第3話 序列4位vs磊冥館師範
雪が優しく舞っていた。
肌に沁みるような寒さだったがカンナは身体を捻ったり、脚を伸ばしたりしてウォーミングアップをした。季節外れのホットパンツから露出させた血色の良い生脚に弱い雪がひたひたと触れ、カンナの顔を歪めた。
向かい合う勅使河原は長いトレンチコートを着て、肩を回して左手を前に出した。
その様子を斑鳩や少女、磊冥館の門下生達が静かに見守った。
「篝気功掌の戦闘法は知っている。”氣”という力を使い攻撃するらしいな。その攻撃に触れた者は四肢の動きを阻害され敗北すると聞いた」
「さすが師範です。私の攻撃を避けられますかね?」
「ぬかせ!!」
カンナの挑発に乗ったのか勅使河原が先に突っ込んで来た。
カンナは勅使河原の掌打、手刀、正拳を全て触れずに躱して見せた。勅使河原は身体を捻って蹴りを放つがカンナはそれも躱した。
重黒木の体術に比べれば大した事はないかもしれない。カンナは攻撃の隙を見て勅使河原の身体に氣を溜めた掌打を放った。
「篝気功掌・壊空掌!」
だが、勅使河原は手を抜いていた。カンナの掌打が来た途端にカンナの掌打を打った右腕を左手で掴み、引き寄せる勢いを利用しカンナの顔面へ右の掌打を打った。カンナはギリギリでそれをしゃがんで躱し、掴まれてる腕を逆に握り返し、それを軸に宙返りし着地。勅使河原の前方に距離を取った。
しかし、勅使河原はすでにカンナの横に移動しており着地したカンナの両脚を蹴りで払った。さすがに躱せず背中から倒れたカンナの上には勅使河原が馬乗りになろうと覆い被さった。勅使河原がカンナを抑え込む直前に蹴り飛ばそうと両脚を伸ばしたが勅使河原は後方に飛んで避けた。
ようやく束の間の間が出来た。
「篝気功掌の攻撃を避ける事は難しい。防御する事はなお難しい。だが、攻撃される前にこちらから攻撃する事は簡単だ。儂は其方より速く動けるからな」
言い終わらぬうちに勅使河原はまた仕掛けてきた。
篝気功掌を知られていなければもう勝負は着いていただろう。
勅使河原は物凄い勢いで跳び上がり、一回転して横一直線に綺麗な蹴りをカンナの頭部目掛けて放った。
カンナは頭を下げて躱したが続け様にまた横から蹴りが来た。
仕方ない。
カンナは両脚に氣を回した。
その瞬間、カンナは勅使河原の猛攻から抜け、あっという間に勅使河原の背後に回り、その背中を手刀で切った。
「篝気功掌・斬戈掌!」
しかし、当たらなかった。僅かに勅使河原が反応したので右腕と左脚を撫でるように掠っただけだった。
カンナは勅使河原から距離を取った。
「これは……」
勅使河原は自分の右手を見た。
周りの門下生達からはカンナと勅使河原の戦闘に圧倒されたのか一言も聴こえてこない。
少女も口を開けたまま壮絶な戦いに見とれていた。
ただ斑鳩だけが冷静に見ているようだった。
「ぬかったわ。この儂が負けるとは」
少し間を開けて呟かれた勅使河原の一言に門下生達は騒然とした。
恐らく、カンナと斑鳩だけがその言葉の意味を理解しただろう。
「右手左脚にほんの僅か掠っただけで思うままに動かせなくするとは。この手ではまともな掌打は打てん。この脚では蹴りも打てん」
勅使河原の挙動を見ながら、カンナは戦慄していた。
何故、立っていられるのか。
手刀から発した氣の力で完全に左脚の筋肉の動きを阻害したはずだが平然と立っている。蹴りを放てないとかそれ以前の話のはずなのに勅使河原は顔色一つ変えずにすんなりと敗北を認めた。
「何を怪訝そうな顔をしている? 油断した儂の負けだ。まさか氣の力で速さもコントロール出来るとは思わなんだ。其方、序列は?」
「4位です。つい最近昇格したばかりですが。それより、私が勝ったのですから約束通り……」
「まだ勅使河原師範は負けていません!」
カンナが言いかけた時、戦闘を黙って見ていた土角が突然反論した。門下生達も土角を見た。
「俺は一撃を浴びましたが、勅使河原師範はまだ無傷です! それなのに簡単に負けを認めるなど」
土角の反論を勅使河原は手で制した。
「馬鹿者。これだからお前は未だに師範代なのだ。儂とこの女の戦闘を見ていて分からなかったのか? この女、澄川カンナは強い。儂が女を強いと思ったのは初めてだ。このまま儂が戦闘を続ければ儂は確実に負ける。最も、万全な状態で再度闘えば二度と負けはせんがな」
「そんな……」
勅使河原の話に土角は肩を落としたが、門下生達はざわつき始めた。
「あの勅使河原師範にここまで言わせるなんて、澄川カンナって、マジで強いんだな。序列4位であの強さかよ……解寧を倒したってだけはある」
「しかも、良く見りゃかなり可愛いぞ! 太ももがエロい」
周りからは様々なカンナを賞賛する声が聴こえてきた。
「女に、磊冥館が敗れたのか……」
土角は未だに勅使河原の敗北宣言に絶望して嘆いていた。
「勅使河原師範! この澄川カンナちゃんを磊冥館に入れましょう!! 俺達は大歓迎です!!」
「そうだそりゃいいぞ! 俺も賛成です!」
門下生達は口々に好き勝手な事を言い始めた。
斑鳩は目を瞑り首を横に振っていた。
「静かにしろ! 磊冥館に入れるのはその娘だ!」
勅使河原は大きな声で門下生達の喧騒を打ち消すと槍を持ったまま一人佇む少女を指差した。その指の先にいる少女に門下生達の視線が集まった。
「名を何と言う」
「伊勢みやびです」
勅使河原の問にみやびは目を丸くして答えた。
「磊冥館初の女弟子だ。だが儂は手は抜かん。こいつらと同じように過酷な修行になるぞ」
「あ、ありがとうございます!!」
みやびは満面の笑みで答えた。
門下生達は勅使河原の信じられない宣言に騒然としていた。
「良かったね、みやびちゃん」
「あなたのお陰です!! 澄川カンナさん!! 私、あなたみたいなカッコ良くて強い女の人になります!! 絶対なります!!」
「か、かっこいい事ないよ、別に……! ま、が、頑張ってね!」
カンナは赤面しみやびから目を逸らした。
「この子が磊冥館に入るのか? ちっこいな、大丈夫か? 土角師範代の扱きで死ぬんじゃねーか?」
門下生の一人がみやびに近付いて吟味しながら言った。
「私は! 武芸十八般を極めて青幻を倒すんです!! 簡単に死んだりしません!!」
みやびは大きな声で言った。周りの門下生達は皆みやびを見た。青幻を倒したい。きっと身内が青幻の手に掛かったのだろう。可哀想だが、この世界では良くある話だ。
すると、みやびを見ていた門下生達は皆声を上げて笑い出した。その状況にみやびは眉間に皺を寄せた。
「気に入ったぞ! 言うことはいっちょまえだな! おい! 皆! みやびちゃんを歓迎しようぜ!!」
門下生の1人が言うと、皆はしゃぎ始めた。
「ふん」
土角だけは面白くなさそうに踵を返しどこかに歩いて行ってしまった。
「勅使河原師範、ありがとうございます。約束を守って頂いて」
カンナが言うと勅使河原は首を振った。
「儂は武人だ。約束くらい守る。ところで、斑鳩殿と澄川殿は何故祁堂に?」
勅使河原の質問にカンナは楽しみにしていた事を思い出した。
「ちょっと休暇を頂きまして、美味い肉料理の店に行くところです」
斑鳩が答えると勅使河原は顎に手を当てた。
「ほう、丞金亭の事か?」
「ご存知ですか、勅使河原師範」
「ああ、勿論だ。祁堂で美味い肉料理と言えば、そこしかない。大陸側でも3本の指に入る名店だ」
勅使河原は初めて表情を緩めて話した。
ようやくカンナは勅使河原に好感を抱いた。
「なら、俺達全員でこれから丞金亭にメシ食いに行きましょう! 土角師範代の奢りで……ってあれ? 土角師範代は?」
門下生達がまた好き勝手な事を言い始めたのでカンナはこれからの斑鳩と2人の食事を邪魔されるのかと想像し苦い顔をした。
「やめろ、お前達。野暮だ。帰るぞ。久しぶりに楽しめた。儂が女に負けた事は、これからの儂の人生に新たな影響をもたらすだろう。悪かったな。澄川殿」
勅使河原はそれだけ言うとカンナと斑鳩に背を向けて先に土角が去って行った方へ歩き始めた。清々しいほどに潔い男だった。門下生達は威勢のいい返事をするとカンナと斑鳩に口々に言葉を掛け、すぐに勅使河原の後に就いて行ってしまった。
カンナも斑鳩もそれに答え、良き戦闘が出来た事に礼を言った。
「ありがとうございました! 澄川さん! 斑鳩さん! またお会いできますかね?」
みやびが門下生達の後ろで立ち止まり笑顔で言った。
「会えるよ! みやびちゃんが強くなったら勝負しよう!」
カンナも笑顔で答え手を振った。
嬉しそうにみやびは手を振ると門下生達の後にとことこと就いて行った。
はらはらと舞い落ちる雪でその後ろ姿はすぐに白い世界に包まれ見えなくなった。
「行くか、暴れたから余計に腹減った」
「行きましょう! お肉!」
斑鳩の言葉にカンナは満面の笑みで答えた。