメラに収めた。

 那須くんと釣りに来ました、空が綺麗です、イエーイ。

 SNSに載せて誰かと共有するわけではないが、今の景色を形にして残しておきたかった。何年後になっても、この写真を見れば今の気持ちや那須くんとの会話も思い出せるだろう。


「はあー、ああ、来てよかった」

「だろ」


 壮大な自然の美に心が洗われて、俺は仏様を拝むようにしばらく両手を合わせていた。ふと那須くんの方をふり向くと、心なしか自慢げに口元を綻ばせていた。

 例えるとするなら、愛妻を人に紹介している夫のような。「どうだ、オレの奥さんは別嬪だろ」とでも言いそうな雰囲気だ。こんなに優しい表情は初めて見たぞ。


「クロダイは、このあたりの岩にへばりついてる岩海苔を食べに来るんだよ。このへんは足場が悪ィから、上級者向けの釣り場だな」

「へー、確かに案内がないと来れないよ、こんなとこ……」


 岩場を下ってポイントに到着した後も、俺は釣りに参加をするでもなく岩の上に腰かけてまったりと海を眺めていた。

 身を切るように冷たかった海風も、朝日が出たおかげでだいぶましになってきた。

 潮と海藻の入り混じった匂い。冬毛で膨れ上がったカモメ。岩礁に荒々しくぶつかって砕ける白波。刻一刻と姿を変える雲。


 海っていいなあ。いつも標高一千メートル級の山に囲まれて暮らしているから、この非日常的な情景が最高の癒しだ。


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