最後の対話
「マスター、ごちそうさまでした。」
すっかり冷めたコーヒーを飲みほし、マスターの目をしっかりと見据えて言った。
「もう、行くのか・・」
「ええ、貴重な時間ですからね。マスターだけの為に使えません」
「そりゃ、まあそうだな・・」
「・・・・」
「一度だけ・・あの子が店に来たよ。」
「・・・いつですか?」
「たしか、2年程前だったかな・・お前さんには来たことを言わないで欲しいと言われたけどな。」
「そうですか・・・」
「一度、ここを離れて、また戻ってきたんだって。」
「えっ・・・!?」
「詳しい場所はわからないけど、このあたりに住んでるよ。」
「・・・・」
「あまり話はできなかったけど、お前さんの店も知っていた。」
「・・・マスター、それ以上は言わないでください。」
「いいのか?・・会わずに、いっちまうのか?」
「会わない方がいいんです。」
「そうか・・・」
「今までありがとうございました。」
「マスター、いつか・・・また会いましょう。」
「ああ、そうだな・・・」
一瞬、心が動いた。そしてそれをすぐに戻した。僕は彼女に会うべきではない。強くそう思ったのだ。
彼女はあの時、力強く歩きだした。その道は僕が存在しない道だ。
あの日から今まで、僕は彼女が自分の信じた道を最後まで生ききることができるよう願い続けてきた。それは僕の人生の大きな目的の一つになっていた。そのことに使命感のようなものさえ感じていたのだ。僕が彼女と会うことは、想いと行動が矛盾することになる。
このままだ。このまま、最後まで願い続けよう・・
「死神さん」
次の日の朝、自分がまだ生きている事を確認し、部屋の白い壁に向かって語りかけた。突然、というよりは、初めからそこにいたかのように死神は現れる。
「死神さん、何となくなんですけど、結構時間が迫ってきているような気がするんですが。」
「ほとんど時間は残されていない。」
「なんかね、死神さん。もう使命とかどうでもよくなってきました。実は、僕はそれをすでにわかっているような気もしているんですけどね。」
「それを知ったところで意味はないがな。」
「そうですよね。ところで、聞くのを忘れていたんですが、僕の来世は、僕が死んでからどれくらいで始まるんですか?」
「それはまだわからない。お前次第とも言えるが。」
「僕次第?あの世で何か試練のようなものでもあるんですか?」
「お前がどう生きるかだ。」
「じゃあ、もう決まっているんじゃないですか?僕はもう死ぬんですから。」
「お前はまだ死んでいない。」
「いや、そんなことはわかってるんですけどね・・・・まあ、いいか。」
「僕、死神さんと話せてよかったですよ。」
「マスターとも話した。内なる自分ともいっぱい会話しました。なかなかいい人生だったんだなって思いました。」
「お前は多くを生きた。」
「・・・そうですね。何せ僕は生き急ぎすぎた男ですからね。」
「僕が死んだら、死神さんは消えちゃうんですか?」
「お前はそれを知っているはずだ。」
「すみません、なんかつまらないことを聞いちゃいましたね。」
「もう・・・何も悔いはありません。」
「私には、お前が言っていることが嘘なのか本当なのかはわかるが、それはどうでもいいことだ。」
「僕、死神さんのそういうドライなところ好きですよ。できたら、明日も明後日も話がしたいですね。」
「その時間はない。」
「そうですか、それは・・・残念です。」
なぜか、その女の子が気になった。
最後にキャンプに行こうかなという思いは打ち消した。残り時間はほとんどないのだから、のんびり、ゆっくりと過ごそうと、散歩に出かけたところで、小学校高学年位の女の子を見かけた。別に珍しいことではないけど、その子から目が離せなくなった。知り合いではない。多分、初めて見る子だ。
勝手に体が動き出した。その子に向かって、全力で走り出した。僕が何をするつもりなのかわからなかったけど、運動不足で足がもつれそうになりながら、走った。
突然、時間がゆっくりと流れ出す。僕の目はその女の子しか見ていなかった。僕の存在には気づいていない。視界の端に、その子に向かって走る車が見えた。僕は自分でも驚くほどに、冷静だった。
女の子が車の存在に気づいた。僕は必死に走る。ドライバーは携帯電話を見ていた。
間に合う。そう確信した。そして自分の運命を悟った。
ここで僕が足を止めれば、僕は死なないのかな・・でも僕は止まらない。それもわかっていた。
冷静だった。タイミング的に、両方助かる方法はない。女の子を突き飛ばすしかなかった。ごめんね、ちょっと怪我するかもしれない。そんなことを考える。
あっ、ドライバーが女の子に気づいた。目を見開いている。遅いっての。
世界が、反転した。
空が見える。雲一つない晴天。旅立つには良い日和だ。
さらに反転する。女の子が倒れている。できるだけ優しく押したつもりだけど、大丈夫かな、怪我してないかな・・
一瞬、女の子に向かって駆けている女の人が見えた。多分母親だろうな・・・
地面が迫ってくる。ああ、やっぱりだめだな。頭から地面に落ちる・・
闇に、包まれた。




