19 この鍋は、美しすぎます……
「グルメジャポン」の収録当日は、幸い雲一つない好天に恵まれた。青空と白い雪原のコントラストが美しい。こりゃ絶好の撮影日和だね。
午前九時にスタッフがやって来て、赤根家の茶の間にて撮影ミーティングが行われた。
「まずは畑の前でオープニングを撮りますので、赤根さんにはタレントの方と初めて会う感じで挨拶していただいて。その後大根の収穫体験に移ります」
「はいはい。なるほど」
「それが終わりましたら、研修生さんの作ったお料理を外で食べるシーンを撮りたいんです。できれば、景色のいい場所にテーブルと椅子を用意していただけませんか?」
「はい? それっておれたちがやるんですか?」
女性ディレクターからの提案に、赤根さんは片眉を跳ね上げて嫌そうな顔を作った。
「簡単に言いますけど、除雪機で雪原をならして食事のセッティングをするなんて、結構大変ですよ? そもそも外でご飯を食べるシーンなんて、視聴者が見たがりますかね?」
「い、いえ、その……」
「その映像は、一体どこの層に需要があるんですか? あなたもテレビマンなら、もっと奇抜で、世の中が度胆を抜くような画を撮るべきなんじゃないですか?」
「あ、あの……」
調子づいた赤根さんが偉そうにディレクターを問い詰めていると、背後から近づいてきた九条さんがその襟首をつかんで茶の間の外に引きずって行った。
一拍置いて、「ガゴンッ」と金属で物を殴るような音が聞こえてきた。どうやら、九条さんが赤根さんの頭を銀のお盆でフルスイングしたらしい。
「あああお! いってええ! こいつ殴りやがった!」
「黙ってろ低偏差値! お前みたいな脳筋バカは黙って人の言うことを聞いてればいいんだよ、次に文句言ったらまた殴るからな!」
「脳筋はお前の方だろうが暴力ばかああっ」
結局のところ赤根さんは、面倒くさい力仕事を回避したかったようだ。「今日は車を運転したくないし、重い物も持ちたくない」と泣きわめいてごねる彼に根負けして、結局食事シーンは室内で撮ることになってしまった。こ、こんな調子で本当に大丈夫なのか……?
ミーティングを終え、外でオープニングの撮影をしている間に俺たち料理班は台所で昨日と同じ料理をこしらえた。一度作ったことがあるので、止まることなく着々と調理は進む。
時間をかけてじっくりと野菜に火を通し、出来上がった料理を応接間に運んだ。諸々のセッティングを終え、座布団の上に正座する。
「ひええ、カメラが三台もあるよ。すげえ」
「……」
「那須くん、何かしゃべりなよ」
「……っせえな」
まるで銃を突きつけられているように、うっすらと汗をかいて押し黙っている。なんでそんなに緊張してるんだよ、まるで借りてきた猫じゃないか。今回のような大掛かりな収録は初めてなのだろうか。
応接間にはカメラマンの他にも音声係、照明係、アシスタントやマネージャーなんかが待機しており、物々しい空気だ。「テレビ出演NG」の九条さんも、カメラの奥に陣取ってすっかりスタッフに馴染んでいた。
「綾見ユリさんと、北方先生が入りまーす」
「よろしくお願いします」
高級そうな衣装に身を包んだタレントと、壮年の料理人が入ってきた。料理人の先生は紺色の和服に身を包んでいて、長く伸ばした白髪を後ろで結んでいる。なんだか年齢不詳の仙人といった雰囲気だ。
「寒い中、こんな田舎まで来てくださってありがとうございます」
「ええ、本当に寒くてびっくりしました。ハワイにある自宅から来たので、気温差がすごくて!」
綾見ユリのセレブ発言に、赤根さんの頬がわずかにひくついた。暴れたらだめだぞ、抑えて抑えて!
「今度このスタッフでハワイに行きたいですねー、グルメジャポン、海外編! って感じで。あ、ちょっと美奈ちゃん、メイクチェックしたいから鏡持って来て」
「……」
パワフルなベテラン芸能人を前にして、赤根農園の面々はゆっくりと心のシャッターを閉めているようだった。も、もっと声出していこうぜ、せっかく若者が集まっているのに、皆全然元気ないじゃないか!
「それでは、カメラ回しまーす! 三、二、一……」
ここは俺が盛り上げるしかない! と気合を入れていると、ようやく食事シーンの撮影が始まった。カメラが回り始めると、進行役の綾見ユリがパッと明るく表情を作って話し出す。
「それでは、農家の方が作って下さったお料理をいただきましょうか。こちらは、雪下野菜のお鍋ですか?」
「はい、『きらぼし』と『オレンジクイン』という、二種類の白菜を使っています」
「まあ、『クイーン』ですって! 女王様のような、気品のあるオレンジ色ですね」
周囲からの視線を感じたので、最も鍋に近い席に座っていた俺が菜箸を使って白菜を器に取り分けた。
「そうそう、ここで従業員さんたちの得意料理を伺ってみましょうか。天見さんは、どういったお料理が得意ですか?」
「うぇっ……ぼ、僕はハンバーグとか自信あります。お肉やソースと一緒に、蒸し野菜も美味しく食べられますし」
「なるほど、それはいいですね! では、お隣の那須さんは?」
「え」
那須くんが意表をつかれたように固まる。がんばれ、ここで返事が遅れたら放送事故だぞ! 応援する意味を込めて、隣に熱視線を送った。
「……ん、えっと、魚介類の入った煮込み料理とか、よく作ります」
「そうですか、今の季節にいいですよね~!」
ほっ、良い感じに返答できたようだ。続いて芹沢さんの番になると、赤根さんが
「彼は、アユご飯とライスコロッケばっかり作るんですよ」
と、よく分からないことを言った。質問者の綾見ユリも困惑している。
「アユご飯? アユを使った山形の郷土料理ですか?」
「いえっ、ツナの入った炊き込みご飯のことを、うちでは『アユご飯』って呼ぶんです」
なんだ、その変な実家ルールみたいなやつは。無邪気な子どものように話す赤根さんに、スタッフたちまで苦笑している。撮影現場は思いがけずほのぼのとしたムードに包まれた。まあ、今の発言はまちがいなく編集でカットされるだろうけどね。
一通り話を聞いたとこで「では、いただいてみしょう」とカメラに合図を送り、綾見ユリが白菜を咀嚼し始めた。
「うーん、とても柔らかくて深いコクがありますね」
「これは美味しい! 野菜の良さが出ていて素晴らしいですね。おかわりしてもいいですか?」
仙人風の北方先生は気さくに表情を崩し、自主的に鍋のおかわりをよそい始めた。よかった、かなり気に入ってもらえたみたいだぞ。よく見たら白菜に焦げ跡がついていた気もするが、大した問題ではないだろう。俺はできるだけ口角を上げ、隙のないにこにこ顔をキープし続けた。
こうして食事シーンの撮影はつつがなく進行し、今度はプロの北方先生が台所で別の料理を作ってくれることになった。一旦応接間を片付け、出演陣は待機することになる。
俺たち従業員は作業場で集まって、時計を見つつ撮影をふり返っていた。
「北方先生、自分の包丁とか鍋とか、調理道具一式を持って来てるみたいだよ。本職って感じでカッコいいよね~!」
まだ一言も会話していないが、俺はすっかり北方先生のファンになってしまった。だって、東京の一等地で割烹を開いているような人が山形まで来てくれたんだぞ。着物が似合う白髪の料理人とか、好きになるしかないじゃないか。
「那須くん元気ないけど、大丈夫?」
ちょっとくらい反応してくれたっていいじゃないか。えいえい、と彼の腕を引っ張っていると、カウンターで裏拳が飛んできた。うわっ、あぶな!
虫の居所の悪い那須くんと動物園のサルみたいにじゃれ合っていると、芹沢さんが冬眠明けの熊のようにのっそりと近づいてきた。なんだよ、ここはワクワク動物ランドか?
「……お前たち、そもそもなぜうちにテレビ出演のオファーが来たのか知ってるか?」
「えー、そういえば知らないです。どうしてなんですか?」
「ネットで『雪下野菜』と検索してみれば分かる。検索結果の一ページ目に、赤根農園のホームページが出てくるからだ」
な、なんだと……それだけの理由でうちが選ばれたのか?
ためしにスマホで調べてみると、たしかに「甘くておいしい雪下野菜をお取り寄せできます 赤根農園」と一ページ目に出てくる。
やっぱ、今はネットが全ての世の中になってきたからなあ。テレビ局も常にパソコンを使って取材先を探しているのか。身を持ってテレビ制作の流れを学んだ気がした。
「作っといて良かったですね、ホームページ……」
「ああ。そもそもサイトを持っていない農家が多いからな。ネット上に名前があるだけでも、仕事が増える」
うんうん、ネット社会に乗り遅れたらいけないよな。赤根農園のサイト自体は十年前に開設したらしく、時代遅れのダサいデザインだけど。今度から俺もSNSを活用して情報発信しようかな。定期的に続けていけば、いつかは見てくれる人も増えるだろう。
「那須くん、共同のアカウントで農園のSNS始めようよ。交代で更新しよ」
「う、うぜーな、いつにもましてベタベタしてきやがって。近寄ってくんじゃねえ!」
「なんでだよ、俺ふつうに話しかけてるだけじゃん! やろうよー」
「やらねえよザコ! そんなもん、何書けばいいか分かんねえし」
チンピラのような外見をしているのに、妙に真面目な所があるなあ。ここは俺がソーシャル大臣として辣腕をふるい、赤根農園のフォロワーを増やさなくては。
アイコンはどうしよう。そもそも俺、ネットでも人見知りするからな。ちゃんと他の人と絡めるかな?
うんうんと考えこんでいると、ようやくADさんが俺たちを呼びに来た。待ってました! いよいよ、プロの作った料理がいただけるぞ!
出演者一同は再び応接間に集まり、北方先生が料理を運んでくるのを待った。
「はい、お待ちどうさまでした……こちらが私の作った、『雪下野菜のみぞれ鍋』です」
お、またもや鍋料理か。北方先生は信楽焼の渋い土鍋を卓上コンロにのせ、火を点けた。
「皆さん、土鍋のふたが開いた時にリアクションお願いします」
ここで、スタッフからの無茶ぶりが出た。おいおい、リアクションってどうすればいいんだ? 「うわあ」か、それとも「ふおう」か。「はああ」とか、「はええ」とか、色々あるぞ。どう言うのが正解なんだ!
ぐるぐると感嘆語を思い浮かべて戸惑っている内に、北方先生が土鍋のふたに布巾をかぶせて、ぱかっと開けた。
「わああっ」
とっさに目と口を大きく開けて、テレビ映えしそうなびっくり顔を作った。嘘っぽくないリアクションって難しいんだな……俺みたいな大根役者は、絶対にお芝居とかできないぞ。
しかし番組的には俺の反応より、料理の方が大事だ。カメラマンは寄りで土鍋の中を撮っていた。
溢れ出す湯気に、濃密なかつお出汁の香り。鍋全体にたっぷりとのった大根おろしは、純白の雪原を連想させる。「雪」の中に埋まった「野菜」を掘り出して食べる……雪下野菜のもつ「物語」が、見事に表現されていた。
「まあ。なんて綺麗な鍋なんでしょう……まっ白い雪が降り積もっているみたいですね」
「はい、鬼おろしを仕上げに乗せることで、山形の美しい新雪を表現しています。宝探しのように、お箸でおろしの中に隠れている食材を掘り出していただきたいですね」
さ、さすがは本職の料理人だ。鍋の中に遊び心を感じる。辛い思いをして収穫してきた雪下野菜が、ここまで格調高い料理に生まれ変わるとは。
ありがとう、ありがとう北方先生。食べる前から感極まり、涙が零れそうになった。




