13 外で食べるセリ鍋は、涙が出るほど美味い
「今週のメールテーマは、『ケーキのフィルムについたクリーム、舐める? 舐めない?』です。それではリスナーからのメールを紹介していきましょう。ラジオネーム・しゃちほこゴールデンさん――」
うわ、くだらねー。この世で一番どうでもいい内容のラジオだ。深夜帯にふさわしい。
朝市に向かって車を走らせている午前四時半。俺はワゴン車の助手席で三角パンを食べながら、カーラジオに耳を傾けていた。ちなみに俺は、フォークでフィルムからクリームをこそげ落として舐め取る派です。なるべく下品に見えないよう、スマートかつ注意深く。
「ラジオ消していい?」
「あ、どうぞ」
運転席の九条さんはすぐにラジオを消し、イライラを吐き出すように息をついた。
「僕、ラジオの音って耳がキンキンするから嫌なんだよね。オルゴールの音しか聞きたくない」
九条さんは電子的な音が嫌いらしく、仕事中も赤根さんがラジオがつけるとすぐに消してしまう。
他にも嫌いな物がたくさんあって、ピーマンも食べないし他人の家にある風呂や洗濯機は絶対に使わない。食品添加物や雑菌が天敵で、マナーや言葉遣いにも厳しい。まあようするに神経質な人なのだ。
「九条さんって」
いつリラックスしているのか気になって、思わず声が出てしまった。仕方がないので、「ちゃんとお休みとかとってるんですか?」と言葉を続けてみる。
「ん? あー……そうだな、前に肘折温泉に湯治に行ったことがあるよ。事故で右足を骨折して以来、体調が優れなかったんだけどさ。『骨折なら肘折に行けば治りますよ』って、赤根くんに勧められてね」
「湯治! え、骨折? え、え」
初めて聞いた情報が多すぎて、処理が追いつかない。そもそも、仲の悪い赤根さんのことを『くん』付けで呼んでいるのが衝撃だった。
「赤根『くん』? お二人って、む、昔は仲が良かったんですか?」
驚きのあまり囁き声でたずねると、九条さんの耳がみるみる赤くなった。表情を崩さずに運転しているが、内心ではかなり動揺しているらしい。
「ま、まあ、会ったばかりの頃はね。あいつも二十歳のときは『九条さん九条さん』って、僕のこと敬ってくれたし。湯治に行ったときも、僕が一日五回も温泉に浸かっちゃって具合悪くなったとき、迎えに来てくれたりしたな」
手厚い看護だ……今の二人からは想像できない。めっちゃ仲良しじゃないですか。おそらく付き合いが長引いたせいでお互いのメッキが剥がれて、今では罵り合いの喧嘩をする仲になってしまったのか。
もっとお話を伺いたいところだが、もうそろそろ仙台を抜け、閖上に着く頃だ。空はまだ暗いが、交通案内の標識は見える。
「名取……!」
思わず、視界に入った地名を読んで打ち震える。長良型3番艦軽巡洋艦!
山形や仙台の界隈を移動していると、「最上」「鳥海」「川内」と、戦艦の名前になっている地名をたまに目にするので、オタクとしては「おおっ」と身震いしてしまう。しかし、最後の一つは「せんだい」じゃなくて「かわうち」という読み方だったので勘違いでした。
名取市閖上。津波がすべてを押し流してしまったため、かつて街があったとは思えないほど荒涼としている。むき出しの広大な大地に、朝市の建物だけがぽつんと立っている。
震災があった年の八月、俺は岩手に住む親戚の家に行くために仙台駅でバスの乗り換えをした記憶がある。当時中学生で、駅に飾られた巨大な七夕飾りを写真に撮った。
仙台の立派な街並みに驚き、通行人の少なさにもショックを受けた。岩手に住んでいる祖父母と叔母夫婦が無事で泣いた。
そう遠くない昔のことなのに、あまりにも色々なことが起きすぎたせいか断片的にしか思い出せない。
「父が震災の直前に亡くなって、良かったと思っているよ」
朝市の建物が見えたあたりで、九条さんが唐突に言葉を発した。
「津波を見なくて済んだんだからね」
悲しみも暗さも感じられない、さらりとした言い方だった。
仙台出身の九条さんは、部外者の俺以上に震災に対して思うところがあるだろう。その上、若くして父親も喪っている。
しかし俺たちはこれから、朝市を楽しみにしているお客さんたちと交流しなければならないのだ。複雑な心境は一旦封印して、「おはようございまーす! いらっしゃいませー!」と、明るく元気に呼び込みをしなければ。
朝市の駐車場に車を停め、大急ぎでシートベルトを外す。その後の俺は九条さんと共に、港町の暗い市場を猛然とダッシュした。五時から始まる朝礼に遅れたらまずいのだ。
一心不乱に足を動かし、食い逃げ犯のように必死こいて疾走する。すでに市場の奥にある「メイプル館」には、朝市の参加者が全員集合しているようだった。
「ひいーっ」
息を切らせて重たい扉を開き、二人で明るい館内に滑り込む。あいにく間に合わなかったらしく、すでに朝礼は終盤に差し掛かっていた。「諸注意」と称して、全体の代表者らしきおじさんが前に出て話している。
「えー、最近込み合っているときにですね、こっそり商品を持って行く人がいるようなので、皆さんくれぐれも気を付けてください」
どうやら、万引きに対する注意勧告らしい。手口としては、店側がお客さんの対応をしている隙に、斜めから近づいてきてサッと商品を持って行くようだ。
怖いなあ、赤根農園に野菜泥棒が出たらどうしよう。白菜を抱えて逃げる万引き犯……俺の鈍足で追いつけるだろうか? やっぱり冬場でも足を鍛えて、短距離走に強くならなければ。
乱れた息を整えている間に、朝礼は終わってしまった。館内に集まっていた参加者たちが、出入り口に向かってぞろぞろと歩き出す。昔からの知り合い同士なのか、皆さん非常に和気藹々としている。
このコミュニティに、新参者の赤根農園が入り込んでいくのは中々骨が折れるぞ。高いコミュニケーション能力が必要になる。
知らない人だらけの市場に緊張する俺とは反対に、九条さんは愛想よく笑顔を振りまいて周りに挨拶していた。
赤根農園が朝市に参加するのは、今回で二度目だ。まだまだ馴染むまでには時間がかかる。
俺は「お、おはようございますう」と自信なさげな挨拶をしつつ、与えられたスペースに戻って売り場テントを組み立てた。
「ふわあ……ふう」
まだ太陽も昇っていないというのに、疲れた。今にも倒れそうでフラッフラだよ。
大きなテントを組み上げ、野菜を車から降ろして並べて。昨日の疲れもとれていないのに、早朝から動き回ってへとへとだった。
開店準備を終えた途端にどっと眠気が押し寄せてきて、俺はしばらくあくびを噛み殺してテーブルに両手をついていた。……つらい。今の時刻は午前六時か。これから十三時まで店番だ。長い戦いになりそうだ。
「天見くん。この置き方だとお年寄りが商品を手に取りにくいから、直して」
「はい、たらいま……」
「あと、このテーブルクロスはやめた方が良いな。あくまでも野菜が主役なんだから、派手な柄があるとゴチャついて見える」
「はい、はい……」
九条さんの厳しいチェックに応じて、商品を並べ直した。下手に反論すると空気が悪くなるから、従順に言うことをきくだけだ。
値段や商品説明のポップもつけ、飲食店の表に置いてあるようなスタンド式の黒板を車から降ろした。流行りのチョークアートってやつを描けたらオシャレだろうけど、俺は下手な文字とイラストしか描けない。とりあえずチョークで、「赤根農園」と大きめに書いてふわふわの雲でふちどってみた。
「九条さん、今日のおすすめ商品ってなんですか?」
「うーん、オレンジ白菜じゃないかな。たくさん持ってきたけど、持って帰るのも嫌だし」
そうだな、白菜って大型野菜だから、収穫するのも大変だし運搬するときもかさばる。できるだけ売って、軽々と山形に帰りたいもんだ。
駅前の商店街と違って、郊外にある朝市にはほとんどの人が車で来る。なので、大量の買い物をしてもらいやすいというメリットがあるのだ。重量級の冬野菜もどっさり買っていただきたい。
『今日のおすすめ 雪下オレンジ白菜 コクがあって見た目も綺麗! 栄養たっぷりの旬野菜を召し上がれ 四百五十円』
この、「値段を最後に書く」っていうのもテクニックの一つらしいぞ。黒板にさらさら書いて、白菜のイラストや他の野菜のラインナップも書き足す。ポップの力は侮れないからな。
目立つように文字を縁取っていると、九条さんから
「天見くん、白菜の絵がうまいね」
と褒められた。よく考えれば、デザインの仕事をしている彼に頼めばよかった。絶対に俺よりも上手いんだから。きゅうに自分の文字が恥ずかしくなってきた。
「すごくいいよ、僕よりポップ作るのが上手いんじゃない?」
「いやいや、そんなことは……」
「今度から、赤根農園のポップは全部君に任せようかな」
それは、自分が楽したいだけなんじゃないのか? 明らかなお世辞に戸惑いつつ、俺は商品の前に試食も置いておいた。生のキャベツと人参、あとは炊飯器に入った蒸し白菜と大根。
「野菜の試食なんて」と鼻で笑われることもあるが、赤根農園の野菜はびっくりするほど美味いのでぜひとも食べてほしいものだ。
動き回っている間に夜が明け、市場は朝日に照らされて輝き始めた。空は雲一つない快晴だ。早起きのお客さんたちがちらほらとやって来て、隣のセリ鍋屋台ではすでに席に着いて食事をとり始める人もいた。
「仙台鍋グランプリ優勝、宮城名物のセリ鍋……」
はためくのぼりに書かれた文字を読むと、お腹が切なく鳴った。うまそお……寒空に立ち昇る湯気に惹かれ、続々とお客さんが寄ってくる。一杯三百円で、百円をプラスするとうどんも入れられるらしい。こんなん、食べない人はいないだろ。
「閖上で一番の名物って、やっぱりセリ鍋ですか?」
「閖上名物といったら赤貝だよ。東京の寿司職人が買いにくるくらいだからね。あとは水餃子とか、天ぷらパンっていうのもテレビに取り上げられたりして、結構有名だね」
仙台育ちの九条さんは、当然のように閖上朝市にも詳しかった。
もうね、この市場はすごすぎるよ。農園のテントから見渡しただけでも、右にはおでんやおにぎり、惣菜類の出店があって。左にはラーメン、そば、焼き小龍包に大判焼き、チョコバナナ……八百屋や肉屋の他、港の朝市らしく、その場で海産物を買って食べられるバーベキュー設備もあるそうだ。
「ここで揃わない食べ物なんてないんじゃないか?」と思い込んでしまうほど、ありとあらゆるグルメが揃っている。俺も早く、財布片手にまんべんなく散策してみたい。
何だかうきうきしてきた。朝市に売り手側で参加するなんてそうそうできない体験だ。内なる販売スイッチが入って、俺は深く息を吸いこんでいた。
すかさず、目が合ったお客さんに笑顔を見せて呼びかける。
「おはようございまーす! 山形のおいしい雪下野菜でーす、いかがですかーっ!」
「雪下野菜?」
「あっはい、雪の下から掘り起こしたので、甘みとコクが深まって味がいいんです。特に山形は雪解け水も豊富なので、どれも歯触りが柔らかくてみずみずしく――」
自分でも驚くほどのマシンガントークで、野菜を売り込んだ。しかし、九条さんに肩を叩かれてハッとする。どうやら俺の前にいるおじさんは、お客さんではなく同業者、青果部の出店者らしい。『品定めをするプロの目』で、赤根農園の野菜を観察していた。
「山形の農家さんね。雪下野菜っていうの? がんばってね」
優しく声をかけてもらえたが、熟練の農家さんが発する威厳にびびってしまい、俺は涙目で「は、はい、すみません。大変失礼しました」と謝った。はずかしいよー、穴があったら入りたい。
農家の人に野菜を売り込むという大失態を犯した俺は、おじさんが去った後に顔を真っ赤にして九条さんにたずねてみた。
「きょ、今日って、うちの他に何軒くらいの農家さんが販売してらっしゃるんですか?」
「二軒だね。すぐ真向いにある金井農園さんと、奥にある大上農園さん。どちらもうちより安い値段で野菜を売ってるから、差別化をしないとお客さんに買ってもらえないよ」
「ひえっ、どうしましょう。雪下野菜ってだけで売れますかね?」
「ま、赤根農園の野菜は高級品だからね。君の話術で、他の農家さんの野菜とどう違うか分かってもらうしかないよ」
厳しい状況だというのに、九条さんはにこやかに俺を指差してくる。ムリムリ、俺すぐ噛むし。
目の前に百円と三百円のキャベツがあったら、全員が百円の方を買うと思うのだが。本当にうちのキャベツを買ってくれる人なんているのか?
向かいにある金井農園の激安キャベツを見つめながら、俺はかつてない不安に襲われていた。




