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この小説は自作シナリオ『異形の巫女』をプレイした人たちのロールプレイをひとつの物語にまとめたものです。
エンディングは最も多かったルートを採用しています。
妹が行方不明になった。
元々放浪癖のようなものがあり、掴みどころがない妹ではあったし、それ自体、彼にとってなれたものではあったのだが、だからといって行方がわからなくなった妹の心配をしないほど彼の人格は落ちてはいない。ここ数日世間を賑わせている連続失踪事件――これに妹が巻き込まれているのはではないかと、彼は気が気でないのだった。
「偶然の連続? あるいは……誘拐か。いずれにせよ、探すのをやめる訳にはいかない」
彼――八坂千歳は電車を降りる。連絡手段を携帯しない妹を探すには、とりあえず彼女が立ち寄りそうな場所を探すのが良いのだが、彼女の放浪癖はそれを許さない。八坂は「捜索」というには大雑把すぎるが、虱潰しにテキトーに、行き当たりばったりに、この駅に降りた。この駅にいるという確証も確信も、あるいは予感も何もないままに。
日も沈みかけ、街はすでに赤みを帯びてきていた。駅全体をざっと見回して、見知った顔を探すが、当然、そこにあるはずもない。駅を出て、どこか投げやりな気持ちで、ふと目に入った路地へと入り込んだ。
「ん?」
一瞬、黄色い何かが、路地の角を曲がった気がした。本当に一瞬のことで、見間違いだと思えばそうとしか思えないようのうなものだったが、不思議とその黄色が気になった彼はその黄色の後を追う。
黄色が見えた角を曲がろうとしたところで、彼の視界は黒く染まった。
目が冷めた時、彼は視界いっぱいに飛び込んでくる黄色に仰け反った。
「なんだ……うっ」
後頭部に鈍痛が走る。その痛みで意識が途切れる前のことをにわかに思い出す。
「監禁されている……ということか?」
その思考を肯定するように、この部屋明らかな牢屋であった。床、天井、壁が石で作られており、一面だけが鉄格子になっている。さらにそれら全てが黄色く塗りたくられている。そして申し訳程度にトイレや粗末なベッドがある。粗末なベッドがあるにも関わらず、彼は床で目覚めたのはここへ運んできた者たちがそこまで気を回してくれなかったからか。
「あと少しくらい運んでくれても……うん?」
愚痴りながらベッドを見れば、ひとりの女性がそこに寝かされていた。先客がいたようだ。女性は残念ながら彼の妹ではなかったが、同じくらいの年齢のように思えた。
「起こす前に状況を確認しておくか」
つぶやき、彼はまず鉄格子の外をのぞきこむ。外側には右側に続く廊下があり、となりにはもう一室牢屋があるように見えた。廊下の奥左側には階段があるようだ。見張りのような人物は見当たらない。
「鍵もか」
彼らを閉じ込める鍵はかなり古く、また安っぽい。頑張れば壊すこともできそうに見える。あまりに杜撰な監禁に、監禁されている彼が困惑してしまうほどだった。あるいは監禁している側は、八坂たちが脱走することをそれほど危惧していない、あるいは脱走しても問題ないと考えているのかもしれない。
「ふん」
格子のドアをガチャガチャと揺らす。実際に揺らしてわかるのは、明らかに脆くなってしまっているということだった。
「え? あ、だ、誰ですか?」
揺らしていると、彼は背後からの若い女性の声を聞いた。
「ん? ああ、起きたかい。僕は八坂千歳。気づけばここにいた。君は?」
「えっと、わたしは浅野風華っていいます。えっと……あの、ここはどこなんでしょう」
ひどく動揺した様子で浅野は言った。異様としか言いようのない、この黄色い部屋では平常な気持ちなど保ちようもない。
「それはわからない。路地を歩いていて、気づいたらここにいたからね」
「わたしもそんな感じです。街を歩いていたら突然……八坂さん、わたしたちどうなるんでしょうか」
「さてね」
八坂は再び鉄格子の前に立つ。
「しかし長居は無用だろう? 外に出ようと思うんだが、どう思う?」
八坂には自信があった。幼少より空手を学んでいた彼は、そこら辺の人よりは強いという自信もあれば、これほどまで脆くなってしまった鍵であれば、蹴り壊すこともできるという自信もある。
「どうするんですか?」
「こうする」
答えるや否や、彼はそのドアを思い切り蹴り飛ばした。何度かそれを繰り返すと、衝撃で鍵が壊れ床に落ちた。彼の想定通りではあるが、彼自身、こうも杜撰な組織に捕まっている現状を内心で恥じた。
「開いたぞ」
「あの……そんな大きな音を立てたら……」
「ん?」
彼には自信があったが、考えはなかった。今の音を聞きつけたのだろう、階段を駆け下りてくる足音が聞こえる。足音が徐々に近づいて来ているのを受け、八坂は床に転がる鍵を取り上げ、ドアに引っ掛けた。
「バレなければいいがな」
つぶやく後ろで、浅野がひどく不安そうな表情で小さくなっている。ただでさえ恐ろしい状況下にあるというのに、同じ境遇にいるはずの男が――本来なら頼りにするであろう男が、考えなしのように見えるのは不安でしかなかった。
「何をしているんだ!」
現れたのは、黄色いローブを着た男だった。フードを目深に被っており、表情を読み取ることはできない。
「す、すまない! つまずいてころんでしまったんだ!」
「はあ?」
男は怪訝そうな声で言う。
「静かにしていろ。次はないぞ」
苛立ちを隠そうともせず、男は去っていく。静かな地下牢には、男の足音はよく響いた。
八坂は小さく息をつき、引っ掛けただけの鍵を外す。
「ほら、浅野さんも行くよ」
「え、だ、大丈夫ですか?」
「さてね。どちらにせよ、鍵は開いているんだ。外へ出たほうが良いだろう? うまくやれば逃げられる。失敗したときは……考えなくていいだろうさ」
八坂は浅野の答えを待たずに牢屋を出た。浅野は少し逡巡した後、「待ってください」と彼の後を追う。
が、廊下に出てすぐ、彼の歩みは止まっていた。隣の牢屋の中の様子が、先程まで自分たちがいた牢屋とは打って変わって、清潔感があり、また、非常に厳重に施錠されていたからだ。
「牢屋でなければ良い部屋に見えるな」
「どうしてこっちの鍵は古くないんでしょう?」
「それはわからん。まあ僕たちにとっては、こっちに入れられなかったのは幸運だな。さすがにこの鍵は壊せないだろう」
まだ真新しい鉄製の鍵だ。鍵穴は見たこともないような形状で、特殊なものが使われているというのは明らかである。先程の牢屋と共通しているのは、やはり室内が黄色く塗りたくられているという点である。
「上、行ってみますか?」
おずおずと浅野が言う。
「ここにどれだけの人がいるかわかりませんけど」
「そればかりは祈るしかないな」
八坂が先導し、階段をのぼる。もはや驚きよりも呆れが先に立つが、階段も二階もやはり黄色く塗りたくられていた。
二階は長い廊下の左右に二つずつ四つのドアがあり、突き当りには鉄のドアがある。
「さて、どこから行く?」
「どこが出口でしょうか?」
「ここが仮に一階だとすれば、突き当りの鉄のドアと考えるのが自然だろうね。左右のドアは明らかに屋内用のドアだ」
「じゃあ、決まりですね」
音を立てないように気をつけながら、ふたりは廊下を進む。右手の一室から、何か物音が聞こえた。
「この部屋には人がいるみたいですね」
浅野がささやく。
「気をつけて進むぞ」
鉄のドアにたどり着くまでふたりは生きた心地がしなかったが、そのドアを見た時、ふたりは揃って失望の色をにじませた。
ドアにはノブも取手もついていなかった。代わりに、ドアの脇の壁に液晶モニターとテンキーが取り付けられている。
「これは……」
「コードを見つけるのが先だな」
このドアを壊すのは不可能だし、下手に入力して音が鳴るなどしてここの人間に気づかれれば、それこそ次はない。
「とりあえずさっき人がいる部屋があったよね?」
「そこの部屋ですね……え?」
「そいつに吐かせよう」
「ええ?」
困惑する浅野をよそに、八坂は音がした部屋の前に立つ。
「少し隠れておいてくれ」
困惑したまま、浅野は壁際に退く。それを確認し、八坂はドアに耳をはりつけ、しばらくそうしたのち、コンコン、とノックした。しかしノックするだけでドアを開けることはせず、中には入らない。
「何だよ、入れよ。ったくよ……」
中から男の苛立たしげな声が聞こえ、ノブが回る。
ドアが開くと同時、八坂の拳がドアを開いた男に襲いかかる。不意を突かれた男は反応する間もなく、それを顔面に受けよろめいた。よろめき、痛みでやや前傾姿勢になった男の頭に、さらに八坂の蹴りが突き刺さる。男の声にならない息がもれ、その場に倒れた。
「よし。もういいよ」
男の着ている黄色いローブを剥ぎ取りながら言う。
「あ、はい」
倒れた男を見て、浅野は息を呑む。
「す、すごいですね」
「昔空手をやっていてね。役に立つ日はないと思っていたけれど、なんだかんだ役に立つもんだな……っと、ほら」
男から剥いだ黄色のローブを浅野に投げ渡す。
「これは?」
「それを着ていたら、誰かに見つかっても少しならごまかせると思ってね。とりあえず浅野さんが着るのが良いと思う」
浅野にはやや大きそうだが、多少大きくてもローブならそれほど違和感はない。ローブに袖を通しながら「臭いなあ」とつぶやいているが、背に腹は代えられないだろう。
「さて……」
改めて部屋の中を見れば、そこもやはり黄色く塗りたくられた部屋である。この部屋は厨房のようで、簡単な調理器具が並んでいる。ほのかに味噌のにおいがする。
「お味噌汁……でしょうか」
弱火に掛けられている鍋の蓋を浅野が開けば、味噌の香りがふわりと広がる。確かにそれは味噌汁であった。
「量は少ないですね。ひとりか……ふたりくらいでしょうか」
「料理の量から考えれば、ここにいる人間は限られるということか」
さて、と、八坂が調理台の戸を次々と開いていく。
「何をしているんですか?」
「包丁がないかと思ってね。ああ、あったあった」
「でもそのままで持っていくのは危なくないですか?」
「一理あるけど……タオルで巻いておくか」
手近にあったタオルで刃をぐるぐる巻きにして、彼はそれをズボンのベルトに差した。
「転ばないようにしないとダメですね」
「気をつけるよ」
ふたりはざっと厨房を見渡してみたが、当然といえば当然なのだが、特に奇妙なものは見当たらなかった。部屋の全面が黄色く塗りたくられているという点を除けば、ではあるが。
部屋を出、ふたりは「さて」と三つのドアを見る。この状況にもやや慣れが訪れ、これからの行動について考えを巡らせる余裕ができ始めていた。この場合の「慣れ」が良いものなのかというのは、甚だ疑問である。
「どの部屋から行く?」
「やっぱり向かいの部屋じゃないですか?」
「じゃあそうしよう」
安直に決め、ふたりは廊下を挟んで向かいの部屋へ向かう。ゆっくりとドアを開け、中の様子を伺う。わずかに見える部屋の内部は、やはり壁と天井が黄色く塗られているのだが、床だけは真っ白に塗られていた。
意を決し、八坂は中に踏み込んだ。そこは他とは一線を画す部屋だった。床全面が真っ白に塗られ、この部屋が異様に明るく感じられる。部屋の四隅にはろうそくの日が揺れ、部屋の中央に描かれた黄色い、奇妙で、冒涜的な紋様を照らしている。
「や、八坂さん、奥に何か」
浅野が指差す先、そこには玉座のようなものがあり、そこに何かが鎮座している。それは人型であるが、黄色いローブを身にまとい、フードを深くかぶり、一見して男性なのか女性なのかは判断できない。この部屋の異質さが、あの玉座に座る何者かがあるいは、人ならざる何かなのではないか――そんな思いを、馬鹿馬鹿しい考えを作り出してしまう。
恐る恐る、ゆっくりと、八坂と浅野はその玉座へ進んでいく。玉座に座る者は、近づくふたりに反応を示さない。
さらに近づく。
手が届きそうなほどの距離になり、ようやくローブを着た何者かが顔を上げた。
「え?」
フードからのぞかせたその顔は、少女のそれだった。少女の顔には包帯が巻かれ、片目が隠されている。ふたりを見る目は驚きに満ち、何かを言いたそうに口がぱくついている。
「あ、ああ、あなた達は……」
声も若く、高校生くらいの印象をふたりは受けた。
「ぼくは八坂千歳。誘拐された」
「えっと――」浅野はフードを取り続ける。「――わたしは浅野風華です。えっと……」
「あ、わたしは多々良由良です。見ての通り、わたしも誘拐された側の人間です。もっとも――わたしのほうが先輩みたいですけど」
「見ての通り?」
そう言われて初めて、ふたりは気づいた。この黄色いローブを着た少女は、全身をベルトのようなもので拘束されている。
「えっ……」
短く、浅野が声を上げる。
「逃げられないように拘束されているんです。一度逃げようとして失敗しちゃいまして」
浅野の声に多々良はそう答えたが、浅野の驚きはそこではなかった。もちろんその高速にも驚きはしたのだが、彼女が本当に驚いたのはその拘束具の下、彼女の着るローブが奇妙にうごめいているような気がしたからだ。気づいてしまえば、違和感はさらに大きくなる。多々良のローブの輪郭は、人間がローブを着ているとは思えない、デコボコとしたそれだ。
「あああ、あの、その……その!」
浅野の声は言葉にならない。しかし言葉にならないことによって、八坂は彼女の様子がおかしいことに気がついたし、多々良は浅野が何を言わんとしているのかを察した。多々良の表情に深い陰が落ちる。
「これ……いつの間にかこうなっていたんです。男たちに押さえつけられて、注射をされたと思ったら苦しくなって……意識を失って、目が覚めたらこうなってたんです」
その「これ」が「どう」なっているのかは、多々良は口にしない。
「こういう姿になってから、ここの人たちから巫女さまって呼ばれるようになって、祀られるようになったんです」
「巫女とか祀られるとか、それはあれか? ここが宗教施設か何かだっていうことか?」
「カルト教団っていうのが正確かなって思います。しかもかなり非人道的な」
「非人道的というのは、まあ、身をもって知っているよ」
少なくとも人道的な組織ならば、突然後頭部を殴り、拉致するようなことはしないだろう。
「さて、だ。僕たちは早々にここから出たいと思っているんだが、君の力でどうにかならないか?」
巫女と言われ祀られているというならば、あるいは可能かもしれないと彼は考えたのだが、彼女が拘束されているという現実を見れば、それが不可能であるということは明白であった。とはいえ、聞かないわけにもいかない。
「わたしではどうにもなりません。ですが、協力は惜しまないつもりです」
「それは心強いが、君はどうするんだ?」
聞くと、多々良は目を伏せた。
「わたしはこんな体ですから」
やはり「どんな」体なのかは言わない。
強いて聞くこともしなかった。それでも浅野だけは、その言葉にある程度の理解を示したようだ。彼女は彼女のローブの内側をある程度予想することができているのかもしれない。
「わかった。ひとまず君の拘束を解いてあげたいところだが、もう少しそのままでいてくれないかな。外に出られる状況をまず作りたい。もしその間にここの人間がここに訪れないとも限らないからね」
「なるほど、わかりました。わたしにできることがあればなんでも言ってください。協力します」
うなずき、顔色の悪い浅野を連れて部屋を出た。
「顔色が優れないな。とりあえず地下牢に戻ろう」
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