17 舞い込んできたオファー
「ふあーあ、疲れた……もう白菜見たくない」
とある土曜日の夕方。俺はもごもごと愚痴をこぼし、採りたて白菜の仕分けをしていた。
新年早々あちこちへ出かけてロケットスタートを切った俺だったが、一月半ばに差し掛かると毎日の仕事にマンネリを感じるようになってしまった。
そもそも、冬は仕事のバリエーションが少なすぎるのだ。「雪かき」か「収穫」の二択しかない。
春なら「種まき・苗の管理・畑の整備・定植」、夏なら「草取り・肥料散布・水かけ・脇芽かき・収穫」と、さらに細分化された農作業まで加わってはちゃめちゃな忙しさなのに。今の時期は雪で押し潰されそうになりながら、淡々と雪下野菜を畑から採って来て出荷するしかない。
黙々と作業場で働いている俺たちに、赤根さんが上機嫌で声をかけた。
「みんなちょっと休憩しようか、休憩休憩! 茶の間でテレビでも見てぐったりしよう」
さすがに皆、休憩の誘いを断るほど仕事熱心ではない。我々は喜んで野菜の出荷準備を放棄し、茶の間に雪崩れこんでごろごろと転がった。
それにしてもこんな中途半端な時間にテレビを見るとは珍しい。いつもは夜の七時八時まで仕事しているのに。俺は口の中にミルク味の飴を放り込み、だらしなくお腹をぽんぽん叩きながらテレビを眺めていた。
画面には擬人化された食材のイラストがコミカルに登場し、明るい声の女性ナレーターが番組の紹介をしている。
『さーて、今日の「満腹☆スマイル食堂」は? 大人気の若手芸人が、今が旬の練馬大根の収穫に挑戦! 農家さん直伝の絶品料理に大興奮です!』
ああ、「スマイル食堂」か。俺が小学生のころからずっと続いている、ファミリー層に人気の高視聴率番組だ。テロップやSEが過多でちょっとノリが軽いけど、子どもの食育にはちょうどいいと思う。
画面の中では、口をもぐもぐさせているお笑い芸人が目ん玉をひんむいていた。
『うぽーっ、なにこれえウメイジング! デリシャスシャスデリー!』
「ぷふっ、んふふ」
赤根さんはハイテンションなギャグが好きなのか、にやにやして吹き出していた。
世の中にはうるさい芸人を見て顔をしかめる人もいるが、俺はお笑い文化が好きなので『ああ、がんばってお仕事してるな』と好意的な目で見てしまう。重大で深刻なニュースがある一方で、こういう馬鹿馬鹿しいノリがあるからこそ世の中の均衡が保たれているのではないだろうか。
おやつ片手にテレビの批評をしていると、赤根さんが誇らしげにせき払いをした。
「実はね、この間この番組から赤根農園に出演オファーが来たんだよ。うちの雪下野菜をぜひ特集したいんだってさ」
な、なんだと。信じられなくて目を見張ると、彼はますますふんぞり返った。
「嘘じゃないよ、テレビ夕日のディレクターさんから電話きたもん」
「赤根さん、この番組は日ノ本テレビですよ。チャンネルが違います」
那須くんが冷静につっこんで、すぐさまチャンネルを変えた。今度は打って変わって、しっとりと落ち着いた雰囲気のグルメ番組が映る。
『本日の「グルメジャポン」――注目するのは、今が旬の三浦大根。生産農家さんに密着して、その美味しさを科学的に解剖します。東京から三浦大根の産地にやってきた和食シェフは、一体どんな料理を作るのでしょうか』
派手な演出のない、タレントと農家の歓談風景。泥のついた大根。そして湯気の立つおでん鍋。どうやら、シニア層をターゲットにした品のある教養番組のようだ。さきほど目にした「スマイル食堂」とは、似通った題材ながら画作りがまるで違う。
「優作、結局どちらからオファーが来たんだ?」
芹沢さんからの問いかけに、赤根さんはすっかり混乱状態に陥っていた。
「あれ、あれ? 今週は『大根』の特集だって聞いたんだけど? 裏番組同士で『大根かぶり』って、これ業界のタブーなんじゃねえの?」
「たしかに、同時間帯に似たような番組があるのは紛らわしいですよね。うちの農園がテレビに取り上げられても、たいして話題にならないんじゃないっすか?」
那須くんの言うことも一理ある。俺は瞬時にスマホで「グルメジャポン」について調べてみた。……なんと、SNSに「野菜はハズレ回」などという心無い書き込みがあるではないか!
け、けしからんぞ。匿名だからってナマイキな。そんなこと言う奴はビタミン・食物繊維不足で体調不良を起こせばいい!
結局赤根さんが「こ、こっちだ。たぶんこっち。『グルメジャポン』だよ」とあやふやに断言したため、俺たちはお上品な方の番組を見ることになった。
『三浦大根の肉質は緻密で柔らかく、煮崩れしにくいため煮物との相性は抜群。さらに、こちらの農家さんでは栽培の際にとある工夫をしていました――』
ほほう、畑の土に魚粉をまぜることで養分を高めているのか。まずは農家の奥さんが「家族が大好きなメニュー」と称してこってりとした豚バラ大根を作り、お返しとして東京から来たプロの料理人が三浦大根を丁寧に調理し始めた。
出来上がったおでんはまさに匠の逸品。出汁が厚い大根の芯まで染み渡り、見るからにシズル感がある。一緒に煮込まれている玉子や手作りの練り物も、旨そうだなぁ。
『いや、こうして素晴らしい料理にしていただけて感激です。言葉が出ません』
おでんを口にした大根農家のお父さんは、照れた表情でとつとつと感謝の言葉を口にしていた。笑顔を浮かべている農家の皆さんを見ていると、心が温かくなってくる。
「中々いい番組じゃないか……」
「これに赤根農園が出演するんですか?」
「なんだか内容が真面目すぎて、場違い感が……」
我々は顔を見合わせて困惑を共有した。毎日犬のように転げまわってふざけている赤根さんが、カメラの前でお行儀よくできるのだろうか。全国区のテレビにがっつり映るチャンスなんてそうそう巡ってこないだけに、非常に心配だ。
ちらちらっと赤根さんに視線をやっていると、心外だといわんばかりに憤慨された。
「お、なんだ? 何か言いたいことでもあんのか? おれだってまともな人間のフリくらいできるんだからな! こう、背筋を伸ばして……『真冬の山形へ、ようこそいらっしゃいました。今日は楽しんでいって下さいね』」
ホストか、と口を出したくなるほどのキメ顔と美声だ。ふざけすぎですよ。
「……当日、お前は一言も喋るなよ。受け答えは九条と那須に任せておけ」
呆れ果てた様子の芹沢さんは、きつく赤根さんに念押しした。いきなり名前を出された那須くんは、驚いたように硬直している。
「え、お、オレっすか。無茶言わないで下さいよ。カメラとか、恥ずかしいです……」
いつも声を張り上げて俺を罵倒してくる那須くんは、あろうことか目を伏せてもじもじし始めた。どうなってんだこりゃ。こんな調子で、取材なんて受けられるのだろうか。
テレビの魔力を前にしておかしくなる赤根農園の面々を前にして、俺もなんだか頭が変になってきた。撮影当日は、いったいどうなることやら……。
日付は変わりまして、一月某日の午後三時。俺たちは赤根家の茶の間に集まり、九条さんから渡された書類に目を通していた。
「2月16日放送 グルメジャポン 『冬の醍醐味! 山形の雪下野菜』……」
題字の下には、「ロケ地 山形県山村市 赤根農園」などという嘘みたいな表記があった。今俺たちが手にしているのは、東京のテレビ局から送られてきたモノホンの番組台本だ。
「前から言っていた通り、今夜七時にロケ隊が来るからね。とりあえず今日は赤根農園の台所と、料理のインサートだけ撮る予定だってさ。本格的に野菜の収穫風景やインタビューを撮るのは、明日の昼からだね」
いまいち撮影スケジュールが分かっていない俺たちに、九条さんがてきぱきと説明していく。田舎にやって来たタレントを、地元の農家がおもてなしする……もうテレビで百回くらい目にしたことがある絵面だ。
景色のよい屋外にセッティングされたテーブルで、炊き込みご飯や天ぷらなんかを作って食べさせるんだろ? はいはい、分かる分かる。皆まで言うな。最後に視聴者プレゼントとかもあるわけだ。お決まりのパターンってやつですな。
「へえー、ゲストで綾見ユリが来るんだあ。この人って昔アイドルだったんだよな、今もう五十歳くらいか?」
「はい、俺の母親と同い年ですよ」
普通のテレビ番組は芸能人のギャラだけであらかたの製作費が飛んでいくそうだが、「グルメジャポン」の場合は回によって変わるタレントと料理人が二人でロケをするというスタイルだ。
今回赤根農園にやって来るのは、昭和に大ヒットを飛ばした元アイドルの綾見ユリさん。現在はセレブなママタレントとしてちょこちょこテレビに出ている。
「はい、時間がないんだから私語は慎む。インサート用の料理は君たち三人に作ってもらうから、役割分担してね」
九条さんは有無を言わせぬ強引さで、レシピの束を押し付けてくる。「君たち三人」の内訳は、芹沢さんと那須くん、そして俺だった。ちょ、ちょちょっと。なんで俺?
「いやいや、勘弁してください。料理とか自信ないので……」
とっさに身を引いて大役を辞退しようとした。俺みたいなド素人の作った駄メシがテレビ画面に映るなんて、とんでもない。全国の視聴者さんたちに不快感を与え、間違いなく放送事故の認定を受けるだろう。
俺って大事なときに限って失敗するから、きっと野菜を焦がしたり鍋を爆発させたりするに決まってる。
「こ、この中で一番料理が上手いのって、まちがいなく九条さんじゃないですか! ぱぱっと作っちゃってくださいよ」
「いや、僕は顔出しNGだから。赤根農園で働いてることが仙台の知り合いにバレたら、恥ずかしいだろ」
「おい、さらっと失礼なこと言うんじゃねえ!」
赤根さんが悲しみと怒りの入り混じった表情でちゃぶ台を叩いた。自分の実家を「恥ずかしい職場」呼ばわりされたら、そりゃ誰でも怒るよな。
しかし九条さんの気持ちも分からないでもない。どちらに肩入れしていいやら迷うところだ。
「テレビ側は、『全国から集まった研修生たちが協力して食事を作っているところが撮りたい』そうだよ。ここは一つ、演出に協力してあげようじゃないか」
「あの狭い台所にオレたち三人とカメラマンが入ったら、身動きとれないじゃないですか……」
俺と同じく料理担当になった那須くんは、不安そうに眉根を寄せている。いつもは一人で食事の支度をしているのに、なんでテレビ局からの要望に応じて台所にぎちぎちと詰まって作業しなきゃならんのだ。やらせには断固反対だぞ!
ともあれもうスケジュールはライドオンタイムなわけだから、いつまでもここでダラダラしているわけにもいかない。俺たちはテレビクルーが到着するまでの間に、わあっと散らばって家の中を綺麗に掃除することになった。




