3. よっ、商売上手!
芹沢さんと別れた後、ひとまず一人で開店準備を整えた。
商品棚に野菜を並べ、運営の人にお願いして電源も確保した。昨日買って来た炊飯器の中には試食が入っているので、スイッチを入れればいい具合に温まるだろう。
「おお、あんたんとこは一人かい。大変だねえ」
ふと、隣で店開きをしていた海産物屋のおじさんが話しかけてきた。
この道ウン十年の大ベテランという感じで、猫背気味な俺とは違って実に堂々とした立ち姿だ。しわの寄った色黒の顔に、角刈り頭とタオルはちまきがよく似合っている。
「あっ、はい。そちらも大変ですね、お一人で」
「ははは、おれはもう長いことやってるからよ、慣れっこだ」
おばちゃんに人気の出そうな、ハキハキと威勢の良い話し方だ。腹から声を出せない俺とは天地ほどの差がある。
お隣さんと自分を比べて落ち込んでばかりの俺は、おじさんの接客テクニックを間近で見てさらに自信を失ってしまった。
「はいお姉さん、うちのわかめを使った味噌汁だよ~。タダだからどんどん飲んでね~」
おじさんは道行く人々に、湯気の立つアツアツの味噌汁を振る舞っている。あっというまに、試食好きなおばさんたちが集まって人だかりが出来てしまった。
「あら美味しい、歯応えがいいわねえ」
「そこにこの『漁師めしのもと』を足すと、また味が変わりますからね~」
おじさんが違う商品を手に取って、お客さんが飲んでいる味噌汁にササッとふりかけていく。寸分の狂いもない、なんとも鮮やかな手つきだ。
「食べ終わったらデザートにもずくも食べていってくださいね!」
空になった器に、次々にもずくを投入していく。お客さんは怒涛の試食ラッシュに喜び、おじさんの素早い手さばきをパフォーマンスとして楽しんでいるようだ。
す、すごい、すごすぎる。大量のお客さんを短時間で魅了するこの技術。俺はおじさんを心の中で『師匠』と呼ぶことに決めた。
「ココにある商品、どれでも四百円で三つ買えば千円にまけるよ! 三つセットで千円! さあお買い得だよ買った買った!」
「ちょっと、これちょうだい!」
「あたしも買ってくわ。美味しかった~」
お客さんが殺到し千円札が飛び交う。俺はじゃんじゃん売れていく海産物を前に、すっかり戦意喪失してしまった。
無理だ、俺には無理だあ。せっかく温かい試食を用意したのに、客足がお隣さんに集中して手も足も出ない。
虚脱状態で八百屋の店番をしていると、隣で買い物していったお客さんがこちらに流れてきた。
「あら、この白菜なに?」
「……はっ! あ、こ、こちらはオレンジ白菜です。人参と同じカロテンという成分が入ってますので、葉の色がオレンジで栄養もたっぷりなんですよ。ご試食どうぞ」
俺は慌てて炊飯器を開け、温かい蒸し白菜をアルミカップに取り分けた。爪楊枝とともに「どうぞ」と手渡してみると、お客さんはその色に驚いていた。
「あら! 火を通すとこんなにきれいなのね」
「食べてみるとすごくコクがあって、普通の白菜とは一味違いますよ」
お客さんは鮮やかなオレンジ色をした白菜を一口食べ、目を見開いてウンウンと頷く。
「本当、すごく美味しいわね。でも、今日はほうれん草をいただくわ。白菜重いもの」
「あ、ありがとうございます」
そう、野菜は重いのがネックなのだ。俺はその後も他のお客さんに野菜を売りこんだ。しゃべってしゃべって、どうにかこうにか重い商品を買ってもらえるよう努力する。
「重いけど、美味しいですよ! 本当に、一度でいいから食べてほしいんです」
「この大根、包丁で切っただけで『あ、これ絶対美味しい』って分かりますよ! みずみずしいので刃先がスッと入って、おでんにするとすぐに味が染み込むんです」
のどが痛いよお。試食を配るのが忙しいよお。しかしコマネズミのような懸命さで販売を続けていると、着実に野菜が売れるようになった。
派手なパフォーマンスはできないが、俺には俺のやり方がある。働きアリになるのだ、俺!
買い物客が少なくなった頃に、海産物屋さんの店先を少し見物させてもらった。
塩蔵わかめの他にも、ウニが入ったイカの塩辛、昆布の佃煮、シメサバと数の子の和え物など、白ご飯に合いそうな素晴らしいメンツがそろっている。見るだけでよだれが出そうだ。
「うわあ、これはいいなあ……」
「そのへんのやつ適当につまんでいいよ、へっへ」
師匠が気前よく笑ってそう言ってくれたので、俺はありがたくシメサバを一切れ頂いた。小学生のころからこれには目がないのだ。箸でつまんだものを手にのせ、つやつやの切り身を口に含む。
く、口の中が、キュッといたしますよ。酸味の中からじわりと染み出るサバの脂。引き締まった身を歯で噛みしめるほどに、絶妙な風味が広がっていく。
語彙を磨くために『美味しい』以外の言葉で表現したいのだが、恍惚感で頭がぼんやりして何も出てこなかった。
「俺、この味大好きです。ほんのりと昆布と柚子の香りがして……」
「へっ、嬉しいねえ。そう言ってもらえるのが一番だよ」
商売敵として冷たくされるかと思いきや、優しく接してもらえて俺も嬉しい。お互い違う物を売っているのだから、別に売上額を競争しなくても助け合っていけるのだと思い知らされた。
師匠が野菜を買ってくれたので、俺も悩んだ末イカの塩辛を一瓶買った。赤根さんが日本酒を飲むときに、ちょうどいいつまみになりそうだ。
再び販売に戻ると、今度は反対側のお隣さんが俺をフォローしてくれた。
「この肉団子のスープ、あったまるでしょ? 隣で売ってるキャベツも一緒に入れると、自然な甘みがでてすごく合いますよ」
お隣のお兄さんは宮城産の食材を使った肉団子や餃子を売っており、ほかほかの肉団子スープを試食として配っていた。お客さんが、流れで赤根農園のスペースも見に来てくれる。
「えへへ……宣伝してくださって、ありがとうございます」
「なんの、おれも赤根さんとこのキャベツ好きだからさ。がんばれよ」
わざわざ応援してくれるなんてありがたい。俺はいい気分で、できるかぎり愛想よく販売を続けた。
学生時代から周りの人間に『暗い』とか『きもい』などと言われてきた俺は、笑顔を作るのが下手くそだ。
しかしいつまでも辛気臭い顔でいたら野菜が売れなくなる。せめて今だけは、無理やりでもいいから笑っていなくては。
午後三時を回った頃、ようやく配達を終えた芹沢さんが戻ってきた。こちらに来るなり、残り少なくなった商品を見回す。
「残りはこれだけか?」
「あ、お疲れ様です。今ここに出てる野菜で最後です」
「そうか……なら帰るぞ。片付けろ」
「えっ、いいんですか。イベント終了まであと二時間くらいありますけど」
「すぐに帰って来いと、さっき優作から連絡があった」
なんだなんだ、仕事の人手が足りないのか。それとも火事でも起こったか。
俺はばたばたと荷物をまとめ、周りのお店と運営の人に一言ことわりを入れて会場を後にした。
除雪機が壊れただけにあきたらず、またもトラブル発生のにおいがするぞ。嫌な予感を胸に抱いたまま、パーキングまで台車を押して道具を運んだ。
「な、何かあったんですか。自動車事故ですか、それとも誰か怪我したんですか」
車に乗り込んだ俺が何を聞いても、芹沢さんは一言も答えてくれない。悪い方にばかり想像がふくらんで、不安のあまり心臓が潰れそうだ。
世の中何が起こるか分からない。もしも赤根さんか、九条さんか、那須くんの身に何かあったらどうしよう。山形の赤根農園へ帰る道すがら、俺は吐きそうになるほど恐怖していた。
その上、店番をしている間トイレに行く暇がなかったので、今になって猛烈な尿意に襲われている。苦しむ俺を見かねて、芹沢さんは近場にあったコンビニへ寄ってくれた。
急いで用を足し、きまりの悪さを相殺するために何かおやつを買っていくことにした。店内を見て回ると、壁は金色のモールやオーナメントで装飾され
『今日はクリスマスイブ! 特製ケーキとチキンはいかがですか』
と派手な色で印刷された楽しげなポップが張られている。
「え!」
衝撃を受けてスマホで今日の日付を確認すると、たしかに十二月二十四日だった。
そんなまさか、一ミリも気付かないままクリスマスイブを迎えていたなんて。連日の肉体労働のせいで日付感覚が狂っていたのかもしれない。
俺はクリスマス感ゼロの豆大福を買って車内に戻り、芹沢さんに食ってかかった。
「『すぐに帰って来い』って、もしかしてアレですか? クリスマスパーティですか!?」
「そうだ」
「なんで言ってくれなかったんですか!」
「大体分かるだろうと思っていた」
言葉が足りないにもほどがある。勝手に不謹慎なことを考えていた俺がバカみたい……というか、バカそのものだ。俺は助手席で恥ずかしさに身を縮めた。
うちのような男所帯の農家がクリスマスをお祝いする、というのはなんともへんてこな感じがするが、まあたまにはご馳走やケーキを食べてバカ騒ぎする日があってもいいだろう。世間的にもお金の動きが活発になるし、色んなお店が儲かって結構なことではないか。
えんやこらと県境を越えて赤根農園に到着すると、頭に三角のパーティ帽をのせている浮かれポンチな赤根さんに出迎えられた。トレードマークの作業服と長靴が合わさって、ちょっと様子のおかしい人に見える。
「ほらほら、早く残りの仕事終わらせてパーティするぞ! 今日のディナーはとんでもないご馳走だからな。プレゼントも買って来たよ」
「あ、俺もプレゼントありますよ。あとで交換できますね」
「え、マジで! 何かな何かな、何でも嬉しいけど」
今までの俺は「けっ、何がパーティだくだらねえ」と心の中で吐き捨てるようなド腐れ野郎だったのだが、仙台市街の華やかな飾りつけや、楽しそうな赤根さんを見たせいか「季節のイベントも結構いいもんだな」と感じるようになってしまった。
ベタなクリスマスソングとか聞きたくなってきたし、人の意識なんて環境次第ですぐに変わるんだなあ。
そんなこんなで俺たち従業員一同は夜遅くに仕事を終わらせて、ささやかなパーティ会場である茶の間に足を運んだ。