第2話 磊冥館
祇堂の街の入口辺りで大人の男が2人、少女相手に怒声を浴びせていた。その少女は見たところかなり若く、12、3歳で学園最年少の桜崎アリアよりも若そうだ。
「餓鬼が、お前の様な武術を舐め腐った奴が来ていい場所じゃない! ここは宝生将軍のお膝元である祇堂だぞ!」
刀を腰に佩いた男が怒りで顔を歪めて言った。
「知ってるよ! だから磊冥館で武術を教えてもらおうと来たんだよ!」
お世辞にも綺麗とは言えない身なりの少女は腰に刀を佩き、手には槍を持っていた。背中には大きなリュックを背負っている。
「見るからに弱そうで頭も悪そうですね。勅使河原師範、こんな餓鬼にこれ以上相手していても祇堂の街と磊冥館の名に傷が付くだけです。私が街の外に捨てて来ます」
師範と呼ばれた男の隣りの若い男が言った。
「そうだな。儂も忙しい。頼んだぞ。土角」
土角と呼ばれた男が前へ出た。腰にはやはり刀を佩いている。
建物の影から様子を見ていたカンナと斑鳩は顔を見合わせた。
「澄川ならどうする?」
「助けます」
斑鳩の問にカンナは即答した。すると斑鳩は頷き、先に男達の方へ歩いて行った。カンナもすぐに斑鳩の後に続いた。斑鳩も初めから助けるつもりだったのだろう。
「すみません。手荒な真似はやめてあげてください。こんな子供相手に大人が」
「誰だ貴様ら?」
土角が突然出て来て物申した斑鳩に言った。勅使河原も少女も斑鳩とカンナを見た。
「見たところ、旅の途中の男女といったところだな。関係ない者は黙って去れ!」
土角はカンナ達の様子を一通り見るとそう判断して言った。
「いや」
斑鳩が言い掛けた時、勅使河原が先に口を開いた。
「馬鹿者。この2人がただの旅人に見えるのか? どう見ても、只者ではないだろう」
勅使河原は腕を組んだまま斑鳩とカンナを睨み付けた。
「儂は宝生将軍の開く武術道場”磊冥館”の師範、勅使河原と申す。其方らは何者だ?」
勅使河原はこちらに向き直りしっかりと挨拶をした。しかし、その顔に笑顔はない。
「俺は孤島の学園の斑鳩爽。そしてこの子は澄川カンナです」
カンナは斑鳩に紹介され軽く頭を下げながらも勅使河原と土角の表情の変化を見逃さなかった。
2人は”学園”と”澄川”という言葉に反応し眉を動かし、目付きを変えた。
「そうか、なるほど。どおりで優れた武人の気配を漂わせているわけだ。それでは久壽居ともお知り合いか? 奴が兵達に武術を教えるようになってから帝都軍は一段と強くなった。久壽居がいた学園の生徒ならその実力も相当なものだろうな」
勅使河原はまるで表情を緩めず殺伐としている。
「我々は久壽居さんと同じ体術特待クラスの生徒です」
斑鳩が答えた。
勅使河原は目を瞑ってしまった。その様子にどうしたらいいのか困惑して土角が言った。
「勅使河原師範。この2人はこの餓鬼の事に関しては関係ありませんよね?」
「ああ、関係ない。さっさとその餓鬼は連れて行け。斑鳩殿と澄川殿はこちらで少しお話でもどうでしょうか?」
勅使河原は無慈悲にも少女を連れ出せと土角に命じた。カンナと斑鳩には敵意はないようだが何かおかしい。
「や! ちょっと待ってよ! お願いします! 私を道場に入れてください! 私は武芸十八般を極めて青幻を倒したいんです!」
土角に襟を掴まれた少女は懇願した。
「駄目だ。どこの馬の骨とも分からん奴が高貴な我々の道場に足を踏み入れる事など許されるわけがなかろう。自惚れるな。それに、兵に女はいらん!」
「勅使河原師範、あの子の話を聞いてあげてもいいのではないですか? あんな乱暴に追い出さなくても」
斑鳩が土角の強行を見兼ねて物申した。
カンナは氣を練っていた。万が一の時はすぐに攻撃出来るように神経を研ぎ澄ませた。
「聞いた上での判断だ。正体不明の女子などを道場にいれれば磊冥館の名が廃る」
勅使河原は淡々と言った。
「そんな、女だからって理由で強くなりたいと願う子を拒むんですか?」
カンナはついに口を挟んだ。女であるカンナにとってもあまり気分のいい話ではなかった。
「結局のところ、最終的には男の兵の方が強くなる。女など鍛えるだけ時間の無駄だ。女には別の仕事がある。それをやればいい」
「勅使河原師範、別の仕事とは?」
カンナは勅使河原を睨み付けた。答えを聞かなくてもなんとなく分かる。不愉快である。
「生意気な女だ。澄川カンナと言ったな? お前も学園の生徒と言えど、女である以上たかが知れている。儂がお前達を見て感じたものは確かに強者のそれだった。斑鳩殿は出来るだろうが、澄川カンナ。お前は篝気功掌を使うのであろう? あの絶滅寸前の武術を。しかし、所詮は女の武術。戦場では使えんよ」
「何故そこまで女を見下すのですか」
カンナの怒りはふつふつと湧いてきていた。
「儂は女に負けた事がないからだ」
勅使河原の一言でカンナは決断した。
一歩前へ出た。
「勅使河原師範! 私と勝負です! 私があなたに勝ったらその子を道場にいれてあげてください!」
カンナの発言に斑鳩は思わずカンナの顔を見た。
「無礼であるぞ! 貴様! 事もあろうに女が磊冥館師範である勅使河原師範に勝負を挑むとは、何たる侮辱か! 勅使河原師範、時間の無駄です。我々で逆賊と見なし始末しましょう」
土角は少女の襟を掴んだまま大声で言った。
「いや、そうはいかん。宝生将軍は学園と仲が良い。下手に学園の生徒に危害を加えれば我々の首が危ない。ここは澄川カンナの言う通り、少し相手をしてやろう。それで怪我する分には文句はないな?」
「もちろん、ありません」
斑鳩も土角も口を開けたまままさかの展開に驚愕していた。
「澄川、お前なあ、相手は賊じゃないんだぞ? 帝都軍の関係者だ。喧嘩はまずいぞ」
斑鳩は呆れたように言った。
「私が勅使河原師範を倒せばあの子は道場に入れるんですよ? すぐ終わりますよ」
斑鳩の心配を他所にカンナは得意げに言った。
「万が一、澄川カンナ、お前が負けた場合はそこに頭を付いて謝るんだぞ。勿論、その餓鬼もどっかに追い払う」
勅使河原は少女を指さして言った。
「いいですよ。私、体術では絶対に負けませんから」
カンナは無表情で構えた。
勅使河原も土角もカンナを睨み付けた。
「やれやれ、強そうな奴を見付けるとすぐに闘おうとする。まったく、趣味が体術とはよく言ったもんだ」
斑鳩は頭を抱えて苦笑した。
「無礼者! 勅使河原師範! あんな女、私で十分です」
土角が掴んでいた少女を放しカンナに向かって歩いてきた。
「待て待て土角。女は篝気功掌使いだ。儂がやる。どれ程のものか見てみたい。お前はそっちの男でも相手していろ」
土角は斑鳩の方を見て舌打ちをした。
「なんだ、結局俺もやるのか」
斑鳩も一歩前へ出た。
「仕方ない。俺は武芸十八般を使えるが今回は武器は使わん。お前の体術を見せてみろ」
「分かりました。では俺も素手のみでいきます」
斑鳩と土角は向かい合い構えた。
「まずは奴の腕前を見ようじゃないか」
勅使河原は腕を組んだままカンナに言った。
カンナもとりあえずそれに従う事にした。”闘玉”を使わなくても斑鳩が負けるとは思わなかったのでまずは土角の戦闘を見る事にした。
雪がチラついている。
斑鳩が仕掛けた。土角の腕と斑鳩の腕がぶつかった。拳の応酬を数回続けると斑鳩は一旦土角から離れた。
「澄川、この男、かなり出来るぞ」
斑鳩は土角から目を離さずにカンナに言った。
「当たり前だ。土角は磊冥館の師範代。将校に武術を教える男なのだからな。その辺の将校などとは格が違うぞ」
勅使河原が腕を組んだまま独り言のように言った。
確かに土角という男の氣は普通ではない。
学園の師範勢と似た氣を放っている。
そして、カンナの隣りの男はさらに常軌を逸している。
騒ぎを聞き付けたのか、周りには人が集まってきた。
「お! 土角師範代が知らない男と手合わせしてるぞ!」
集まってきたのはどうやら磊冥館の門下生達のようで屈強な身体の者が多かった。
「土角師範代が孤島の学園の男と手合わせをする。お前達も良く見ておけ」
勅使河原の説明に集まってきた男達は沸いた。土角への声援が場を包んだ。
「ギャラリーも集まったことだし。俺も本気でやるか」
斑鳩は拳を握り締めた。
「俺はお前の様な餓鬼に本気など出さん!! 殺してしまうわけにはいかんからな」
土角は斑鳩に向かって走り出した。斑鳩へ拳が何発も放たれた。斑鳩も拳で応戦する。土角の拳を捌き、躱し、その合間に攻撃を放った。
カンナも勅使河原もその戦闘を無表情で見ていたが周りの熱は凄かった。
少女も食い入るようにその戦闘を見ていた。
斑鳩も土角も余裕そうに拳を突き出し、脚を振り回すがどちらの攻撃もお互いを捉えられていない。
「もう良い。決着を付けろ」
勅使河原が言うと、斑鳩の動きが一瞬今までより格段に速くなり、土角の右側に回り、後頭部に肘を入れた。
土角は呻き声を上げると膝から崩れ落ち前のめりに倒れた。
周りの門下生達からは驚きの声が上がった。
「嘘だろ? あの土角師範代が負けただと?」
「騒ぐな。相手は割天風が開いた学園の生徒。これくらい出来て当然だ。斑鳩殿はかなり上位序列のようだな」
勅使河原が門下生達を鎮めると斑鳩に言った。土角が負けた事に対して特に驚きもしない。
「序列2位です」
「ははは、序列2位に負けたなら仕方ない」
勅使河原が笑っていると倒れた土角がゆっくりと立ち上がった。
「無念。体術では負けたか。こんな餓鬼に」
普通なら気を失ってしばらく動けないだろうに、土角という男は数分で目を覚まし立ち上がった。それに、動きもかなりのものだった。そして、潔く負けを認めた。
「凄い……かっこいい」
斑鳩と土角の戦闘をずっと無言で見ていた少女が呟いた。
「さて、それでは儂もやるとするか」
勅使河原は首を鳴らしながら門下生達が見ている前へ出た。
「え……まさか、勅使河原師範もその学園の男とやるんですか?」
「そりゃいい! 土角師範代の仇をとってくださいよ! 磊冥館の強さをこの餓鬼に見せてやりましょう!」
門下生達がはやし立てた。それを勅使河原は手で制した。
「否。儂の相手はこの女。澄川カンナだ」
勅使河原の言葉に門下生達はどよめいた。
カンナも勅使河原の前へ出た。
「澄川カンナって……あの篝気功掌使いで、解寧を倒したっていう体術の達人!?」
門下生の間からはカンナの噂が聴こえてきた。
「なんだ、澄川、お前めちゃくちゃ有名人じゃないか」
「いや、そんな、有名人だなんて……」
カンナは斑鳩の言葉に顔を赤く染めた。
「仲の良いところを見せ付けるのは他でやって貰えぬか? さあ、早く始めよう。澄川カンナ」
勅使河原は物凄い氣を放ちカンナに向き合った。勅使河原の足が地面を踏んだだけで一歩後退りしてしまいたくなるほどの圧力を感じた。あんなのが突っ込んで来たらと思うと鳥肌が立った。
「勅使河原師範、約束ですよ。私が勝ったらその子を磊冥館に入れてあげてください」
「ああ、勿論、約束は守る」
カンナと勅使河原の会話を聞いた門下生達はまたどよめいた。女を入館させる事が相当異例な事のようだ。
カンナは息を吐き、構えた。この男は強い。師範と呼ばれているだけの事はある。だが、負けるわけにはいかない。女を軽視した発言、考え方。それらがカンナと共に生活してきた学園の仲間達の事を思い出させた。女でも強い人はたくさんいる。そして、その少女も─────
少女はカンナを静かに見つめていた。