第4話 忘れられない味
祁堂の街は学園内の建物と同じく殆どが木造の古い造りになっている。技術としては鉄骨、鉄筋コンクリートなどの頑強な造りも出来るのだが、この街に関してはそういった最先端の技術を使用していない。その理由は不明だが、カンナにはとても落ち着く雰囲気を与えてくれた。
街を往来する人々は専ら馬を利用し、かつて銃火器や化学兵器が横行していた世界とは思えないほど落ち着いた場所だった。
斑鳩と共にその街並みを見ながら丞金亭という肉料理の有名な店に向かい歩いた。
辺りは日も傾き寒さも増した。
割りと薄着のカンナにはそろそろ耐え難くなっていた。
「震えてるじゃないか。そんな格好してるからだろ。まったく、こんな雪の中」
斑鳩は呆れた顔をしてカンナを見ると、おもむろに自分が着ていたコートを脱ぎカンナに着せてくれた。
「あ、斑鳩さんが風邪ひいちゃいます」
「俺はコートを脱いでもお前よりは厚着だ。気にするな。それに、もうすぐ店に着く」
斑鳩の優しさに身体が火照っているのを感じた。大きなコートはカンナの生脚を覆い隠すほど長く暖かかった。それに、斑鳩の匂いがした。
カンナは幸せな気持ちでまたしばらく斑鳩の隣りを歩いた。すると、5分程で目的の丞金亭という店に到着した。
それほど豪勢な店構えでもなく、そこら中にある建物と同じような質素な造りの店だった。
斑鳩の後に続き、カンナも店の中に入った。
すでに美味しそうな肉の薫りがしている。店の中には数人の客しかおらずとても静かな雰囲気だった。席は全てカウンター席になっているようでカウンターには横長の大きな鉄板が置いてあり、料理人が客の目の前で鉄板で肉を焼いてくれるようだ。
「お待ちしておりました。斑鳩殿! この度はご予約ありがとうございます。お連れ様は……彼女さんですか?」
奥から出て来た店の亭主らしき初老の男はニコニコと気持ちの良い笑顔で斑鳩とカンナを出迎えてくれた。
「同じ学園の後輩です。澄川カンナと言います」
斑鳩がカンナを紹介してくれたが、初老の男の”彼女さんですか?”という質問には肯定も否定もしなかった。斑鳩はカンナの事をどう思っているのだろう。斑鳩の答えでカンナは心がモヤモヤとしていた。
「なるほど、澄川様、わたくしは丞金亭の支配人の丞金と申します。今晩は自慢の肉を心ゆくまで召し上がってください。ささ、こちらです」
丞金に案内され、2人でカウンターの真ん中の席に座った。カンナは斑鳩に借りたコートを脱ぎ椅子に掛けた。椅子はカンナの脚が地面に着かない程高く、コートを背もたれに掛けても裾が地面に着くことはなかった。
「あー、いい薫り! 早く食べたい!」
カンナは隣りの客が料理人に焼いてもらっている肉の香ばしい匂いに気分が高まっていた。
「丞金さん、それじゃあ、おすすめを2人分焼いてください」
「畏まりました」
斑鳩が慣れた感じで丞金に注文すると、丞金は料理人を呼び、肉を運ばせてカンナと斑鳩の目の前で切り始めた。
肉は分厚く見た目からも脂が乗っているのが分かった。
「久壽居さんの話じゃ、丞金さんは肉への拘りが凄いらしくて、良い肉がある所へは例え遠方だろうが自ら仕入れに行くらしい。そして店まで最速で運ぶから鮮度の良い美味い肉が食べられるんだってさ」
「そのお陰で良い肉が手に入った時しかお店を開けられないのですがね」
丞金はニコニコと微笑みながら言った。
カンナは頷きながら目の前で切られた肉が油を敷いた鉄板に置かれる様を凝視していた。
鉄板に置かれた瞬間、肉は良い音をさせながら美味しそうな薫りを放った。
少し焼くと、料理人は鉄板の上で肉を切り分けていった。肉は包丁が入るともともと切り分けられていたかのように綺麗に食べやすい大きさにカットされた。そしてカンナと斑鳩の前に用意されていた皿に数切れずつ取り分けられた。
「さあ、まずはそちらの塩を掛けて召し上がってください」
丞金が笑顔で言った。
斑鳩がテーブルの上の皿に用意された塩を一つまみ摘むとそれを切り分けられた肉に振り掛けた。カンナもそれを真似して塩を一つまみ自分の肉に振り掛けた。もうあまりの香ばしい薫りに涎が止まらない。
「いただきます」
カンナはナイフとフォークを取り、切り分けられた肉を更に自分で食べやすいサイズに切ると満を持して口に運んだ。
肉が口に入った瞬間、カンナの舌はこれまで感じたことのない凄まじい刺激に驚き、脳に幸福という感情を伝えてきた。口の中の肉は少し噛むだけで蕩けるように消えてしまい、カンナがこれまで食べてきた”肉”という概念を簡単に覆してしまった。
「はぁぁ……」
あまりの美味しさに言葉も出ず、ただ悩ましい吐息を吐いた。
「美味いだろ? これは丞金さんの努力があってこその代物だ。よーく味わうんだぞ」
斑鳩は言いながら自分も肉を口に運んだ。
「幸せです。こんなに美味しいお肉は生まれて初めて食べました。こんな最高のお肉を斑鳩さんと一緒に食べられるなんて……私、幸せ過ぎて大丈夫かな……」
不意に、今まで味わってこなかった幸せを存分に味わっている事が不安になった。
すると、突然斑鳩がカンナの方を見た。
「人間辛い事があったらその分の幸せな事があるもんだ。生きてる限り、辛い事だけで終わる人生なんてありえない。俺はそう思ってる。今お前が幸せだと思うなら、それはお前の今までの行いに対する正当な報酬だよ」
斑鳩は微笑んだ。その笑顔はカンナの心にきゅんと突き刺さった。
幸せでいいのか。正当な報酬か。
「ありがとうございます」
カンナは微笑み、礼を言うとまた美味しそうな匂いを放つ肉を食べ始めた。
斑鳩が丞金にワインを頼んだ。カンナも少しくらいならいいかと、初めは呑まないつもりだったが今日は自分へのご褒美という事にして斑鳩と同じ高級そうな赤ワインを少しだけ嗜んだ。
その味は最高級の肉にとても良く合い、カンナは斑鳩と共にこの至福の時を過ごした。この時間がいつまでも続けばいいのに。
カンナはそう思いながらまた肉を口に運んだ。
雪はまだちらちらと降っていた。
カンナは軽く酔ってはいるが服を脱ぐという粗相はしでかさなかった。
雪がちらつく夜道を、カンナは斑鳩と共に今日泊まる予定の宿に向け歩いていた。
「お肉、美味しかったです! 全部奢ってもらっちゃって……ご馳走様でした!」
「喜んで貰えたなら良かったよ」
斑鳩は涼しい顔で答えた。
「あの……宿って……部屋は別々……ですよね?」
カンナは今回のデートで最も気になる事を聞いた。鼓動が早まるのを感じる。
「ん? 一緒だけど……、嫌なら別々にしてもらおうか?」
「へ!? い、一緒!?」
斑鳩はカンナを見ずにさらっと、さも当たり前かのように言った。
斑鳩は立ち止まった。
「直接、言った方がいいか? 澄川」
「え??」
斑鳩の質問の意味が分からなかった。
斑鳩は雪を降らす暗い空を仰いだ。
カンナはその美しい横顔に心を奪われた。
「お前は俺の事を好きと言ってくれた。そして、俺はお前を1人だけ島外に誘った。それにお前は就いて来てくれた。俺はその気もないのに一人の女性を任務外で誘わない」
斑鳩の言葉にカンナは目を丸くして声も出せなかった。
「……あ、え……ってことは……」
「俺もお前のことが好きだよ。付き合ってくれるか?」
愛の告白。
されるのは人生で2回目である。しかし、カンナが心から好きだと思った人からの告白は生まれて初めてである。
「もちろん! もちろんです! 斑鳩さん! 嬉しい……! どうしよう!」
カンナは嬉しさのあまり両手で顔を覆った。雪が舞っていて寒いはずなのに、今は暑いと感じる。
「あ……でも、斑鳩さん、本当に私でいいんですか? 舞冬さんのこと好きなんじゃ……」
舞冬の名を出すのは不謹慎かと思ったが、聞かずにはいられなかった。
斑鳩はカンナの顔を見た。
「柊は死んだ。死んだ人のことをいつまでも想い続けているわけにはいかない。割り切らなくちゃならないんだ」
斑鳩は寂しそうにカンナから目を逸らし、またすぐにカンナに視線を向けた。
「お前が俺の事を好きだと言ってくれて、それからお前の事を見るようになった。見ているうちにお前にどんどん惚れていっていたよ。……なんだか、恥ずかしいな、こういうの」
斑鳩が照れた。カンナから目を逸らして頭を掻いた。
可愛い。
カンナは斑鳩に対して初めてそういう感情を抱いた。
初恋の男性と恋人になれた。こんな幸せが本当に実現してしまっていいのだろうか。カンナは目の前で照れ臭そうに佇んでいる男を見て言葉が出なかった。
「キス……していいか?」
突然の斑鳩の注文にカンナは目を見開いた。
「え……っと、それは、その、もちろん、いいんですけど……むしろ、私から言おうと思ってたっていうか……あ、あれ? こ、ここでですか?? 道のど真ん中ですよ??」
「暗いし、周りに誰もいない。平気さ」
斑鳩はそう言うと、たじろぐカンナの腰に左手を回し、右手は肩に添え、半ば強引にカンナの唇を奪った。
温かく優しい感じ。全身でそれを感じた。初めてのキス。それはとても刺激的で官能的だった。とても心地よく、いつの間にか斑鳩の身体を抱き締めながらカンナも舌を絡めていた。
キスだけで凄まじい快楽に溺れていく。全身を何かが駆け巡っていくのを感じる。これが好きな人とするキス……。
キスってこんな味がするんだ……。
もう何時間こうしているだろう……。
寒さなど全く感じなくなっていた。身体が、全身が暑い。
ようやく、カンナと斑鳩は口を離した。
長いことこうしていたように感じたが、実際は数分の出来事だったろう。
2人の吐く息は真っ白だった。
「斑鳩さん……ありがとうございます。あの、私、初めてで、上手く出来たか……あ……その、続きは……宿で……なんちゃって」
自分で何を言ってるのか良く分からなくなっていた。多分凄い事を言ってしまっているのだと思うがそんな事どうでも良くなるくらいカンナの理性は吹き飛んでいた。
「お前からそんな事言ってくるとは思わなかった。お前、そういうの興味なさそうだから」
斑鳩は顔を赤くしたまま目を逸らしてクスリと笑った。
「そ、そんな事ないですよ! 私……! ……えっと……」
言いかけてカンナは口を両手で抑えた。今の自分は何を言い出すか分かったものではない。
「なんだよ、まったく、澄川には刺激が強過ぎたかな。さあ、寒くなってきたしさっさと宿に入ろう。疲れたからすぐ寝るぞ」
「え!? す、すぐ、寝ちゃうんですか??」
「ああ、もう遅いしな。なんだ? 何かやりたいことでもあるのか?」
斑鳩はニヤリとカンナを見て意地悪く笑うと宿へ向かい先に歩き始めた。
「もお! なんで意地悪言うんですか! 私にこんなモヤモヤしたまま寝ろって言うんですか!?」
カンナは怒りながら斑鳩の後を追って走った。
「いいか澄川。人生長いんだ。俺とお前は恋人同士。今日明日で終わる関係じゃないんだ。そうだろ?」
恋人同士。その言葉の響きにカンナはきゅんとする胸を抑えた。
「あ、いや、でも、明日は学園に帰っちゃうし、学園に帰ったら……その……」
「キスくらい、学園に帰ってからでも出来るだろ」
「だからー! キスもそうですけど」
「それ以上の事はお前にはまだ早い。お前のさっきの反応を見てたらお前の氣の力に悪影響を及ぼしかねないからな。俺も無闇にキスしちまったのは反省しなきゃだな」
カンナは指を咥えて斑鳩を見た。
「そんな目をしても駄目なものは駄目だ」
斑鳩はカンナをチラリと見ただけでまた前を向いてしまった。
「斑鳩さんてドSなんですね。私がこんなに切なくて苦しんでいるのに放っておくんですね。放置プレイが好きなんですかね。じゃあ私のこの溢れそうな気持ちはどうしたらいいんですかね」
カンナは不機嫌そうに頬を膨らませて言った。
「放置プレイ……って、お前どこでそんな言葉覚えたんだよ。澄川って案外知識はあるんだな」
「ち、知識なんてないです! じゃあいいですよ! 私、斑鳩さんの隣りで裸で寝てます」
「そうか、寒いから風邪引くなよ」
斑鳩はクスリと笑うと右手を小さく上げて走り出した。
「えーー!? 嘘でしょ!? 斑鳩さん本当に私の事好きなの!!?」
走り出した斑鳩をカンナは追い掛けた。
こういうやり取りが出来るのもカンナが望んだ幸せなんだ。
……と、そう思う事にした。
雪は段々と強くなってきた。
今夜は本当に寒くなりそうだ。
~完~
ご愛読ありがとうございました。
この後カンナと斑鳩がどうしたかはご想像にお任せします。
今後の序列学園にもご期待ください。