22 はじめての新年会!
「あー、困ったなあ。チェッポでご飯食べてる女の子に『やだあの人たち、くさーい。腐った里芋みたいなニオイするーっ!』って言われたらどうしよう」
旧正月の午後三時。仕事を終えて一番いい私服に着替えた俺たちは、町で人気のイタリア料理店「イル・ディ・チェッポ」の前でたむろしていた。
先ほどまでハウスで駄目になった里芋の片付けをしていたので、腐った作物の臭いが全身に染みついている。十一月に採ったのに三か月も放置されていたから、ぶにゅぶにゅに柔らかくなって吐きそうなほどクサかったよ。やっぱり、収穫した物は綺麗に処理してさっさと売るべきだね。
赤根さんは神経質に衣服を嗅ぎ、「風呂入ってくりゃ良かったな」などとぼやいていた。
「あの、僕のことまで誘ってくださって、ありがとうございます」
「いいんだよ、君も冬の間によく手伝ってくれたじゃないか。新年もよろしくってことで、今日は好きなだけご飯食べてってね」
急遽参加した山吹くんにも、優しい言葉をかけている。赤根さんって、見た目だけは若手俳優みたいでパーフェクトな格好良さなんだけどなあ。すぐに奇行に走るところをどうにかしてほしいもんだ。
六人でぞろぞろとチェッポの店内に入るやいなや、オーナーの三ヶ瀬さんが踊るように歩み寄ってきた。
「あら、いらっしゃーい! 待ってたわよ、なんなら貸し切りでもよかったのに」
清楚なコクーンスカートから伸びたおみ足が麗しい。いつ見ても、光り輝くような美貌でございますなあ。
いかにも「デキるビジネスウーマン」といった外見の彼女は、聞くところによると大学生の息子を持つシングルマザーらしい。赤根農園の野菜をこよなく愛し、「貴方たちも私の息子みたいなものよ」と、俺たちのこともめいっぱい可愛がってくれる。
赤根さんは友人のように彼女とハグし、情けない声を出した
「ミカちゃーん、また番組がお蔵になっちゃったよお。もうあれかな、生前の行いが悪かったのかな?」
「よしよし、かわいそうにねえ。うちのシェフがお料理で慰めてくれるから、元気だしなさい」
「うん、うんっ」
そうそう。チェッポは傷口を癒すのにうってつけの、居心地のいいお店じゃないか。
暖かみのあるアンティーク調の内装に、壁に飾られた野菜の静物画。毎週土日は食べ放題を実施しているらしく、ドリンクバーの傍に積み重なっているマグカップさえもお洒落だ。
席に着いた俺たちは、ひとまずメニューを広げてオーダーを決めた。
「まずはマルゲリータだよね。この季節限定のしらすピザも頼んでみようか」
グルメな九条さんは高揚しているようで、周りの意見も聞かずにピザを選んでいった。まあ、俺たちは好き嫌いがないんで何でも食べますよ。
「僕、イタリアン大好きなんだよ! 特にチーズを浴びるほど食べたいから、いつもお店でピザを頼むときは三倍に増量してもらってるんだ」
「チーズなんて脂肪の塊だぞ」
「もう、そういうこと言うなよー」
芹沢さんからの苦言にも動じず、女子高生みたいにはしゃいでいる。常に健康に気を使っている九条さんだが、今日だけは我慢せずに好物を楽しむつもりらしい。
「このクワトロフォルマッジってやつ、追加料金がかかるらしいですよ?」
「いいよ、頼んじゃえ。どうせ赤根が払うんだから」
あれこれと料理を注文して、出来上がりを待つ間に乾杯用のドリンクを取りに行った。
「職場の新年会」というものを体験するのは初めてだが、字面だけ見るとそこはかとない加齢臭を感じるのは俺だけだろうか。
しかしながら赤根農園は十代&二十代の集まりなので、どちらかといえば部活の集まりに近い空気感だ。お客さんが少ない時間帯なので、ほぼ貸し切り状態の店内で賑やかにドリンクを選んだ。
「えっ、芹沢さん、一杯目からカフェオレ飲むんですか?」
「いけないのか? そう言う天見はオレンジジュースか、飯にジュースの組み合わせは理解に苦しむな」
「いやあ、分かってませんねー。ご飯とジュースの組み合わせは、盆と正月にしか許されないスペシャル感があるじゃないですか。ほら、那須くんだってトマトジュース選んでますよ?」
「んだよ、文句あんのか!? イジってくんじゃねえぞ喧嘩売ってんのか!」
沸点が低すぎるよ、そんなに怒るなって。どうでもいい会話を重ねて行くうちに何だか心が軽くなってきて、俺はにやけながら席に戻った。
なんだかんだで、このメンバーで外食するのは初じゃないか。嬉しくて楽しくて、目の前がバラ色に染まっていくような心地がした。
これこそが、俺の望んでいた青春そのものだ。冬の間は辛い出来事もたくさんあったが、今こうして満ち足りた時間を過ごせているというだけで感無量だった。
六人全員が飲み物を持って着席したところで、ビールジョッキを手にした赤根さんがにこやかにテーブルを見渡した。
「えー、それではね。本日は無礼講ということで大いに盛り上がりましょう。農園のさらなる発展と、従業員の皆さんのご健勝を祈って――」
「どうした? 頭でも打ったのか?」
まるで商工会議所の会頭のような挨拶を始める赤根さんに、周囲が軽くざわついた。あんたはそういうキャラじゃないでしょうが。
結局仕切り直して、シンプルな「かんぱーい!」の合図と共にカオスな新年会は幕を開けた。
「アルコール飲み放題」を注文した赤根さんと九条さんは二人席に隔離され、物凄い勢いで杯を呷り出した。
やはり、放送延期の件を根に持っていたのだろうか。ビール、日本酒、ワインにハイボール、サワーに焼酎……も、もう見ているだけで気分が悪くなってくる。
四人席に座ってご飯を食べている俺たち「飲めないチーム」は、なるべく二人をそっとしておくことにした。
「天見くん、最近なにか面白いこととかあった?」
「え、うーん……面白いかどうかは分からないけど、今日ハウスで種芋の準備をしてたら、白鳥の大群が北の空に向かってブワーッて飛んでいくのが見えたんだ。バササッて羽音まで聞こえてきてさ。迫力がすごかったよ」
「わあ、もう冬も終わりって感じだね」
隣に座る山吹くんは、髪の色が銀から黒に戻っていたので大変接しやすかった。
聞き上手なので、俺のつまらない話にも大げさに頷き、手を叩いて笑ってくれたりする。このままでは自分が超絶面白い人間だと勘違いしてしまうから、山吹くんと友だちになるのは危険だな。
店で一番人気のトマトクリームパスタに舌鼓を打ち、山吹くんの注文した和風パスタも少しだけもらった。やっぱり出来たての熱い料理は食が進むね。
「パスタに巨大ななめこが入ってるのって、初めて見たかも……」
「うまっ。このしらすピザ、柚子と水菜が入ってるよ! ホワイトソースと相性いいね」
メニューに書いてある情報によれば、山形県鮭川村のなめこは東北一の生産量を誇っているらしい。
和と洋の融合によって食卓に驚きが生まれ、会話も弾む――俺たち生産者サイドも、いかにして消費者の食卓を楽しいものにするか考える必要があるな。もんもんと思いを巡らせ、食欲の赴くままにフォークを動かしていた。
サラダやグリル料理、スープにグラタンまで、欲しい物を欲しいだけよそってガッツリ食べる。俺的には、デザートの鳥海山ヨーグルトが一番気に入った。新鮮な生乳のさっぱりとした後味がやみつきだ。
基本的に飲み会というより食事会状態なので、「飲めないチーム」は数十分でお腹がいっぱいになって口数が減ってしまった。
赤根さんも酒が好きな割には弱いので、とろーんと眠たげな目をしてソファに深くもたれている。
もはや誰も声を発さなくなったが、「もう十分だから帰って寝よう」と皆の意見が一致しているように思えた。三十分で終わる新年会なんて、効率的で結構なことではないですか。
しかし、酒の入った九条さんだけはギンギンに元気をみなぎらせていた。
「僕はイタリアに留学したことがあるから、現地の人たちの食べ方も見て来たんだよ。このピザはシンプルな味だから、皿に残ったパスタソースを拭いて食べるんだ」
「……」
「それでね、僕が特に好きなチーズは、エダムとゴーダとチェダーをブレンドしたものなんだけど――そうそう、青カビの生えたブルーチーズを嫌がる人がいるけど、あれはホイル包みのハンバーグにトッピングして火を通せば、とてもいい香りになるんだよ」
「……」
おい、だれか「もう帰ろう」って言えよ。このままじゃ一生チーズの話を聞かされ続けることになるぞ。
満腹で苦しんでいる俺は、美味しそうにグラスワインを飲み干してピザを頬張り続けている酔っ払いを見て「ば、化け物……」と零しそうになった。
あの人、一人で何枚ピザ食ってるんだよ。ありえない食いっぷりだ。
「お、お待たせしました……クワトロフォルマッジです」
ウェイトレスのお姉さんも怯えてるじゃないか。九条さんは待ちかねたように、四種のチーズを贅沢に使ったピザに蜂蜜をかけて口に運んだ。
「あいつ、店のチーズを根絶やしにする気か……?」
「体内にチーズが流れてるんですかね……?」
いい加減ドクターストップをかけないと、彼のスリムなお腹がぽっこりと出てしまう。俺たちはハラハラと見守っていたが、チーズモンスターはようやく手を止めてくれた。
「――そういえば、君たちにはまだ言ってなかったかな。最近うちに求人応募の電話がきたんだよ。『雪下野菜の味に感動したから、ぜひとも赤根農園で働かせてほしい』ってさ」
「え! ど、どういった方が応募してきたんですか?」
「兵庫県に住んでる五十代の男の人で、元は中学校の教師をしてたんだって」
ひょ、兵庫! なんでそんな遠方に住んでいる人が、山形産の野菜を口にしたんだ? 盛大にはてなマークを飛ばしていると、九条さんは愉快そうに上体をそらした。
「ほら、『グルメジャポン』の収録をした時に、料理人の先生がいらっしゃっただろ? 番組が放送できなくなった代わりに、先生が東京にある自分のお店で雪下野菜を使って下さったんだよ」
北方先生が料理長を務めているという、神楽坂の老舗割烹「壱ぜん」。東京観光の際にそこで食事をした男性が、赤根農園の野菜に惚れ込んだのだそうだ。
いやはや……「ご縁」っていうのは、どこでどうつながっていくか分からないものだね。
「で、でも。元教師ってどういうことですか?」
「ああ。その人、お母様の介護に専念するために早期退職したんだって。『母親を看取ってから無気力になっていたので、自然の中で野菜の栽培に没頭したいんです』って話してたよ」
これはまた、中々に入り組んだ経歴をお持ちの方だ……。
しかも、五十代って俺たちの親世代じゃないか。もしも本当に住み込みで働き始めたら、若者だらけの職場に面食らうんじゃないか?
「話し方がのんびりしていて、知的好奇心が強そうな人だったよ。きっと天見くんたちともいい距離感で接してくれると思うから、安心してね」
「うーん……でも、人手不足が解消されるから、ありがたいですよね」
俺はグラスの中に残った氷水をストローで吸い、「五十代の人に、収穫の仕方とか教えないといけないのかなあ」などと思い悩んでいた。ちゃんとした敬語を使って、失礼がないようにしないと。今から緊張してきた。
「おーい、キミら養成所の何期生やねん。おれの方が兄さんなんやから、ちゃんと言うこと聞かなあかんでホンマに」
「はあ?」
「ほらぁ、今から関西弁に慣れておこうかと思うてな。山形で新喜劇やってへんのかいな、アホちゃう? 毎日芸人さんのおもろい話聞かな、仕事する気がせえへんわあ~」
「止めといた方が良いですよ……ドヤ顔でエセ関西弁使う人って、関西の人にめちゃくちゃ嫌われるんですから……」
ぐでんぐでんに酔っ払っている赤根さんは、赤ら顔で立ち上がり「ほな、二次会行こか~!」などと抜かしている。足元もおぼつかないのに、なにが二次会だよ。
「ごちそうさまでしたー、ご迷惑かけてすみません」
「いいのよ~、またいつでもいらっしゃい」
千鳥足の赤根さんを支えつつ、俺たちは支払いを済ませて三ヶ瀬さんに見送られながらレストランを出た。
外はすっかり日も落ちて、空にはまんまるいお月様が輝いていた。住宅街には明かりが灯り、人々の営みを知らせるように家々からはテレビの音が漏れ聞こえ、夕食の香りが漂ってきた。
さあ、帰ろう。明日からもまた畑と家の往復生活が始まる。雪が解けて暖かくなれば、採れる野菜が変わるし、農園のメンバーも増える。だけど、俺たちの核となっている想いは変わらない。
老若男女、全ての人に美味しい野菜を食べてほしい。喜んでほしい。もしもうちの野菜を気に入ってくれたら、ぜひとも農園まで遊びに来てほしい。いつでも大歓迎するよ。食べきれないくらい野菜をあげるよ。
だから、「農業は辛くてお先真っ暗な仕事」とか、「田舎は陰険な人だらけで住みにくい」とか、勝手に決めつけることだけはしないでほしい。
俺は身をもって農家の仕事を体験したが、嫌なことばかりではなかった。心が躍るような瞬間が何度もあったし、とんでもねー笑い話もいっぱい聞けた。
迷う前に家を飛び出して良かった。山形の魅力もおかしな習慣も、全部自分の五感で確かめることができたんだから。俺はしみじみと今までの道のりを噛みしめていた。
「天見くん、なんでボーッと突っ立てるの? 車乗ろうよ」
「ご、ごめん。今ちょっと、頭の中で感動的なナレーションを流してたから……」
「ハア? 脳ミソ腐ってんのかテメー。置いてくから家まで走って帰れよ」
山吹くんと那須くんに背中を叩かれ、そそくさと八人乗りの車に乗り込む。
未来のことは分からないけど、今の俺にできることは、農園の一員として力いっぱい働くことだけだ。食べて、動いて、交流して、これからは人間らしく生きて行こう。
だって「天見とうま」は、もう親を泣かせる引きこもりニートじゃない。「元気で明るい農家のお兄さん」に生まれ変わったんだ。賑やかな仕事仲間に囲まれながら、俺は自然と笑みを浮かべていた。




