12 冬の朝市は、寒いけどたのしい
平坦な道がほとんどないため、石段をひたすら上って奥の院まで行くのは大変だった。しかしあちこちに石像が祀られたお堂や、奇妙な形をした大岩があってとても興味深かった。
これぞ日本の原風景。江戸時代から残っているような景観を見るとわくわくしてくる。俺も旅の記録として、たくさん写真を撮ってきた。
やがて目当ての奥の院についてお参りしてきたが、あいにく山の上には霧が立ち込めていたため、眼下の絶景を拝むことはできなかった。残念だけど、神秘的にゆらめく霧もまた美しいものだ。
俺の薄汚れた心もすっかり浄化されて、下山する間もずっと「ありがたいなあ……目に見えるものが全部ありがたいもんなあ……」と感じ入っていた。
新年早々難儀な思いをして山登りをしてきたので、俺も一回りビッグなタフガイになれた気がする。正月が終わって仕事が始まっても、穏やかな気持ちで寺参りの余韻に浸っていた。
「これが阿弥陀洞っていって、岩の形が阿弥陀如来に見えるんだよ。で、こっちがぴんころ車。くるくる回すと、健康なまま往生できるんだってさ」
休憩時間中にスマホを操作して写真を見せていると、隣に座っている那須くんがうざったそうに手を振った。
「うるせーな、別にテメーに説明されなくても全部知ってんだよ。他の場所でやれ」
「そっちが初詣のこと聞いてきたくせに……」
ちょっとくらいこっちの話に付き合ってくれてもいいじゃないか。噛み合わない会話に落ち込んだ俺は、スマホに入っているジェナの写真を見ることにした。
あややー、かわいいねえ。こんなかわい子ちゃん見たことない。最後に会ったのは一年前だったかな。せっかく日本に来てくれたんだから、どうにかして会いたいもんだ。
「ただいまー」
奈緒ちゃんとジェナのことを思い出してにこにこしていると、トランクを持った九条さんが作業場に入ってきた。スーツの上から黒い毛皮のコートを羽織っている。なんか台湾のマフィアみたいでおっかないよ、なんでこんな人が農家で働いているんだ。
九条さんは会社経営者なので、本業のため一週間ほど農園を留守にしていた。
年末年始でご馳走をたくさん食べてきたのか、やけに肌つやが良くなっている。赤根農園に勤めてると、動物性たんぱく質が不足しがちだからなあ。
「あ、九条さん。お疲れ様です」
「うん。みんな、僕が送ったおせち食べてくれた? 美味しかっただろ?」
「おせ、ち……?」
あれ、おかしいぞ。もう三が日も終わって平常通り仕事してるのに、おせちなんて一口も食った覚えがない。たしかにもらったはずなのに。
あの三段重はどこに消えたんだ? 那須くんや芹沢さんにきいてみても、「知らない。もらった覚えはあるけど食べてない」の一点張りだ。誰かが独り占めできる量じゃないし、一体どうなってるんだ。
高級おせちをおごってくれた九条さんは、怒りが湧いてきたのか徐々に醜悪な顔つきになっていった。怖いよ、俺なんにも知らないよ!
「なんだ? まさか捨てたわけじゃないよな。また赤根が余計なことしたのか」
「たらいま~。いやいやいや、困っちゃったよ雨ふりで……」
不穏な空気が漂う作業場に、雨合羽を着たずぶ濡れの赤根さんがやって来た。そのままテーブルに近付き、雑にお菓子を取って食べ始める。
「おいお前、おせちをどうした。僕が三万円分の自腹を切って、お前らのために買ってやったんだぞ。食べてないってどういうことだ!」
九条さんが雨合羽の胸ぐらをつかんで揺さぶると、赤根さんは苦しそうにむせた。
「げほぐほっ、ちょ、まあ落ち着けよ。おれの話を聞けば納得するはずだから」
またあんたが変なことしたのか。俺たちが刺すような視線を向ける中、消えたおせち事件の主犯はジェスチャーを交えて説明し始めた。
「お隣の高橋さんがね、除雪機を貸してくれるっていうんだよ。でも対価交換として誠意を見せてほしいって言われてさ。たまたま現金の持ち合わせがなかったし、あちらさんも農家だから野菜はいらないって言われて。だから」
「『だから』、なんだ?」
「あげちゃった」
「おせちを?」
「うん」
「バカ!」
九条さんは持っていたトランクで赤根さんを殴った。やめてあげて、警察沙汰になっちゃうから!
「いっ、いーだろーが別に。うちに必要なのはおせちじゃなくて除雪機なんだよ! 高橋さんだって喜んでくれたし、何もかもが収まるべきところに収まったんだよ!」
「バカが、そういうことをする奴だったのかお前は! 三万返せ!」
「やだねーっ、商品だけ送りつけておいて後でカネ要求するとか、詐欺じゃねーか! おれは悪くねえ!」
二人はお互いの服をつかんで、あーだこーだと罵り合いながら大ゲンカを繰り広げた。
あーあ、なんで俺たちに一言も言わずにあげちゃったのかな。ローストビーフとか、でっかい海老とか食べたかったのに。まあ、もう済んでしまったことなので仕方がないか。
そんなことより仕事仕事。明日は朝市に行く日だから、商品をそろえておかなければならない。わだかまりを残したままの二人をほっといて、俺たちはパイプ椅子をたたみ休憩セットを片付けた。
珍しいことに、今日の作業場には大量のりんごが木箱に入った状態で置いてあった。りんごといえば秋に収穫される果物だが、低温保存されて冬に出回る「寒ざらしりんご」というものもある。見惚れるほど鮮やかな赤色だ。色彩にとぼしい冬に出会うと、「めんけぇなあ~」と撫でまわしたくなるほど愛おしい。
「これって山形産ですか?」
「いや、青森の契約農家さんから届いた無農薬りんごだよ。うちとはお友だちだから、質のいいやつを仕入れられて良かったよ」
赤根さんはりんごを三個ずつ袋詰めして、バッグシーラーで留めていた。
「うーん。九条~、お前ならこれいくらで買う?」
「三百円かな」
「そっか。じゃあ二百八十円で売ろう」
あっさりと意見を無視して価格を決めてしまった。聞いた意味があるのか?
不満そうな九条さんに、赤根さんは「だってお前金持ちだから、庶民の感覚とか分かんねえだろ?」と、火に油を注ぐ発言をしていた。仲良くしてくれよお、先輩たちがギスギスしてると職場の居心地が悪くなるんだよ。
『できるだけ穏やかに、朗らかな気分で働きたい』という俺の願いも虚しく、相性最悪の二人は仕事が終わってからも衝突を繰り返していた。久しぶりに再会しただけに、溜まっていた鬱憤が大爆発したらしい。
「最悪だ、最・悪! 僕がいない間、誰が掃除していたんだ? ちゃんと掃除機をかけていれば、こんな場所にホコリなんて落ちているはずがないんだ!」
「っせーな、ホコリなんて放置しといても死にゃしねーだろ」
「台所のふきんも消毒してないだろ、冷蔵庫の中も散らかってるし、皿の片付け方も違う!」
赤根農園が誇る『家事の鬼』は、火を噴かんばかりに怒り狂っている。俺はいつ呼び出されるかと思ってヒヤヒヤしていたが、やはり見逃されるわけもなく名指しで怒られてしまった。
「天見くん……僕、水回りは常に綺麗にしなさいって言ったよね? 自主的に掃除しようとか思わなかったの?」
「す、すみません……」
その後も、数えきれないほどの注意を受けた。初めは「スミマセン、スミマセン」と縮こまって頭を下げていたが、次第に苛立ちが抑えられなくなってきた。
うるせーな、どんだけ掃除させりゃ気が済むんだよこのジジイは。掃除嫌いの俺が精いっぱい努力して綺麗にしているのに、要求するレベルが高すぎてついて行けない。
よく考えてみれば、男四人が共同生活している赤根家が清潔に保たれているのも九条さんのおかげだ。しかし、あまりにも口うるさすぎる。神経質な姑にいびられる嫁の気持ちだ。誰か俺をここから救い出してくれる人はいないのか。
「これだけは言っておくが、僕は別に君をいじめたいわけじゃない。ただ君には将来的に良き夫、良き父親になってほしいから心を鬼にして教育しているんだぞ。分かるかい?」
「はい……俺も九条さんに色々と教えていただけて、ありがたいと思ってます」
本当は心の中で「うっせークソボケ、俺は掃除なんて一生しなくても大丈夫な人種なんだよ!」と中指を立てて大暴れしているのだが、お利口さんの俺はぺこぺこと頭を下げて心にもない感謝の言葉を述べた。えらい、おれ、えらい。よくがんばってる。
これがアドベンチャーゲームだったら、『ストレスに耐えかねて家出する』っていう選択肢が出てもおかしくないぞ。
腹の底にどす黒いモヤモヤを溜めたまま、掃除にのめり込む九条鬼の背中を睨んでいると。後ろからやって来た芹沢さんに声をかけられた。
「天見。突然で悪いが、明日の朝市はお前と九条で行ってもらえるか」
「……えっ、な、何でですか? 赤根さんと九条さんの二人で行くって聞いたんですけど」
「あいつが『九条と二人きりになりたくない』と言い出したんだ。ストレスで胃が痛くなるらしい」
「え、おれも……」
俺もお腹痛くなるから嫌です。と言いたいのだが……なにぶん赤根農園の中で一番立場が低いので、反抗する勇気が出ない。芹沢さんと一緒がいいなあ、でも配達があるから無理なんだろうなあ。
「早めに寝ておくといい。明日の朝三時には出発しないと間に合わないからな」
「は、はい。おやすみなさい……」
「おやすみ。暖かい格好で行けよ」
閖上の朝市かあ……俺は初めて行くけど、正直に言うとカレンダーに書いてあった漢字を見て「みずあげ」と間違って読んでいた。正しく『ゆりあげ』ですね。もう二度と間違えませんとも。
太平洋に面する港町で、毎週日曜日と祝日に開催される朝市は観光ガイドにのるほどの人気スポットだ。そこに赤根農園みたいな弱小農家が参加できるなんて、光栄の極みだね。
俺たちはいつも仙台の商店街に行って野菜を売っているが、駅前の大通りから一つ外れた場所だからあんまり買い物客がいない。そもそもチェーンのコーヒー店やコンビニ、ドラッグストアなんか立ち並んでるから、「商店街」感が皆無だ。
その点朝市は、『買い物するために来た』っていう人がわんさか集まってくるんだから、売り手としてもテンションが上がる。
想像してごらんなさいよ。日曜日の朝、抜けるような青い空――子ども連れの家族や老夫婦で賑わう市場。活気あふれる呼び声に、試食と、お買い得な商品の数々……これは、アガる! お祭り気分で楽しくなって、買う必要のないものまで買っちゃう!
俺の任務は、お客さんを楽しませて財布のひもをユルユルにさせることだ。口うるさい九条さんとペアを組むのはちょっと憂鬱だが、ここは一つ農家としてがんばらなければ。
決意を新たにして、俺はギンギンに気合をみなぎらせて自室に向かった。ちゃんと寝られるかな……あと四時間後には起床だ! おやすみなさい!
やる気がなくなって、長い間更新が途絶えてしまいました。すみません!
こつこつがんばって完結したいです。読んでくれる人がいて、嬉しい……(涙)。




