2. 刺身のつま、食べてる?
昼食の後は、先ほどとは違う畑で大根の収穫だ。
こちらもゆくゆくは雪下野菜として出荷するため、一度土の中から引っこ抜いて野積みにしておく。
こんこんと大粒の牡丹雪が降る中、配達から戻ってきた芹沢さんも加わり、俺たち四人はだだっ広い畑を歩き回って片っ端から大根を抜きまくった。
貧乏農家に収穫用の機械なんてあるわけがない。ぜーんぶ人力だべ。
「こら芹沢、大根をぽいぽい投げるな! そういうストロングスタイルな収穫はやめろっつってんだろ」
「……すまん」
効率を重視して大根を荒っぽく扱う芹沢さんを、赤根さんが厳重注意している。そもそも大根を次々に宙に放り投げるなんて結構すごいな。
腕力のない俺は、ウンウンと苦しんで地面に埋まった大根と格闘していた。不慣れなせいで力の入れ方がよく分からない。
「あっ」
なんたることか。湿気を含んだ土が固すぎて、抜こうとしていた大根がボッキリと真っ二つに折れてしまった。か、かわいそうに、俺のせいで。ごめんよ、ごめんよ大根。
俺は目を潤ませ、土の中に残された真っ白な大根の片割れを指でほじくり出した。
「ううう、ごめん……」
「おい、お前ペナルティ一点な」
「なにそれ怖い……」
那須くんが意地の悪いことを言って俺を脅してくる。ペナルティが三点溜まったら額に焼きゴテでも押されるのだろうか。
二度と悲しい事故が起こらないよう、俺は女性を扱うように優しく、かつ大胆に両手を沿わせて大根を引き抜き続けた。
しかしすごい数の大根だ。百や二百どころではない。こんなに大量の大根、この冬で全部売り切ることが出来るのだろうか。赤根さんに聞いてみたところ、さすがに同じ心配をしていたらしい。
「そうだなあ、さばき切れなかったら刺身のつま工場にでも持って行くか」
と困り顔で返された。農家だけに、そういった取引先のアテもあるようだ。
「でも、ちょっと勿体ないですよね。せっかく美味しい雪下大根を作っても、刺身のつまにされたら……」
俺の偏見かもしれないが、刺身のつまなんて大葉やタンポポと一緒に皿の上に残されているイメージしかない。
居酒屋で、旅館で、結婚式場で。食べてもらえないまま乾燥していき、やがて廃棄される刺身のつま……もう涙が止まらない! 俺は食べるけどさ、周りから変な目で見られるんだよな!
もうやだ、ここにある大根を全部買い取ってくれる石油王様はいらっしゃらないのか。味は保障しますから、アラブの王族に大根を流行らせてくださいよ!
「がんばって売ろうじゃないか。試食でも何でも配ってさ」
「そ、そうですね。温かい根菜スープとかにして出せば、お客さんにも喜んでもらえると思うんです」
寒い季節だから、冷たい試食は歓迎されない気がする。スープとか蒸し料理とか、湯気にのって香りが広がるようなあったか料理を配れば直売イベントで目立てるかもしれない。
すっかり大根に感情移入している俺は、効果的な販売方法について色々と考えこんだ。
「赤根さん、たしか明日から仙台で出張販売ですよね? 俺に予算くれませんか」
「予算って、何に使うの?」
「色々準備しようと思いまして……やっぱり、何もしないままだと野菜の売れ行きも良くならない気がするんです」
指をいじくりつつ、勇気を出して提案してみる。『使い道が不透明なままでは駄目』と断られるかと思いきや、赤根さんはにこっと笑ってあっさり頷いてくれた。
「好きにしたらいいよ。千円で足りる?」
「あ、ありがとうございます」
太っ腹に見えて微妙にケチだ、なんて文句は口が裂けても言えない。俺は神妙に頭を下げ、千円でいかにして野菜の売り上げをアップさせるか考えた。
収穫して積み重ねた大根の上からシルバーシートをかけ、ひとまず今日の分の仕事はひと段落ついた。あとは作業場に戻って諸々の野菜を袋詰めし、明日の出荷用に準備するだけだ。
赤根さんによると「今の時期は一年の中で一番商品が少ない」そうなので、それほど準備も大変ではない。俺たちは収穫してきた冬野菜を黙々と処理していき、二十時前に一日の仕事を切り上げた。
「あ、な、那須くん」
「んだよ」
俺はとっさに、作業日報を提出して帰ろうとする那須くんを呼び止めていた。汚い物を見るような目で睨んでくるヤンキーに怯えつつ、もごもごと要件を口にする。
「こ、このへんにリサイクルショップってないかな。買いたい物があるんだけど」
「国道沿いに一軒ある。休みの日に歩いて行って来いよ」
「今行きたいから、の、乗せてって……」
「ハア!? ふざけんな、タクシーの真似なんざ誰がするか!」
俺の厚かましいお願いに、彼は激昂してこちらに蹴りを入れてきた。
だって、こんなことを頼めるのは那須くんくらいしかいないのだ。赤根さんたちは年上だし、疲れているだろうから「車を出してほしい」なんてとても言えない。
俺は泣きべそをかいて食い下がった。お願いだよお、俺は車なんて運転できないんだよお、靴でも何でも舐めるから、頼みますよお。
あまりにもみじめな懇願に、さすがの那須くんも鬱陶しくなったのかしぶしぶ愛車に乗せてくれた。
彼の運転で目的の店に連れて行ってもらい、俺は閉店ぎりぎりの店内に駆けこんで無事に目当ての商品をゲットしてきた。
「何買って来たんだよ。勿体ぶってねーでさっさと言え」
「え、えっと、炊飯器。明日のイベントで温かい試食出そうと思って」
赤根家にある炊飯器は大きすぎるので、持ち運びできるサイズのものを買った方がよさそうだと考えたのだ。息切れしたまま答えると、那須くんは少し感心した様子を見せた。
「試食って何の」
「だ、大根と白菜とか……ちょろっと水入れて炊くだけで、味付けなしでも十分美味しいと思うし」
「いいじゃねーか。自分で言い出したからには、気合入れて売り込めよ」
那須くんからの応援が何より心強い。試食といえばシンプルイズベストだ。赤根農園の野菜は、ありのままの姿でも戦闘力が高いんだぞ! という事実をぜひとも消費者の皆様にお伝えしていきたい。
再び赤根家まで送り届けてもらった俺は家の近くで車を降り、那須くんに向かって何度も何度も謝罪した。
「いや、ホントにすみませんでした。この埋め合わせはいつか必ず……」
「テメーみてーな貧乏で無能な変人には何の期待もしてねーよ。さっさと帰って寝ろ。轢くぞ」
この有り様である。優しいのかひどいのかよく分からん。
俺は手を振りながら頭も下げ、自宅に帰る那須くんをお見送りした。さて、夕飯を食って寝るか。俺は家の中に引っ込んで炊飯器の内釜を洗っておき、明日に備えることにした。
翌朝。
目覚めた俺は、着替えをしてから階段を下り、いつものように玄関の掃き掃除をしに行った。
俺たち農民は日々畑と家を往復しているので、家の中や外の掃除を怠ると土の塊や野菜の葉っぱなんかが散らかってどんどん汚くなるのだ。
「ひいっ、寒! 息が凍る!」
暖房がついていない家の中は、まるで製氷機の内部に入ったかのような極寒地獄。長靴を履いた俺はほうきを握りしめたままぶるぶる震えて、玄関の戸を開けた。
「うわっ……す、すげー積もってる」
地面にも、車にも、植木にも、そして周辺の田畑にも。夜の間に降った新雪がこんもりと積もって、景色を真っ白に染め上げていた。
これは大変だ、除雪車が来るレベル。俺は慌ててほうきから雪かきシャベルに持ち替えて、いそいそと玄関前の雪をどかした。このままでは車を動かすこともできないので、仕事が始まる前にどうにかして道を作っておかなくては。
西日本の人なら雪を見た瞬間テンションが上がるかもしれないが、俺は雪国新潟生まれなのですでに見飽きている。「きれいだな、雪遊びしたいな」と浮かれるよりも「今年もまた雪かき中に死傷者が出るのか……」という悲愴な感想しか出てこない。
おのれ雪め、今年も会ったな。お前には絶対負けないからな。鬼気迫る勢いでシャベルを動かし孤軍奮闘していると、後ろから声をかけられた。
「天見くん、そんなことしなくていいよ。この程度の雪なら除雪機使うから」
「あ、赤根さん。おはようございます」
「おはよ。車の雪下ろしといて」
まだ寝ぼけ気味なのか、赤根さんはあくびまじりに指示を出す。一旦家の奥に引っ込んだ後、冬用のもこもこした裏起毛ジャンパーを着て外に出てきた。
「ねみー、さみー、沖縄に引っ越したーい」
「沖縄でも猛暑とか台風とか、大変ですよ?」
「山形だって夏は暑いし台風も来るの! 飢饉凶作寒冷地の呪いにもかかってんだから甘くみるなよ」
「別に甘く見てませんって……」
寝起きで気が立っている赤根さんは雪を踏みしめ、作業場のシャッターを開ける。そして中から一台の赤い除雪機を引っ張り出した。
昭和時代に生産されたのかと疑ってしまうほど、見るからに年季の入ったオンボロだ。これがブイブイと動いてエネルギッシュに雪をかき分けていく姿が想像できない。
俺が車にのった雪を落としている間、赤根さんはスイッチやレバーをあれこれいじって除雪機を動かそうとしていた。
「よーしよし、いい子だね雪子ちゃん。お仕事の時間だよ~」
ひもを引いてエンジンをかけると、不吉な破裂音と共に『雪子ちゃん』が振動する。しかし、数秒後に震えが止まりピクリとも動かなくなった。
「赤根さん、雪子ちゃん大丈夫ですか? 死んでませんか?」
「死んでない! 大丈夫だって、今直すから」
赤根さんは機械に詳しい芹沢さんを叩き起こして診てもらったが、どうやら雪子ちゃんは深刻な問題を抱えているようだった。分解して動かない原因を調べていた芹沢さんが、急に立ち上がって白い息を吐く。
「内部の部品が壊れている。これはホームセンターでも売ってないな。工場に直接電話して取り寄せた方が良いぞ」
「えー、まじで? バッテリー切れとかじゃないの?」
「燃料は満タンに入ってるだろ。これはもう駄目だ、今のままでは使い物にならない」
結局俺たちは雪子ちゃんの手を借りることができないまま、人力で雪を片付けることになった。ちくしょー、期待させやがって。こうなったら一日でも早く雪子ちゃんの容体が良くなることを願うしかない。元気になったら一緒に雪原デートしようね!
目まぐるしく雪かきと朝仕事を終えた後、俺と芹沢さんは野菜を車に積んで仙台に向かった。
俺は商店街で直売イベントに参加、芹沢さんは市場や飲食店へ野菜を配達するため現地に着いたらそれぞれ別行動だ。
午前十時前。商店街に着いて野菜の入ったコンテナを車から降ろすと、芹沢さんはやや心配そうな目で俺を見た。元々無表情な人だが、空気感で気持ちが伝わってくる。
「オレはもう行くぞ。……一人で大丈夫か?」
「は、はい。金庫だけは命に代えても守りますから」
「そうか。困ったことがあったら、周りの人に頼んで助けてもらえ」
随分と無茶なことを言うものだ。俺は知らない人に明るく声をかけられるようなタイプじゃないのに。
芹沢さんの言葉が重厚なプレッシャーになって、気を抜くと手足が震えそうになった。